胎児の不思議

ごま書房刊ムック「精神世界」の第一号から第五号(1998.11〜1999.4)に連載。

             

  胎児の不思議  (出産と精神世界1)

  リード
胎教や幼児教育が流行っている。そのような教育を受けた子どもたちや母親のなかには、不思議な体験を語る人がいる。また、そのような教育を受けなくとも、胎内記憶や前世の記憶を語る子どもたちがいる。どのような体験が報告され、その結果もたらされるものは何か。「胎内記憶」(ダイヤモンド社刊、共著者七田眞氏)の著者、つなぶちようじによるレポート。

  海で生まれたがる胎児
平成八年三月三日、グアム島から北東へ一00キロほどのところにあるロタ島の浜辺で、一人の女の子が産まれた。その子の母親、小野ジュリアさんによれば、生まれた子どもの意思によって浜辺で生むことを決めたのだと言う。

いまから五年前、ジュリアさんは夫、光俊さんとある劇団で知り合った。当時光俊さんは精神世界にはまったく興味がなかった。ジュリアさんが瞑想やオーラの話しをすると、「変なことを言う女だ」という目で見られていたという。しかし、当時アメリカで出版されていたバーバラ・ブレナンの「光の手」について話しをすると少しずつ光俊さんも興味を持ち始めたそうだ。そうしていつしか二人は結ばれる。

出産に先立つこと八ヶ月前、ジュリアさんはその頃には日課となっていた就寝前の瞑想をしていた。普段の瞑想は静かに始まり、静かに終わっていた。時には各チャクラに光を感じることもあった。しかし、その日の瞑想は少し違うものだった。瞑想中ジュリアさんは、なぜかおなかを中心に黄金の光があることを感じたという。珍しいこともあるとは思ったが、別段気にすることもなかった。しかし、その黄金の光を三日連続で感じ、もしかしたらと調べると妊娠していた。こうして着床してから一ヶ月も経たずに懐妊を知ることになる。

妊娠して二ヶ月目、ジュリアさんはおなかの子が海で生まれたがっていると感じるようになる。

「なぜかはよくわからないんですけど、とにかく海で生まれたいと言われている気がするんです。自分の勝手な思いこみかなぁとも思ったのですが、ただそれだけでは説明できないような強い衝動がありました。それに海で出産しようなんて考え、私には持ちようもありませんでした。始めての妊娠で、そんなことできるかどうかもわからないのです」

ジュリアさんはその強い衝動に導かれ、様々な人に相談した。しかし、誰も賛成をしてくれない。たいていは「海なんて雑菌がたくさんいる。感染症を起こしたらどうするの」「そんな危険なことはやめなさい」と言われてしまう。しかし、ジュリアさんはめげなかった。医学が発達していなかった頃も赤ちゃんは生まれていた。殺菌された清潔な部屋でなくとも、私には必ず産めるはずだと信じて。

ある日、ジュリアさんは佐藤由美子さんと知り合った。佐藤さんはアクティブ・バースの権威、ミシェル・オダンの著書「水とセクシャリティ」の翻訳者だった。佐藤さんはジュリアさんの意思に賛成した。「平気、平気、やってごらんなさい」。ジュリアさんはその言葉に励まされて、自分が子どもを生む浜辺を探すことにした。はじめはハワイ島で生もうかと考え、光俊さんとハワイ島を巡ってみた。しかし、どこにも出産に適した浜辺は見あたらない。バリ島で生もうかとも考えた。そこでバリ島に住む友人に相談する。ところがバリにも良さそうな浜辺は見つからない。ところがその友人がロタ島はどうかと言う。ロタ島なら人が少なく、お産ができるような浜辺も見つかるだろうというのだ。ジュリアさんは光俊さんとともに出産間近にロタ島へ渡る。島を一周し、お気に入りの浜辺を見つけた。

