天使の行進〜アイルランド紀行 その4 「巨人のテーブル」

 バレン高原には「巨人のテーブル」と呼ばれるドルメンがある。四枚の平たい石を立て、その上に大きなふたをしたような形だ。高さは1m20cmから1m50cmほど、奥行は3m弱、幅は1m50cmほど。ふたの石が少し傾いているが、確かにテーブルのようにも見える。こんなでっかい石、どうやって積み上げたのだろう。墓だとしたら、よっぽど偉い人の墓なのだろう。ふたになっている石は、その縁を持てるだけの人数で持ったとしても、とても持ち上がりそうにない。

 エジプトのピラミッドの建築法を解説した本を読むと、よく奴隷が何人で何年かかったという記述にお目にかかる。しかし、僕はあれって奴隷が嫌々した仕事とは思えない。奴隷が作ったにせよ、そこには埋葬されるひとへの圧倒的、徹底的な尊敬があったのではなかろうか。巨人のテーブルを見て、そんなことを思った。

 巨人のテーブルも誰かが作ったものだ。そしてそれは作らざるを得ない何か感情のほとばしりが、作る人達の心のなかにあったのではないかと思う。作らざるを得ない何かの感情だ。それが何かは今となっては知る由もない。しかし、そのほとばしる感情が、埋葬されている人に対しての愛情であれば、それはなんとロマンのあることだろう。

 しかし、死者への愛情は、恐怖ともすり変わりやすい。死者が復活することの恐れをまぎらわすために手厚く葬るということも考えられる。

 もっと考えると、全然違う理由で作られたとも考えられる。

 たとえば、今から数千年後。何かの理由で一時期、現在の文明が絶たれ、まったく違う価値観で生きている人々が、東京ドームを発掘する。彼らは東京ドームを何だと思うのだろうか? しばらくして神宮球場も発掘される。いくつもの一致点が見られる。五角形と四角形の塚が四角く張られている。その塚を見下ろす観客席がある。権力のある人の葬式をそこで盛大にやったのだろうと考えるかもしれない。

 しばらくしてお金が見つかる。小さな丸い鉄や緻密なデザインで作られた紙を多くの人が持っていた。きっとそれはお守りに違いない。いや、もしかしたらそこに印刷されている人を偲ぶための形見なのかもしれない。だとすると球場はますます葬儀場に思えてくる・・・。

 巨人のテーブルの下には人骨が発見された。だから墓であることはほぼ間違いないとされている。しかし、本当だろうか? 人骨は現在は埋葬にしか使われない。しかし、文化が違えば何に使われたか、まったくわかったもんじゃない。権力のあった人の遺骨には巨大な力が宿ると解釈する文明では、遺骨を何かの目印や、まじないの道具に使うかもしれない。一般生活の必需品であることも不可能ではないだろう。そんなことを考えていくと、僕の想像はどこまでも拡がり、結論もビジョンも判断も、すべて青空の向こうまで飛んでいってしまうのであった。そしてひとつだけ、曲げることのできない事実が心に残る。

 何千年も、この石はここにあった。

 何世代もの人々が、いろんな解釈をその石にこすりつけ、それでもその石はここに存在し続けた。

その5 「サラ・ジェーン」

アイルランド紀行「天使の行進」

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