オークハウス南大塚401号室LAN開通記念特別作品

実録・サハラ越え〜何があってももういいの〜

アルジェリア・ニジェールルート

Part1 チュニジアからアルジェリアへ

20021126日、私、藤堂は4年ぶりに

アフリカを目指すことになった。

今回は前回(8ヶ月半)と違い2ヶ月半、80日の、言わば短期旅行の部類だ。

今回は長い間治安情勢の問題で行けなかった

アルジェリアルートでのサハラ越えがメインメニューだ。

その後おまけとしてガボン方面まで南下しようと考えていた。

思えばかなり金が無い中での出発だ。

海外旅行保険もクレジットカードのやつだけだし

アルジェリアビザも代理店通すといくらかかるか分からないほどなので

東京に居る妹に取ってもらった。

結局迷ったあげく各種予防注射もしなかった。

黄熱病だけは必須だしそう高くもないので7月に済ましておいたが

散々悩みぬいたあげく狂犬病、A型肝炎、破傷風はしなかった。

なんせ高いし、まあ、A型肝炎は致死率低いというし

A型肝炎の予防注射してB型肝炎になったら悔しいし(そういう問題・・・?)

破傷風は怪我の後でも大丈夫とのことなので

犬にだけに気をつけてということで。

結果的には生水をいくら飲んでもやっぱり平気だったし

怪我もなく犬にも噛まれなかったがやはりこういうことは

他人にはお勧めは出来ない。安心は金で買おう。

3ヶ月チケットではタイ航空が安かったしストップオーバーが無料なので

バンコクの知人にも会えるしリコンファームも一応不要なのでこれに決めた。

安いだけあってかなり混んでおり日程を微妙に変更して直前に予約が取れた。

ちなみにマイレージは50%だ。

関空発なので大阪の友人宅に1泊した関係で25日に広島を出たのだが

11月中は広島、大阪、チュニジアと毎日雨が降った。

傘が必要なほどではないがそれだけに中途半端でかえって

すっきりしない出だしだ。降るんなら本格的に降ればまだいいのに・・・

26日夕方に関空を出て深夜、バンコクへ。1時間ほどの乗換えで

チューリヒへ。翌朝に着いて、ここでスイス航空に乗り換えた。

スイス航空は、日本でも買える正規の安チケットがある。

チューリヒ・チュニス間片道で15,000円だ。

最近は噂には聞いていたがセキュリティチェックは厳しい。

私は基本的には荷物は機内に持ち込むのだが、ビザ写真カット用の

ハサミとナイフを預けざるを得なかった。しかもこれがチュニスカルタゴ空港で

出てこないのでガックリ。

久々の旅なのでかなり神経質だったところに

連日の雨も重なってこの時点で軽いマイナス思考に陥っていた。

で、この日も雨が中途半端に降ってて市街地へのバスがなかなか来ない。

チューリヒから一緒だった日本の女性二人が一緒だったが

シビレを切らしてタクシーで行ってしまった。

おかしなもので諦めたとたんにバスは来るもので、まだ日も高かったため

粘り強く待っていた私は直後バスに乗れた。0.76ディナールというから70円くら

いか。

タクシーしかアクセスが無い空港が多いアフリカでこのバスの安さは有り難い。

なお、空港で両替は現金のみだが、現金なら日本円でもOK

TCは米ドルでもだめだがキャッシュのハードカレンシーはなんでもイケル。

40分くらいでチュニス市街地に着いた。

チュニスは治安もそう悪くはないがやはり最低限気をつけなければならない。

着いた早々胡散臭い青年が声をかけてきて、自分の家に泊まれという。

金は要らないというが世界中どこもそんなうまい話はないので

やんわり断るとしつこく食い下がってくる。まあ、見るからに欲深そうな男だったが

やっぱりかという感じ。最初はメディナへの道を教えてくれたりしたが

どうしても家に行かないと見ると

とたんに無愛想になり、行きたいホテルヘの道をゼンゼン教えてくれない。

その男は読売新聞の社員の名刺を持っていて彼も面倒を見たという。

さて、いくらふんだくったのか・・・彼で味を占めたのだろうなあ・・・

雨と、奴への警戒心で気が散ったためホテルの場所を探すのに

時間がかなりかかったが無事ミラノホテルへ着いた。7Dというから600円くらい。

メディナの中にはもっと安いユースもあるがこっちはドミだ。

また、メディナにはじめて着いてそこから歩くと迷う可能性も無いとは言えないので

やはりミラノがオススメだ。まあユースも判りやすいけどね。

なお、マルハバホテルというのもメディナの入口にあるが

ここは一番安い相部屋はあまり開いてないし、シングルだとかなり高い。

28日、この日はやることが多かった。まず両替。

市内ならTCも問題なしだ。当り前だが・・・

それからカルタゴ観光。そののちハマムで旅の疲れをひとまず癒した。

カルタゴはやはりそれなりに面白い。高くもないので行ってもいいと思う。

