Tokyo In and Out '92

(その6)


その6.はやりモノには毒がある

23.ブームにするな、ブームに乗るな
ヒット商品というと、話題性でブームにし、売り上げの瞬間風速を狙うものと考えているヒトもいる。たしかに、こういう「神風効果」に色気を感じないといえばウソだろう。しかしこういうやりかたは、けっきょく商品の寿命を縮めてしまい、長い目でみれば期待できたはずの売り上げを、みすみす逃しただけという結果におわってしまうコトになりがちだ。
また、ブームを呼んでいる商品があると、それに便乗して商売したい誘惑も多い。まだいけるだろう、もうちょっとカセげるだろう。送り手のほうはそう期待を込めて思いがちなのだ。しかし、ブームになってから参入したのではもう遅い。話題になった時点では、儲けたヒトは儲け終っているのだ。
ブームとは「麻薬」のようなものである。そのときはいい気がしているが、長い目でみればけっきょくはなんのプラスにもならない。逆にブームになったら商品生命は終りなので、なるべくブームにしないコトを考えるべきなのだ。妙に話題になりつつあったら、水をかける。入念なコントロールが必要だ。
しかし、これを逆手にとるやりかたもある。もともと商品力が弱く、売り逃げ的に攻めるしかないキワモノの商品の場合は、意識的にブームにするコトで、瞬間最大風速を狙うという手もあるのだ。

○よせてはかえす大波のごとき「ワインブーム」
この20年ぐらいの間は、何年かおきに判で押したように「ワインブーム」がやってくる。あるときは酒造メーカーのキャンペーンによって、あるときな南欧料理のブームによって、あるときはアメリカでのブームが飛火して……。もっとも最近では、「ボージョレ・ヌーボ」のブームがあった。これなどは、キャンペーンとしてだけみれば、お祭り好きで、形式から入る日本人の心をつかみ大成功だったといえるだろう。
しかし、これだけ周期的によせてはかえすワインブームがくりかえされたのだから、もうすっかりワインが定着したのではないかと思うと、そこまではいっていない。たしかにだいぶ定着してきたコトは確かだが、本来のワインの魅力である「国民酒」的なところまではいっていない。どちらかというと、まだよそゆき的なところがあるのが現状だ。
これはひとえにワインブームが毎回ハヤりすぎるからいけない。だから、ブームが過ぎるとその反動であきられてしまうのだ。国民的商品になるべきものは、売り逃げ発想ではなく、じっくり定着を狙ったほうがけっきょくは正解なのだ。

○バーチャルリアリティーも、このままじゃファジー・ニューロの二の舞
家電業界は、先端技術のブラックホールだ。家電製品の枕コトバとして、先端技術の名前が使われるようになったのはいつからだろうか。多分1970年代のマイクロエレクトロニクス革命とともに登場した「マイコン制御」以来のコトではないかと思う。
この段階ではまだ実体があった。たしかに、マイコン制御といえば、それまでハードウェアロジックで組んでいた機能が、マイクロコンピュータのプログラムにより処理されるようになっていたからだ。
その後、どんどんエスカレートして、AI、ファジー、ニューロ、1/fゆらぎ……、となってくると、それらの技術をなんらかのカタチで応用はしているのだろうが、すべてがそれによってコントロールされているわけではなく、単なるイメージ的な枕コトバになってきた。しかし、なんにもしらないヒトは、1/fゆらぎは扇風機の機能と思ってしまうし、ファジー理論は洗濯の理論だとおもってしまうではないか。家電業界の枕コトバになってしまうとあっさりどんな先端技術も陳腐化してしまう恐ろしさ。
だからこそ、家電業界も毎年のように新しい「理論」を消費してゆく。このままでは、バーチャルリアリティーも、マルチメディアも、きっといつかファジー、ニューロと同じように「消費」されてしまうのだろう。まったく、恐ろしいほどの食欲である。

