ダンス人名 [ CRITIQUE ]

ダンス人名小辞典 訂正、追加




「ローザス」ROZAS
ベルギーのダンス・グループ。
振付家アンヌテレサ・ド・ケースマイケルAnne Teresa de Keersmaeker
(1960〜  )はM・ベジャールの舞踊学校ムードラ、ニューヨークの
スクール・オブ・アーツで学ぶ。「ローザス」はミニマルから出発し、
そこにピナバウシュ的なアクションの過激さ、暴力性、を取り込んでいる。
また、音楽の構造分析的な振付も特徴的。

カリーヌ・サポルタ Karine Saporta
フランス国立カーン振付センター監督。フランスの「ヌーヴェル・ダンス」
のなかでも傑出した才能。オリジナルなダンス言語を、つまり身体に対する
深いまなざしを持っている。作品上にも、身体上にもファンタスム(奇想)
を構成する不可思議な〈仕草性〉を追及している。

ラララ・ヒューマンステップス LA LA LA HUMAN STEPS
振付家エドゥアール・ロックとスター・ダンサーのルイーズ・ルカヴァリエを
中心としたカナダのカンパニー。D・ボウイとのステージやヴィデオでの共演
でも知られる。ジルバの“デコンストラクション”、“ブレイクダンス”化と
でも言うべき過激なアスレチックにより徹底してフィジカルな表現を追求して
いる。しかし彼等の徹底してフィジカルな身体行為は、それが徹底的である
ことによって、また、その突発性、衝動性、リスキーさによってかなり
「情動的」な容貌をたたえはじめた。筋肉がオートマティックに思考していた
ものが、ある臨界点を超えた結果まるで「苦行」のような容貌をみせる。
80年代(リサ・ライオンな時代)ならともかく、今「フィジカル・エリート」
であり続けることは、命懸けの遊戯だが、同時にそれは遊戯としての苦行でも
ある。

山田せつ子 やまだせつこ
笠井叡の「天使館」出身。カンパニー「枇杷系」主宰。ソロ作品の他に韓国の
チャンム・ダンスカンパニーの委嘱による作品がある。例えば『速度ノ花』
(97)。アストル・ピアソラの音楽で踊られる中盤のシーンはとりわけ感動的
だった。ゆっくりした上下動、それもごく小さく肩を上下させることが波状的
に拡散・増幅していく。この短いシーンは、ダンスというののの本質を即座に
理解させる。「ダンス」とは「微細な振動」という快楽を堪えつつ(溜め!)
生きる、そうした「身体のありよう」のことなのだ、と。
 そしてそこに見られるものは、韓国舞踊でもあり、同時に「舞踏」(日本の
オリジナルなダンス/身体)的表現のきわめて傑出した例(軟弱な白塗り野郎
には到達できない高み)でもあり、アルゼンチン・タンゴというダンス音楽の
ダンス的精髄(ピアソラが、これほどタンゴとして、ダンス音楽として聞こえ
た体験は初めてであった。あの安っぽさすれすれのセンチメンタルなメロディ
とコード進行は私には歌謡的過ぎるのだ。)でもあるような、ひとつのもので
あった。つまりは、そこにはひとつのまぎれもない「ダンス」(という身体の
在りよう)があったということだ。

田中ミン(1945〜 )
「舞塾」主宰。モダン・ダンスから出発し、70年代後半は独自の裸体パフォー
マンスを展開。84年土方巽演出による『恋愛舞踏派定礎』。近年は国際共同
制作による『ムンク 生命の叫び』(ノルウェイ)『ザ・ポー・プロジェクト 
粘膜の嵐』(アメリカ、S・ソンタグ台本)『征服』(ブラジル、A・アルト
ー原作)などを精力的に発表している。

黒沢美香(もとの文に追加で)
近年は、シリーズ『偶然の果実』において、多人数の即興的セッション(まっ
たく出身ジャンルの違うダンサーあるいはシロウトとの)で「ダンスの立ち
上がる瞬間」「ダンスは何によってダンスになるのか?」といういわば「ダン
スの条件」を問う試みを展開している。「自分の部屋で音楽をかけていたら自
然と腰が動いた」ときそれは「ダンスの純粋状態」と言える。そういうダンス
が人前でもできたらものすごいに違いないのだが、これほど難しいものはない。
どうしても「フリ」になってしまう。フリをする者はこわばる。たとえば、
ダンサーが自分でテープもってきて、順番に踊ったり合の手を入れたりする。
まるで「カラオケ・パーティ」のように。これつまり、「自意識をどうやって
なくすか」というのをパフォーマンスとして試みる、ということだと思う。
とりわけ「素人さん」の場合、時としてものすごくいいダンスが成立してしま
う。反対に、プロのダンサーにはどうも難しいようだ。「ダンサー」にとって、
普通に考えてベターなダンスへのアプローチは、可能な限り「ダンス」に寄り
添うことぐらいだろう。つまり「しなやか」のレヴェル。踊ってる最中にステ
ップの一つ一つを忘れていられるぐらい「踊り込む」とか。ところが黒沢美香
は、何故か舞台上(人前)でそういうことができてしまう“プロの”ダンサー
なのだ。自意識がないんじゃないかと思わせるほどにリラックスしてる身体で
踊れるダンサーは、そうそういないと思う。まったく力の抜けきった、一見す
ると「いいかげん」な、「なげやり」な、「だらしない」ものと見えてしまう
かもしれないが、しかしそのダンスには、二見すると驚くべき事態が起こって
いる。この「鼻唄的純粋状態」では、存在自体がダンスとでも言うべき状態―
―ダンサー=ダンス、パフォーマンス=ダンス、空間=ダンス、時間=ダンスと
いう状態が成立しているのだ。

芦川羊子 あしかわようこ
土方巽の「暗黒舞踏派」の中心的ダンサーとして活躍。土方の死後、彼の最後
の弟子たちと「トモエ静嶺と白桃房」を結成。暗黒舞踏の継承、発展を続けて
いる。

〈ヌーベル・ダンス Nouvelle Dance 〉
読んで字の如し、新しいダンスのことである。最近はダンス・コンタンポランヌ
(コンテンポラリー・ダンス)と呼ばれることが多い。
ながらく、バレエが独占していたフランスやM・ベジャールの本拠地ベルギーの
ダンスシーンにおいて、アメリカのいわゆるポスト・モダンダンス(=カニンガム、
ジャドスン・チャーチ、ミニマル)ドイツのタンツ・テアター、日本の舞踏、
といった雑多な影響によって生まれた。
多くは、あいまいな折衷や悪影響といったもので評価しがたいし、特定の傾向を
持つわけではない「ヌーベル・ダンス」という言葉の適応範囲は非常に曖昧だ。
ちなみに、前田充著『ヌーヴェルダンス横断』に挙がったのは以下の名前であった。
ドミニク・バグエ、レジーヌ・ショピノ、「レスキス」、ジャン=クロード・ガロッ
タ、ジャン・ゴーダン、マチルド・モニエ、C・ディヴェレス&B・モンテ、「ロ
ーザス」、ダニエル・ラリュー、ジャン=クリストフ・マイヨー、マギー・マラン、
ジョセフ・ナジ、アンジュラン・プレルジョカージュ、K・サポルタ、フランソワ・
ヴェレ、「ダンス工場ベルリン」など。






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