雲と水面

N24装用体験
 N24は、2000年から保険適用になった新機種で、これまでのミニ22よりチャンネルと、マップ数などが改良された機器です。詳しくは日本コクレア社ホームページをご覧ください。
  この体験談をご寄稿頂いた方は、このN24を使っていますので、これからも、N24の聞こえの体験を書き加えていただきたいと思います。ご参考になると思いますので、ぜひお読みください。

 僕が難聴になり始めたのは幼稚園ぐらいからだと記憶しています。当時原因不明の進行性難聴と診断され、まだ聞こえる程度に残っていた聴力で補聴器もつけず日常生活に不自由なくやってきましたが、とうとう小学校6年ぐらいから左耳に補聴器の世話になり以来、補聴器も軽度、中度、高度と年と共に聴力も落ちてきました。

 その間治療の為、母親に連れられあちこちの病院に連れて行かれた記憶があります。しかし残念ながら難聴は不治の病と言われるように治すてだてがありませんでした。

人工内耳をつけるまでは左耳に補聴器で日常生活に不自由なくやっていましたが、H12年5月20日に突然吐き気、眩暈と共に左耳が聞こえなくなり(右耳は聾の状態)5月27日に福岡大学病院に入院、2週間点滴、甲状腺ブロック、投薬と治療しましたが、回復する見込みはありませんでした。

 御覧のように人工内耳をつけるための入院ではなく治療をする為の入院だったのと、治るのではという安心感からまさか自分が人工内耳の装用者になろうとは思っても見ませんでした。治療後、これからどうしようか?という思案に暮れているとき知人や親から今の医学の治療でやれるとこまでやってみてはどうかと言われました。そうすると主治医がすすめていた人工内耳しかありません。しかし自分自身踏み切れませんでした。

 それはなぜかというと人工内耳に関する知識がなかったのと、本当に音として言葉として聞こえるようになるのだろうかという不安からでした。

 それからでした主治医に人工内耳に関する本等を借りて勉強しました。人工内耳の会があるということもその時に知りました。そして今年からコクレアのN24という新製品ができ耳掛け型と携帯型の両方が選べることを知りました。趣味がパソコンという事もあり、MLを通して人工内耳装用者を紹介してもらい、初めて装用者に会い、話してみました。聞こえてちゃんと話ができることに驚きをかくせませんでした。ここで僕自身何も悩むことなくふっきれ人工内耳の手術をうけることを決心したのです。

 本当に悩んでいるときだったので、装用者に会えたことは僕にとってこれからの人生を左右するぐらい大切な出会いでした。

その事を主治医に「人工内耳の手術お願いします。」と言うと「がんばろうね!」と言ってくれました。

 検査の結果、自分の要望どおり右耳がいいということで、右耳に決まりました。補聴器をかけていた左耳は元に治るのではないかという希望を捨てきれませんでした。そこは主治医も理解を示してくれました。

 そして8月9日に手術を行い、無事電極もおさまり成功ということで、9月5日に音入れ、翌日にすべてのマップの調整をして「これが人工内耳の音ですよ、聞こえますか?」という問いかけと主治医や家内の「聞こえる?」の言葉に「うん、聞こえる言葉として生に近い形で聞こえます。」とうれしくて本当なら涙が出てくるところなのですが僕の場合はただびっくりです。なぜかといいますと人工内耳をつけた右耳は24年間補聴器をつけても役立たず言葉として理解できず、音だけのまったくの聾状態だったのです。それが言葉としてわかるのですから信じられませんでした。ここに医学の進歩はすごいということをを実感しました。

 N24の装用者として音入れ後まだ2ヶ月ですが、マップとともに安定していき、補聴器で得られなかった音がうるさいぐらい聞こえてきます。今、日常生活の会話も読唇を併用して不自由しないぐらいわかります。電話も携帯も知っている人だと理解できます。しかし音楽やテレビ機械から流れてくる言葉は聞き返すことができないので理解しにくいです。これもマップとリハビリ次第で慣れて来ると思いますのであせらずにじっくりやっていきたいと思います。これは僕の体験であり、聞こえ方等は人それぞれという話ですので人工内耳をつけている方はよくわかると思います。

 聞こえなくなって本当に悩みました。治療、検査、手術、リハビリと4ヶ月にわたる人生の中で初めての長い入院生活でしたが、得たものは大きいです。それはやはり音です。これならこれからの人生頑張ってやっていけそうです。今本当に心から人工内耳をつけてよかったと思っています。

 いつも耳の聞こえない僕にやさしい笑顔で接してくれた看護婦、僕の手術をしてくれた主治医、マップの調整をしてくれた先生たちに感謝しています。

 入院中、献身的に僕を支えてくれた妻とそして第2いや第3の耳となる人工内耳とともにこれからの人生頑張っていきたいと思います。

福岡市    N24装用者  板並 孝之

ご意見・ご感想は管理者へお願いします。 2000.11.4掲載


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