※これは、観た中で発見したこと、考えた事をとりあえずメモしておこうというもので、
充分に推敲したものではありません。「雑記」といったところです。
その点、ご了承の上、お読みください。
「ピカソとダンス」
文化村オーチャード・ホール、8月16日
ピカソがセット、背景、舞台幕(リドー)、衣裳と、何らかの
形で関わったバレエ3本と、逆にピカソの絵から発想した新作か
らなるプログラム。
僕のお目当ては勿論ローラン・プティの初期作『ランデヴー』
Le Rendez-Vous (45)。ピカソがつくったのは舞台幕のみで、
美術はブラッサイのモノクロ写真。街を撮った写真をそのまま引
き伸ばして使っているわけだが、たとえば、そのなかに写ってい
るバーの建物の部分を立体にして、扉が開くようにしたり、看板
のネオンの部分は実際に赤く灯るように仕掛けてある。誰の発案
か知らないが、このアイデアはすばらしい効果を生んでいる。
そしてその店のなからから生身の身体、登場人物たち(衣裳=
マヨ)が、はき出されるようにして出てくる。しかし彼等の動きは、
これまたどことなくギニョールめいたもの(プティ作品『プルース
ト』中「カトレアをする」のスワンとオデットに似ている)。
これらの結果、現実感(写真、生身の身体)と非現実感(モノク
ローム、人形振り)とが奇妙に捻れ、混ざり合った場が成立する。
それを「シュルレアリスム」というべきだろうか。まさにプレヴ
ェール(台本)的な意味ではそうだし、例えば、ダリの背景で踊
れば即「シュルレアル・バレエ」、というレベルよりもはるかに
超現実的だろう。ちなみに、ダリのモード雑誌の仕事におけるコ
ラージュ(マヌカンの写真+ドローイングによる)の感じには近
い。
この第一場の雰囲気は、人物(せむしの男、おみくじ売り=
運命、等)も含めM・カルネの『天井桟敷のひとびと』(プレヴ
ェール台詞)のバチスト(バロー)が彷徨う夜の街のそれだ。
さて、コスマの作った音楽が後に歌詞を付けられて『枯葉』と
なったことで有名な、クライマックスのパ・ド・ドゥは今日の目
からは、いささか凡庸というか陳腐。しかし、もしこれが初演時
のままのオリジナルだとすれば(プティは一度作った振りをしょ
っちゅういじるから)、F・アステアの影響が強く感じられる点
は特筆すべきだろう。
やはり圧倒的に素晴しいのは第一場で、花売り娘はマイセン陶器
のオルゴール人形、ジャヴァを踊るカップルは(女性が足を男性の
足の甲に乗せて動くと妙な感じで)マリオネット−しかしどちらが
?−のようだ。運命に踊らされる我々の生、しかしそれは美しくな
いこともないのだ。
リファールの最高傑作とされる『イカルス』Icare (35)は???
(ピカソの美術・衣裳は◯)。リファール作品はソロ中心になると、
どうも面白くない。『ロメオとジュリエット』がそうだ。それから、
やはり今の目からみると決定的にオールド・ファッションさが目につ
く。大仰な振りが陳腐(何これ?超ダサダサ〜!って感じ?)。それ
が逆に「味わい」となる場合もある(『ミラージュ』『オーバード』
『典型的動物』など)のだけれど。
そもそも彼の平行足による第6、7ポジションは“ダンス・クラシ
ックのパの中では”やはり不自然に見える事は否めない。東京バレエ
団が踊った『白の組曲』は特にそういう感じだった。オペラ座が踊れ
ばまた違うということなのだろうか?まあ、ある程度はそうだろうが
‥‥。つまりリファールのスタイルは「新古典」ではなく「疑古典」
だということだ、良くも悪くも。
※当日は他にニジンスキー『牧神の午後』(ピカソ舞台幕)とベラル
ビの新作『サルタンバンク』(ピカソのタブローから発想)が上演さ
れた。
(許可なく複製、転載をしないでください。)
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