そしてそこで無事に海月(みづき)ちゃんを出産する。

  親の体調を整える胎児

田口ランディさんはルポライターである。九六年の夏、ベトナムを旅行し、その体験を「忘れないよベトナム」(ダイヤモンド社刊)という本にまとめた。内容はアントニー・デ・メロという司祭が書いた本「小鳥の歌」(女子パウロ会刊)に導かれ、ベトナムを旅行し、不思議な体験を重ねていくというものだ。「忘れないよベトナム」にはあまり書かれていないが、田口さんは旅行中体調が思わしくなかった。普段は健康で通している田口さんにとってそれは大変な苦痛だったという。帰国後病院に行くと妊娠していることがわかった。

ベトナム旅行の直前に瞑想の指導をしている阿部将英さんと知り合い、ババジ瞑想という瞑想法を習った。妊娠でだるいとき、その瞑想法を試したという。すると時々、夢見がちな状態になったときに力強くて頼りがいのありそうな男の人の声が聞こえたという。当時懐妊による体重の増加が原因か、腰痛がひどかったそうだ。そこである日、その声に、どうしたら腰痛が治るかを聞いてみた。すると、「あなたの使っている座椅子は使わない方がいいよ」と言われた。試しに座椅子を使わないでいると嘘のように腰痛が引いていった。また、足がむくんだときにもその処置を聞いてみた。すると「足を高くして寝るといい」と言われる。寝る際に足元にたたんだ座布団を置き、足を高くして寝ると、やはり足のむくみは取れたという。

田口さんはその男の人の声を聞くのを楽しみに瞑想を続けたが、妊娠四ヶ月の頃からその声は聞こえなくなったという。きっと、魂がおなかの赤ちゃんのなかにしっかり入ったんだろうと思ったそうだ。徳の高そうなその男の声を聞き、そんな人が田口さんのおなかに宿るのかと思うと、おなかの赤ちゃんに一層強い愛情を感じたそうだ。

九十七年三月三十一日、無事にその赤ちゃんは生まれた。女の子で「桃」と名付けられた。

  きずなの大切さ

小野ジュリアさんや田口ランディさんの話しは本当に事実なのだろうか? そういう声を聞いたことの証拠は彼女らの証言以外にはなにもない。疑おうと思えば、いくらでも疑う余地はある。本人たちもその声が本人たちの思いこみなのではないかと問われると答えにつまる。彼女らの証言を信じるか、疑うか、それはその話しを聞く者の側に委ねられているのだ。

私たちは他人の夢を批判したりしない。夢も本人にしかわからないものだ。瞑想のなかで感じたことは疑い、夢のなかで感じたことは疑わないというのは、どこか変だ。夢を分析することによって自分の心理状態を知ることは当たり前になってきている。それと同様、瞑想状態で感じたことを分析することによってわかることもあるだろう。

カナダのT・バーニー博士はその著書『胎児は見ている』のなかで、胎児はすでに意識を持ち、母親とのコミュニケーションによって育っていることを裏づけている。母親が胎児との“きずな”を持つことが大切であることを書いている。

『胎児は見ている』で紹介されているのは、スウェーデンのウプサラ大学産婦人科のP・F・フレイベルク教授の報告だ。ある女の子(その本では仮名でクリスチナとされているのでここでもクリスチナと呼ぼう)クリスチナが生まれたとき、からだは丈夫で健康だった。ところが母親がおっぱいを出しても顔をそむけたそうだ。フレイベルク教授ははじめ病気だと思ったそうだが、粉ミルクを入れた哺乳ビンにはむしゃぶりつくので一時的な問題だろうと考えていた。ところが何日しても哺乳ビンの粉ミルクは飲むが、母親のおっぱいは飲まなかった。そこで教授はものは試しと別の女性に頼んでクリスチナに母乳を与えてもらった。するとクリスチナは一生懸命おっぱいを吸い始めたそうだ。クリスチナの母親に事情を説明し、単刀直入に妊娠を望んでいたかと聞くと、母親は、自分は生みたくなかったが、夫が子どもが欲しいというのでいやいや産んでしまったと答えたという。

