雲と水面

  第14話 2007.1.24 掲載しました。

           長 華
お孫さんの人工内耳についての経緯、その素晴らしい成果を、優しく見守る感動のエッセー。これからも折に触れて、お書き頂きます。どうぞ、子どもさんの人工内耳のご参考にしていただきたいと思います。
                             ー人工内耳愛すランド東京管理者ー

第1話 2000.10.5  掲載
第2話 2001.1.8   掲載
第3話 2001.8.30  掲載
第4話 2001.12.31 掲載
第5話 2002.8.23  掲載
第6話 2003.1.5   掲載
第7話 2003.9.7   掲載
第8話 2004.1.18  掲載
第9話 2004.8.27  掲載
第10話 2005.1.11  掲載
第11話 2005.8.26  掲載
第12話 2006.1.22  掲載
第13話 200.6.8.27  掲載
第14話 2007.1.24  掲載


孫の話
 第14話

 2006年〜2007年・正月

◇少女あゆみ◇

 小学3年生の冬休みは、12月23日から始まりました。今年の冬は、弟のしゅう君が1年生です。そこで、しゅうくんが「飛行機一人旅」を希望したとか・・・あゆみは、暮れに両親と車で来ることになりました。
 姉弟げんかのない休日を過ごしたせいか、ご対面は懐かしそうでした。

 クリスマスイブからやってきた従姉妹達とも、仲良く遊びました。まだ幼い2人にはとても優しく気遣う、お姉さんでした。朝、起きると櫛で髪をとき、従姉妹には三つ編みをあんであげるなど、オシャレなお姉さんでした。

 DSに夢中ですが、宿題は言われなくても出来ますし、お手伝いの風呂掃除もしてくれました。難聴であることに気付くのは、時々聞き返すこと・・・くらいです。

 よく話せるけど、よく聞こえない。
 耳から入る情報量は、通常の半分くらいでしょうか? 詳しいことは分かりません。
 障害を受け入れて、たくましく生きる大人になるまでには、まだまだいろいろ大変なこともあるのでしょうね。でも、元気で明るく素直に育っています。何よりも嬉しいです。
1月6日に、あゆみ一家は帰っていきました。
 最近、私も歳のせい?か、忘れっぽく、飽きっぽく、集中力も減退!?

 しばらく、休憩したいと思います。というか、夏はまだゆとりがあると思われるので、今後は、1年に1回くらいのペースで書き足していきたいと思っています。続きは、また後日・・・・・。

      2007年1月23日           長華



孫の話 第13話


◇あゆみ・3年生の夏◇  2006年8月

 7月20日1学期の終業式に、今年も、夏休み前に通知票がFAXで送られてきました。身長130.1p、体重27,9s。標準?? ちなみに、1年生のしゅうくんは、122,5p、23,4s。二人とも、大きくなりました。
 今年は、二人揃って飛行機に乗ってきました。1週間前に遊びに行っていたおじいちゃんと一緒に来たせいか、緊張することもなく元気にあいさつができました。いつもはしばらく口も聞かずに固まっていたけれど、今回は弟と一緒だから?とっても元気です。 
 正月に渡したドリルを1冊やりとげたことと、かけ算百マス問題を1分30秒でできるようになったご褒美に、DSのゲームソフトを買いました。しゅう君は残念ながらまだやり終えてないので、買えません。が、貸してもらってやることはできます。しゅう君には、攻略本を買ってあげました。

◇きょうだいげんか◇
いつもの緊張がない代わりに、さっそく姉弟げんかが始まりました。原因は、ゲームです。ゲームの時間は、勉強や手伝いの時間によって決まりがあるようですが、自分にも他人にも厳しいあゆみの基準と、自分にも他人にも鷹揚なしゅう君の基準が違うのです。激しい戦い(口げんか)が始まりました。そのうちに、それぞれがお母さんに電話をして訴えていました。それでも埒があかないのか、とうとう物別れ。
しばらくすると、FAXが・・・・・。「いちいち電話してこないで! こんな事が続くようなら、ゲームも漫喫もなし!」母の一喝で、一件落着。
この後は、けんかはしても直訴はなくなりました。
後日談・・・二人を送り出してから具合が悪くなり寝込んでいたとのこと、・・・そのことを知った二人は、自粛していました。あゆみは、私の携帯でお見舞いメールをしていました。さすが、お姉さんです。
ゲームのこと以外にもちょくちょくけんかをしていました。時には涙もありましたが、暴力はないので一安心。

◇夏休みの宿題◇
学校の宿題に自由研究があり、貝の研究をしていました。研究といっても、海で拾ってきた貝を、インターネットで調べて、画用紙にまとめるというものです。Yahoo!キッズで検索し、印刷して、画像を切り抜き、説明の文章を書きます。最後に思ったことを書き加えて、カット絵をかいて1ページ分完了。
 しゅう君は、恐竜を調べていました。1日1枚が目標? 休み中に何ページの本ができるでしょうか。
 勉強の仕方にも、性格が表れています。てきぱきと進めるけどやや雑なあゆみ、一字一字ていねいに書くけどゆっくりペースのしゅう。これが個性というものなのかな・・・。

◇遊び◇
去年まで夢中になっていた「ドンジャラ」は影を潜め、「人生ゲーム」や「ダイヤモンドゲーム」など、いろいろなゲーム(ママが子供の頃に使っていた物)を幅広く楽しみました。でもDSには負けます。パソコンのゲームも慣れたものです。けれど、そういうゲーム は、人と人とのやりとりがあまりありません。やっぱりみんなでわいわい言いながらやるゲームが楽しそうでした。
 ドンジャラの代わりに、漫喫にドンドンはまっていきます。盆と正月だけに連れて行く場所、漫画喫茶とお墓。去年まではすぐに飽きて「早く帰ろう。」と言っていたしゅう君も仲間入りです。
 プール大好き! 去年の水泳大会には50メートル近く泳げたそうです。誰に教えてもらったのか、クロールで上手に泳ぎます。そういえば、バットやラケットで球を打つのも上手だから、あゆみは体育会系かな?しゅう君の夢は、サッカー選手だって。
難聴児にとって集団スポーツは難しいかもしれません(偏見?)が、個人技ならいい線いけるかな・・・・・などと、期待してしまいます。ばばバカ!?

◇人工内耳◇
 水に弱い人工内耳、夏は汗対策が大変なので、特別の乾燥器を購入したそうです。電池がなくなると自分で付け替えるのはいいけれど、洗濯機に古い電池が!?・・・子どもたちが小さいころ、洗濯前にはポケットを確認したことを思い出しました。
 人工内耳装用児とその家族に会う機会がありました。その集まりに限らず、初対面の人に対しては全く口をききません。人見知りのところは、私に似たのかもしれません。よほどうち解けた相手でない限り、あいさつも聞き取れないくらい。ホントに、内弁慶です。
 聾学校の定期検診?で、最近、人工内耳を付けていない方の聴力に変化が現れたそうです。ほんの少しだけど反応が見られることがあったとのこと、手術して頂いた大学病院の先生によると、まれにそういうケースが見られるとか・・・、以前書物で読んだ「残存聴力」なのかも・・・・・? いずれにしても、成長に伴い様々な変化が起きてくるのでしょう。後退することもあり得るでしょう。人間の身体の不思議を感じるとともに、聞こえが悪くならないようにと祈るばかりです。科学が発達して、さらに改良してほしいと願わずにはいられません。

◇障害を持つ子のきょうだい◇
 あゆみが聾学校に通い始めた頃や、人工内耳の手術をした時、弟のしゅう君はおばあちゃんに預けられていました。しゅう君を出産する時には、あゆみがおばあちゃんに預けられました。難聴と診断されてから、おじいちゃんとおばあちゃんは隣の敷地に家を建てて、いつも支えてくださいました。
こんなによい環境に恵まれて育てることができたのに、しゅう君に気がかりなことがあると「ずっとあゆみにかかりきりで、十分なことをしてやれなかったり我慢させることが多かったりしたからではないか・・・」などと母親は考え込んでしまうようです。(それほど深く落ち込むことはないけれど。)
 すぐに拗ねるとか、すぐに泣くとか、集中力がないとか、・・・それは上の子と下の子の違い、女の子と男の子との違いなのかもしれません。確かに、障害がなかったらもっと気楽に子育てしていたでしょう。時間的にも精神的にも忙しくストレスがたまり、気の休まる時はなかったでしょう。これからもずっと・・・。
実際にその立場にならないとわからないことだと思います。だから、時々愚痴を聞いてやることしか、私にはできません。
 孫達が我が家にきたときには我が家のルールで叱り、両親が叱ることには口出しをしません。自分たちが若かった頃(子どもたちが小さかった頃)のことは、すっかり忘れてしまい、親としての気持ちと祖母としての気持ちは違うのだろうと、盆と正月に感じます。
 今回、ご褒美を買ってもらえなかったしゅう君は、「2学期にテストでいつも百点とったらムシキングのゲームソフト買ってくれる?」と、聞いてきました。別にいいけど・・・いつも百点はとれないよ・・・と思ったけれど、「お母さんと相談して決めるわ。」と、答えました。相談の結果、今やりかけのドリルを全部やり終えたら、その時に買ってあげるということに決定。残念そうに聞いていました。ガンバレ!しゅう君!!
それを聞いたあゆみは、期限に遅れたのに買ってもらうのは腑に落ちないようでしたが、お母さんがゆっくり説明したら、納得したようです。姉弟分け隔てなく育てる、口で言うのは簡単だけど大変だなあ・・・と、自分も大変だったのかなあ・・・と、トラブルの度につくづく思います。

