雲と水面

水門さんの体験コーナー
ようこそ人工内耳友の会東京のホームページへ
そして体験コーナーを開いてくれたあなたにきっと良い事がおとずれるでしょう
このコーナーを読んでくれるあなたには 希望と勇気をお届けできると思います
さあしばらくの間小さな文字を追って下さい。

私がこの人工内耳と実際に手を結んだのはもう7年も前に成ります
その頃からいまに至までを思い返しながら進めることにします
忘れてしまったりしている事を今一度さらいなおして、
さーがんばるぞ!

私達が付けている人工内耳の殆どはコクレア社〔オーストラリア〕製の物です
補聴器とは全く異なった器機で外部器機と体内に埋め込むプラントから成り立ちます
音の増幅器機が補聴器、方や音を電気信号に変えて埋め込みプラントに送る器機が人工内耳です
補聴器の場合は健常者が耳にすればその音の様子が把握できるのに対し人工内耳は全く用をなしません
この現実が様々な不可解さになったり誤解の元に成ったりします
個人差がある事がそれを更に拡大して要るのだとも思えます
しかし聞こえると言う現実は得難い物です
ただぱくぱくと動くだけの口元から声が聞こえると言う当たり前過ぎる当たり前が何とも有り難く伝わってくるのです
「お早う」と言われるとそれらしく、時にはモアーっと、時にはハッキリと!
人の聴神経は片側だけでも2万本もあるという事です
これに対して人工内耳のチャンネルはおおよそ20そこそこである。
この事を考えると「会話ができる」「電話が使える」「アナウンスが聞き取れる」等というのは奇跡だとおもう!この奇跡が時間とともに不満につながる場合も有るどうしてそう成るの!? 人間と言う物は欲深く出来ているようだ
その時は涙する程喜んだ音なのに「もっと良く聞きたい」「もッとハッキリ聞きたい」「もっと綺麗な音で聞きたい」、どこまでも求めるのです、
その結果が不満となるのです
しかしその為に色々と工夫をする 環境を整える マイクを屈指する相手の口を良く見る 音声の基に近い位置にマイクを近ずける 風下に位置するように立つ
音量調正ツマミで聞き取り易い音量を常に探る等等あれこれと欲を追求するのです
すると人工内耳の聞き取りの善し悪しは適した環境によりその理解度は大幅に適応するように
改善されるのです。
とは言うもののもっと良く聞きたい気持ちはまだまだ満たされない。
あっと言う間の七年間だったように思うが 初めと比較すれば随分聞き良く成ったと思う
初めの頃の騒々しさからすれば今の静けさは別人のごときである
周りが静かに成った訳でもないし環境が変わった訳でもないが自分がそう言う世界に仕向けて
要るからだと思う、

こういう事を総合して見ると、聞き取りが良くなった要因は以下のような項目によると思う。
1番に上がるのは環境に慣れて来た事
2番目に上がるのは聞く為の環境作りが上手く成って来た事
3番目に聞く為のモードを維持出来るように成って来た事
4番目に口読みがうまくなって来た
5番目に聞き易い話し方をして呉れる人が増えて来た事
6番目にスピーチプロセッサのマップの調整と自分の周りの環境が噛み合って来た事
7番目にマッピングと聴神経の相性が良くなって聞こえが安定して来た事
8番目に病院でのリハビリで自信が付いて来た事
9番目に話の流れにそって先を読み取るようになって来た事
10番目に状況に合わせてマイクを使うのが上手くなって来た事
11その他様々な条件に対しての対応が幾分上達したと言える

こんな事が大まかに言えると思う。
人工内耳を知った事で音を取り戻す事が出来た!
私が喜んだのは当然だが、それ以上に喜んだのは妻や子と言える。
一時の世話は快感だが長期の世話は苦痛も伴うからだ
失聴期間11ヶ月と言うのはある意味で悲劇のヒーロー見たいな物だったように思う
スター気分の中にいたのかも知れない
皆からちやほやされていい気になっていたのかも知れない
その分妻や子は負担が多かったのだから!
ともあれ失聴と言うアクシデントは人に取って大きな衝撃だった事は確かだし
人生観に重苦しい圧力を掛けて来たのも事実だ
しかしこの事は色々な事を考えさせてくれた事も確かだ
「何のために自分がいるのか」、「何のために生まれて来たのか」
あれやこれやと考える機会が生まれた事を思うとこの失聴だって無意味なものでわない。
そもそもこうしてホームぺージに自分の思う事を書きしるし、それをあなたに読んで貰える事事態にも大きな意味が有るからです。
沢山の人たちと出会い生きる勇気を分けてもらいそうして助けられた事は今までの人生の中での大きな飛躍の時だったように思う。
人工内耳とは単なる器機なのかも知れないが、これを取り巻き携わる人は一体どの位いるのだろうか 開発する人作る人 医療に関わる人 協力をしてくれる人、仲間もいる家族もいる、もう数えきれない人が居てこの人たちと共に人工内耳が生きている。
だから人工内耳は自分だけの物ではないのだと思う、そう思えるようになって来た
人工内耳は皆の財産だ、だから「人工内耳よありがとう」!
そうしてこのページを最後まで読んでくれたあなたにも感謝と「ありがとう」
そう素直に思えるようになって来た
今は充実の日々である、だからやっぱり素直に
「あなたに幸福を」「君にも幸福を」
そう祈りながらこのページを終わります。
ご意見・ご感想は管理者へお願いします。 2000.4.29掲載


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