[Dance]vs.Dance [ CRITIQUE ]

[ダンス]VS ダンス
―ピナ・バウシュとフォーサイス


   

  ピナ・バウシュの“最後のダンス作品”『春の祭典』(’75)は、
 彼女について、彼女の「タンツテアター」について語るとき、もう
 今では誰もが暗黙の裡に等閑に付すであろう作品かもしれない。
 なるほど「ピナのタンツ・テアター」とはダンスが不可能になった
 地平においてなおも、あくまでダンスたろうとするとき取らざる
 を得ない表現には違いない。しかしダンスのパラダイム内のディス
 クールにおいては、依然として「ヌーヴェルなんとか」始め、 
 キリアンだのマッツ・エックだのそれこそ噴飯物のエイフマンさえ
 語られ続けてしまうのであってみれば、ピナの『春の祭典』が
 ダンスとしていかに重要か、言い換えればそれがダンスとして超え
 られていないことを言いたくもなるというものだ。しかし『春の
 祭典』はやはり、いかんともし難く[ダンス]=「制度」的である。
 いやこう言うべきなのだ。それはいまだかつて[ダンス]的にしか
 踊られていない、と。実はいきなりそう「断言」するのも、ピナ
 自身が踊ったらこれがどうなるかが分かってしまったからだ。
  フランスのTVが制作した『Probe Sacre/Repetition Sacre 
 1992』という番組は、ブッパタールのダンサー市田京美にピナが
 『春の祭典』の生贄の少女の「振り」を付けているその現場をただ
 淡々と撮影したものだ。(ピナがいかにダンサーを導くかという点
 でも甚だ興味深いものがあるのだが、今は置いておく)ここでピナ
 はシークエンスのひとつひとつの動きを細かに踊ってみせる。それ
 は稽古着姿で、終始離さないタバコを吸いながらの力の抜けた手本
 ではあるのだが、極度の緊張と集中を要求されると考えられている
 この「振り」をこれ以上ないくらい自然に、信じられない精度で
 踊るのだ。そのピナの動きは、例えば、ひたすらなめらかなと
 みなされがちな「弧」ひとつも無限に微分化しうるものであること
 を思い出させるような、微細な力線がびっしりと詰まったもの、
 あらゆる地点から波状に伝播していく「動き」、つまりあらゆる
 ポイントが「動き」の起点であり頂点であり終点であるような
 「動き」、いわば〈生成〉としての「動き」というべきものなの
 だ。それは「動き」としても驚くべきものであることはもちろん
 だが、当然全く私の知らない『春の祭典』であった。
 ピナを懸命になぞろうとする市田、あるいは私のみたいくつかの
 舞台やヴィデオでもピナ以外のダンサーが踊る『春の祭典』はど
 うしても「ドイツ表現主義舞踊」、クルト・ヨース直伝の「ノイ
 エ・タンツ」というコードで云々されることを許してしまうもの
 だったが、例えばピナと、並んで踊る市田とを同時にみて歴然と
 するのは「ノイエ・タンツ」的、さらに言えば[ダンス]的であ
 ろうとする表現は、[ダンス](=的確なフォルム)を踊ろうと
 して、そこに[ダンス]を印そうとして、筋肉の動かしかたが
 「大きい」、というより「大雑把」になるということ、力が入り
 過ぎて却って「固い」動きにならざるを得ないということだ。
 (もちろん市田京美がダンサーとしては筋肉が大きい、身体が
 固いなどといっているのではない。彼女は優れたダンサーです。)
 それは恐らく、そうしなければ「フォルム」=[ダンス]という
 主体が雲散霧消してしまうのではないかという強迫的な恐れを
 抱く今日の[ダンス]のもっともな症候なのだろう。そうした
 意味で「ヒステリー的身体」とみられてきもした『春の祭典』も、
 しかしピナにとっては多数多様な力線の〈横断〉する場としての
 身体の「祭典」であるはずだったのではないか?ならばダンスの
 不可能性はピナ自身においては初めから超えられているわけで
 [ダンス]に陥ることなくダンスでいられることになる。
 だがダンサー達は誰もそのようには踊れない。彼・彼女達に踊る
 ことが出来るのは“[ダンス]として”という限りでより良い踊り
 でしかない。もちろん、そうならないピナのほうが全くの驚きなの
 であってダンサーを責められる者はいない。言うまでもないことだ
 がこのことはテクネーを裏打ちする「内面」性、「精神」性云々の
 問題などではない。まったくもって簡単なはなしで、ピナとその他
 を隔てているのは動きとそれを可能にする身体の「精度」なのであり、
 ピナのほうはほとんど完璧に「オートマット」である、ということだ。
 (これを逆に取ってはならない。念の為。)ピナが「タンツテアター」
 という表現に移行したのは「普通の身体」(といってもピナのレヴェル
 から言って普通なのであって、すぐれたダンサーであることをおとしめ
 るものではない)がアクセス可能なアプローチでピナ自身のダンスと
 同じ身体のありようを開示するために必要だったということなのだろう。
 「タンツテアター」それは[ダンス]にはないもの(しかしピナの踊る
 ダンスにはあるもの!)、そうダンス的〈強度〉としての身体/運動の
 顕在化のための迂回路だ。では、いかにして?
  ダンスならぬダンス「タンツテアター」、そこにみられる身体は
 例えば、ただ抱きあい、ただ倒れ、ただかけずり回り、ただ立ち尽く
 す身体だ。もともとピナは、そうしたものを含めてすべての日常動作
 のなにげない一瞬に、無限に分割される線をみてとることのできる
 異常に解像度の高い眼をもった人には違いなく、しかも自分でそれを
 再現すればそれだけで我々の「普通の眼」にも認識されるように組織し
 直して送出してみせるだろう。それがピナのダンスだ。しかし稽古中に