◇台風一過◇
 今年の夏もまた、嵐のようにやってきて嵐のように去っていきました。夜の高速を、お父さんが何時間も運転して帰ります。「今度は正月だね。元気でがんばってね。」と言って送り出し、車が見えなくなって家に入りほっと一息。
 毎回、この時間は言葉に表しがたい心情です。
 片付けられた部屋にやたら目に付く、ドラえもんの漫画、スーパーでもらった風船、・・・・・・、する機会がなくて袋のまま残された花火は、来年の夏までとっておきましょう。
 いつもより暑かった2006年の夏はもうすぐ終わります。先日、携帯メールが届きました。
 「夏休みの宿題も終わらせて、生活リズムも元に戻り、2学期を待つばかり。あと1週間の我慢・・・。」
 昨日、また携帯メール「図書館で借りた本のうち1冊不明、そちらに忘れてない?」。
 子育ての苦労は、まだまだ続くようです。
                                        平成18年8月末  長華



孫の話 第12話

 2005〜2006年:あゆみ2年生の冬休み◇

 今年の冬休みは、12月23日から1月9日まで、子どもたちにとってはクリスマスやら正月やら楽しみがいっぱいです。学期末には、通知票がFAXで送られてきました。

 126.8p 25.3s、順調に成長しています。

 発表が多くなり、グループのリーダーにもなったとか・・・。欠席はゼロ、一日も休まずに登校できたことが何より嬉しいことでした。

 飛行機一人旅◇

 今回も、家族より一足早く25日に飛行機に乗ってやってきました。飛行機一人旅はもう何回目なのか、やや緊張しながらも慣れた様子で、係のお姉さんに付き添われて空港出口に現れました。
 一緒に迎えに行った、いつもはおしゃべりな従姉妹の方が緊張していました。帰り道、2学期に頑張ったご褒美を買うためおもちゃ屋に寄ってきましたが、家に着くまで車内はとっても静かでした。
 その日は、サンタさんにもらったDSにおもちゃ屋で買ってもらったソフトを入れて遊び、満足そうでした。たまごっちのソフトです。

◇漫画喫茶◇
 
おばあちゃんの家に行ったら漫喫に行く!というのが恒例になってしまいました。おじいちゃんもおばあちゃんも読書が好き、もちろん漫画も好き、なのでよく漫喫に行くのです。隔世遺伝!?

今回の冬休みも、毎日通い続けました。

◇しっかり者のお姉さん◇

 3歳の従姉妹はやんちゃ娘です。しかも超おしゃべり。ですが、上手に子守をすることができました。また、従姉妹が言うことを聞かない時などの叱り方は、ママそっくりになってきました。
 薬局の駐車場で待っている時には、「200数えたら、おかあさんがくるよ。」と言って一緒に数えてあげたり、遊んだ後には、「自分で使った物は自分で片づけなさい。」と注意したり、小さなお母さんでした。
 
 生後6ヶ月の従姉妹の子守もできました。ミルクを作ったりあやしたり、女の子らしく育っているのを嬉しく思いました。

◇そっと流した涙◇
 
 毎晩寝る所は、従姉妹二人とおばさんの部屋です。こちらのおじいちゃんやおばあちゃんではダメなのです。パパの実家ではおじいちゃんおばあちゃん子ですが・・・。

 28日、4日目の夜のことでした。子どもたちを寝かせつけた叔母(私の次女です)から、今夜は泣きながら寝たんだよと、聞きました。みんなに気付かれないように我慢しながら、それでも涙が出て、泣き寝入りしたのでしょう。

 毎日ママから電話があったけれど、出なくていいと言ってママの声を聞いていませんでした。この日の昼間、ママから「仕事が忙しくて、明後日しか行けないけど・・・。」と電話が入った時も電話に出ないで、いいよと元気に言っていたのに、声を聞くと寂しくなるから電話に出なかったのかな・・・・・?

 翌朝、ママからFAXが届きました。「おみやげに漫画を買っていくから、がんばってね。」と。いつもは、小遣いでしか漫画を買えないそうです。にっこりして、さっそく漫画の題名を書き返事のファックスを出していました。

 神様が察してくれたのでしょうか、仕事が予定より早く終わったらしく29日の夜、パパ・ママ・弟が到着しました。その日の夜はぐっすり眠ることができました。

◇不便だけど、不幸ではない◇

 聞こえない時、「え?」と聞き返したり、首をかしげて見つめたりします。そんなときに初めて、難聴であることに気付きます。健聴児とかわりなく自然に話せるようになったのは、人工内耳のおかげです。だからといって安心ではありません。授業中、先生の話全てを聞き取れるわけではなく、友達のつぶやきも聞こえません。誰かの冗談でみんなが笑っていても、なぜおかしいのかわかりません。先生が黒板に向かって字を書きながら質問したら、答えられません。正面を向いて、口をはっきり開けて言ってくれないとこみいった会話はできません。パパやママはいつでも、手話を交えながらゆっくりと、よく理解できるように話しています。

 夜は人工内耳をはずして眠ります。夜中に異変が起きたら自分ではわかりません。ある朝、弟のしゅう君が、「ねえねえお母さん、僕がおはようって言ったらね、あゆちゃんが起きたよ。すごいでしょう、まほうみたい。」と、嬉しそうに言っていました。ホントに、しゅう君の声が聞こえたらいいのにね・・・・・。

 障害は、不便だけど不幸ではない。と、本で読んだことがあります。本当にそうなのか、私にはわかりません。でも、きっとそうだと思います。あゆみの成長を感じ確かめながら、少しずつ、そう思えるようになってきた私です。

 2001月5日、たくさんの思い出を残して帰って行きました。夏休みを楽しみに!


孫の話  第11話


    2005年夏◇

小学2年生のあゆみから、この春、手紙が来ました。
「夏休みにピアノ発表会に出るのだけど、見に来てくれますか?」という内容です。

もちろん、返事はOKです。

ピアノを習い始めて3年目だとか、ママが小さいころに使っていたピアノで、一生懸命練習したそうです。

8月6日、空港まで迎えに来てもらって家に着くとすぐに、練習の成果を聞かせてくれました。

「小さな世界」の曲を、まちがえずにひいていました。

すごい! がんばったね!! と、拍手。

 人工内耳は、音の高低は分からないそうです。どうやって覚えるのだろうと、不思議です。ピアノの先生に感謝の気持ちがわいてきます。

 「まちがえた時に、教えてやらないとそのまま弾き続ける。健聴児なら、間違えた『音』に気づいて弾き直すんだけどね。」と、ママが説明してくれました。

 だから、本番で間違えたらどうしようもありません。が、そんな心配をよそに、本人はとてもしっかりと一つも間違えずに発表することができました。ホントに、よかったです。

 7日のピアノ発表会を終えて、8日には我が家に遊びに来ました。

 今年の夏休みは、おじいちゃんに泳げるようになった所を見せたいと言っていました。プールに行ったり、魚釣りに言ったり、遊園地に行ったりして、あっという間にお盆は過ぎていきました。

 好きなドンジャラをする暇もあまりなく、学校ごっこをする時間もありません。おじいちゃんの還暦を祝う会では、おじいちゃんに花束を渡しました。

 我が家のテレビに、字幕表示の器械をつけました。

好きな番組は、『女王の教室』と、『ドラゴン桜』と『キッズウオー』学園ものが気に入っているようです。昨年の『金八先生』あたりから、はまっている様子です。

 字幕があると、真剣に見ています。難しい漢字も読めるみたいです。

 視覚というか、文字だけでなく形などを見分ける力はすごいと思いました。

DVDも、字幕付きのものがあるそうです。便利な世の中になって、よかったと思いました。

 あっという間の1週間が終わり、あゆみ一家は帰っていきました。

車で迎えに来たパパと一緒に、帰りは温泉のホテルで1泊していくとか・・・・・
ファミリー!だねーと、感じました。

 そういえば、ママが子どもの頃は夏休みの宿題を終えたら家族旅行と決まっていました。中学生までは家族そろって夏休み旅行が続きました。

 思春期になると、体の成長とともに人工内耳のトラブルが出てくるかもしれません。いくつになっても心配事は絶えません。

 けれども、家族で力を合わせて乗り越えてくれると信じています。

〜 念ずれば 花開く 〜

夢を持って、夢をあきらめないで、成長してほしいと願っています。

                        平成17年8月  長華




孫の話 第10話
☆ 1年生の冬休み ☆

 夏休みに飛行機一人旅を体験したあゆみは、冬休みにも一人でやってきました。前回の体験の成果?か、乗務員のお姉さんと一緒に笑顔でやってきました。先に里帰りしていた、従姉妹とおばさんとおしゃべりしながら車に乗って帰りました。ところが、夜にはちょっぴり涙が・・・・・。翌日の夜には、「お母さんに会いたい・・・」と泣きじゃくって寝ました。翌々日、お父さん・お母さん・しゅう君が車で来た時には大喜びでした。さっそくお母さんに報告していました。

