Let it be  心の話 Vol.1     誰が感じるのか

 ジェット・コースターに乗ったとき、その感覚に対して「恐い」というか「楽しい」
と言うかは、人によって違う。僕はジェット・コースターに乗ると大笑いしてしまう。
ブンブン振り回されている最中に「ガッハッハ」と笑うのである。笑うのだから「楽
しい」という解釈がぴったり来そうだが、そうでもない。ジェット・コースターに乗
っている最中、僕は何もできない。ただジェット・コースターに乗って振り回される
だけである。もしそこで何かが起きても何の対応も取れない。そのことを思うとゾッ
とする。その思いを吹き飛ばすかのごとく「ガッハッハ」と笑うのだ。笑っているの
だから「楽しい」という解釈ももちろんできる。しかし、笑いながら恐怖を感じてい
るという解釈も成り立つ。
 人は何かを感じたとき、その感覚に対してほぼ自動的に解釈を与える。「ハハハ」
と笑ったとき、すなわち自分は喜んでいると解釈する。ところがときには、同じよう
に「ハハハ」と笑っているが、満足しているわけでもなく、うれしくもないときがあ
る。そのようなときには自分の笑いに対してなぜ笑っているのかの理由なり、説明な
りを考えてしまう。このように、生まれた体内感覚と、その感覚が生まれた理由を照
らし合わせると、ずれがあることに気づくときがある。そんなときの感覚は本当は一
言では言い表せない。ところが一言で言い切ることによって、そのことがあたかも事
実かのように自分も感じ、回りの人たちにも感じさせることがある。ジェット・コー
スターから降りたとき、僕が「ああ、楽しかった」と言えば、それが現実になるし、
「恐怖で笑うしかなかったよ」と言えば、それが現実となって時は過ぎる。
「最高ですかー」は何度もテレビに登場したので、今では知らない人はほとんどいな
くなっただろう。彼らが「頭を取る」と言っているのは、解釈を教祖に預けることを
言っている。「最高ですかー」と叫びながら、自分の心の中で至福の状態を思い出し、
作りだし、その感覚を現実として生きようとしているのだ。彼らにとって「最高です
かー」の言葉が、曖昧な体内感覚を至福の状態に制御してしまうのだ。「最高ですか
ー」と叫んでいる人に、何が最高かをたずねるといい。たいていの人は細かくその感
覚について説明できない。なぜなら自分が繊細に感じて、その感覚に解釈を与えるの
ではなく、どんな感覚でもとにかく「最高です」というレッテルを貼りまくるからで
ある。
 自分の感覚は自分が解釈しなければならない。あまりにも当たり前のことだ。しか
し、カルトにはまった人にはそれができない。解釈のほとんどすべては教祖や教義か
ら与えられるのだ。

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