 出てくる、あるダンサーのひとつの動きにピナがみるものも当然ながら
 我々にはまだみえない。そこで、さまざまな方法でそれを顕在化しよう
 とする。そうして出てきたのが例えばあの、際限のない動作の「反復」
 であろう。ある瞬時の動きに潜む多数多様な線を、多面体を回転させた
 とき次々にあらわれてくる異なった面のように考えるなら、ひとつの
 動きは反復の毎回ごとに異なる部分の力線の存在を知らしめ、その
 連鎖によって逐語的だが限りなく多彩な「ひとつの動き」を獲得させ
 るだろう。しかし反復がそれ自体においてすでに「ずれゆき」である
 こと、もともとの「ひとつの動き」自体がすでに運動として〈生成〉
 しているということによっていずれにせよ我々の眼に与えられるその
 動きはブレ続けるだろう。それが〈強度〉のしるしである。つとに
 指摘されるような(注1)、動作としての「ぶつかりあうこと」が
 愛情表現なのか暴力行為なのかわからなくなる地点を招来する、とは
 純粋な〈強度〉としての「ぶつかりあい」が運動=情動となるからで
 あり、人間主体の行為としての「ぶつかりあい」の多数多様性(さま
 ざまな心理的原因)もそれがひとつの欲動の〈強度〉の様態だからに
 ほかならない。それゆえにそこに「貼り付けられた」(浅田彰)情念
 がことさらにアグレッシヴな、リアルな類のものであり、それが
 「反復」という「強調法」で増幅されなければならないのだろう。
 しかしここで繰り返し強調すべきはそれが「ヒステリー的身体」の
 ような抑圧された(制度としての[ダンス]に、)身体の異常な
 「こわばり」ではなく、いささか乱暴にいってしまえば「分裂症的
 身体」の開かれた「分子運動」なのであり、そこを誤読すると、
 例えばアンヌ・テレサ・ケースマイケルやアンジュラン・プレルジ
 ョカージュのように「ヒステリー的固着」=「ミニマリズム的反復」
 という図式に回収されることになる。もちろんピナの『春の祭典』も
 「上演」という限りにおいては、それを免れているとはいえないが。
  あるいは例の「手のダンス」という方法。これも稽古を付けるピナ
 の動きを見ていて気付いたことだが、「腕のひと振り」と思われる
 動きもピナにおいては複雑な連関を持った全身運動としてある。
 単に、筋肉の自然な連関があるから結局は全身運動なのだ、というよ
 うな体育学、解剖学的な論理ではない。それは力の〈横断〉的〈交通〉
 によって、ある一点の動きが必ずや波及し次々と、しかしほとんど同時
 的に別の動きを生まずにはおかないピナという異常な回路をもった
 システムがそうさせるのだろう。これは「普通のダンサー」には歯が
 立たない。そこでとりあえず運動の〈交通〉する範囲を極端に限定し
 〈強度〉を高めるのだ。ではなぜ「手」(腕)か?元来「手振り」は
 通常のコミュニケーションにおける動作においてとりわけ「曖昧」な
 部分だ。会話中、人は意味もなく「手振り」する。それは「リダンダ
 ント」であるゆえに、わけのわからない〈交通〉がひしめいている。
 そのことは恋人の話を聞くふりをしてその手の動きにみとれてしまっ
 たことがある者ならよく知っていることだろう。つまりみる側のほう
 でも「手のダンス」はその〈強度〉を感覚しうる潜在的な「眼」がある
 わけだ。
  あるいは「水のダンス」。男二人がグラスを合わせシャンパン(?)
 を口に含む。一人は上を向いて人間噴水を、もう一人はだらしなく口
 を開けダラダラとこぼし続ける、という『トゥー・シガレッツ・イン・
 ザ・ダーク』のワンシーンでは、吹き上げられ落下してくる水柱の微細
 な運動、口元から顎、首、胸と伝ってこぼれていく水の無限に分岐して
 いく運河の道筋が〈強度〉としてのダンスを踊る。さらに『1980』
 では舞台に敷き詰められた芝生のうえで、スプリンクラーからほとばしる
 水しぶきと、それをなわ飛びのなわか何かのようにして戯れる夏のワン
 ピースの少女の「デュオ」が踊られるのがみられただろう。
  しかしこの少女のほうの「ダンス」が問題である。「タンツテアター」
 に移行して後、『春の祭典』にあったような「ダンス」の語彙、フォル
 ムとして「型」としてみれば「ノイエ・タンツ」のボキャブラリーで
 あるとみなされるであろう[ダンス]は、ピナ自身によって踊られる
 (それによって[ダンス]となることをまぬがれる)『カフェ・ミュ
 ラー』を別にするとほとんど姿を消しているが(注2)、水とデュエット
 する少女はまさにその(ノイエ・タンツ的コードの)[ダンス]を踊って
 いる。当然ながら彼女はそれをピナが踊るような〈強度〉では踊れない。
 したがってことさらに、ただ彼女の動きだけに眼を向けるならば
 そこにはもう了解不能になった時代遅れのモードのような[ダンス]
 しかみえないのだが、これをあくまで「水とのデュエット」として、
 さらに芝生の緑の上という場も含めて、見るならば(それは見方として
 全く自然だろう)水しぶきの運動の〈強度〉とともに、水と交差する
 「少女の[ダンス]」の線さえも全体の〈交通〉の一部として〈強度〉
 を得るのだ。もちろん彼女の動きがもっと普通の動きであってもいいの
 だが、そこに「ダンス」を、いや正確にいうべきだ、そこに「ノイエ・
 タンツ」をもって来ることでピナは自分の思い出(少女はピナの分身だ
 ろう)と自分を育んだ「ノイエ・タンツ」を救ったことになるのだ。
 しかしそれはピナの「優しさ」であって、やはり苦しい、辛い「救済」
 であると言わざるを得ない。「ノイエ・タンツ」だけでなくダンスと
 いう固有名は依然として「タンツ・テアター」のダンス的〈強度〉の
 前にあっては[ダンス]でしかないことを免れないのではないだろうか。
 
