天使の行進〜アイルランド紀行 その2 「セントパトリック教会」

 アイルランドは「聖者と学僧の島」と呼ばれている。その伝統の種子となったのが聖パトリック(389?〜461?)だ。聖パトリックは十六歳の頃、イギリスから奴隷としてアイルランドへ連れてこられた。その頃のアイルランドは何百もの王様が群雄割拠し、戦争の絶えない島だった。そんなアイルランドの北東部、ネイ湖から北を統治していたミリューク王の奴隷となる。奴隷となり六年後、パトリックは不思議な声を聞く。

「お前の飢えは報われた。お前は故郷に帰るがよい。見よ。お前が乗る船はすでに用意されている」

 その声を聞いたパトリックは、ミリューク王の領地が内陸にあり、海など見えないにもかかわらず歩き出した。300キロもの道のりを何一つ手がかり無く歩いていった。幸運にも誰にも呼び止められなかった。他人の領地で奴隷が発見されれば、何をされても不思議ではない。やっとの思いで入り江にたどり着く。幸運にも船に乗せてもらい、パトリックはブリタニアへ帰ることができた。

 帰郷すると両親は大喜びだ。ある日突然姿を消した我が息子が帰ってきたのだ。

 しばらくしてパトリックは幻を見る。アイルランドで顔見知りのウィクトリスという男が、手に数え切れないほどの手紙を持っている。そしてその一通をパトリックに渡した。差出人は「アイルランド人の声」と書かれている。その手紙を受け取ると、大勢の声が聞こえた。「こちらに来て、また我々と一緒に歩いて下さい、お願いします」。その声に心臓を突き刺されたようになり、パトリックは目を覚ます。

 パトリックは内なる声に導かれ、レラン島の修道院へ行ったらしい。そこで神学を学び、司祭となり、アイルランドへ伝道する。こうしてパトリックはアイルランドを争乱の島から、平和で秩序ある島にするよう自らの人生を賭ける。キリスト教のまったくない場所にキリスト教を根付かせるということは想像を絶する苦労だろう。しかし、パトリックはアイルランドの人々のためにがんばった。伝道者としてはパウロから二人目、なんと四世紀もたってからのことである。パトリックのアイルランドへの愛情がうかがわれる。

 アイルランドでは各地に司教を置き、自らは大司教となった。こうしてパトリックの晩年には争いも下火となり、奴隷取引は中止された。各地にできた修道院で生活する修道士や修道女の生活ぶりは、アイルランドの人々に様々な思いを抱かせたのだろう。

「ケルズの書」でも見られたとおり、アイルランドのキリスト教はローマ帝国のキリスト教とは一線を画すものだった。ローマのキリスト教は「聖書」とそれに関する文献以外はまったく学ぶべきものではないと排斥したが、アイルランドの修道士たちはギリシャの哲学からはじまり、古今東西のあらゆる書物に親しんだという。そんな伝統を生み出すことができたのも、セントパトリックの人柄ゆえだろう。

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 灰色の空にそびえるセントパトリック教会は1191年に石造りに改築された。それまでは木造の教会だったという。教会の尖塔にはケルティック・クロスがそびえている。アイルランドの十字架は、その多くが普通の十字架ではない。中心の交差している部分に光背のように円が描かれている。円は太陽を象徴し、普通のキリスト教では決して見ることのできない、自然崇拝のイコンとなっている。十字架の部分には「ケルズの書」を覆いつくしていた紐や線、動物、人々などが描かれている。何一つ同じものはなく、きっと十字架を作る人の独創性に委ねられていたのだろう。その十字架を「ケルティック・クロス」または「ケルト十字」と呼ぶ。

 曇り空の冷たい光から、教会に一歩入るとそこは暖色系の世界へと一転する。足元には「ケルズの書」に登場する紐や線が編まれた模様のタイルが敷き詰められている。天井が高い。ステンドグラスのきらびやかな光が差し込んでいる。

 中に入り数歩歩くと、僕が会うべき人の墓が足元にあった。ジョナサン・スウィフトの墓である。

その3 「ジョナサン・スウィフト」

アイルランド紀行「天使の行進」

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