つまり妊娠中、母親が胎児クリスチナとの“きずな”を拒否していたのである。バーニー博士は「クリスチナの母親が自分の態度を変えれば、いつかは正常な関係を取り戻すことができるだろう」と書く一方、「出生直後に出来上がった精神状態は長く尾を曳き、それが、母と子の関係を形作るうえで決定的な意味を持っているが、これと同じように、出産前の精神状態もひじょうに大切なものなのである」と結論づけている。

では、この“きずな”はどのようにしてできるのだろう。バーニー博士は三つの要素が“きずな”を作ると書いている。それは生理的コミュニケーション、動作によるコミュニケーション、そして共感によるコミュニケーションだ。

生理的コミュニケーションはホルモンを通してなされる。母親が妊娠すると普通「母親が胎児に一方的に栄養などを与える」と考えられがちだが、実際には妊娠の状態を維持、促進させるホルモンをうながすのは胎児なのである。出産を嫌がるような母親には、胎児自らが成長を促進させるホルモンの分泌を止めることもできるという。だからコミュニケーションなのだ。母親が胎児の存在を祝福して出産を望んでいれば、常に胎児は協力してくれる。

動作のコミュニケーションとして代表的なのはキック・ゲームだ。キック・ゲームは多くの胎教の教室で採用されている胎児とのコミュニケーション・ゲームである。母親がおなかを軽く叩くと、胎児はおなかの内側を蹴り返してくる。これがキック・ゲームだ。ある程度慣れると、胎児は母親が叩いた場所を正確に蹴り返したり、母親が叩いたのと同じ回数だけ蹴り返したりもできるようになるという。

共感によるコミュニケーションは直感や夢、またはある種のテレパシーのようなものだ。『胎児は見ている』ではテレパシーという表現は使われていないが「超感覚的コミュニケーション」と表現されている。

拙著「胎内記憶」で出した例は、動作のコミュニケーションと超感覚的コミュニケーションを含む興味深いものだ。それはこんな話しである。

埼玉県与野市に住む岸 稲子さんは、妊娠四ヶ月を過ぎた頃から胎児に“ひかりちゃん”と名前をつけた。稲子さんのご主人岸 英光さんが心理カウンセラーをしていることもあり、胎教が大切なことはよく知っていた。そこで幼児開発協会の胎児教室に通い、そこで習ったとおり胎児に名前をつけて話しかけていたのだ。すると胎児は稲子さんが「ひかりちゃん」と呼びかける度におなかの内側を蹴るようになった。ここまでは普通のキック・ゲーム、つまり動作のコミュニケーションだ。ところが、不思議なことが起きた。稲子さんはひかりちゃんに「お父さんが帰ってくるときには教えてね」とお願いした。すると本当にほとんど毎日、英光さんが帰ってくる時間におなかを蹴り出したのだ。あるときは駅に着いたとき、あるときはマンションの一階に着いたとき。

しかし、稲子さんは偶然だろうと思っていた。自分も知らないことをひかりちゃんにわかるはずがない。そこである日、ひかりちゃんを試すことにした。英光さんの帰ってくるはずのない時間にひかりちゃんに質問したのである。

「お父さん、そろそろ帰ってくるかしら?」

するとひかりちゃんは帰ってくるよとばかりにおなかを蹴るのだ。稲子さんは「やっぱり、私が聞くから蹴り返すのね」と思い、「こんな時間に帰ってくるはずがないじゃない」と答えると、ひかりちゃんは稲子さんのおなかをさらに何度も強く蹴った。「そんなに怒らないでよ」と思っていると、電話が鳴り出した。取るとそれは英光さんだった。

「仕事が早く終わったのですぐに帰るよ」

これは偶然だったのだろうか? 恐らくこれこそが共感のコミュニケーションだろう。

小野ジュリアさんや田口ランディさんの体験も、もしかしたら、この共感のコミュニケーションに近いものだったのではないだろうか。

   前世と天国の記憶

チャネラーとして活躍している凰宮天恵(おうぐうてんけい)さんは三児の母である。凰宮さんは十二歳の頃、どこからか「あなたはどのような状況においても、はじめて身ごもった子どもを産まなければなりません。どんな偉人も母親から生まれます。母親という役目はそれくらい大事なことなのです」という声を聞いた。少女だった凰宮さんはその声がどこから聞こえ、なぜそんなことを言われるのか、知る由もなかった。それから十数年たち、凰宮さんは懐妊した。しかし、当時凰宮さんは独身。シングルマザーになるか否かの選択を迫られた。そこで凰宮さんは十二歳の頃に聞いた声にしたがい、その子を産む決心をする。そうして産まれたのが有美ちゃんだった。