  それゆえにこそもうひとりの明敏なるコレオグラファー、ウィリアム・
 フォーサイスのダンスへの固執があるのだ。彼もまたピナ同様、ダンス
 がもはや[ダンス]として死んでいることを知ってしまった例外的な
 作家であり、その認識から出発したところまでは同じなのだが、衆知の
 ようにピナとは全く異なる道を選択した。すなわちあくまでダンスの
 「制度であることの劣弱性」(それはもはや[ダンス]でしかない)を
 引き受けその「内部」にとどまり不可能とみえる〈強度〉の回復を
 ダンスという「形式」において実現すること。それが、いうところの
 「ディコンストラクション」に拠る戦略の前提条件のわけだが、その
 実践とは、とりもなおさず運動/身体に徹底的に線を書きこむことだっ
 たともいえる。[ダンス]というツリー状の身体/運動システムが幾何
 学的還元を必然として招来しシステムの(死せる)永久運動のために
 ショート・サーキット化が進行したとするならば(ミニマリズム、
 オリンピック化したバレエetc.)、塞がれた回路を再び〈交通〉させる
 とともに、さらに〈横断〉によってもともとなかった回路をどんどん
 引いていかなくてはならない。[ダンス]から(〈根茎〉として)
 ダンスを取り戻すために。結果まず、[ダンス]は回路の複雑化により
 見事に「誤作動」を起こし、次いで予期せぬ回路の発生によって
 サイバーな運動/身体(「ミュータント化したバレエ」?)が出現しつ
 つあるわけだ。
  ではそれはどのようなものか?まったく不思議なことにそれは『春の
 祭典』を踊ってみせたピナの身体/運動と極めて近いものだ。文頭で語っ
 たことをパラフレーズしつつ繰り返すなら、それはフォーサイスに
 ついて語っていることになるだろう。例えば―『アズ・ア・ガーデン・
 イン・ジス・セッティング』(’92)において顕著なのは軸線、運動線、
 フォルムともにみられる「正弦波」(立体として言えば「螺旋」)であり、
 ひたすらなめらかなとみなされがちな「弧」ひとつも無限に微分化しうる
 ものでありそこにはリアス式海岸のように波線がひしめいているという
 ことを思い出させるような、微細な力線がびっしりと詰まったもの、
 あらゆる地点から波状に伝播していく「動き」、あらゆるポイントが
 「動き」の起点であり、頂点であり終点であるような「動き」、いわば
〈生成〉としての「動き」だ―といった具合に。フォーサイスが果てしない
 航海を経てたどり着いた地点に二十年前のピナがいたとは!?彼の場合コン
 ピュータさえ使ってきわめてロジカルに動きを微分化していったのだが、
 それはもしかしたらピナの身体/運動の解析をしたのと同じことだった
 ということなのだろうか。
  実のところそうしてフォーサイスが得た身体/運動はいまだピナの
 それの精度にはいま一歩というべきなのも事実だ(注3)。しかし
 このことはフォーサイスばかりの責任ではなく、[ダンサー]という
 制度の即ち「身体としての近代」の抵抗の大きさとして考えられねば
 ならない。例えば「普通のバレエ・ダンサー」はバレエのテクニック
 =ダンス・クラシックの「パ」しか踊れないばかりか自然な歩き方さえ
 出来なくなっている。フランクフルト・バレエのダンサーたちは、
 フォーサイスとともにその「劣弱性」を引き受けることからスタート
 して自らの身体=制度を切開してきたのだ。今、「フォーサイスのダンス」
 という名のもとで我々経験しつつあるのが、コンピュータの画面上やフォ
 ーサイスの頭のなか、つまりシミュレーション空間ではなく舞台という
 現実においてであるということはやはり大きな驚きである。
  フランクフルト・バレエによって踊られるピナ・バウシュの
 『春の祭典』を想像してみること。ひとりひとりがピナに漸近しつつ
 あるフォーサイス・ダンサー群による『春の祭典』、それはブッパタ
 ールのダンサーたちが“ダンスならぬダンス”としての「タンツ
 テアター」で示すダンス的〈強度〉と等価であるばかりか、[ダンス]
 ではなく“ダンスとしてのダンス”として踊られるだろう。


