AI着色は昭和時代の夢を見るか(その15)
PhotoshopのAIカラー化のニューロフィルターのプラグインの鉄道写真への利用を実験するこのシリーズ。今回はAI君のあまり得意ではなさそうなカットも含めてカラー化に挑みます。取り上げたのは最初の北海道撮影旅行の中から室蘭本線栗山-栗丘間に撮影に行った1972年7月16日に撮影したカット。モノクロ版は<雨の栗山(その1) -1972年7月16日->の中で掲載しています。そういえば、先月は「記憶の中の鉄道風景」のインデックスを更新するのを忘れてしまいました。遅ればせながらお詫びを申し上げます。
まずは、雨の苫小牧駅に停車中の下り貨物列車。牽引機は岩見沢第一機関区のD5113号機。駅構内にしてはバラストに草を生やせ過ぎなのはさておき、ワリと風情は出てます。琺瑯製の駅名標に紺色を入れてきたのは結構優秀。昭和の日本の風景を勉強してますね。ウェザリングもほどほどで、けっこう北海道のカマらしい感じに仕上がっています。13号機は川崎重工のファーストロットでの新製配備から北海道一筋、それもほぼ岩見沢で生涯を過ごした主のようなカマ。ある意味、苗穂工場持ちのD51一次型の特徴を全部備えている感じですね。ところで岩見沢第一機関区は、車体はそれほど磨かないものの、LP405の縁取りのリングは磨くんですね。これは所属を見分けるポイントになったりして。。
栗山に向かう列車内から、すれ違う上り貨物列車を撮影します。牽引機は岩見沢第一機関区のD51737号機。長らく東北地方で活躍し、蒸機最末期まで現役だったカマです。このカットはトリミングが若干異なりますが、モノクロ版を<雨の栗山(その1) -1972年7月16日->で公開しています。その時に撮影地は遠浅-早来間と比定しました。貨物輸送の幹線らしく、木製枕木に犬釘ですが50sレールではないでしょうか。未電化複線にして重厚な感じです。カラー化は全体に夏の北海道らしい色合いを出してきていて好感が持てます。なかなかリアルですね。窓廻りが見える客車の側面も、お得意のぶどう色2号に仕上げてきました。しかし、このカマはLP405の縁取りを磨いていませんね。やはり生え抜きの13号機は愛されていたのでしょうか。
追分駅に進入するところで、入換中の9600形式を撮影します。車窓からだとちょうどいい感じに引上線を狙えます。機関車は追分機関区の19671号機。入換専用らしく、北海道の9600形式としては珍しくデフ無しで、テンダー全体がトラ塗りになっています。しかしこのトラ模様、ちょっと黄色みが入っているような。例によって彩度を低くして様子を伺っているような感じではありますが、明らかに色は入れてますね。警戒色は黄色と黒のゼブラというのを学習しているのでしょう。北海道の9600に限らず、工事現場とかいろいろなところで使われていますからね。次のワフ121000には黄帯が入っているようにもみえますが、これは目の錯覚か、それとも色刺しをしているのだろうか、ナゾですな。
追分駅では、岩見沢第一機関区のC57149号機が牽引する上り旅客列車とすれ違います。まあここは複線区間ですので交換ではないのですが、蒸機牽引の旅客列車同士の出会いというのはまだ蒸気機関車が主力だったこの時代の北海道ならではです。149号機は蒸機終焉より一足早く1974年5月に廃車になりましたが、その際にテンダーがC57135号機と振替えられたため、テンダーのみ現在でも保存されていることになります。余談ですが、この時の135号機は本来の1次型の12-17C形テンダーでした。しかし追分駅のテルハは、完全に剥き出しだったんですね。冬とかどうしたんだろう。まあ、豪雪地帯ではないのでなんとかなったのかな。
さて、その乗っていた下り列車の牽引機のテンダーを貫通路越しに撮影しました。機関車は岩見沢第一機関区のC57144号機。最末期まで活躍していたカマです。このカットのモノクロ版は<男の背中 -ドラフトと煙の香りの思い出・その2->の中で公開しています。これはカラー化がかなり難しいんじゃないかなとも思ったのですが、トイレのニス塗りの扉や、ベージュ色のデッキ内塗装など、ワリといい感じに仕上げてきています。ナンバープレートはなんだか赤ナンバーっぽくなってますが、AI君は赤ナンバーが好きみたいで、時々やってくれます。しかし、このLP403.ちょっと斜めについてるなあ。まあ北海道らしい大らかさでいいんだけど。
このカットからは栗山-栗丘間での撮影です。2カットともモノクロ版をほぼ同じトリミングで<雨の栗山(その1) -1972年7月16日->に掲載してあります。最初に撮影したのは、岩見沢第一機関区のD51332号機が牽引する上りの貨物列車。草の生えた法面、バックの林などはAI君の得意なところで、なるほど手堅くまとめています。バラストの雑草はちょっと生やし過ぎなのでは。前よりも、バラストに草を生やすようになった感じだなあ。この時代は結構手入れが行き届いていたので、幹線ではほとんど草は生えてなかったですね。まあ今では山手線でも草ボウボウのところがあるのですが。キロポストも色を付けなかったという以上に「カラー写真の白黒」感が出てますね。
今回最後のカットは、国道をオーバークロスする立体交差に続く築堤で、上り線と下り線とが分かれてトンネルに向かう部分での撮影です。下り線をやってきたのは、鷲別機関区のD511098号機の牽引する下り貨物列車。モノクロでも鷲別機関区のカマの汚さはよくわかるのですが、それに輪を掛けて汚れ感を強めたカラー化です。けっこうらしい感じは出ています。副灯を磨かないのは結構北海道では見かけますが、主灯も汚れまくりというのは鷲別機関区ならではです。ここでもバラストにかなり草を生やしてきています。最近の写真で学習させているのでしょうか。明らかに前と表現が変わっています。草地にもミニネイチャーのように白い花を咲かせているのがわかりますが、これも学習効果でしょうか。
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