☆ 再び・・・ドンジャラ ☆

やっぱり好きな遊びは、ドンジャラゲーム。暇さえあればやっていました。サンタさんにもらった、ドラえもんの日本地図ゲームも、何度も繰り返してやりました。むつかしいルールもどんどん覚えていきました。

☆ ドキッとした一言 ☆

おばさんには二人目の赤ちゃんができました。
お絵かきして遊んでいる時、しゅう君がおばさんにお手紙を書き始めました。「なんてかいたらいい?」と聞くので、「元気な赤ちゃん、産んでねーってかいたら?」「しゅう君みたいに元気な赤ちゃん産んでねっとかね。」すると、突然、あゆちゃんがつぶやくのです。「あゆちゃんみたいに、耳の聞こえない子を産まないでねーって。」一瞬、ドキッとしました。すぐにこういいました。「何いってんの、耳が聞こえても聞こえなくても大丈夫よ! あゆちゃんみたいなおりこうな子を産んでねーって。書いておいてね。」その夜のことです。ドラえもんスペシャルを見ている時、我が家のテレビは字幕がありません。だから、つまらなさそう・・・。ゲームをやりたくて、弟を誘おうとしますが・・・・・。とうとう、つむじを曲げて・・・泣き出してしまいました。昼間の出来事をパパとママに話しました。「へー、そんなこと言ったんだー・・・」『君の手がささやいている』を読んでいるからか、学校で障害のことを学ぶようになったからか、みんなと違うことに心を痛めているのだろうか・・・・・私の心はしばらくパニック状態になってしまいました。ママは、平然としていますが・・・・・。でも、こんなことも成長の一つかもしれません。やがてくる思春期、自分が何者なのか・自分探しの旅が始まる時・自己肯定できるだろうか・・・・・・強く乗り越えてたくましい大人になってねと、願わずにはいられません。うまく表現できないけど、・・・・・自信を持って生きていってほしい。あゆちゃんも、しゅう君も、そしていとこのまいちゃんも、今度生まれる赤ちゃんも、じいちゃんとばあちゃんの大事な宝物だよ。 

☆ 漫喫(漫画喫茶) ☆

 読書好きなあゆちゃんです。漫画も大好きです。本屋に行っても、もう低学年の本は飽きたようです。字が大きいのですぐに読み終わっちゃうから・・・。でも、高学年の本の中には、読めない漢字もあります。それで、ふりがな付きで、中くらいの字で、面白そうな本を探すのに苦労しました。漫画は、漫画喫茶で読むことにしました。猫が主人公のコミックとか、コナンとか、ガラスの仮面とか、飽きもせず読みふけっていました。

☆ がんばろー ☆

元気に遊びおしゃべりする姿からは、難聴児であることを忘れてしまいます。が、ゆっくり・はっきり・大きな声でお話ししないと、あゆちゃんの脳には届きません。
「何?・・・」と聞き返されるたびに、(あ、しまった。もっとはっきり話さなきゃ・・・)と思い、あわてて言い直しをします。運動量が増え、ドッジボールやバドミントン、縄跳び、サッカーなど、外遊びが大好きです。けれど、人工内耳がはずれてしまうこともあり、見ていても気が気ではありません。今のところ機器のトラブルはないようですが、予備を買っておかなくてもいいのかなとか、音楽のわかるようにバージョンアップできないのかなとか、いろいろ考えてしまいます。全く、老婆心という言葉通りですね。10日間の思い出を残して、1月5日家族そろって車に乗って帰っていきました。
 今度は、春休みかなあ夏休みかなあ、また会えるのを楽しみに私も頑張ろうと思います。


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                                                20048
☆ ピッカピカの
1年生 ☆

 人工内耳の手術を受けてから4年目の春、我が家の初孫「あゆみ」は、小学生になりました。
 入学前から、小学校ではあゆみを受け入れるための準備を進めてくださったそうです。先生方が幼稚園に様子を見に来てくれたり、手話サークルに顔を出してくれたり、あゆみの両親である娘夫婦の希望を聞いてくれたりして、親身に相談にのっていただいたようです。
 家から学校まで、徒歩で1時間近くかかる田舎ですが、毎日頑張って登校したそうです。
 終業式の日、いただいた通知票をFAXで送ってきました。
 欠席0でした。配達係になって頑張りました・・と書いてありました。学習の記録もまあまあです、だいたい理解できているようで安心しました。

☆ 初めての一人旅 ☆

 「今年の夏休みには、飛行機に乗って一人でいきたい・・・。」
 というあゆみの希望を、ママは叶えてくれました。
  87日、午前の便でやってきました。「空港で係のお姉さんにお任せして送り出したけど、バイバイもせず振り返りもせずに別れた・・・」と、ママが電話してきました。到着時刻に迎えに行き、係のお姉さんと一緒に出てくるあゆみは、やっぱり緊張したままでした。カードにサインをし、駐車場まで歩きますが、手もつなぎません。無言。
車に乗ってもまだ緊張?でも、こちらの質問には短く答えます。
 30分ほどして家について、ようやく緊張がとれました。いつもの元気なあゆみに戻りました。
 心配しているママに電話するとき、ママと話す?と聞いたけれど、きっぱりと断られました。
 「どうして一人で行きたいと言ったのか?」・・・ママの答えは・・・「厳しい母から逃れたいのよ。」・・・確かにそうかもしれないと、妙に納得してしまいました。
子供のうちは厳しいくらいのお母さんがいいよ・・・と思いながら、あゆみの成長に嬉しくなりました。ママから片時も離れなかった頃を、懐かしく思い出しました。
 リュックの中には、メモ帳が入っていました。メモ帳には、ママの字で、『聞こえないので、書いてください』と書いてありました。水性ペンで書けるボードも入っているメモ帳です。完璧ではない人工内耳、困ったときには筆談が必要になるのでしょう。
 自立に向けて、少しずつ準備をしている・・・そんな母親の気配りを感じました。

☆ 温泉旅行 ☆

 いとこのまいちゃん一家が、同じ日に新幹線に乗ってやってきました。8日から9日にかけて一緒に温泉旅行に行くことになりました。
 車で2時間、温泉旅館に着きました。
 近くの川で遊んだり、盆踊りをみたり、持って行ったドンジャラゲームで遊んだりしました。
 温泉に入ってぐっすり休み、次の日には道の駅で休憩しながら帰ってきました。
 いつもはしゅう君と兄弟げんかをよくするけれど、まいちゃんにはお姉さんらしく面倒をみていました。
 帰ってきて、またドンジャラゲーム。明けても暮れてもこの遊び。お正月からの半年間楽しみにしていたようです。夜には、ママと弟のしゅう君が飛行機でやってきました。最初の夜は寝るときにべそをかいていたのに、空港に迎えに行きたいとも言いません。
 そういえば、旅館で遊んでいるときこんなせりふがありました。
「そうだ、明日はきびしい○○○さんがくる。」と、おかあさんといわずに名前を呼んでいました。
 よほど厳しいのかな・・・?

☆ 花火大会 ☆

 810日は花火大会でした。親戚の人も一緒に川原へ花火を見に行きました。
人工内耳は、大きな音を自動的に押さえて調節するのだそうです。
 手術・音入れ後、大きなトラブルもない人工内耳です。おかげで、静かなところでならゆっくり話せばよく聞こえるようで、受け答えもしっかりできます。発音も明瞭になってきました。ふと、難聴であることを忘れてしまい、早口でしゃべってしまうこともあります。「なに?」と聞き返されて、改めて顔を見てゆっくりはじめから話すことになります。教室のざわざわした中でも、先生の指示は聞き取れているようですが、友達同士の会話のスピードについていけるのか、ちょっと心配です。まあ、心配しても仕方ないのですが・・・。
 花火の最中、雷が鳴り時折雨に降られましたが、最後まで見て帰りました。子どもたちは花火よりヨーヨーつりに夢中でしたが・・・・。

☆ 飽きもせず、ドンジャラゲーム ☆

 何がそんなにおもしろいのか、暇があるとドンジャラしようと言います。
 久しぶりの学校ごっこも3時間目で終わってしまいました。
 ゲームの合間に、お店に行ったり公園に行ったり、1日はあっという間に過ぎていきます。

☆ 泳げるようになった! ☆

 去年は浮き輪を使っていましたが、今年の夏は浮き輪なしです。顔をつけてバタ足で5メートルくらい進みます。流水プールや長いすべり台もやりました。
 人工内耳は水に弱いので、入浴やプールの時にははずします。今年から「耳かけ式?」のものに変えたので、装着するのもはずすのも簡単そうです。
 聞こえなくなるときは電池がなくなるとき、そういうときには自分で電池を入れ替え、スイッチを入れます。体の一部になっているみたいで、夜寝るときもはずしません。電池代がもったいないので、寝入ってからママがそっとはずしています。そして、朝目覚める前につけています。自分で起きて自分でつけていることもあります。
 プールの館内放送があると、ママは手話を使いながら説明をします。さすが、母親、手話も上手です。
 午前中遊んで満足し、帰りにマックによってハンバーガーを食べました。

☆ 公園めぐり ☆

 814日、公園に行くことにしました。
 最初は、交通公園。足漕ぎのゴーカートや自転車に乗ってコースを二周します。
はじめは信号に気づかなくて急ブレーキもありましたが、コースに慣れてくるとすいすい乗り回していました。
 次に行ったのは、水遊びのできる公園です。
 人工内耳をはずして、思いっきり水遊びを楽しみました。しゅうくんやまいちゃんと一緒に、おしゃべりしながら元気いっぱいに遊びました。
 翌日は、有料の公園です。
 体験コーナーで、手作り貯金箱に挑戦しました。板を組み合わせるところはパパに手伝ってもらい、飾りをボンドで付ける作業に取り組みました。夏休み・自由工作の宿題ができてよかったね!

