黄昏の青森駅 -1970年5月20日-


このところ、九州の撮影旅行時のネタが続いていましたので、ちょっと趣きをかえて、原点に戻っての企画。蒸気機関車がまだ活躍を続けていた、夕闇迫る1970年の青森駅頭のシーンです。青森駅の無煙化は、奥羽本線、構内入換とも1971年9月末ですから、一年以上先。まだまだ、蒸気機関車にも活気が感じられました。これは、2007年の4月に本企画で取り上げた「花巻電鉄鉄道線 花巻温泉駅 -1970年5月19日-」と同様、中学校の修学旅行の途中での撮影です。花巻が初日なら、青森は最終日。夕方から夜にかけて、旅館から抜け出し、鉄仲間と駅での撮影をくりひろげた次第。カメラは、花巻のときにも触れたように、ハーフ判のキャノンデミ。これで、露出計作動外のEV値のところで、バルブ撮影までやってるんで、画質と露出の悪さは、どうかご了承ください。



まずは、構内入れ替え中の9600形式、青森機関区の9665号機。回転火粉止やLP405前照灯といった、東北らしい装備に加え、切り欠きテンダー、動力逆転機、ランボード端にある誘導係用の握り棒など、青森の入換機独特の装備が特徴的です。また、前進・後退を繰り返す入換機にあわせて、第2動輪前と、第3動輪後と、砂撒き管の位置が変更されているのも見逃せません。この時は、全検後まださほどたっていないのか、全体に塗装のツヤがかなり残っています。この写真ではあまりよく見えませんが、9665号機のナンバープレートは、5桁サイズに4桁の数字をはめ込んだような感じで、左右の余白が妙に広いのが特徴です。


続いて、夕日を浴びながらドレーンを切る、49637号機。4と9の間が妙に開いているのは、北海道のカマによく見られるのですが、このカマは東北生え抜き。郡山工場か土崎工場でも、こういうプレートを作ってたんですね。ところで、青森といえば本州の果て。青森市自体が、青函連絡の交通の要衝として作られた街です。それに対し、函館は幕末から栄えた、北海道の玄関口であり、観光都市。青森を出るときには、なんともクラい雰囲気の青函連絡船が、函館につくときには、妙に明るい雰囲気に包まれるというのは、この時代の両都市のおかれた状況の反映でしょうか。そういえば、青森を代表する「津軽海峡冬景色」は、メロディーもマイナーなら、歌詞も暗い。函館を代表する「函館の女」は、メロディーも(演歌には珍しく)メジャーなら、歌詞もどこかぶっ飛んでる。まさに、このあたりが、昭和40年代の両都市のイメージなのでしょう。


だいぶ、夕闇が迫ってきました。青森駅4番線では、D51重連の牽引する奥羽本線の旅客列車も、発車準備が整ったようです。先頭は青森機関区のD51729号機、次位は弘前機関区のD51336号機(別のカットから判別)。夕方の通勤通学列車で定数が多いのか、鶴ヶ坂-大釈迦間のサミットにそなえて、青森駅から、336号機が本務機で、729号機が前補機という布陣で挑みます。さて若いヒトは、前照灯をよく見てください。主灯のLP403は煌々と灯っていますが、副灯のLP405は消えています。主灯が点くときは主灯のみ、主灯が切れたら副灯を点灯、というのが、正しい副灯の使いかたです。両方点くということは、規則上ありえません。しかし、副灯が点灯している状態を見たことあるかた、いらっしゃいますか?冬の北海道とかだと、あるかもしれないとは思うのですが、ぼくは写真でも見たことがないのですが。


もうすっかり、夜の帳がおりました。とはいっても、ずっと撮影していたわけではなく、一度旅館に戻って夕食を食べ、その後再び撮影に外出した次第。跨線橋から見た、青函連絡船の桟橋風景です。機関車は、番号が読みにくいのですが、なんとか読み取ると、青森機関区の39663号機と思われます。青森機関区には39664号機もいて、ほぼ全く同じ仕様になっているので、なかなか判別しがたいところではありますが、最後の数字が丸っこいので。その後、蒸気機関車が消え、青函連絡船が消え、本州対北海道の輸送に占める鉄道のシェアも、驚くほど小さくなってしまいました。しかし、かつては、北海道のライフラインを、この入換の9600形式がしっかりと支えていた時代もあるのです。


最後は、奥羽本線の旅客列車を牽引する、青森機関区のC6128号機。このカマは、その後宮崎に転属し、日豊本線で活躍します。のちに南国で再会するのですが、この時には、まさか北のハドソンが、九州で復活するとは思っていもいませんでした。これも、全く勘だけでのバルブ撮りです。なんせ中学3年ですから、このぐらいの露出でも許してやってください。でも、最初から好きだったんですね。バルブ撮り。このあと、夏の初撮影旅行でもやりまくってますし。これが、二年後にはブローニーのカラーポジでやっちゃったりするようになるんですから、70年代のガキは恐ろしい(って、他人事のよう)。もちろん、その時には入射式で光量測定し、適正露出を出していますが。ホームは3カット目と同じく4番線ですが、こっちは新築した増設部分なので、幹線の駅らしい雰囲気にあふれています。もうすぐ、新幹線の開通とともに、ローカル駅になってしまう青森駅。いずれにしろ、蒸気機関車の活気にあふれていた、遠い日の思い出です。



(c)2008 FUJII Yoshihiko


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