長女の有美ちゃん(現在十三歳)を身ごもっている頃、凰宮さんは夢を見たそうだ。それはある女の子が「私、晴子(仮名)だよ」と語りかけてくる夢だった。晴子とは、凰宮さんのいとこの子どもの名前だった。しかし、その子は生後わずか四ヶ月で原因もわからず死んでしまったのだ。診断で病名は乳幼児突然死症候群と名付けられた。日がたち、そんな夢のことも忘れ、無事有美ちゃんを出産した。有美ちゃんが一歳半になった頃、有美ちゃんは突然「私は晴子ちゃんだったの」と言い出したそうだ。

それから三年後、凰宮さんは二人目の子どもを身ごもる。父親は有美ちゃんとは別の人だ。そうして産まれた長男の光永君(十歳)は四歳になる頃、凰宮さんの友人英子さん(仮名)に会った。するとすぐに光永君はそわそわし、何か怒っているようだった。その日はなぜ光永君がそわそわし、怒っているように思えたのかわからなかったが、二度目に会ったとき、光永君は英子さんに対して衝撃的なことを言った。

「どうして僕を産んでくれなかったの?」

もちろん凰宮さんも英子さんも驚いた。はじめのうちは光永君が何を言っているのかもわからなかった。じっくりと話しを聞くと次のようなことを言い出した。

産まれる前、別の世界にいたとき、光永君は神様から誰の子どもになりたいかをたずねられた。そしてこの世が見えるスクリーンを見せられたそうだ。するとそこに英子さんが映った。まわりには骸骨がたくさんいて助けなければと思ったそうだ。しかし、英子さんは妊娠しなかった。光永君の表現をそのまま借りると「英子さんのおなかがいじわるした」そうだ。いつまでたっても英子さんが妊娠しないので光永君は凰宮さんをお母さんに選んだと言う。なぜなら、凰宮さんが英子さんの友達で、いつか会えることがわかっていたからだそうだ。

こうして二人の子を女手ひとつで育てていた六年前のある日、凰宮さんはまたどこからかの声を聞いた。

「あなたは十分修行を積んだ。あなたの次の仕事は多くの人たちにやすらぎを与えることだ。これからはあなたは凰宮天恵と名乗りなさい」

こうして凰宮さんはチャネラーとして、ヒーラーとしての仕事を始める。

現在凰宮さんは俳優の秋元海十さんと結婚し、ふたりのあいだに次女空海(くみ)ちゃんが産まれ、家族五人で暮らしている。

   意識のリンク

胎教教室ではよく瞑想をカリキュラムに入れている。自律訓練法という名で呼ばれることもある。瞑想を通じて心とからだのコントロールをスムーズにするのだ。それはたとえば、このようにおこなわれる。

妊婦に楽な姿勢で寝てもらう。BGMに静かな音楽をかけ、講師が瞑想状態になるよう誘導する。そして妊婦が完全にリラックスしたところで自分が胎児にもどるイメージをしたり、胎児とのコミュニケーションを取るようなイメージをする。このようなワークを通じて赤ちゃんの顔が思い浮かんだり、赤ちゃんとコミュニケーションを取ったりすることができる人も現れる。そこでおこなわれるコミュニケーションが本当におなかのなかにいる胎児とのものなのかどうか、はっきり言って私にはわからない。ただ、その体験を通じて妊婦が心理的に落ちつき、出産への期待感を持ったり、自信をつけたりするのは事実だ。

瞑想が胎教においてどのような効果を上げるかというと、そのポイントはいくつかある。まずひとつは妊婦のストレスの軽減である。妊婦のストレスはホルモンなどに影響を与え、確実に胎児にも伝わる。ストレスが軽減すれば体調も良くなるので、妊婦にかかる負担は軽くなる。