☆ 成長したねぇ ☆

 成長の節目には、様々な心配・新たな課題が出てきます。
 今年一番の心配ごと;小学校生活は、うまくいっているようでほんとに安心しました。
 地域では、社会福祉協議会主催の要約筆記講座が開かれたそうです。
 役場の方々が大変熱心に進めてくださり、ママは係としても頑張っているようです。
 この講座には近隣の町村からも参加者があったとか・・・。そこでまた新たな出会いがあり、お世話になるだけでなく、地域のいろいろなボランティアにも参加しているとか・・・。
 学校PTAの活動にも積極的に参加しているようです。みんながいやがる役員の仕事を進んで引き受けながらも、「あゆみが難聴でなかったら、私はきっと隅の方で静かに見ているおかあさんだったよね。」と言っていました。
 幼稚園に入園するときにも、学校の入学説明会でも、難聴のこと・人工内耳のことについて、他のおかあさん方に話をさせていただいたとか・・・。人前で話すことにも少しは慣れたのではないかと思います。
 学級委員の経験はあるけど特に積極的な子ではなかったのに、人間っていくつになっても成長するものだなあと感心しています。
 『障害は、それを乗り越えられる者に与えられる』『神様から選ばれた親に、託された子供』という言葉を聞いたことがあります。私も、思うようにならないことにぶつかったとき、『神様が決めたことだから・・・』と受け止めて、もうひとがんばりしてみることがあります。後になって、『あのときがあるから今がある・・・』と思うことがあります。

☆ 今年の夏も、もう終わり・・・ ☆

 200487日から10日間の、【孫の話9】はこれでおしまいです。
 あゆみたちが帰った後の寂しさは、連日のアテネオリンピック放映で癒されました。
 今度会えるのはお正月、あといくつ寝なくちゃいけないかなぁ・・・・・?


第 8 話


◇◆◇
孫の話;2004年正月◇◆◇

    123p20sに成長した,私の初孫・あゆみは,この春小学校入学の予定です。3歳の夏に人工内耳の手術をしていただき,今ではしっかりと会話ができるようになりました。聴き取りは80%くらいでしょうか・・・早口や小さな声の時には聞き返します。込み入った話にもついていけないことがあります。そんなときには,母親がていねいに手話も交えて説明しています。

    今年の正月は,ドンジャラ遊びに明け暮れました。平成15年12月25日の夜,アユちゃんとしゅう君はママと一緒に飛行機で里帰りしてきました。パパは仕事が済んでから,28日に来ました。

    年末,大人達は大掃除に大忙し。お手伝いに飽きると,漫画を読んでいました。1歳1か月の従妹の子守りもしてくれました。お母さんの誕生日プレゼントも作りました。今年は,ビーズをかってきてネックレスを作っていました。

    「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」という挨拶を覚え,しっかり言えたのでいただいたお年玉で,太鼓のゲームを買いました。最初はリズムに合わなかったのが,すぐに慣れて上手にたたけるようになりました。人工内耳に音楽がどのように聞こえているのかわかりません。音の高低はつかめなくても,リズム感は訓練すると向上するのでしょうか。そういえば,聾学校の発表会で小中学生の太鼓演奏を見た記憶があります。

    今年の正月は比較的暖かい日が続きました。公園では,近所の子と一緒に「だるまさんが転んだ」をして遊びました。「明日もあの子達と遊びたいな」と言うので翌日も出かけましたが,約束はしてなかったので会えませんでした。

    トランプ遊びでは,家で覚えてきた「大富豪」「ハーツ」をやりました。共働きの我が家では,ママが子どもの頃は盆と正月しか遊んでやれなかったので,そういうときにはいろんなトランプ遊びやドンジャラゲームなどを夜遅くまで家族5人でしていました。そんな頃を懐かしく思い出しながら,あの頃は孫とこんなふうに遊ぶなんて思いもしなかった・・・と,なぜか不思議な気もしながら,楽しく遊びました。

    今回,一番気に入ったのが「ドンジャラ」のようでした。毎日何度も繰り返し,飽きもせずにドンジャラばかり。我が家のは「あられちゃん」のドンジャラです。「ドラえもんのもあるンだってー,アユちゃんの家にもほしいなあ・・・」「あのね,こういうゲームはね,お盆とかお正月とかにやる物だからね,家にはなくてもいいんだよ。おばあちゃんちに来た時しかできないんだよ。」と言うと,素直に納得。ハレとケの違いというか,日常と非日常のけじめはちゃんとついているようで,安心しました。

食事の後には自分の茶碗と箸を流し台まで持っていったり,挨拶や歯磨きなど,躾がきちんとできていることにも,安心しました。

    聾学校で教えていただいたのでしょうか,ことばを覚えるためにいろいろな物の絵や写真のカードをよく使っていました。また,家族や先生の写真を小さなアルバムに入れて毎日持ち歩いていました。アユちゃんの従妹は聞こえる子です。が,その母親(アユちゃんのママの妹)も,小さなアルバムを作っていました。そのおかげか,人見知りもせずに私たちに懐いてくれます。そして,アユちゃんのママがしゅう君に手話交じりで話しかけていたように,生まれたときから手話を交えて話しかけています。

    平成16年の正月も穏やかに過ぎ,4日の夜,空港で見送り。いつものように空港の売店でお土産を一つずつ買い,バイバイしました。

    4月からは,ピッカピカの1年生です。就学時健診では,聴力以外に問題はないとの事。今通っている幼稚園の仲間と共に入学できるようです。聞こえにくいことによる情報量の不足をいかに補っていくか,心配事は耐えません。けれども,小学校の校長先生が理解を示してくださっていると聞きました。まずは一安心です。

    今度は学校の話を楽しみに,夏休みを待つことにします。

◆◇◆◇長華◆◇◆◇


以下は昇順で第1話〜第7話まで掲載しています。
 第 1 話
 私の孫が生まれたのは,平成9年5月でした。翌年6月,先天性聾とはっきりわかりました。(お盆と正月しか会えませんでしたが,音に対する反応がはっきりしないことにもしや?と不安を抱いておりました。)その頃のことを思い出すたびに,未だに涙が溢れてきます。

 若さか,母親の強さか,娘は1週間ほどで立ち直りました。娘婿も両親もとても優しい方々で,皆が孫の幸せを第一に考えていこうという気持ちでした。私も私の立場でできることを,孫のためにできる限りの努力をしよう,と思いました。そして,聾教育について,障害児教育について,専門書のようなものも探しては,読みあさりました。手話のサークルにも入りました。(忙しくてお休みすることが多いのですが・・・)

 私が人工内耳のことを知ったのは,ある書店で見かけた本でした。でも,その時には遠い外国のこととしか感じませんでしたので買いませんでした。表紙にオーストラリアの女の子の写真が載っていた本です。聾であることを受け入れ,元気に育ってくれればいい,きこえなくても立派に自立して生きている人々がいる,という気持ちでいました。補聴器をつけて,聾学校の教育相談に週1日通う孫は,ホントにのびのび育っていました。しつけもきちんとして育てている娘を,私は心から,よくやっているなあと思いました。

 孫が2歳になっていた平成11年の夏,ある講習会で人工内耳について学ぶ機会がありました。その時の講師の方はある大学の耳鼻科の教授でした。事情を話すと,「私は,大学病院の中で子どもの人工内耳については最後まで反対していたのですが,オーストラリアに行って実際に手術をした子どもたちに会ってからは考えが変わりました。」とおっしゃいました。「聾の世界に生きる選択もあります。手話は立派な言語です。しかし,音声言語でのコミュニケーションを主体とする環境で,より広い世界で生きていくことを望むなら,できるだけ早い時期に手術を勧めてあげてください。」とも。

 その年の6月,下の子が産まれていました。お盆には娘の家に行き,人工内耳の手術を勧めました。けれど,娘は「そんなに良いものなら,何故聾学校の先生が勧めないのか?」と,反対でした。聾学校で出会った先生が素晴らしい方で尊敬していましたから・・・・・。

 私は,情報を集めるためにインターネットで調べることにしました。そして,見つけたのが人工内耳友の会東海支部でした。その中からMLを知り,9月に入らせていただきました。
装用児のお母さん方や大人の装用者の方々が,親切に教えて下さいました。そして,装用児とそのお母さん方と会える機会があり,娘夫婦と一緒に参加することができました。平成12年2月のことです。

