人間とは何か…考えさせられた「リトル・ファジー」

H・ビーム・パイパーの書いたSF小説「リトル・ファジー」は、知る人は少ないでしょうが、私にとって非常に考えさせられた一品でした。
なにやら可愛い小動物が出てくるSFと思って、旅行帰りの暇つぶし用に買ったのですが、めちゃくちゃ面白く、かわいくって、帰りのバスの中で夢中になって読みふけってしまいました。
惑星ツァラトウストラ(と言うと、2001年宇宙の旅の音楽を連想してしまうのは、根っからのSFおたくの悲しい性でしょうか)で、鉱山業者ジャックの出会った小さな毛むくじゃら(Fuzzy)な生き物は、道具を操り、会話をすることができる、すなわち「知性」を持った存在だったのですが、惑星開拓法により、知性を持つ原住民がいる場合はその惑星の権利はそれら原住民に帰属し、企業が自由に開拓できなくなることになっていました。
そのため、このちっちゃな愛すべきファジーたちをめぐり、ジャックをはじめとする彼らの理解者たちと、ツァラトウストラ星の開発委託を取り消されるのを恐れ、彼らの存在を闇に葬ろうする大企業との戦いが始まります…知性とは何か、そして人間とは何か、何をもって「人」と認めうるか、舞台はやがてファジーたちの存亡を賭けた惑星裁判へと進展していく――というストーリーです。
このファジーたちは、初めは言葉を持っていないと思われていたのですが、実は人間の耳に聞こえない超音波の声で会話していたんですね。そういったところが、手話という言語が社会に認められるまで「唖(オシ)」扱いにされていた「聾唖(ろうあ)者」と通じる部分があるなぁ、と感じました。
クライマックスの法廷で、死んだと思われていたジャックと仲良しのファジーたちが突如現れ、超音波を聞き取れる補聴器を付けたジャックに、「ジャークとおーさん!ジャークとおーさんだ!!」とジャックが初めて聞く彼らの言葉を叫びながら抱きつくシーンは、涙なしでは読めなかったりします。(T^T)…わたしは涙もろいたちなんで(笑)
「リトル・ファジー」 H・ビーム・パイパー 酒匂真理子訳 創元推理文庫
※上記は1985年頃に書いた文をリメイクしたものです。「リトル・ファジー」は現在絶版のようですので、入手困難と思います。
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