「あそこ」での一日(その2) -1972年7月14日-


前にも後にも一日だけ。その一日で「わんこ蕎麦」よろしく、もうこれ以上同じ味じゃ食べたくないという位の満腹感を味わってしまった、「あそこ」の立体交差こと植苗-沼ノ端間のオーバークロスのところ。その全記録を追うこのシリーズ、第二回に入ります。第一回は多分、ここについて1時間経ったか経たないかぐらい。これで一日分引っ張るつもりですから、一体何回行くのでしょうか。我ながらやって見なけりゃわかりません。途中からは、こういう写真を撮ろうと意図を持って作画するというより、来ちゃったから撮ってる状態でしたら、何を撮ったか覚えてないんですよね。こんなコマがあったのかよいうような発見も、いろいろあるかと思います。ということで、第二回スタート。



まずは岩見沢第一機関区のD5111号機が牽引する、下りの車扱い貨物列車。この列車を望遠ズームを装着したサブカメラで撮影したカットを<無意味に望遠 その1 -1972年7月14日->で公開しています。その時にも書いていますが、チップを積むトラ90000、中小炭鉱からの出炭を積むトラ45000などの無蓋車、冷蔵車など、北海道特有の産物を輸送する貨車の返空が目立ちます。東北筋からしてそうだったのですが、当時の対首都圏の貨物輸送は、一方的に嵩や重量ベースでは圧倒的に上りの貨物が多く、下りには一次産品用の貨車の返空が目立ちました。下りの荷は工業製品とかが多かったので、実車なのは、有蓋車かすでに「北たから」とかで使われていたコンテナが中心でした。


近付いてきたところで牽引機のD5111のアップを押さえます。おなじみの保線小屋の前。蒸機最後の2年間は、この保線小屋のところは毎日撮影者が群れていましたが、このときはまだ画面に同業者の姿はありません。もちろん、このエリアでピーク時に20人ぐらいはいるのですが、エリアが広いこともあり、小屋の陰になるところとかから撮影するなど、充分互いに写らないように気を遣って撮影することが可能でした。しかし7月とはいえ、北海道の原野はけっこう草がまばらですね。ジオラマでこんな風なのを作ると「リアルでない」と文句を言われそうですが、かなり地面も露出しています。北海道で育った松川さんの地面作りはやっぱり北海道風だということがよくわかります。


続いてやってきたのは、苗穂機関区のC58425号機の牽引する、上りの車扱貨物列車です。千歳線の上り線をオーバークロスするガーダーを抜けたところで撮影したこの一コマ次のカットは、<線路端で見かけた変なモノ その5 -1/1のジオラマ「あそこの立体交差」 1972年7月->で公開しています。この当時の苗穂のカマは、波動対応や臨時列車用に予備的に使われることが多く、この時期は夏季ダイヤへの移行期にあたるため、札幌を中心とした道央地区ではかなりイレギュラーな運用も見られました。これも、基本的には定期の運用ではないと思われます。ガーダー橋をフレーム的に扱って構図を作っていますが、次のカットよりこっちのカットの方がカマの汚さも目立たず、写真としてはいいですね。


同列車を見返りで撮影したカット。最後尾の車掌車が、北海道名物のワフ121000だったのでおもわず撮影したのでしょう。妻板まで廻り込んでいる「道外禁止」の黄帯が、最後尾で哀愁をそそります。この貨物はちょうど先程の返空と対になる感じで、チップを積み込んだトラ90000、石炭を積んだトラ45000などが連なっています。冷蔵車も数輌見えますが、車扱ということを考えると、どこか日本海沿岸の小さな漁港で水揚げした魚介類を満載しているのでしょう。それより、乙線規格の路盤の薄さや線路のうねりの方が気になってしまいます。これはまだ人件費が安かったころの名残で、金をかけて立派なインフラを作るより、安いインフラに整備の人手をかけて維持した方が安かったということなのでしょう。


今度は岩見沢第一機関区のD51872号機の牽引する、上りの車扱貨物列車。この列車も千歳線のガーダーと交錯する瞬間に撮影した一コマ次のカットを、<線路端で見かけた変なモノ その5 -1/1のジオラマ「あそこの立体交差」 1972年7月->で公開しています。872号機は新製後九州・中国地方で活躍した後、戦後かなり早い時期に北海道入りし、五稜郭・長万部・岩見沢と函館本線沿いの第一線で活躍し続けてきたカマです。かなり末期まで生き残っていたので、撮影された方も多いかと思います。朝から撮影旬に時間軸に沿って並べていますので、段々陽が高くなりトップライトに近くなってきているのがわかると思います。


夏のトップライトになってきたのでほぼ同じような位置からでも、振り返るようにして上下線とも狙えます。しかし、南向きに走る上り列車がもっとも光線的には有利です。続けて上り列車なので、少し南に下がって狙いました。滝川機関区のD51561号機の牽引する、上り貨物列車。この列車は、サブカメラで撮影した望遠でのカットを<無意味に望遠 その1 -1972年7月14日->で公開しています。些細なことですが、良く見てください。LP405の灯具の正面のリングは、元来クロムメッキされていますが、北海道では塗装されているカマがおおいのです。空気作用管を磨かないのもそうですが、模型を作る人は覚えておいたほうが良いでしょう。


いよいよC57型式の牽引する旅客列車がやってきました。岩見沢第一機関区のC57135号機が牽引する下り旅客列車。これも一コマ次のカットを、<線路端で見かけた変なモノ その5 -1/1のジオラマ「あそこの立体交差」 1972年7月->で公開しています。またサブカメラで撮影した望遠のカットも、<無意味に望遠 その2 -1972年7月14日->で公開しています。135号機も、この時はまだ踏段改造・テンダ振替前。岩見沢のC57の中では決して人気の高いカマではなく、その後栄光の運命を担うことになろうとは、想像もできませんでした。こういう時期に行っているので、北海道のC57は踏段改造前の方が親しみがあったりします。


同列車の見返りシーン。普通車4輌にマニ60の5輌編成というのは、模型にしても扱いやすくていい感じですね。栗山-栗丘間にサミットがあるといっても、ほぼ平坦線の岩見沢-室蘭間では晩年のC57とにとってもかなり楽な運用で、とにかくアホみたいなスピードを出して爆走するので有名でした。キロポスト目視で速度を測ってみましたが、ほぼ100q/h出してたこともあります。ただオハ61のTR11でこの速度は、まるでロデオで乗り心地がありませんでした。あそこの立体交差というと、千歳線も狙えるのでオーバークロスより南側が有名でしたが、北側もけっこう絵になります。というか、北側の方がより大陸的で、ぼくは好きでしたが。




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