 それまでも情報を送っていたのですが,娘夫婦はこれ!という決め手が無く迷い続けていました。けれど,実際に会ってみた結果,人工内耳の手術について真剣に検討する気持ちになったようです。

 その1ヶ月後に,決断しました。実際に手術をしたのは3歳3ヶ月の7月末でしたが,8月に入って音入れしたときにびっくりして泣いたそうです。でもその後,これといって反応が無く少し後悔しかけたようですが,ある日犬の鳴き声に気づいたことから,ようやく気持ちが落ち着いてきたようです。まだまだこれから少しずつ少しずつ音になれていくところです。

 勧めてから1年近く迷いましたが,こんなふうに進んでこられたのは,先輩装用児のお母さん方のおかげだと感謝しています。どんな小さな疑問にも丁寧に答え,励ましてくださいます。娘はまだ教えていただくことばかりですが・・・・・。
                           (第1話終)
                                      2000.10.5 寄稿
第2話
装用後5ヶ月のお正月

 私の孫,歩ちゃんと秀君が両親とともにやってきました。空港で久しぶりのご対面です。歩は,人工内耳の手術を7月末にしました。音入れ後,初めて反応が見られたのが8月半ばのことでした。犬の鳴き声に気付き,じっ見つめていたそうです。
 音入れの時には大泣きしてママにしがみついたので,まずは一安心したのですが,その後,これといって反応がなく,不安や焦りを感じ始めていた頃でした。でも,家族で出かけたときに犬の鳴き声に気付いた・・・と言ってрナ知らせてきたときには,私もほっとしたものです。
 その後,時計の音・トースターの音・電子レンジの音も分かるようになり,後ろから呼ぶ声に振り向いたり,少しずつ音への反応がよくなってきたそうです。聾学校の聴力検査も(詳しい数値は聞いても忘れましたが),向上したとか・・・。
 そんな情報は入っていたものの,じっさいに自分の目で確かめるまではやはり不安が残っていました。

◆後ろから名前を呼ばれると,すぐに振り向くようになりました。◆

 台所でのことです。食器棚とテーブルの間がちょうど1人通れるほど(狭い台所です)のところで,両手をかけてどんどん飛び上がって遊んでいます。床も古い家なので,棚が揺れて面白いのでしょう。「危ないからダメだよ!お皿が落ちてくるからやめなさい!」と,私が叱ってもいうことを聞きません。しばらくやめてもまた始めます。何度いっても聞かないのを,隣の部屋で秀君のおむつを替えていたママが聞いていて,「アユちゃん,やめなさい!」と怒鳴りました。そしたら,すぐにやめたのです。距離にして5メートルくらいでしょうか,自分の名前を呼ばれて分かったのを見て,改めて人工内耳の威力に感心しました。
 スーパーでも,つないでいた手を離して走り始めた時に,呼ぶと止まるのです。なんだかうれしくて,用もないのに呼んでしまうこともありました。

◆よくおしゃべりするようになりました。◆

 言葉に興味が出始めた年齢のせいかもしれません。3歳7ヶ月,健聴児なら2歳頃からおしゃべりが始まるのでしょうか?夏にあったときに比べて,本当によくしゃべるようになりました。文字を覚えたことは電話で聞いていました。自分の名前や弟の名前を書いたり,指文字は50音全部わかるようになったと,秋頃に聞いていました。
しゃべったことをそばで聞いているママが,すべて復唱します。それを聞いてやっと私も理解できるくらいの発音だから,まだまだです。でも,慣れてくるとそれらしく聞こえます。例えば・・・
おかあさん・・・おあーたん,ちょうだい・・・ちょうだい,めがねのじいちゃん・
・・めあジー,いただきまあす・・・いあっいあー,ばあちゃん・・・ばーじゃん,
いや・・・いやー,だめ・・・だめ,バイバイ・・・バッバー,いいよ・・・いーよー,
 新しい物や人の名前などを教えるときにママは,指文字と口を見せて教えていました。すると,それをまねしてゆっくり繰り返し,覚えていました。特にカ行が難しそうだなと感じました。ともかく,手話を交えて,とっても楽しそうに話す姿を見て,成長したなあと思いま
した。

◆遊びがかわってきました。◆

 去年の正月には数字を書いていたのを覚えていますが,手術のお見舞いに行ったときには,トランプのばば抜きで遊べるようになっていました。6と9はよく間違えていましたが,今は間違えません。
 去年の夏には折り紙をしたり,はさみで切ったりのりで貼ったりする遊びが大好きでした。手先は器用な方だと思います。お年玉袋を切って自分の名前や弟の名前を書き,セロテープで名札みたいに貼って遊びました。
 トランプで神経衰弱ゲームや雑誌の間違い探しもしました。そして,お店屋さんなどのごっこあそびも。1日終わって横になって寝て,次の日に店を開いて・・・と言う様子が見ていて分かります。私が,コンコン(ドアを叩くまね)こんにちわーと言うと,お辞儀をします。「いらっしゃいませ」(イアッアイエー)などと,いいながらおもちゃのレジで一つ一つとってかごに入れます。私も一緒に何度も遊びました。
 私が筆ペンで年賀状を書いていると,貸してくれといい,一生懸命名前を書いていました。ままの妹(叔母)達の名前も,自分一人でちゃんと書けました。

◆ママがお出かけ,待つことができるようになりました。◆

 「今年の正月,初めてゆっくり友達と遊べた!」と,ママはうれしそうでした。出かける前に「お母さんは,お友達といっしょにお話ししに行くけど,いってもいい?」と聞くと,「イーヨー」と答えます。そして,行ってらっしゃいバイバイをして,私と一緒に遊びながらお留守番ができるようになりました。弟の方は聾学校に行くときに家で留守番が慣れているせいか,大丈夫です。でも,ふと,お母さんを捜しに部屋をのぞきに行きます。すると,さっそくついていって,手話入りで,「オカアサンハオトモダチトイッショニオハナシシニイッタカライナイヨ」と説明するのでした。そ
れを聞いて弟も「ウン」と納得するのでした。そして,またみんなで一緒に遊びに戻りました。兄弟っていいなあ,すごいなあと感動した一場面でした。

 聾学校の先生方が出演している手作りビデオ(クリスマスプレゼントに入っていたそうです)を見せてもらいました。サンタクロースが夜やってきてプレゼントをおいていくドラマや,大きなかぶの読み聞かせや,あわてん坊のサンタクロースの歌などが上手にまとめられていました。
 お父さん達の手話教室では,新年の挨拶やお正月に関係のある言葉の手話を教えていただいたそうです。聾学校の先生方のご配慮に頭が下がる思いでした。

 今年の正月,私はとっても素敵なお年玉をもらいました。それは,人工内耳のおかげで言葉の世界が広がりつつある,孫の姿を見ることができた1週間です。来春には聾学校の幼稚部に毎日通えるよう,近くにアパートを借りて転居する予定とか,誰にでも分かるような発音で話すことができるようになるのは,そう遠くないのではないかと楽しみにしております。
 人工内耳のおかげ・・・と,よいことばかり書きました。管理面とか故障とか・・・まだトラブルは体験していないので何とも言えません。補聴器でも,こんなふうに成長していたかもしれません。けれど,やっぱり,いろんな音が入るから・・・・・世界が広がっていくだろうと思います。

 今度会えるのはお盆の時期です。その時にはどんなふうに成長した姿を見せてくれるでしょうか。私も,最近ずっとさぼっていた手話サークルに今年は頑張っていこう!と,思っています。
 指文字を孫に教えてもらっていてはちょっと・・・ねぇ。

                       (第2話終
                                      2001.1.8 寄稿
第 3 話

★☆★☆★☆★

◇音入れ後1年;あゆみ4歳3ヶ月の夏・・・◇

 2001年お正月以来,6月に会ったときにはずいぶん会話ができるようになっていました。
 4月から聾学校の近くに引っ越して毎日通い,弟(2歳)は保育園に通っています。毎日お母さんと一緒に登校すると,自分で教室に行き,お母さんは母の部屋に行きます。昨年度末にはお母さんと離れるときに泣いていたようですが,親離れのつらさを乗り越えたというか,幼稚部集団の中に付き添いナシで入っていけるようになったのです。
 弟がかぜをひいて保育園を休むときは,付き添いができないのでアユちゃんも休ませることになります。でも,ある日のこと「学校に行きたい,○○ちゃんと一緒に行く!」と言ったそうです。お母さんはついていけないこと・行ったら途中で帰れないことなど約束して,友達のお母さんに迎えに来ていただいたそうです。「アユちゃんは強いから大丈夫」と,勇んで出かけ,「おかえりーっ」(ただいまとおかえりがごっちゃになっている)と,元気よく帰ってきたと聞きました。
 「ごはんを食べたお店でシャボン玉をもらったよ。」という話を,手話を交えながら声を出して言う孫を見て感激した6月から,2ヶ月たちました。手術・音入れから1年後です。

 今年のお盆には,2週間近く里帰りしていました。その間のできごとを思い浮かべながら,「孫の話」の続きを書きます。


◆小さな音に気付く◆

 ある朝,お父さん・お母さんと食事をしていたので,飼っている猫を抱いて見せに行きました。猫は子どもたちから逃げ回るのでつかまえて見せてあげたのです。我が家の猫はあまりなかないのですが,その時には,かすかに「ニャー」となきました。すると,にっこりして「ニャーって言ったよ。」とお母さんに話したのです。周りが静かだったこと,猫をじっと見ていたこと,そんな条件付で聞こえたのだと思いますが,それでも,みんなで感心したものでした。ちなみに,蝉の音はすでに聞こえるようになっていたそうです。

◆話し声が聞こえる◆

あまり暑いので,「クーラーつけようか?」と,お母さんに聞いたとき,横から,「クーラーつけたら寒い。」と,答えました。何気なく,普通に,(顔を見て話しかけるのでなく),言った言葉が聞き取れる。健聴児ではあたりまえのことですが,こんなことでもすごく嬉しかったです。
 また,大人が話していることに興味を持ち,「何?何?」と聞くようになりました。お母さんは話を中断して,アユに向かって分かりやすく説明します。すると,やっと分かったというように納得?し話題に参加しているのでした。
 テレビのアニメを見ているときにも,会話が分からないところでは,お母さんの方を見ます。すると,お母さんは手話を入れて説明していました。お母さんは,将来手話通訳の仕事ができるようになれる・・・・・?