また、瞑想をすると、自分の思考が整理されるようになる。妊婦にとって、特にはじめて懐妊する妊婦にとって妊娠という状態は、それだけで不安感や恐怖心を持たざるを得ないことがある。そのような人が瞑想をすることによって根拠のない不安や恐怖感を拭い去ることができるのだ。

瞑想を続け、何も考えないでいる状態を作れるようになった人は、次の段階として自分の意のままのイメージを持つことができる。軽くつぶったまぶたの裏に自分が見たい景色を見るのだ。これに慣れるとそのイメージに合わせて自分の身体も反応するようになる。自分が快感を感じるようなイメージのなかにいるとき、その身体反応は胎児にも伝わるだろう。

さらに瞑想を続けるとトランスパーソナル的体験をすることがある。自分が知るはずのないことを知ったり、遠くの情景が思い浮かんだり。母親がこの状態になったとき、もしかすると胎児とのコミュニケーションができるのかもしれない。この状態を変性意識状態という。

イルカの研究で有名なジョン・C・リリー博士は脳への刺激を完全に断つと、脳は休眠状態になるのか、それとも勝手に働くものなのかを研究するためにアイソレーション・タンクを発明した。アイソレーション・タンクとは、人が一人入れる大きなタンクに、体温と同じ温度の水をいれ、呼吸がしやすいように空気を供給するマスクを設置し、そのなかに人が入り、一切の音や光を遮断するものだ。からだは水に浮き、水が体温と同じであるため、触覚さえも遮断されるのである。そのタンクに人が入ると、脳にはほとんど刺激が伝わらなくなる。その状態になるとタンクに入っている人は、実際には感じていないはずの様々な体験をし始める。聞こえるはずのない声が聞こえたり、見えないはずの映像が見えたり。この実験によってリリー博士は脳が自律的に働くことを知るのだが、自律的に働いた結果知ることがあまりにも不思議なことなので、その顛末を何冊かの本にまとめている。そのときの意識状態が恐らく変性意識状態だと思われる。リリー博士はタンクのなかや実生活のなかでたびたび変性意識状態になり、自分の知るはずのない情報を得た。しかも、その情報は現実にリンクし、しばしば現実と変性意識状態での体験を混同してしまうほどだったという。

胎児が子宮内にいるときの状態はアイソレーション・タンクのなかとほとんど同じだ。もし胎児が意識を持っているとしたら、その意識は変性意識状態に近いものにならざるを得ないだろう。その状態で母親の意識とのリンクがおこなわれるのではないだろうか。

  胎児の変性意識状態

胎児が変性意識状態にあるかもしれないことは、子どもの証言から聞くことができる。

二歳から五歳までの子どもたちがしばしば誕生前後の記憶を話すことは有名である。出産のときに誰が立ち会っていたか、医師や産婆さんが何を話したか、どんな出産状況だったかを正確に詳しく話す子どもが実際にいる。そんな子どものなかに、お母さんのおなかのなかにいたときのことをあたかも映像を見ていたかのごとく話す子がいる。そういう子はどうしてそれがわかるのかと聞くと、たいていテレビのように見える窓があったというようなことを答えるのだ。これは恐らく変性意識状態によるものだと思われる。

胎教や幼児教育をおこなっている七田チャイルドアカデミーでは、三歳から五歳のあいだに、この変性意識状態を忘れないためのカリキュラムを組んでいる。七田チャイルド・アカデミーでは、それを「右脳を開く」と表現している。右脳を開くためにおこなわれるのは、瞑想や直感力のトレーニングだ。多くの子どもたちはそのカリキュラムをとても喜んでやる。その結果、未来を予知したり、隠されたカードに何が描かれているかを当てたり、たった一度パラパラとめくった本をほとんど覚えたりする能力を身につける子どももいる。

