雲と水面

 <承前>この記録を書いてから10年近く経った今読み返してみると、聞こえの回復に欣喜雀躍して、人工内耳の聞こえを過大に評価しているように思います。
 聞こえは、記録できません。よくSTさんに「前のマッブと比べてどうですか」といわれますが、記憶が頼りで、どっちがいいか聞き比べられません。「せめて、2台のSPを使って聞き比べできるようにして欲しい」とお願いしています。それで、聞こえを視覚的な例えで説明してみましょう。何も見えない真っ暗な部屋から、20ワットの蛍光灯1本しかない照明の部屋へ連れてこられたとき、「わあ、ずいぶん明るいなあ」と感じると思います。始めて人工内耳で聞こえがよみがえったときは、こういう状況ではないでしょうか。すごく明るく感じると思います。つまり、ずいぶん良く聞こえると感じるのです。ところが、術後の日数が経つと「どうも暗いもう少し明るくならないだろうか」と不満がでてきます。「どうも、あまり良く聞こえない、もう少し聞こえるようにならないものか」と不満が出てきます。先日合同リハビリで術後3年の人が、「このごろあまり聞こえないね」と、よく言われるといっていました。それは、当初の昂奮からさめて、「あんまり聞こえないね」と、いっているのだと思います。聞こえが悪くなったわけではないと思います。人工内耳の聞えはそんなによいものでないことに気づき始めたのです。
 そして、聞こえの自信が、だんだん揺らいできます。それで、「聞こえの程度には個人差があり、人それぞれである。」と、自分を慰めるということになります。 でも、全く聞こえなかったときと比べれば、天国と地獄の違いがあり、私は聞こえには不満ではありますが、1日として人工内耳を手放すことはできません。(2000.2.29記)
人工内耳治療日記の抜粋の文中<>の記述は、2000.2.29書き込んだものです。


人工内耳治療日記の抜粋

これは私のプライベートな記録ですが、皆さんのご参考に人工内耳のリハビリ日記の抜粋をここに引用してみます。(1990.12.30)

 平成2年11月21日(水)

退院するに当たり、入院中の経過を顧みると、10月25日に人工内耳のコクレアインプラントを左側頭部に埋め込む手術を行い、3週間後の11月14日にホストコンピュータのシステム(マップ)スピーチプロセッサへ入力しました。マップの入力を見守っていた妻の「お父さん」という呼びかけの声で、10年6ヶ月ぶりに音が蘇りました。まだ、リハビリの途中で、人の話し声が自然な声には聞えませんが、マップの調整とリハビリでおいおい会話が出来るようになっていくと思います。
それに、まだ虚脱感や側頭部の麻痺、また、困ったことには味覚が混乱しています。これらの後遺症状が回復するには、これもまたしばらくかかりそうです。皆様にご心配をおかけいたしましたが、おかげさまで、ここに退院の日を迎えました。
万全に空調が管理された病棟から出ると、いつのまにかすっかり風が冷たくなっているのにビックリしました。

 音入れ後10日目

病院から帰宅したとき、4歳の孫が、「おじいちゃん 元気か」というので、「元気だよ」って返事をしたら、不思議そうな顔をして円らな瞳を輝かせながら、小さな手に力を入れて、握手しながらなにか言いたそうな素振りをしていましたが、適当な言葉が見当たらず、「わぁー」といって逃げ出しました。今までは手話の真似事で話し掛けていましたがこんな幼い孫にまで、「聞えない」心配をかけていたのかと思うと、いま、私の気持ちを表す言葉が見つかりません。聴力に障害のある皆さん 音を取り戻して下さい。人工内耳の検査をして見て下さい。

吾を呼ぶ高く響きし孫の声初めて聞きし秋深き夜

<4歳だった孫は、いま中学生です。おじいちゃんは聞こえると言うことが、当り前になっています。>

 音入れ後15日目

昨日あたりから気がついていたが、大きい音は低く、小さい音は高く聞える。人工内耳に慣れてきたためかリンリンとかキンキンのような高い音は自然な感じのままに良く聞き取れる。

土鈴のインプラントで聞く音は記憶の音と違わず響く


<高い音の聞こえを、落とすと、ずーずー弁になって、聞き取りにくくなります。コクがあるのにキレがあるというビールのようにはいきません。>

 平成2年12月1日土曜日

風の音が汽笛のようにボーッと聞える。
お見舞いの快気内祝いに、サントリーの「響」を差し上げたら、もっと響くようになるといいですねと皆さんが励まして下さる。でも、響きは聞き取りの障害になるのではないかなと思う。

 平成2年12月4日火曜日

TVの中国語講座で始めて中国語を聞く。これまではどんな発音か想像で発音していたが、これからは少しはましな発音が出来そうである。

<過大評価です。今でも良く聞こえません。>

 平成2年12月7日金曜日

TVに字幕がつくようになって、始めてみたNHKの朝のテレビ小説が素晴らしかった感動を忘れられない。あれから何年になるか。今朝はテレビで「京ふたり」の台詞や音が聞えて、あの時の感動が再び戻ってきた。ありがたいことである。

冬の京千枚漬けのうまし味人工内耳の音もまた良し

 音入れ後28日目

リハビリ中の私には装用者の体験が、何よりも貴重な指針となります。当初の音はおいおいに現実の音へと変わり、家族との会話には十分な効果が出てきました。ただ、不必要な騒音(環境音)が声より大きく聞こえるので、この点が一番のガンとなっています。人工内耳装用者の体験談では味覚について触れていませんが、私は味覚が混乱しています。これは回復するのでしょうか

<味覚の回復は、1年半ほどかかりました。しかし完全でなく、今も障害が残っています。>

 音入れ後29日目

ピアノの鍵盤をたたいてみた。全ての音が聞こえて音階も分かった。

いたずらにピアノ叩いて音聞けばオタマジャクシのやかましき声

<普通はピアノのような音が一番良く聞こえるという人が多いようです。>

 音入れ後30日目

電話の音が聞きにくくなったのは今から30年ほど前でした。今日電話が聞こえた。余計な音がカットされていて返って聞き易い。

ベルの音すれば自然に受話器とる昔のしぐさ懐かしく思う

聞こえる聞こえると言ってもテレビなどの再声音は字幕などの介助の併用なしでは無理ですし、複数の人との会話も言葉の弁別に骨が折れます。エンドレスなリハビリを続けていくしかないと思います。

<電話の聞こえも「めくら蛇に怖じず」の譬えで過大評価です。いまは、電話は家族としか話しません。>

 音入れ後35日目

音入れ35日目
赤子ならお宮参りに祝い膳吾はひたすら沢庵を噛む

沢庵を食べてみた。ぽりぽりとまでは行かないが噛む音が聞こえるので、とてもおいしい。

 平成2年12月28日

母の一周忌である。私は聞こえなかったころ、自分が一番苦しんできたと思っていました。しかし、家族、特に母親は私の苦しみより、もっともっと辛かったのではないかと思います。
今日、音の回復の喜びを母の霊前に告げ、これからも家族への愛と感謝を大切にして、生きていくことを誓いました。

吾もまた孫持つ歳になりしいま母の慈愛と悟りをつかむ

<今考えてみると、聞えないころは、家族や子どもたちに厭な思いをさせ、八つ当たりしていたのではないかと思います。そういう父に耐えられなくて、息子はキリスト教徒になってしまったのかなと思い、深く自責の念にかられています。聞こえないことは本当に辛いことです。しかし、母や子どもたち肉親も、本当に辛かったとことと思います。人工内耳で聞こえが回復し、今は、和やかな家族関係になりました。>



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