 情報保障という言葉を耳にしたことがありますが,何?と聞かれる前に,聞くことをやめてしまわないように,いつも,話の輪の中に入っていられるように配慮することが大切だなあと感じました。
 また,字幕が読めるようになったら映画やテレビを楽しむことができるだろうなあとも思いました。特別な機械をつけなくてもテレビを楽しむことができるように,すべての番組に字幕をつけてほしいと思いました。

◆お勉強?◆

 聾学校の宿題は,絵日記です。お母さんと一緒にスケッチブックに書きます。数字もひらがなも絵も,すらすらと読み書きできるようになりました。他の子と比べて・・・ではなく,1年前のアユちゃんからずいぶん成長したと感じました。(婆バカですけど)心の中で・・・この子って賢い!・・・よね!って,身内どうしでナットクしてました。
 入学前の幼児向け雑誌の迷路とかひらがなとか数字の問題も,説明を聞いて答え,できると喜んでシールを貼っていました。絵本を読んでもらうことが大好きです。夜,歯磨きをすると布団の上で,弟と一緒に絵本を読んでもらって寝ることが習慣になっているようでした。気に入った本は,自分でも読めるようになりました。手話も入っているので,発音が悪くても(絵本を見ないで聞いているだけでも)分かります。正直な話,難聴でなかったらもっと・・・という思い(すぐに消えてしまうけれど)も・・・・・・,まだまだダメな祖母でした。

◆遊び◆

 弟とケンカしながらも,ルールを守って遊んでいました。今年は奮発してテレビゲームを買いました。ゲームといっても,ひらがなや数字の勉強のような,あんパンマンがでてくるものです。数字を1から100まで並べるゲームでは,初めのうちは途中までしかできなかったのですが,集中して全部できるようになり,子どもたちがゲームに夢中になるのが分かるような気がしました。パソコンに入っている,子ども用ソフトのお絵かきやハガキ,ひらがな入力ゲームやキティちゃんのゲームなども,私と一緒に楽しんでいました。

 トランプでは,ババ抜きと神経衰弱をしました。七並べも教えてあげました。豚のしっぽというのも覚えました。スポンジが水を吸収するように,興味を持つとどんどん覚え身に付けていく子どものパワーみたいなものを感じました。

 一番好きな遊び場は,公園です。暑い時期なので長くはいられませんが,涼しくなると散歩に行きたがりました。そして,夏の遊び「花火」は,毎晩楽しみました。10本くらいずつ毎晩。川遊びも大好きです。川にヘビがいて泳いでいるのを見て,ビックリしていました。浮き輪を使ってバタ足で,得意そうに泳ぎ?ます。お風呂でも浮き輪なしでもバタバタとやるのです。

 食べる,遊ぶ,寝る,の繰り返しが子どもの日常なんだなーと,妙なところに感心し,かぜ一つひかずに元気に過ごした日々に感謝しています。

 お母さんが友達と出かけても,じいちゃんばあちゃんおばちゃんと一緒にお留守番できるようになったこと,少しずつ親離れしてきたことが,母親にとっては一番嬉しい成長ではないでしょうか。待ちくたびれたとき携帯電話でお母さんと話しました。これが結構通じているようでした。スーパー補聴器?の人工内耳のおかげ・・・。

◆言葉◆

 カ・ラ・・・等,発音が難しいのでしょう,まだはっきり言えません。指文字を使って表すとこちらにも通じます。でも,手話サークルをやめてしまった私は指文字をよく知らないので,手話の本に載っていた指文字表をコピーして持っています。絵本を手話入りで読んでいるとき,分からなくなってどうしようかなーと思っていると,その表を持ってきて見せてくれました。表を見ながら指で表すと,やっと通じたようでした。

よく分かる(通じる)言葉
みてー,いらん,あった,わかった,あのねー,おそかった,あそぼー,・・・
メモしておかなかったので,きちんと書けませんが,カ行とラ行の言葉は何を言っているのかよく分かりませんでした。母はすごいです。いつも一緒にいるからでしょうか,どんな言葉でもよく分かります。2歳の弟の乳幼児語?もこちらには分からないのですが,母親には通じています。

◆ろう教育科学会◆

 今年第43回の大会があるということを初めて知り,参加しました。内容は省略しますが,人工内耳装用児が増えていることや,カナダ・北欧の聾教育の内容等,専門的な内容で難しいですが情報を得ることができました。来年も参加してみたいと思いました。


◇それぞれの道◇

 約2週間のできごとの中から,覚えている限りのことを書きましたが,思うほど十分表現することはできませんでした。表現力不足を痛感します。

 まだ先の話ですが,普通の小学校に入ってやっていけるだろうか,難聴のことをどう受け止めていくか,・・・様々な心配事もありますが,それらは両親がよく考えて上手く育てていくことでしょう。
 私は,今度会える日を楽しみにして,孫の成長に負けないように頑張らなくっちゃ!・・・人それぞれの道をせいいっぱいあゆみ続けよう!・・・できるカナ?

★☆★☆★☆★
                               第3話終
                                  2001.8.30 ご寄稿頂きました。


第 4 話

今年のクリスマスには,サンタさんに綿菓子を作るおもちゃをお願いしたというアユちゃんと,ビッグ何とかという,ミニカーの駐車場のおもちゃをお願いしたというしゅう君のために,プレゼントを用意して待っていました。空港で迎えたとき笑顔で手を振り,親せきのお見舞いに行くママたちと別の車に乗って帰ることになっても,泣かずにバイバイできました。
再会初日の印象は,ずいぶんお喋りになったなあという感じでした。

 お盆の時には私たちのことを「○○○」という名前で呼ぶ言い方しかできなかったのが,「○○○ばあちゃん」「○○○じいちゃん」と,しっかり言えるようになりました。まず,そこでビックリでした。また,いつ・どこで・だれと・何をした・・・・というように,長いお話ができるよ
うになっていました。発音は今ひとつですが,手話が少なくなり(補助的につかう),会話らしい会話ができました。
お母さんの言いつけに従いたくないときには,いろいろ理屈を言っては自分の考えを通そうとする場面もありました。まだまだお母さんの方が強いですけど・・・。

 数字や言葉を聞き取る検査の結果を見せてもらいました。詳細は分かりませんが,45デシベルで,小声でも6割程度正答率とか。大きい声だとかなり正確に聞き取れるようになったそうです。数字はともかく,4ヶ月の間にも成長していることは,家に帰るまでの車中で感じ取れました。けれども,難聴にかわりはありません。聞こえているように見えても聞き落としていることが多いと思われます。話すときには,顔を見てゆっくりはっきり言うように心がけました。
 く・す・つ・・・の音は,まだ聞きづらいです。けれども,秋から交流で通っている保育園のことや,聾学校の友達のことや,その他いろいろなできごとをいっぱい話してくれました。こちらの質問にもしっかり答え,早口や小声の時には「何?」と聞き返していました。

 公園が大好きで,ブランコを大きく強く揺すって乗ったり,ジャングルジムや滑り台で高いところも平気で上っていったり,水疱瘡と風邪の薬持参にもかかわらず,暖かい日には近所の公園で走り回っていました。

 ビデオを借りて,何度も見ました。ドラえもんの歌や,絵描き歌や,童謡も,メロディーは無理ですが弟と一緒に楽しそうにうたっていました。

 いろんな成長に驚かされたものの,弟(2歳)の発音が不明瞭(赤ちゃん言葉のよう・・・)なのは,難聴の姉の影響?かと気になりました。いずれ,はっきり発音できるようになるでしょうが。

 あっという間の一週間でした。いろいろ思ったこと,気付いたことがありました。が,なかなかうまく書き表せません。難聴が分かったときに,娘も孫も不憫に思い,「お母さん」と呼べる日が来るのだろうか・・・と,心配で眠れなかったことを思い出します。
 「ねーねー,おかあさん」と呼ぶ声を聞きながら,人工内耳の手術をして本当に良かったなあ,娘も孫もよく頑張っているなあと,改めて感じました。健聴ならば当たり前に聞こえてくる音や言語を,注意深く聴き取ろうとしている姿に,感動すらおぼえました。今度会える日には,もっともっと語彙が増えて,楽しい会話ができるようになるだろうと,空港で見送る寂しさよりも楽しみの方が大きくなってきたこの頃です。