「そんな子がいたら恐いな」と思う人がいるかもしれない。そんな人は二つの意味で安心して欲しい。つまり、親がそのような能力に恐怖心を抱くとき、子どもはそのような能力を持つことはまずない。そして、七田チャイルドアカデミーでそのような能力を持つ子は、みんな優しい子なのだ。

  右脳が開くとなぜ優しい子になるのか

右脳を開くためにはまず、右脳を開く当の本人が自分には個性があり、生きるに値する人間であることを実感することが必要だ。そしていったん右脳を開くと、他人にはできないことを自分がやることに喜びを持つ。そしてその喜びは他人より自分が優秀であるからという喜びよりも、自分が他人の役に立つということへの喜びだ。自分が他人の役に立つことを喜んでいる子は、他人に対してとても優しくなる。

また、右脳を開く子はいつでもリラックスしている。つまり「あるがままの自分」でいることに価値を持っているのだ。無理に頑張るのではなく、自分が成長していく過程を楽しむ余裕があるのだ。

右脳を開くと様々なことをイメージし始める。他人の立場もよく理解する。話している相手の気持ちになってものを考えることが当たり前になるのだ。

  胎教は母親教育

子どもが右脳を開くためには、親がそのことを許していないとならない。七田チャイルドアカデミーでは、まず母親が右脳を開いて生きるセンスを身につけるようサポートしている。そしてそのセンスを身につけるための第一段階が胎教なのだ。胎教は胎児のためでもあるが、それにもまして母親のための教育でもあるのだ。

現代社会ではストレスが充満していることは誰でもが感じている。そのストレスはいったいどこから来るのだろう。様々な要因が考えられるが、ここでは所有への執着、競争の原理について考えよう。胎教をすることによって、このふたつのストレスから自由になる可能性がある。

私たちは資本主義社会に生きている。所有を当たり前のことと考えている。都会の真ん中でまわりを見渡せば、すべてのものが誰かのものになっている。そしてそのことが普通のこととしか思えない。そのくらい人は所有という概念に突き動かされているのだ。多くのものを所有すればするほど良いことだと教え込まれている。自己紹介をするのでも、自分が何を持っているのかによって自己紹介をする人がいる。所有することがただ単に悪いことだとは思わない。しかし、それが拡張されて、無駄な執着を生み出すことがある。

『いいお産、みつけた』という本のなかで、吉村病院院長の吉村正先生は次のように述べている。

シンポジウムで母子同室の話が出たが、不思議なことに私の病院でも、完全母子同室制にしたら、来る人が減ってしまった。本能のままお産をすれば、赤ちゃんがかわいくて仕方がなくなり、産んですぐ手元に置きたくなるはずだ。それは「お乳の出がよくなるから」とか「産後の肥立ちがいいから」という理屈ではなく、「そばに置いておかなきゃいられない」という衝動。「そばに置いておくのが、気持ちいい」という、感覚的なものだ。

しかし、今の人はそれを嫌う。「赤ちゃんがそばにいるのは大変だから嫌だ」「休めないのは損だ」という、楽で便利で安全をよしとする、科学主義の能率志向が身体に染み付いてしまっている。

これは恐ろしいことだ。なぜなら「本能がダメになっている」証拠であり、「楽することが幸せ」という考えは、生命のポテンシャルの破壊につながるからだ。人間は何かをすることで、目的に向かって動くことで命が燃える。それが「生きる」ということなのだ。(農山漁村文化協会刊、 「いいお産みつけた」編集委員会編)

「赤ちゃんがそばにいるのは大変だから嫌だ」「休めないのは損だ」と考えてしまうような無駄な執着を、胎教の際に手放すことができる。胎教の際にはおなかの赤ちゃんとの“きずな”を作る。“きずな”を作るということは胎児との共感のコミュニケーションを生みだそうとすることだ。このとき損得勘定、つまり所有への執着を持ったままでは共感のコミュニケーションは生まれない。ただただおなかの胎児に対して聞き耳を立てるしかないのだ。このとき「この子は私にとって得か否か」を考える訳にはいかない。母親は一方的に与える愛情を体験する。そして競争原理からも自由になっていく。おなかにいる子をなんとかして教育しようと考えているあいだは妊婦にとって胎児はストレスになる。しかし、胎児と共に楽しみながら育っていこうと考える母親は、結果としてストレスを手放すことになる。そこには競争原理の入り込む隙はない。

