胎児の不思議

ごま書房刊ムック「精神世界」の第一号から第五号(1998.11〜1999.4)に連載。

             

胎児の不思議
    出産と精神世界2

まだ幼い子どもにさえ、明るい子や暗い子がいるのは、誕生の記憶のためだという。生まれたばかりの赤ちゃんが、生まれる前後の記憶を持ち続け、大人になるとその記憶をもとにして自らの人生や生活の態度を無意識に決めてしまう。「胎内記憶」の著者つなぶちようじの連載第二弾。

    生まれた記憶

生まれたばかりの赤ちゃんが、もし記憶を持っていたとしたらどうなるだろう? 私たちの多くは、一歳未満の子どもに対しては、その子が何もわかっていないという前提の上で接する。しかし、もし赤ちゃんが記憶を持ち続けるのだとしたら、赤ちゃんの目の前での行動は、その赤ちゃんへの影響を考え、大人に対する態度同様、思慮を持って臨むべきかもしれない。これは何も「いないいないばぁー」や幼児語の使用を禁止しろと言っている訳ではない。では、何が大切なのか。「赤ちゃんは常にコミュニケーションを受け取っている」という前提に立つことが大切なのだ。拙著「胎内記憶」で、共著者の七田 眞先生は以下のようなことを書かれている。

母親がイメージを使って胎児とコミュニケーションを取ると、どんな良いことが起こるのでしょう。それについて東京都東村山市在住の福島真代さんはこんな話をしてくれました。

「うちはふたり娘がいるんですけど、上の子は普通に出産し、普通に育てました。ですから胎教といっても良い音楽を聴くとか、自分が気持ちよくしているとか、その程度のことしかしなかったんですね。だけど、下の子が生まれるときに七田先生のことを知り、七田チャイルドアカデミーでしっかりと胎教とはどんなことなのかを教わりながら妊娠期間を過ごしたんです。すると下の子が三、四歳になって、上の子との違いがはっきりしてきたんですね。上の子は生まれてしばらくして喘息になってしまい、内気であまり人と積極的には話さない子なんですが、下の子は上の子と正反対で、健康で誰とでも仲良くなってしまうんです。

ある日、ふたりにリラックスしてもらって七田チャイルドアカデミーでするように胎児のころのイメージを持ってもらったんです。すると下の子はものすごく喜んでいろんなことを言うんです。ところが上の子は怖がって、イメージすることを嫌がるんです。下の子は、ママのおなかのなかにはパソコンの画面があって外のことが見えたんだよ。だからおなかにいたときからパパとママの顔は知っていたんだ。ときどき光の友達が遊びに来てくれたんで、とっても楽しかったよ、なんて言うんです。するとその話を聞いていた上の子が、急に恨み言を言い始めたんです。私がおなかにいたときは、真っ暗で冷たくてひとりぼっちで早く生まれたかった。ときどきお化けのように怖い声が聞こえたけど、きっとママの声だったんだ。やっと生まれてよかったと思っていたら、私はどこかに連れていかれてしまった。ママには一日だったかもしれないけれど、私には一ヶ月にも二ヶ月にも感じられた、と」

福島さんは上のお子さんの恨み言を聞き、心からそのことを謝りました。ただ謝るのではなく、イメージのなかで生まれたころに戻り、その状態で謝るのです。するとそれから喘息が治りはじめ、いまではほとんど完治したそうです。

この話によれば、福島さんのお子さんたちは胎児のころからの記憶を持ち続けている。そして、その記憶がその子の性格形成に大きな影響を与えていることがわかる。上の子の恨み言のなかに「ママには一日だったかもしれないけれど、私には一ヶ月にも二ヶ月にも感じられた」いう部分があるが、これは出産後に上の子が新生児室に隔離されたことを言っているらしい。下の子の出産に際しては、七田チャイルドアカデミーで指導された通り、生まれたら必要な処置が終わり次第赤ちゃんと一緒にいたそうだ。病院の先生からは新生児室に入れるように言われたが、福島さんがどうしても一緒にいたいとお願いして、同じベッドで寝起きしたそうだ。

このように、生まれたときの記憶が、その子に影響を与えていると考えられる例はたくさんある。だからこそ、赤ちゃんがコミュニケーションを受け取っていると考えることが大切なのだ。

ところが、一般的な西洋産科術は、赤ちゃんがコミュニケーションは取らないし、記憶もないという立場から出産をおこなうため、問題があると指摘されるようになってきた。

   暴力なき出産

私たちの多くは、出産の際に赤ちゃんが大きな声で泣くのが当たり前だと思わされている。赤ちゃんが泣かないと、健康に問題があるのではないかと心配する。しかし、それは嘘だと言う人が現れた。フランスの産婦人科医フレデリック・ルボワイエだ。ルボワイエ博士は一般的な西洋産科術に疑問を抱き、インドに渡り、インドの産科術を学んで帰った。その後、インドでの体験をもとに「暴力なき出産」という本を著す。

「暴力なき出産」では、新生児に対してどのような暴力がおこなわれるのかをあばいている。そしてその結果、赤ちゃんは泣き叫ばざるを得ないことを訴える。

胎内から出てくると、まず強力な光にさらされる。いままでずっと母親のおなかのなかの暗がりにいたのに、急に目もくらむライトの下にさらされるのだ。この体験で赤ちゃんは目を開けることを怖がるようになる。生まれるとすぐ、へその緒を切られる。赤ちゃんの都合などない。肺にはまだ羊水が残っているかもしれない。自然にしていれば赤ちゃんはしばらくして自分で呼吸をはじめる。ところが、その準備が整わないうちにへその緒が切られ、無理矢理呼吸をさせられるのだ。うまく呼吸ができないと、背中を叩かれたり、逆さに吊される。そして体重を計るのに、冷たい金属トレイの上に置かれる。いままでずっとあたたかい羊水のなかにいたのに、出てきた途端にそんなところへ置かれるのだ。泣かずにいられるだろうか。

