Go!Go!Zimbabwe

Todd's Africa tour Sept.1997

グレートジンバブエとアールサイドの狂熱の夜

9月3日、ヨハネスブルクのだるいトランジットの待ち時間の後、最初の目的地ハラレに到着した。もっともそれまで、シンガポールでSIAの粋な計らい、無料トランジット市内観光に参加し、専門学校生と友達になり既に旅は始まっていたが。

ハラレ空港で安くて評判のRIXIタクシーに乗ろうとしたが、認可を受けてないとして空港タクシーと喧嘩する始末。すったもんだの末US10$ほどで市内へ。ハラレはまさにジャカランダの咲き乱れる季節。東京で言えば4月上旬、桜の季節。北海道で言えば6月、ラベンダーの季節だ。町中を紫に染めていた。

満室のエグゼクティブ・ホテルでホテルマン・イワンに別のホテルを紹介してもらい、そのCourteney Hotelにチェックイン。お礼にイワンには写真を撮ってあげた。ちょっと高かったが、長い飛行機旅の疲れをとるには好適だった。夕食のミートパイは最高の味。

翌朝、6時に起きムバレ・バスターミナルへ。タクシーで35Z$ほど。ムバレでは荷物を無理矢理運んでくれ、法外なチップを要求するインド人みたいなやつがいるので注意。ジンバブエでは珍しい。半額以下に値切ったが1$もやる必要なかったと後悔している。そしてグレートジンバブエ観光拠点の町マシンゴヘ。ガイドブックには5時間と書いてたが実際猛スピードで走り抜け4時間弱で到着。75Z$。そこからグレートジンバブエに小型バスで30分。4.5Z$。それにしてもマシンゴまで日本人は一人もいない。観光客自体、マシンゴを出発して初めて途中から乗ってきた。

そしてバス停から20分ほど歩き、グレートジンバブエへt。まずはキャンプサイトへ泊まることに。キャンプフィー20Z$。遺跡入場料5US$。初日はグレートエンクロージャーを中心に回る。いろんな人に写真を撮ってもらう。

とくに見物はグレートエンクロージャーUだ。石をぎっしり積み重ねたその様はじつに壮観。ヒル・コンプレックスからの眺めも申し分ない。とても良いところ。

しかし夜は最悪だ。乾季なのに霧雨が降ってきたのだ。風も強い。超安物のテントは水が染みてきた。それを拭き取ったりして殆ど寝れず。疲れきって超高級ホテル・グレートジンバブエホテルへ行こうとするとキャンプサイトの受付は山小屋へ泊まれという。100Z$だがこれがじつに快適。もっと早く言え、という感じだ。2日目はまた遺跡と周辺を回り、3日目はグレートジンバブエホテルのプールで和む。プールではドイツ人の女の子2人と話す。4ヶ月かけてフィリピン・オーストラリア・アフリカを回っているらしい。欧州の休暇はスケールが違う。

そして9月7日、ハラレへ戻る。しかし来たときのバス停にバスが止まらず空しく通り過ぎる。どういうことか。土産売りの現地娘に聞いてみると「それよりヒッチハイクしてみなさいよ」。手をあげたら一発でゲット。マシンゴの電気屋に勤めるアンチャンが拾ってくれた。いい人だ。彼にもお礼に写真を撮る。

Otineri at Masvingo

そしてマシンゴで別れ、ムチェケ・バスターミナルからバスに。道中ビニール入り氷菓子を食う。50ZC。冷たくておいしい。故障もあったが、まあ、支障なくハラレへ。バスの降り際、ジンバブエではじめて日本人・野口君に会う。一緒に市内へコミュターバスで行く。3Z$ほどだった。

Earlside Hotel:アリさん、棟上さん、野口君

彼と昼飯を食ったあと、大学院生・棟上さん、パキスタン人アリさんとジャカランダロッジで合流、向かいのアールサイドホテルへ食事に。カレー(18Z$)が無茶苦茶うまい。キャッスルビールも最高。私はビールはひとくち飲めば御馳走様という感じで大嫌いなのだがこれはうまい。飲んでも飲んでもおいしい。しかもこの日は日曜で、オープンテラスのレストランにバンドが来ていた。ここで地元人、観光客入り乱れてステージ上でダンサーのオネエチャンと怪しいダンスを踊るのだ。我々日本人グループとドイツ人カップルが踊ると大賑わいだ。久々に目茶苦茶楽しかった。ジンバブエは飯も旨く、ビールも美味く、物価も安く、人々もとても親切だ。悪質なボッタクリなど滅多にいない。まさに美し(うまし)国・ジンバブエ。

そんな夜に別れを告げ、翌日エアー・ジンバブエでケニア・ナイロビへ向かった。

ケニア編へ