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 今回は,あまり詳しく書けませんでした。テレビドラマ「君の手がささやいている」を見たり,その漫画を見たりすると,涙が出てくることがありますが,会うたびに成長している孫の姿を見ると,心配より楽しみが大きくなっていることに気付きます。その分,安心感からか・・・,文章に書くことが少なくなってしまうような気がします。

                                    第4話終
                                  2001.12.30 ご寄稿頂きました。


第5話

2002年夏の思い出

 聾学校の夏休みが始まり8月に入った頃,アユちゃんから電話がかかってきました。
「もしもし,8月の6日にひこうきでいくよ。13日にパパがクルマでいくからね,16日にかえるんだよ。」と,お母さんから何度も聞いていたのか,日にちをはっきりと覚えていました。

 そしていよいよ,アユちゃんとしゅう君とママが,6日の夜,飛行機に乗って里帰りしてきました。

◆8月6日(火)◆
 空港でのお迎えは半年ぶり,以前は目が合うと走ってきたのに,今回は照れくさそうにはにかむ二人でした。それでも,家に着く頃には元気いっぱいの二人。いつも泊まる部屋に入り,お気に入りのおもちゃを取り出してきました。が,もう寝る時間です。おやすみなさい。

◆8月7日(水)◆
 ひいおばあちゃんの家に行きました。87歳で白髪なので,白いばあちゃんとよんでいます。オヤツを食べたり,犬を見たり,鈴虫の鳴き声を聞いたり,仏壇に向かって手を合わせてもいました。
帰りにスーパーでお買い物,夜はSおばさん夫婦と一緒にトランプで遊びました。今年教えてもらったのは,五十一並べです。お正月に遊んだ百人一首を覚えていて,坊主めくりもしました。百一首のかるたとりもやってみますが,果てしなく時間がかかるので10枚くらいとったら終わりにします。
 今回一番驚いたのが,絵本をすらすら読めるようになったことです。ひらがなの文章なら,どんどん読み進めていきます。一般的に,女の子は文字の覚えが早いそうですが,毎晩お母さんが読み聞かせをしているお陰かもしれません。カタカナもしっかり覚えていました。

◆8月8日(木)◆
 Aおばさん(といってもまだ独身)が帰ってきたので,お母さんとアユちゃん・しゅう君・ばあちゃんと一緒にプールに出かけました。アユちゃんもしゅう君も水遊びが大好き。家の近くに海があるので赤ちゃんの頃から海水浴によく行っています。聾学校のプールにも入っているらしく,全然水を怖がりません。
 浮き輪をしながら泳いだり,すべり台で何度も滑ったり,流れるプールを一周したり,午前中2時間たっぷりと遊びました。水遊びには人工内耳が使えないので,聞くときは手話・読話(口の動きを読み取る)です。自分からは声を出して話します。しゅう君は顔に水がかかると泣きますが,アユちゃんは少しずつ顔をつけて泳ごうとしていました。
 プールから出て,車に乗るとすぐにしゅう君はお昼寝,その間にスーパーでお買い物をして帰りました。夜は,買ってきた花火を楽しみました。

◆8月9日(金)◆
 ビデオを借りに行きました。アユちゃんは「クレヨンしんちゃん」,しゅう君は「ハリケンジャー」です。今日は室内遊びとビデオで過ごしました。テレビの声はあまり聞こえないと思いますが,アニメは内容が分かるらしく,何度も見て楽しんでいました。
 その他,習字の筆で名前を書いたり,パソコンでゲームをしたり,将棋の駒で山崩しや,挟み将棋をしたり,次から次へと,何か面白いことはないかというように探して遊んでいました。ごっこ遊びからは卒業したようです。

◆8月10日(土)◆
 朝早くからお母さんは出かけました。栃木県で開かれる聾教育の全国大会(あすろう)に参加するのです。参加申し込みをするときからお母さんがお泊まりすることを承知していました。聾学校のお泊まりキャンプではおかあさんと離れて寝ることができました。
 日中はSおばさんとしゅう君といろんな事をして遊び,お母さんがいなくても平気でした。晩御飯もたくさん食べて,歯磨きもして,絵本を読んでもらって,・・・・・しゅう君は眠りました。
 ところが,アユちゃんはなかなか寝付けません。
 「ホントはおかあさんといっしょにいきたかった」とか,「おかあさんがいないとねむれない」とか,だんだん雲行きがあやしくなってきました。困ったSおばさんはお母さんの携帯に電話しました。電話でおかあさんの声を聞いたとたん,涙が出てきて泣きじゃくります。お母さんがなだめすかして励まして,やっと電話を切ったのが12時過ぎ。それからビデオを見ながら,「クレヨンしんちゃん」ではなく,赤ちゃんの時に撮ったビデオを見て,そのうち「君の手がささやいている」のビデオを持ってきて,それを見ながらやっと眠りにつきました。午前1時40分でした。お母さんの携帯にメールを入れて,私もやっと寝ることができました。翌朝,7時頃目を覚ましてしゅう君が寝ている部屋に戻り,9時頃まで眠り続けました。

◆8月11日(日)◆
 今日はお母さんが帰ってくる日です。昨夜の涙もすっかり乾いて,元気いっぱい,しゅう君とけんかもしながら遊んでいました。夜8時,お母さんを駅まで迎えに行くときの幸せそうな顔,車の窓から顔を出して,お母さんの姿を見つけると,二人ともとっても大きな声で「おかあさーん,おかえりー!」と叫んでいました。
お土産の絵本をもらってにこにこ,その晩はお母さんにくっついて眠りました。生まれて初めてお母さんから離れた夜,一つ乗り越えたくましくなったかもしれません。
 今までにも,お母さんが出かけて夜遅くなる時に先に寝ていることはできたのに(遅くても帰ってくるという安心感があった・・・),今回は泊まってくる(帰ってこない)という,初めての体験に不安が募ったのでしょう。かといって,嘘も方便とはいえ,子どもをだますことは,母親として辛いところです。今度こういうときにはどうなる事やら・・・
何はともあれ,二日間のお留守番が無事に終わってほっと一息でした。
 そうそう,この夜は,お母さんより少し遅れてお父さんが来たのです。予定より早く仕事が済んでお盆休みに入ったので,車で5時間走り続けて駆けつけたのです。よかったね!

◆8月12日(月)◆
 家族揃って大喜びのアユちゃんとしゅう君,今日は,ます釣りと川遊びに出かけました。
釣り竿と釣り糸,針の先に生きたエサをつけて,魚を釣るという体験をしました。釣った魚を焼いてもらって1匹ぺろりと平らげました。川は去年バーベキューをしたところ,ヘビがいてビックリしたことも覚えていました。
 冷たい川での水遊びを楽しんで,おじいちゃんにトンボもつかまえてもらって帰りました。

◆8月13日(火)◆
 デパートで開催されている「トーマスランド」に行きました。人,人,人,子ども,父母,祖父母,混雑した会場に疲れもせず,トーマス大好きのしゅう君と午前中トーマスランドで過ごしました。付き添いの大人はぐったり・・・。
 午後は,おじいちゃんの親戚の家にお参りに行き,帰りは車の中でお昼寝。夜は,近所の公民館ひろばで開かれている,盆踊りに出かけました。踊りの後にはお菓子をもらって帰ってきました。

◆8月14日(水)◆
 人工内耳装用児の親の会で,集まることになりました。総勢20人ほど集まったようです。
お父さん達が子ども達と遊んでいる間,お母さん達は日陰で情報交換や子育ての話し合いをしたそうです。共通の悩みもみんなで知恵を出し合って解決していくでしょう。頼もしい仲間です。
 将来は,子どもたちにとっての仲間にもなるでしょう。聾学校の友達,人工内耳の友達,地域の友達,・・・・・いろいろな友達の輪を作って欲しいものです。

◆8月15日(木)◆
 お父さんとお母さんは友人とランチに出かけ,子どもたちはおばあちゃんとお留守番です。
本屋さん,公園,ビデオ屋さん,と一回りして,帰った頃には雷と夕立。午後には,コロッケ作りのお手伝いをしました。夜,帰ってきたお父さんとお母さんにさっそく報告し,揚げたてのコロッケを食べてもらい,美味しい美味しいとほめられて,満足そうな顔。

◆8月16日(金)◆
 いよいよ今日でお別れのです。じいちゃん・ばあちゃん・アユちゃん・しゅう君は,プールで水遊びです。お父さん・お母さんは,Sおばさんと一緒に,ひいおじいちゃんのお墓参りです。二回目のプールにすっかり慣れて,水遊びも大胆になってきました。水に顔をつけても平気,浮き輪無しで泳ごうとしていました。まだまだ浮かぶことはできませんが,1日中水遊びしたいというくらい,帰るときには残念そうでした。
 お昼のスパゲティをたくさん食べて,疲れたのか昼寝しました。夕食には,嫌いな里芋が食べられなくてべそをかいたけれど,お父さんもお母さんもがんとして譲らず,結局食べることができました。
 長かったお盆休みも終わり,お土産や荷物を車に積んで,出発の時間になりました。シャワーをあびて,パジャマに着替えて,車の窓からバイバイです。家に着く頃は深夜,空港での別れとはまたひと味違うさようならをしました。

