胎児の不思議

ごま書房刊ムック「精神世界」の第一号から第五号(1998.11〜1999.4)に連載。

             

胎児の不思議
     出産と精神世界3

妊婦は水につかると陣痛が軽くなったり、リラックスしたりするという。それはなぜか。生命の記憶をひもとく。

    最高のリラックスは胎児の格好

前回、ベルギーでの取材で出会ったワッツの話をしたが、そのワッツを日本でも体験することができる。日本でのワッツの普及に努めるアクアダイナミックス研究所所長、今野 純氏にお話を聞いた。

今野氏によれば、ワッツは妊婦だけのために作られたものではない。ワッツは一九七0年頃から研究が始まり、一九八0年、アメリカ・カリフォルニアのハービン・ホット・スプリング指圧マッサージ学校で本格的に教えられるようになった。ワッツの生みの親はハロルド・ダール氏。現在はワッツの世界的普及と向上を目指すための非営利団体、世界アクアボディーワーク協会(Worldwide Aquatic Bodywork Association. 通称WABA)を設立し、代表を勤める。

ハロルド・ダール氏は一九七0年頃サンフランシスコの東洋生体矯正技術専門学校で指圧を習い、水の中で指圧をしたら気持ちいいのではないかと思いついた。ところがただ水の中で指圧をしてもほとんど効果がない。浮力の効いた水のなかでは人体におけるツボも変化するのではないかと考え、まったく新しいメソッドを考えた。それがワッツだ。ワッツでは受ける側が水の中で完全にその身体を施術者に預け、リラックスする。施術者は受ける側の呼吸や体位に気をつけながら、水での浮遊感覚と水流の抵抗を利用してリラクセーションへと導く。ワッツのエクササイズには様々なパターンがあるが、そのなかにアコーディオンと呼ばれるパターンがある。施術者が受け手の首の下と膝の下を腕で持ち上げ、身体を伸ばしたり縮めたりするのだ。受け手は施術者のなすがままに伸ばされ、縮む。これを呼吸と共にゆっくりと繰り返していると受け手は筋肉の緊張がほぐれ、身体が柔らかくなっていく。そして本当にリラックスしたとき、身体は驚くほど小さくまとまるようになる。このときの格好はまさに胎児の格好である。

このようにリラックスして筋肉が弛緩したとき、人によっては記憶のフラッシュバックが起こるという。もっとも多いのは子どもの頃の記憶がよみがえるということ。そして人によっては胎児の頃の記憶をよみがえらせる人もいるという。

去年の暮れ、今野氏は一本の電話を受け取った。それはアメリカでワッツを体験したというメキシコの女性からの電話だった。彼女は何度かワッツを受けるうちになぜか涙を流して泣くようになったという。悲しいわけでも嬉しいわけでもないのに、ただとめどなく涙が流れるそうだ。日本に仕事の関係上長期滞在することになったので、どうしてもワッツを日本でも受け続けたいとWABAに相談し今野氏に電話してきたのだ。彼女も体感的に出産のときの記憶をよみがえらせたのかもしれない。

    BEのきずな

前項ではワッツをする人とされる人をわかりやすく施術者と受け手という風に区別して書いた。しかし、ワッツでは、そのような区別をせず、互いにパートナーであるという考え方をする。つまりどちらかが他方に一方的にワッツをする(doing)のではなく、共にワッツをしあう状態にいる(being)と考えることが大切だとしている。ワッツの最中はする側が常に相手の状態を気遣うことになる。その気遣う状態は相手と自分を区別して気遣うのではなく、相手そのものに自分がなってその感覚を感じるのだと言う。その感覚を持つことによってはじめてされる側は完全なリラクセーションを得られるようになる。このようなエクササイズを交代してやりあうことにより、二人のあいだには言葉にはできないきずなができるという。

ハービン・ホット・スプリングにあるワッツの施設には、こんな標語が掲げられている。

「離婚を考えはじめたら、夫婦共々一週間ハービンで過ごしなさい」

実際に離婚を考えていたカップルが何組もワッツをすることによって夫婦のきずなを強め、結婚生活を続けるようになったそうだ。

夫婦のきずなと胎児とのきずな、これらはどこか似ているところがあるのではないだろうか。

    生命の記憶

蜘蛛は誰にも教わらずに蜘蛛の巣を作る。鳥は親が飛ぶのを見ただけで、空を飛ぶことを学ぶ。これらの技能は遺伝子に組み込まれた情報によって伝えられていると考えられる。何世代にもわたり確実に伝えられる先祖伝来の記憶である。人間にもそのような記憶がある。意識はしないが身体が覚えている記憶だ。