 *注―(注1)浅田彰「情動の機械」(ブッパタール舞踊団来日公演プログラム1993)、
 同「あさっての日記から」(「インターコミュニケーション」No.11 1995)、
 ハイディ・ギルピン「静止と不在の力学」(「批評空間」No.10 1993)など。
 これらの論には「反復」の問題についても示唆されるところが大きかった。
 (注2)その「名残り」は多くの場合「手のダンス」にみられる。
 顔や胴体を抱え込むようにしてそのまわりでクネクネさせられる腕がそれである。
 (注3)現在フォーサイスはそのことを別の次元において解決しようとしている。
 彼はダンス的〈強度〉が運動線の多数性に負うていることからさらに身体/運動の
 複数化を引き出す。具体的には「デュオ」の運動/身体の相互貫入・介入の操作
 によって生みだされる「関係」としてのダンス(=強度)の実践的研究という
 かたちがとられる。そこでは「動き」とは二個の身体/運動の総体としての
 「単数」でも、それを分割した二個の単数の身体/運動でもなく、
 「複数」としての「関係」じたいとなるのだ。これは「タンツテアター」
 における水と少女、芝生とダンサーというような、いわばモノあるいは
 場所との〈交通〉によって強化された〈強度〉に対し、いわば場としての
 (もうひとつの)身体との〈交通〉による〈強度〉の獲得といえる。
 

 (この文章は『ユリイカ ピナ・バウシュの世界』 青土社 に発表した
 ものに若干、手を加えたものです。また、許可なく複製、転載をしないでください。)



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