AI着色は昭和時代の夢を見るか(その13)


PhotoshopのAIカラー化のニューロフィルターのプラグインの鉄道写真への利用を実験するこのシリーズも1年以上続いてしまいました。ということで、前回からはちょっと趣を変えた新機軸にしています。今回はモノクロネガをスキャンしたデータのフォルダの中でも、フィルムの最後のコマが1コマだけ残っちゃったヤツを集めたものが一つあったので、これをカラー化してみることにしました。今までのは、基本的に撮影日・撮影場所が揃っていたのでそれなりに似た感じにまとまりましたが、今回はあまりカラー化が向いてなさそうなカットも含めて処理してみました。果たしてどうなることでしょうか。



まず最初は、日豊本線のおなじみの撮影地である川南-高鍋間の小丸川橋梁を渡る、宮崎機関区C6124号機の牽引する下り旅客列車。このカット自体はこのコーナーでは初出ですが、同じ列車を望遠ズームを装着したサブカメラで捉えたカットは、<無意味に望遠 その8 -1971年12月16日->の中で発表しています。元のカットはシャッターむらが激しかったので、レタッチ補正で修正してからカラー化していますが、その分全体の粒子が粗くなってしまいました。全体の感じはハイキーですが悪くありません。気になるところといえば、左側画面の水面を随分濁った色に仕上げてきたのと、テンダーまでぶどう色2号に塗ってしまったところでしょうか。機関車のエンジン部分が東北の黒になっているのは偶然かもしれませんが金星ですね。1971年12月16日の撮影です。


次いては田野-青井岳間の清武川橋梁の前後、俗にいう「田野の築堤」の上り寄りで撮影したC57牽引の上り貨物列車。牽引機は宮崎機関区のC57117号機。お召し牽引機に指定されて人気を呼ぶ2年前の姿。撮影は前のカットと同じ撮影旅行の、1971年12月17日です。このカットの2コマ前のカットは、<AI着色は昭和時代の夢を見るか(その8)>の中でカラー化したものを発表しています。これは冬の景色ですが、すっかり青く芽吹かせて春の景色になってしまいました。ここは春になると肥料として田んぼに漉き込むレンゲ草が一面に咲き誇るのでこうはなりませんが、これはこれで絵になってはいます。しかし「藁鳰」にまで草を生やしたのはいただけません。よく見るとコンテナにうっすら緑が載っています。かなり彩度を落としているのですが、AI君「もしかして」な時は低彩度で色を載せてくるので、「コンテナ=緑」という心当たりはあるのかもしれません。


次いても同じ日の田野-青井岳間の「田野の築堤」で、丁度清武川橋梁を渡っているC57牽引の下り貨物列車です。牽引機は宮崎機関区のC5789号機。転属後も関西ガマの特徴を残しているので、アップでなくても比定が簡単です。このカットのひとつ前のコマは、先程のカットと同じく<AI着色は昭和時代の夢を見るか(その8)>の中でカラー化したものを発表しています。比較してみるとかなり近いことは確かですが、こちらの方が初冬っぽい感じが出てますね。列車の雰囲気はほぼ一緒です。この間にバージョンアップがされているようなので、その効果が季節感の違いになっているのでしょう。逆に比較することで共通点としてAdobeのAI君の「手癖」みたいなものも見えてくるのが面白いすね。


今度は趣を変えてアップの形式写真で。人吉駅の側線に控える、人吉機関区の8620形式38633号機。かなりクセの強いカマです。キャブの裾を長いまま切詰めずに空制化したのは小倉工場の持ちのカマにしばしば見られますし、キャブ裾の点検穴やキャブの吊り輪、そしてパイプ煙突にも小倉工場の特徴が出ています。そのワリにD51のように先端を欠き取ったデフは、バイパス弁点検穴がないことも含めて、九州では珍しいタイプです。他地区から移動したカマの発生品を付けたのでしょうか。このカットの自身のモノクロ版は、<南の庫から 人吉機関区 -`71年4月6日・12月19日・20日->の中で発表しています。カラー版の方がカラー化の際に全体の彩度・明度を自動調整してくれるので、細部までよくわかる描写になっています。1971年12月19日の撮影です。


これはモノクロだとほとんど潰れてしまい、何が何だかよくわからないカット。ところがこれまでに経験してきたように、AdobeのAI君は雨とか霧とかモヤった描写にはめっぽう強い。ということでこれはなかなか良い出来です。出区前の鹿児島機関区のC5772号機と人吉機関区の重装備D511058号機の向こう側で、吉松機関区のC56(他のカットから156号機と判明)が入換にいそしんでいます。吉都線から山線経由で熊本・博多方面に向かう貨物は多かったのですが、吉都線と山線の定数の違いから(約半分)吉松のヤードでは常に切り分けと組成が行われていました。駅前旅館の吉松荘に泊まると、夜を通して入換作業をしている音が聞こえてきたのもなつかしいです。これについては、使えないカットを映える絵にしたAI君の功績ですね。未発表のカットです。


今は水害で流出し、運休が続いている川線でのカット。45.5kmのキロポストがありますから、ここは渡駅ですね。洪水の被害が大きかったエリアの一つです。ぼくの乗った上りの旅客列車が、C57130号機の牽引する下り貨物列車と交換します。このカットの自身のモノクロ版は、<線路端で見かけた変なモノ その6 ホームでお駄賃(南九州編)1971年4月・12月>の中で発表しています。雑誌にも一度出しましたが、写真だけ頼まれたので何の記事だか忘れてしまいました。130号機の記事だったかな。これもまた、手堅くカラー化してくるタイプの構図。線路脇の草が、いかにもウッドランドシーニックスのターフを撒いたような感じになるのも、すっかりおなじみですね。もっとも川線自体、川沿いの狭い土地にジオラマみたいに走っているのが魅力なんですが。


これは続いていると言えば続いているのですが、同じ1971年冬の山陰ツアーでのカット。そのツアーの最後のカットでもあるのですが、播但線姫路口での撮影です。福崎-溝口間でしょうか。九州や北海道の各線とは違って、播但線はこの時1回しか行っていませんので、あまり記憶がはっきりしません。豊岡機関区のC57113号機が牽引する貨物列車。下りでしょうかね。遠方信号機がアクセントですが、さすがにこれには色を付けてくれません。まあ、何かに使う時には人力で色を入れればいいわけですから。全体としてはほどほどのバランスで悪くないです。見返りの写真はつまらなくなりがちですが、色がついているとそこそこ味わいが出てきます。成功と言っていいんじゃないですか。このカットも未発表です。



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