天使の行進 〜アイルランド紀行 その6 「キロンの祭」

 アイルランドの西にアラン諸島という島々がある。アラン・セーターの発祥地だ。アラン諸島はイニシュモア島、イニシュマーン島、イニシュア島の三島からなっている。僕たちはロッサビールから船に乗り、三島で一番大きいイニシュモア島へ行った。

 イニシュモア島でガイドをしてくれたダラ・モリーは、ケルト文明復興のためのミニコミを発行している。しかも牧師で、ケルト式の結婚式もおこなうという。いまではイニシュモア島の人々にとけ込んでいるが、もとは十年ほど前にダブリンからこの島に来たそうだ。島に来たばかりの頃はなかなか島民になじめず苦労したらしい。イニシュモア島の人々は島の外からそこに来て住む人とあまり関わりを持ちたがらないのだそうだ。かつて島の外から来た人たちにひどい目にあわされたという歴史があるらしい。どんなひどい目にあったのかというと・・・、それについてはもう忘れてしまった。

 バスのドライバーはマーティン。彼は「チェルノブイリ・チルドレンズ・プロジェクト」というトレーナーを着ていた。昼食に入ったレストランで、その意味を尋ねると誇らしげに答えた。

「チェルノブイリで被爆した子供達をこの島にあるホメオパシーの療養所で預かり、治療するというプロジェクトさ」

 マーティンは足を引きずりながら歩く。自分が苦労している分、人のためになることをしようとしているそうだ。後で聞いたのだが、そのとき食事していたレストランや、すぐ隣のアランセーターを売っている土産物屋の大家でもあるそうだ。大家をしていればバスの運転手なんてしなくても良さそうなものだが、働くことが嬉しいらしい。幼い頃の苦労をものともせず、地道に成功した人なのだ。そのレストランや土産物屋はドン・エンガスへの入り口にある。イニシュモア島に来る観光客は、必ずと言ってよいほどドン・エンガスに来る。いわばイニシュモア島での一等地だ。

 ドン・エンガスは紀元前2000年頃に作られたと言われている。どこまでも続く長い石積みの壁に導かれ歩いていくと、切り立った岸壁の頂上にその砦はある。それがいったい何に使われたのか、ふたつの説がある。ひとつは軍事的な砦。ひとつは宗教儀式の神殿。

 砦からのある方向には地面から槍を突き出したように石が配置されているので、外敵が攻めにくいと言う。確かに砦まで登ってくる道も見晴らしがよく、砦からよく見えた。砦に入るためには二度ほど人が一人しか通れないような狭い場所を通らなければならない。砦の機能としては万全だ。この島には同じような砦があとふたつ、全部で三つある。それらの砦にいた人たちと戦っていたのだろうか? あれだけの大きな砦に石を積むためには、よっぽど多くの人たちがいたことが想像される。紀元前2000年になぜあの島にあんな大きな砦が必要だったのだろう? 

 砦の頂上には腰ほどの高さで、10m四方ほどの石の舞台がある。舞台の向こうは断崖絶壁。見下ろすとめまいと共に海に吸い込まれそうで恐い。その舞台から海に向かって50cmほどの幅の飛び込み台のような場所があった。恐くてとてもそこに立とうなどとは考えられない。紀元前2000年にはその飛び込み台、何に使われていたのだろう。

 青空にそびえ、海を見下ろすドン・エンガスはとても美しかった。

 その後、キロン修道院跡へと行った。キロン修道院跡に向かい歩いていく坂の途中、ダラは言う。「この坂の先にある坂はヤコブの梯子という名前だ。僕の家はこの坂の上にある。だから僕のうちは天国なのさ」

 これを聞いて、僕は軽いめまいを感じた。キリスト教圏だから当たり前と言えば当たり前なのだろうが、アイルランドに来てから僕は何度もヤコブの梯子、またの名を天使の梯子を見ていた。ヤコブ(天使)の梯子とは、雲間から降りてくる太陽光線が筋になって見える現象のことを言う。同行の女性たちに僕は何度も「あそこに天使の梯子が見えるよ」と教えていた。これは旧約聖書の創世記に出てくる話がもとになっている。

「ヤコブが、イザクから祝福を受けてイスラエルの地に旅したとき、ある土地で石を枕に寝ていると、天に通じる階段ができて、天使が上がったり下がったりしているのを夢見た。ヤコブはここが天の門の地と知り、神に祈ってここにイスラエルの国を作った」(創世記第28章)

 雲間から差し込む幾筋もの光は、あたかも天と地を結ぶ梯子のように思えることから、ヨーロッパの人々はそれを天使の梯子とかヤコブの梯子と呼んでいる。

 ヤコブの梯子と呼ばれる坂の下、キロン修道院跡のすぐ脇に、キロンの泉と呼ばれる小さな泉があった。注意しないと気づかないほど小さな穴が地面に開いていて、腹這いになりそこに手を入れると、やっと手が届く距離に泉があるのだ。その泉は年に一度「太陽の祭」のときに島の人々が集まり、泉の周りを七回まわって泉の水を顔につけ、願掛けをするのだそうだ。その祭の日は、九月九日だという。僕は興奮せざるを得なかった。九月九日は日本でも重陽の節句と言い、陽、つまり太陽を崇める日だ。しかもその日は僕の誕生日でもある。つなぶちようじの「陽二」は「重陽」の陽なのだ。そのことをダラに告げると、彼は驚き「じゃ君をこれからはキロンと呼ぼう」と言った。

 重陽の節句は「菊の節句」とも言い、もっと言うときくり姫を奉る日でもあるという。きくり姫とキロン(聖人の名前)、何か関係があるのだろうか。

 アイルランドのイニシュモア島と日本のかつての祭が同じ日に同じ意味でおこなわれていた。これは単なる偶然なのだろうか? そして僕がキロンと名付けられたことも。

その7 「ツイードのハンチング」

アイルランド紀行「天使の行進」

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