美術館の入場料は5.2D。チュニスから往復の近郊用鉄道TGMは1.2D

ちなみにTGMの車内でディパックに誰かの手が伸びてきた。

幸い被害が無かったがスリがいるので混雑中は特に気をつけよう。

ハマムは湯も熱く滅茶苦茶気持ちいい。ミラノホテルのすぐ手前にある。

29日、バルド美術館に行き、その前後にアルジェリアへのアクセス方法を調べる。

前日に引き続きツーリストインフォメーションにも行ったが

この日は英語がしゃべれる人がいたので地図ももらえた。

この時点では私のフランス語もさっぱりでスタッフのほうも

フランス語しかしゃべれないスタッフのみだったので前日は苦戦したのだ。

いろんなバスや乗合タクシー(ルアージュ)のステーションにも行ったが

どうやら貨物駅の横のルアージュステーションが南部に行くにはいいらしい。

(方面によりいくつもステーションがある)

アナバやアルジェを目指すにはメディナの入口にある乗合タクシーに乗れば

いいらしい。こっちはミラノホテルからすぐなので便利だ。

バルド美術館にはメトロと呼ばれる路面電車で行った。

(フツウはメトロと言ったら地下鉄、路面電車はトラムだが・・・)

こちらはさらに安く一回乗って0.4とかそれくらい。

ここの最寄り駅でガーナのユース代表のジュリアス・クーガーという青年と会い

サッカー談義を交わす。

なんでも海外遠征でチュニスに来ているのだそうだ。

なかなか親切な子で美術館への案内をしてくれたが全く反対の方へ行くなど

いかにもガーナ人らしい。

「ジュリアス、君はやっぱり欧州のクラブに移籍したいの?」

「そんなこと当り前じゃないか!もちろん行きたいさ」

彼はスペインではラコルーニャが好きという。私と同じだったので

多いに話が合う。トリスタンが好きらしいが私はマカーイが好きだ。

UAEでのワールドユースに出るといってたが帰国後調べてみると

ガーナは出場権を得ていない。はて・・・?まあこのへんもガーナ人なのだろう。。

バルド美術館は同じく5.2D。こっちもモザイクばっかりだがまあ、面白い。

チュニスでは朝昼はパンとお茶、夜はホテルから一番近い食堂で

スープを飲んだ。ご主人の愛想も良く味も悪くなく結構気に入っていた。

飯は大体1.5か2D。コーラは0.4くらいだ。

ミントティーが欲しいときは普通にお茶を頼めばいいらしい。

あれこれ言ってると結局ミルクティーが出てきた・・・とほほ・・・

翌30日、チュニスを出発。ルアージュに乗って南部のトゥズールへ。

これによりアルジェリアは一気に近づく。

18.7D。道は良く、朝8時に車がいっぱいになり出発、昼2時前にはトゥズールに着

いた。車の状態もすこぶる良く、国の発展度合いを象徴している。

ガフサで乗り換えたが、同乗のOL3人組はとても親切でいろいろ

ガイダンスをしてくれた。いや、いい国だね。

この日は街の東の外れのキャンプ場に泊まる。

茅葺きの小屋に泊まったが、まあ、寒かった。これで7Dとは・・・

トゥズール自体は、思いのほか観光地ズレしており

オープンテラスのカフェでくつろぐ欧米人が何人も居た。

ほんと欧米人てどこまでいっても自分の生活スタイルを変えないよね。

月が変わり121日。いよいよチュニジアをでてアルジェリアに入る。

アルジェリアへの通り道的位置づけのチュニジアに関する記述が長くなったが

良く考えてみれば今回観光らしい観光をしたのもチュニジアだけだった。

この後訪れたアルジェリア、ニジェール、チャドは私の今までの旅に

比べて、観光というよりもかなり冒険的テイストが強かった。

アルジェリアは10年近く内戦状態にあり、どの程度安全になったのか

情報がほとんど無いため

行ってみないと判らない状態でしかも一人旅とあってなかなか緊張した。

内戦前までは西欧に行ったついでにモロッコ、チュニジアとセットで

回る人が多いというくらいだから、かなり気軽に行けたらしいが内戦後は

外務省の渡航延期勧告が現在に至るまで出たままだ。

そういう意味でもアドベンチャラスではあった・・・

まあ、冒険とは言っても現地の人にとっては

日常的に行き来している場所に行くだけで

極めて相対的な冒険に過ぎないんですけどね・・・

なんかアメリカインディアンが普通に暮らしてるのに

「コロンブス新大陸発見」みたいな先進国の傍若無人さというか

傲慢さの顕われに近いものを感じる。自分だけが基準というか

子供にははじめてのおつかいも大冒険なのと同じ、というのと同じような

狭さを感じなくも無い。

そういう点では今の世の中どこに行ったら冒険になるのでしょうかねえ・・・

 

そんなことを考えながらアルジェリアとのハズーア国境に向かっていた。

 

サハラは近い。

つづく

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