こうして母親は胎教を通して教育されるのだ。こうして母親が学ぶものは、新しい時代に必要とされるであろうパラダイムと一致しているようだ。

  心の能動性

なぜ胎教をすると所有への執着や競争原理から離れることになるのか、もう少し詳しく考えてみよう。

私たちは常に外部からの情報によって選択を迫られ、与えられた選択肢のなかからもっとも適当と思われる道を選んでいる。その選択肢は常に時代に影響され、その時々の常識やモラルの範疇から選ばれることになる。日本以外の多くの国に住む人々にとっては宗教と道徳に照らして、自分の行動を決めるということになるだろう。日本では、他国では宗教にあたるものが稀薄になっている。その結果、当たり前のこととして資本主義的考え方によって行動の規範を作っている。つまり「自分の利益になるか否か」、これが規範だ。しかし、親が自分の利益ばかり考えていては、子どもを育てることができない。親のために子どもを育てようとすると、その子はストレスを抱えることになる。

このような資本主義的考え方によって生まれてくるのは、条件付きの愛情だ。少し前までは結婚相手や恋人に望まれる条件として「三高」という言葉がよく使われていた。「収入」「学歴」「身長」これらがすべて高い人を「三高」と呼んだ。これは明らかに条件付きの愛情である。

条件付きの愛情しか得ることができないと、人は大きなストレスを抱える。常に自分が与えられた条件をクリアできないと愛されることがないからだ。戦後の学歴社会は図らずも、条件付きの愛情を子どもに押しつけることとなった。良い成績を取らないとほめられない。戦前はたとえ学歴社会でも、日本には宗教があった。しかし、戦後の学歴社会には宗教が不在である。戦後五十年がたち、条件付きの愛情しか体験できない人もいるだろう。そんな社会のなかで、人によっては、胎教がはじめての無条件の愛情を与える機会となるのだ。

では、無条件の愛情とはどんなものなのだろう。

成熟した無条件の愛は、自らの全体性と個性を保ったままの結合だ。愛は、人間のなかにある能動的な力なのだ。この「能動的」は内面の能動性を表している。たとえば、不安や孤独感にさいなまれて働き続ける人や、欲から仕事に没頭する人ははた目には活動的でいかにも「能動的」と感じられるが、実際にその内面は不安や欲に支配され、極めて「受動的」だ。一方、瞑想している人は外見的には何もしていないので「受動的」に思われるが、内面的には極めて能動的なのである。瞑想は内面的な自由と独立がなければ成り立たない。

私たちが何かを選ぶとき、たいていそれを選ぶ理由がある。たとえば、「ワインとウィスキーとどちらを選びますか」と問われれば、「食前だからワインにしよう」とか「じっくりと酔いたいからウィスキーにしよう」とか理由がある。しかし内面的に能動的であるためには理由があってはならない。もし理由があっての選択ならば、それは理由という条件が選択を強制しているのだ。つまり私の内面が能動的に選んだのではなく、条件によって受動的に選ばされている。欲から仕事に没頭する人は働いてもお金がもらえないとしたら働かない。または働かなくてもお金がもらえるなら働かない。だから受動的なのだ。本当の瞑想をする人は欲のためでも、健康のためでも、修行のためでもなく、ただ瞑想するために瞑想する。

愛は能動的な活動だ。見返りや儲け、快楽を理由とする受動的な感情ではない。「堕ちる」ものではなく、「踏み込む」もの。「与えられること」ではなく、「与えること」なのだ。