◇◇◇
 楽しかった思い出を,アユちゃんは毎晩(とはいかないけれど)お母さんと一緒に絵日記に書いていました。私は,この「孫の話」に記すことにしました。いつか,アユちゃんも読んで思い出してくれるかもしれません。今度会えるのはお正月。その頃には,Sおばさんの赤ちゃんが産まれているでしょう。
 また半年でさらに成長して,アユちゃん・しゅう君は,きっと,お姉さん・お兄さんらしくなって会いに来ると思います。

 人工内耳の電池がきれると,聞こえないと言い,電池を替える時どのスイッチを入れるかも教えてくれるようになりました。まだ自分で操作はできませんが,お母さんが表示の見方を教えたそうです。

 発音はかなり明瞭になってきました。カ行が難しいようですが,喉に指を当てて練習したり,しゅう君に教えていたりするのを見ると,聾学校での様子が想像されます。

 難聴と宣告された頃,「アユちゃんは『お母さん』と呼び掛けることができるようになるんだろうか・・・」と目の前が真っ暗になりました。
 今では当たり前に何度も聞こえてくる「おかあさん」と(時には「ママ」とも)言うアユちゃんの声に,ふっとあの頃を思い出すことがあります。母としての幸せ,「おかあさん」と呼ばれることの幸せを,娘も味わうことができて,本当によかったなあとしみじみ思います。
 成長するにつれて,ぶつかる壁も出てくるでしょうが,たくましく乗り越えて生きていけるように,幸せに生きていけるように,と願っています。
 アユちゃんの花嫁姿を見られるように,あと20年は生きていたいな・・・・これも私の願いです。
★☆★☆★☆★
2002年(平成14年)8月22日掲載 第5話 終

第6話

◆◇◆◇

2003年正月(5歳7か月)

孫のアユちゃんが3歳で人工内耳の手術をしてから、2年半が過ぎました。おかげさまでトラブルもなく順調に成長しています。
音声言語でのコミュニケーションが、会うたびに豊かになっています。けれども難聴にかわりはありません。聞こえにくい時にはママに聞いて手話入りで説明してもらいます。
私と話しているとき、ちょっと早口だったりぼそぼそ言ったりするときには、「何?」と聞き返してきます。正面を見て、ゆっくりはっきり言わないといけないんだった・・・・と気付き、はっきりと言い直すとよく理解してくれます。

弟(3歳半)の、しゅう君もどんどん言葉を覚える時期です。聞こえると言うことの威力?を感じさせられます。

が、あゆちゃんの成長にも驚かされることがたくさんありました。

・身長110p、体重?
・発音がはっきりしてきた
・隣の部屋で呼ぶ声が(大きくなくても)聞こえる
・+1,+2の答えが分かるようになり、足し算に興味を持ち始めた
・聾学校の宿題「絵日記」の習慣が身に付き、絵や文章をすらすらと書くことができる
・人工内耳の電池を、自分で交換できる
・時計が読める

ただ、お風呂にはいるときには外すので、読話と手話でしか通じません。でも返ってくる返事は、音声言語です。
人工内耳の限界?音楽・・・、歌は好きだけど音程はたぶん分からないでしょう・・・。
(私は)それが悔しいです。
でも、「ぶんぶんぶん」など、手拍子でリズムに合わせて元気よく楽しそうに歌います。
遊び歌もたくさん覚えています。

年末年始の1週間を我が家で過ごして、今日、帰っていきました。
・暮れの大掃除には窓ふきを頑張ってやりました。
・パパやママ、おじさんおばさんと共に、庭掃除を手伝ってカマキリの卵を見つけました。
・2002年に生まれた従妹一家と、アユちゃん一家と、お客さんと一緒に大晦日除夜の鐘を聞きました。
・お正月にはお年玉をもらい、凧揚げをし、ベイブレードを回し、・・・・・
・今回お気に入りの遊びは、(外は寒くて出られないので)学校ごっこでした。
まだ独身のおばさんと、しゅう君と、ばあちゃんと、時間割を作っていろんなお勉強をして遊びました。給食の(ごはんを作る)お手伝いもしました。
・ビデオも借りてきて見ました。
・スーパーで行われたハリケンジャーショーを見に行きました。
・パパとママが友達に会いに出かけていくときも、元気に「行ってらっしゃい」をして、留守番することができました。

4月からは年長児、そして来年は小学校入学、悩みや問題は尽きないと思うけど、パパとママが協力して頑張っているからきっと大丈夫!でしょう。

・・・・・・・・・・・・
「アユちゃんはね、まさきくんとけっこんするんだよ。」
「じゃあ、ばあちゃんはけっこんしきにいくね。」
「えーー、あゆちゃんがおおきくなったら、ばあちゃんはいないでしょー。」
「えー、ばあちゃんはまだながいきするからねー、けっこんしきにいくよー。」
・・・・・・・・・・・・
あと20年たったら25歳、恋人はいるかしら?
ばあちゃんはもしかしたらいないかもしれないけど、花嫁姿を見たいです。
想像するだけで涙が出ちゃうけれどね・・・。

2003年(平成15年)1月5日 (長華)

◆◇◆◇
                                    
第6話終
                                    2003.1.6 掲載しました。


第7話

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 −あゆみ6歳の夏−

 久しぶりに会うときのあゆちゃんは,必ず無口になっています。はにかむというか,ママにくっついてしばらくは様子をうかがっているという感じです。

 8月12日夜,空港に迎えに行ったときにもやはりそんなあゆちゃんでした。弟のしゅう君は,相変わらず元気いっぱい。昨年11月に生まれた従妹のまりちゃん一家も一緒です。空港から車で約30分・・・,家に着く頃にはいつものおしゃべりあゆちゃんに戻っていました。

 翌日,お気に入りのプールに行きました。浮き輪を使って流れるプールを何回も周り,お昼までの2時間たっぷり遊んで満足満足!ところが・・・天気が良かったのはこの日だけ,今年のお盆は雨か曇りでどこにも遊びに行けずにゲームと学校ごっこで終わってしまいました。

 人工内耳で音が入り,言葉を理解し,会話ができるようになって,4月からは地元の幼稚園に入りました。入園式,雨の中を30分間黙々と歩いていったそうです。聾学校の頃は週末だけ通っていた幼稚園です。初めは緊張したことでしょう。けれども,少しずつ友だちができ,毎日休まずに通ったようです。ただ,こんなメールがママから届いたときには,何とも言えない哀しみを感じました。
「この間突然,『アユちゃんもお母さんみたいにペッタンがなくても聞こえるようになりたいなー。』と言われ・・・『神様が決めたことだから・・・』と答えたら,納得したのかそれからは言わなくなった。・・・」その時,私は・・・そうだよね・・・そういう思いが出てきて当たり前なんだろうな・・・と,成長しているからとは思うけれど・・・複雑な気持ちになりました。

でも,それもこれも,きっと乗り越えられるはず!と信じています。

 今年のお盆には,曾おばあちゃんの米寿を祝いました。お手紙を書き,色紙でリングを作り,お祝いに持っていきましたが・・・。普段会わない親戚の人たちとの食事では,借りてきた猫・・・というか,静かに食べ終わるとずっと漫画を読んでいました。漫画といえば「ちびまるこちゃん」が大好きです。どこへお出かけするときにもバッグに漫画を入れていきます。おじいちゃんに,漫画喫茶に連れてってもらいました。
 ゲームでは,はさみ将棋や山崩し,百人一首の坊主めくり,オセロ,トランプなどの他に,今年は,人生ゲームとドンジャラを覚えました。ママが子どもだった頃のゲームが押入の中にあったのです。

そうそう,ママが子どもだった頃に買ったピアノを,7月に新築した家に送りました。
従妹がピアノを習っているのを見て,自分も習いたいと言い,毎週一回レッスンに通っているそうです。音の高低はわからないかもしれないけれど,リズム感を養うにはこうした習い事もよいのでしょう。
 小学生の間ではやっている「リズムフォー」という遊び?全員;『から始まるリズムに合わせて』
;『2・・』
;『△△・・3・・』
;『・◇◇◇・・』
の様に手拍子しながら回していく歌ゲームも少しできるようになりました。

8月17日,あっという間のお盆休みを終えて,アユちゃん一家は飛行機に乗って帰っていきました。

空港までの車の中では,しゅう君としりとりをしたり,ケンカをしたり,二人のやりとりでうるさいくらいでした。
今度会えるのはお正月,どんなふうに成長しているか楽しみです。

 私は,パソコン要約筆記サークルに入りました。いつの日か,聞こえにくい子どもたちの役に立つことができるように,毎月一回練習しています。孫たちの成長に負けないように,がんばらなくっちゃ!

 盆と正月に決意を新たにしています。
孫たちが帰った後どっと疲れがでるけれど,孫たちのおかげで長生きできるかもしれません。

                      長華
                                2003.9.7掲載しました。
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