私たちは立って歩く。当たり前すぎるこの動作も、実は何世代にもわたる身体が覚えている記憶があるために可能になっているのではないだろうか。人間は無意識のうちに絶妙なバランスを保ちながら歩いている。もちろん赤ちゃんの頃に立つために何度も転び、歩くことを学んでいることは確かである。しかし、結局最後に立ち上がるためにはそこになにかしらの世代を越えた記憶が関与していることを否定はできないのではないだろうか。このような意識されることはないが確実に身体に刻み込まれた記憶を生命記憶と呼ぼう。セックスも確実に生命記憶のひとつと言って良いだろう。男性なら覚えているだろう、はじめてオナニーをした時のことを。そのことについての知識を持っていなくても、何かのきっかけで快感を覚え、してしまう。知識や理性という顕在意識は関与しないが、快感という名の身体に刻み込まれた記憶が呼び覚まされた結果だとは言えないだろうか。

夫婦のきずなもセックスに限らず生命記憶に支えられている部分があるのではないだろうか。そして胎児とのきずなはまさに生命記憶との関係で現れてくると言えるのではないだろうか。そしてその生命記憶のひとつに水が大きく関与しているのではないだろうか。

    五感と記憶

調香師の知人からある香料をわたされ、その匂いは何かあてろと言われたことがある。香料の香りをかぐと私はすぐに幼い頃の食卓の風景を思い浮かべた。父が父の友人を招き母の手料理をふるまっている。私は父の膝の上に座っていた。そしてその食卓のうえのキュウリとワカメの酢の物が思い浮かんだ。その香料はキュウリの香料だったのだ。キュウリの匂いをかいだらキュウリが思い浮かぶはずである。しかし私は幼い頃のその匂いをかいだ情景を先に思い出したのだ。記憶の不思議さを私は思った。

記憶はふとしたきっかけでよみがえる。味からも触覚からも音からも。五感のどの感覚からでも記憶はよみがえる。では、水につかる感覚から私たちはどんな記憶をよみがえらせるであろう。筋肉を弛緩させ胎児の格好になり、水に浮かんだとき、胎内での感覚を私たちはよみがえらせるのではないだろうか。その感覚は具体的に顕在意識で思い出されることはなくとも、快感とか、感激とか、なにかしらの心の動きとして感じられるかもしれない。

ここから先に書くことは私の推測である。妊婦が体温に近い水のなかに入るとき、妊婦は感覚として胎児の記憶をよみがえらせているのではないだろうか。それは顕在意識で判別できるものではない、身体感覚というべきものだ。胎児とともにいることを想像し、水につかることによって「胎児のためになにかする(doing)」のではなく、「胎児とともにいる(being)」感覚を持つのではないだろうか。そしてその感覚が胎内にいた頃の自分の感覚をよみがえらせ心穏やかになるのではないだろうか。その感覚は生命記憶と同じく、理性で判別できるものとは違う感覚なのではないだろうか。

母親は多くの場合安全に子どもを産むためにいろいろと悩み続けストレスを抱える。つまり一方的に出産に対しての不安や葛藤を抱える。そこには胎児とのコミュニケーションはない。しかし、最近の胎児教室では胎児とのコミュニケーションをするためのメソッドが多く提示される。おなかを叩いたり、瞑想をして胎児とのコミュニケーションをイメージしたり。そうすることによって母親はただひとりで悩み続けるというストレスを手放す。これらのメソッドは顕在意識上のものだ。しかし、水のなかに入り胎児の感覚をよみがえらせるのは身体感覚でのことである。私たちが意識せずに呼吸をしているように、または意識せずに脈を打ち、意識せずに消化しているように、水の感覚が胎内での圧倒的な安心感を思い出させているのではないだろうか。

さらにもうひとつの推測をつけ加える。

アクアダイナミックス研究所が編集した「ワッツ・水中でのリラクゼーション」には、リラクゼーションについてこのように書かれている。

「(リラクゼーションとは何かというと)ワッツでは自分の心身の解放感を他人に分け与えることだ。つまり、ワッツをおこなう側の人がリラックスしていれば、受ける側の人もリラックスする。その逆に受ける側の人が心身の解放感を抱くと、おこなう側の人も解放感が増す。相互に自分の解放感を分け与えることが真のリラクゼーションなのである」

水に入ることによって母親は胎児の状態に近くなり、単に記憶をよみがえらせるだけではなく、胎児とのリラクセーションの交感もしているのではないだろうか。

  

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