人は他人を愛するとき、自分の命を与える。それは他人のために自分の命を犠牲にするということではなく、自分のなかに息づいているものを与えるのだ。たとえば、喜び、興味、知識、ユーモア、悲しみなど自分の内側にあるあらゆる表現を与える。このように他人に生命を与えることによって人は他人を豊かにし、自分の生きているという実感を強く感じる。自分自身の生命感を高めるとも言える。また、そうすることによって他人の生命感をも高める。もらうために与えるのではなく、与えること自体が嬉しいから与えるのだ。そうやって与えたことによって他人のなかに新たな喜びやら、興味やら、知識やら、ユーモアなどの新たな生命が生まれ、それが自分にはね返ってくる。こうして互いに共鳴し合えることに喜びを感じ、互いの存在と、互いが作り上げた新たな生命に感謝するのだ。つまり無条件の愛とは、愛を生み出す力である。

無条件の愛を与えられた体験がある人にとって無条件の愛情を与えることは、多少の冒険を伴うが、さほど難しいことではない。しかし、その体験がない者にとっては、無条件の愛情を与えることは覚悟が必要だ。無条件に与えた愛は返ってこないこともある。自分の利益だけを中心に考えてきた人にとって、返ってこない愛情は与えるに値しない。ここに自らのパラダイムの変更を迫られる。「無条件の愛を与える人になるか」「自分の利益を中心に、条件付きの愛情だけを与え続けるか」。

無条件の愛情を与える人は、自分が与えた愛情が他人の心に愛情を生み出すことに確信のある人だ。そして他人の心に芽生えた愛情自体が自分にとっての価値であり、そこからの見返りを期待しない。

無条件の愛情には、心の能動性が不可欠だ。理由があっての行動ではない。「自らが決めたことだからそうする」という志が愛情の核にある。このようにして母親が無条件の愛情を与えることを始め、所有への執着を手放すことによって、胎教はさらに深いレベルのものとなる。

   私が産む

胎教を通してチャネリングのように胎児とのコミュニケーションを取る人には、大きく分けて三つの選択肢がある。まずひとつは「聞こえてきた心のささやきにしたがう」。ひとつは「心のささやきにはしたがわない」。そしてもうひとつは「話の内容によって折り合いをつける」です。いろいろな意見があるでしょうが、私はどの選択でも良いと考えている。ただし、その選択をした母親が、自分の責任でそれを選んだことを十分自覚する必要がある。逆に言えば、どの選択をしても、母親がその選択を「させられた」と感じている場合には問題が生まれる可能性が高い。

たとえば、この文章の冒頭に書いた小野ジュリアさんが、海で出産することをおなかの赤ちゃんに「させられた」と思っていたら、その出産は素晴らしいものにはならなかったのではないだろうか。また、たとえ小野さんが海での出産を選ばなかったとしても、安全に出産するために小野さん自身が下した決断なら、それはそれで素晴らしい出産となったであろう。ここにも妊婦の心の能動性が必要なのだ。

次号で詳しく書く予定だが、一般的な西洋産科術には問題があると指摘されている。赤ちゃんにとって自然分娩の方が良いという意見が良く聞かれる。しかし、母親が自分の責任で、一般的な西洋産科術を選ぶのなら、それはそれで尊い出産体験ができるだろう。

胎児は自分の意志で生まれてくる。そして産むのは母親だ。母親が胎児の意思にすべてを委ねていてはならない。また、胎児の意思を無視するべきでもない。どこでバランスを取るかは母親の裁量だ。このとき、瞑想と同じ、愛情と同じ、心の能動性が生まれる。それは誰でもない「私が」産むという母親の覚悟だ。その覚悟が胎児への無条件の愛情にもつながっている。

かつてソニーの社長を務め、幼児開発協会の理事長をしていた故・井深 大氏は著書「胎児から」(徳間書店刊)で、このようなことを書いている。

「胎児はまぎれもなく母親の考えていること、感じていることを察知します。母親が嬉しければ胎児も嬉しいように、母親が苦しい時には、胎児もその苦しみを共有します。しかし、どれほどのつらい状況にあろうと、母親のわが子に対する愛情が深ければ、胎児は決して致命的な不安や恐慌に陥ることなく、その状況を耐えしのんで行くことができる。母親の愛情を楯として、外部のストレスから身を守ることができるのです。

だがそれはむろん、本物の愛情でなければなりません」

  

next

胎児の不思議

tsunabuchi.com