インドでの出産は、すべてが赤ちゃん中心に考えられた出産なのだそうだ。出産の際は暗がりの中で。出産前後には妊婦は静寂のなかに置かれる。出産も自然の流れにまかせる。そのようにして生まれる子どもは、すぐに目を開き、笑う。西洋産科術で生まれた子どもは生まれてすぐに目を開くことはなく、笑うには何週間かかかるそうだ。驚くことにかつて欧米では生後二ヶ月以内に笑う子どもは乳児微笑症候群といって、病気扱いされたそうだ。

   ベルギーの水中出産

一九九六年、ベルギーのオステンドという港町にある総合病院を私は訪ねた。そこにある水中出産の施設を見学するためだ。

その病院ではまず、普通の西洋産科術で産むか、水中出産で産むかを選ぶことができる。多くの女性が水中出産を選ぶが、水中出産に不安を持つ人や、水に恐怖心を抱くような人に無理に勧めることはしない。妊婦が水中出産を選ぶと、ワッツと呼ばれるプログラムに参加するよう勧められる。ワッツとは、water shiatsuの略だ。夫婦でプールに入り、夫が施術者となり、妊婦を水のなかでリラックスさせる方法である。ワッツをおこなうことにより、妊婦は水の中でどのようにしてリラックスするかを学ぶ。もちろん夫とのきずなを強くすることにもなる。

出産時には水中出産室に入る。そこには広さが夫婦ふたりで入るのにちょうど良いプールがある。深さは中心部がほぼ二メートル、そこから階段状にプールサイドへと深さが変化している。そこに夫婦で入り、ワッツをおこなう。妊婦は水に入ると陣痛が軽くなる。そこで出産直前までふたりで過ごす。普通の出産なら陣痛が来る度に妊婦は汗をかき、緊張していなければならないが、このプールでワッツをすることにより、妊婦はあまり緊張せずに出産のときを迎える。

出産の際にはそのプールからあがり、出産用のバスタブへと移る。出産用バスタブは透明な樹脂でできている。透明なため、出産の様子がたいへんよく見える。照明は赤ちゃんがまぶしくない程度に落とす。出産用のバスタブには体温より二、三度ぬるい生理食塩水がはられる。バスタブの水が生理食塩水であるため、出産を急ぐ必要がなくなる。水中出産というと、多くの人が赤ちゃんが窒息するのではないかと心配するが、実際には赤ちゃんが窒息するということはまずない。出産時の赤ちゃんの窒息は、空気が吸えなくなるということが問題のように一般的には思われているが、実際に問題なのは、出産中にへその緒が機能しなくなることが問題なのだ。空気中にへその緒が出ると、その瞬間から乾燥が始まり、ある程度乾燥するとへその緒に血液が流れなくなる。すると赤ちゃんは栄養や酸素が得られず窒息する。だから、へその緒が機能を失わなければ窒息は起こらない。生理食塩水中での出産はへその緒が乾くことがなく、時間をかけて出産をおこなうことができるのだ。だから逆子の出産も水中出産でおこなうことによって安全におこなわれる。水中に生まれでた赤ちゃんは、その時点で目を開き、場合によっては笑っていることもある。へその緒さえしっかりしていれば、赤ちゃんはしばらく水中で遊んでいることもできる。母親がそっと抱きしめて水から出すと、そのときはじめて赤ちゃんは肺での呼吸をはじめる。呼吸がしっかりできるようになってから、へその緒を切る。こうすると赤ちゃんはほとんど泣かずに産まれてくる。なかにはニコニコとしながら産まれてくる赤ちゃんもいる。

こうして産まれてきた赤ちゃんは、その後の育て方にももちろん影響されるが、往々にして明るく元気な子に育つと言われている。

   記憶の底にあるもの

このように産まれてきた赤ちゃんが明るく元気に育つことに関しての科学的根拠はグロフの説にある。心理学者のグロフ博士はかつてLSDの投与が禁じられる以前にLSDを使用しての臨床データを集めた。LSDが投与されたあと、酩酊状態となり、サイケデリック体験を味わうが、そののちに多くの人々が様々な文明の神話的モチーフとなるような体験をすることに気がつく。その体験を何千例と集め、そこから引き出された結論は、それらの体験の多くが出産時の体験と強く結びついているということだった。そしてその体験がどのようなものかを分類することによって、その人の心理状態と出産体験との関係性を論理づけたのである。

この論理によると、もし赤ちゃんが産まれたのちに完璧な西洋医学的医療措置、つまり麻酔をかけられ、産まれてすぐにへその緒を切られ、呼吸をさせるために背中を叩かれるなどの措置を受けたとすると、「自分に力があることを自覚しつつも、その力の行使から生まれる結果を恐れ」る結果、サド・マゾ的傾向を持ったり、「暴力的自殺」をしようとしたりする可能性があるという。もちろん生まれたあとの生活環境からも影響を受けるため、一概には言えないこともあるだろう。しかし、出産体験が人の心理状態に影響を与える傾向があるというのは認めざるを得ない。

人は誰でも意識していない記憶の底に、その人独自の誕生の記憶を秘めている。その記憶を土台に多くの事柄を解釈するのだ。

  

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