物語りのミレニアム(1)

気負ってイントロダクション

(文中リンクあり)


一九九○年一月十日、僕は上野・広小路
の「本牧亭」という空間にいた。量敷きの
広々としたその場所について、僕は何も知
らなかった。ただ分かっていることは、目
の前に二百人を超える人間が押しかけてい
ること、彼らがここに未て求めているものが
「講談」という演芸だということだった。

 当時残るただひとつの講談の定席。普段
からこんなに大入りが続いているなら灯も
消えはしなかったろう。何十年の歴史の幕
を開じるという報道を聞いて、ヤジ馬的興
味でやって来たのは自分ばかりでもあるま
い。そんなことを思いながら、地方出身の
二十代の男として、ほとんど初めて目のあ
たりにする講談というものを眺めていた。
 
そこに登場した物語たちは、落語ほど笑
いの場面に重きをおかれず、といって浪曲
のような音楽的補助もなく、頻出する固有
名詞のため時に知的な整理を必要とした。
歴史の知識がもっとあればなあ、地名も知ら
ないのが多いなあ…。演者の語りの洗練度
とテンションの高さに驚きつつ、無心に拍手
する周囲の観客との間には垣根を感じた。

 やがて神田紅という講談師が高座にあが
った。あ、この人はなんかで見たことある。
女の講談師ってけっこういるようだな…。
演目は…「桃太郎」? ンなの講談になる
のかいな…?作は芥川龍之介?ほォ……。

 そして、衝撃だった。話は天地創造の太
古に始まり、人知れぬ神秘の桃の木から生
まれた桃太郎は、平和に暮らす鬼の国の侵
略者となり、お供の犬たちは鬼の子供を虐
殺し、猿は鬼娘を強姦し、宝物を略奪して
揚々と国に凱旋する。その中で歌われる耳
慣れたあの歌「桃太郎さん、桃太郎さん、
お腰につけた…」背筋にゾッときた。これは、
何だ、と思った。よく知っているはずのも
のがまったく知らないものに変わってしま
う。何気なく乗ったエレベーターがボタン
を押すと横に動きだした、そんな感じだ。
頭がクラクラした。それはかつて、一度も
感じたことのないような衝撃だった。

 だが、僕は信じなかった。これは講談と
いうものの力ではない、芥川の力か、さも
なくば演者の調子がたまたま良かったのだ。
偶然の産物だ。何故かそう思いたかった。

続いて長髪の講談師が出てきた。「寛永三
馬術」これは古典のようだ。江戸時代の馬
の名人が、愛宕山円福寺の長い長い石段を、
馬に乗って駆け登り、降りる。それだけの
話なのだ。何人かが落馬して命を落とした
あと、主人公の曲垣平九郎が人馬一体とな
って登頂に挑む。皆が失敗した七合目に来
て、馬は疲労で立往生。急な坂のこと、身
動きとれずまさに生命の危機、ところが平
九郎悠々と遥か眼下の風景に目をやった「左
に見ゆるは安房上総……沖のあたりに真帆
片帆、はて麗らかな眺めじゃなア」。変だ、
さっきまでと違う。周囲の垣根がない。た
だ息をのんで次の言葉を待っている。何故。

そうだ、さっきの経験で、僕は物語りに心
を開いてしまったのだ。途端、今日聞いた
物語のすべてが心の中に像を結んだ。

 もうすでにそこは本牧亭ではなかった。

その時、確かに、僕は海を見下ろしていた。





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