○ロレックスを自慢するヤツ、さりげなくブルガリしてるヤツ
高級品にとっては、ブームがいちばん恐い。高級品は決してブームにしてはならない。ブームは高級品にとっては、致命傷になってしまうのだ。ブームになった高級品を持っていることなんて、満足感がないどころか、持主のアタマの悪さを世間にさらしているようなものになる。
本当の高級品は、あくまでも「知るヒトぞ知る」モノでなくてはいけなのだ。自慢するためではなく、自分だけが満足するためにある。こういうモノでなくてはいけない。本当の大富豪とか、本当の名家の出身者とかは、自分のことをイバらないばかりか、卑下して、その実体をみせようとしないのがふつうだ。イバってみせるのは、成金とか、成りあがりモノだけだ。なんかこれにちょっとにている。
いまさらロレックスなんてイバってみせびらかしているヒト。自分のあさはかさを天下にさらしているようなモノだ。ロレックスもこうなったら終り。いっぽう、ブルガリしてるヒトは、他人からあまりみられないようにして、こっそりしているコトがまだ多いようだ。こういうヒトが使っている間はいいのだろうが、これがイバってみせびらかすようになっては最後だ。でもその日は近いようでもある。

○日本人様様、日本でしか儲けが出ないルイヴィトン
日本は世界でも特殊な社会。だから、日本というのは全世界とは別のもの。こういう考えかたが欧米には強いようだ。海外の大物タレントは、アメリカ、ヨーロッパでは絶対にコマーシャルタレントとして登場することはない。しかし日本だけの契約なら、金儲けになるし、欧米でのイメージは崩れないし、ということでけっこう大物がボンボン契約しているのだ。
もしステイタスが崩れてもどうせ日本の中だけだからかまわない。そう割り切れるのなら、日本のCMにでる外タレのように、ボロ儲けも夢じゃない。この典型的な例が、老若男女、日本人ならみんな持ってるルイヴィトンのバッグだ。ヴィトンのバッグは欧米では高級品。だからいくら儲けたくても、量販したのでは自分で自分の首を締めることになる。しかし、日本だけなら、購買力もあるし、売りまくってもおいしいのではないか。
というコトで、日本人さまさまで売って売って売りまくった。おかげでルイヴィトンは、日本人なら赤ん坊から、爺婆まで誰だって持っている国民的ブランドになり、大儲け。利益のほとんどを日本人から上げるにいたったのだ。しかし、世の中そうはウマくいかない。日本人がヴィトンのバッグを手に世界中をかけるようになった。こうなるとヴィトン=日本人用バッグというイメージになってしまい、高級イメージは一気にダウンした。しかし、儲けの前にはそれでもいいということなのでしょうかね。

24.ブランドなんて毒にも薬にもならない
いまだに「ブランドイメージ」だけでモノが売れると思っているヒトがいる。どこのどんな商品でも本質的に同じという大量販売の時代なら、ブランドでモノが売れるコトもあったかもしれない。しかし、いまや個々の商品の個性が純粋に評価される時代だ。ブランドイメージというのは、単なる結果でしかなくなった。どんないいブランドでも、ダメな商品を出せば一発でイメージダウンするし、無名のブランドでも、いい商品を出せばたちまち有名になるのだ。消費者にとってはブランドとは関係なく、いいモノはいいし、悪いモノはわるいのだ。かつての「ブランドマーケティング」は、抜本的に見直す必要がある。その商品の魅力は、その商品にどんなマークがついているかとはまったく関係ない。
今や、「ブランドイメージ」なんてあるようでないものだ。ブランド神話を信じているのは、作り手の側だけだし、自分が自分のブランドに溺れたときからもうそのブランドは死んでいるのだ。次々と個性的な気持ちいい商品を出してゆけば、結果としてのブランドイメージはあがる。しかし、これはいわば企業のCIのようなもの。企業の顔作りやイメージ作りの上でプラスにはなっても、販売にプラスになるものではない。ここをはき違えてはいけない。
だから、ブランドにコダわるのは意味がない。ブランドとは結果としてついてくるだけだから、企業としてやるべきなのは、次々といいものを出し続けるとともに、どんどん既存のブランドイメージをから脱皮し続けるコトだ。逆に作り手側の発想がブランドに縛られるために、既存のイメージから脱皮しにくくなるようなら、ブランドなどやめてしまったほうがいいだろう。

○スカイラインの復活とブランドイメージ戦略のウソ
ブランド神話の一つに「スカイライン神話」というのがある。かつての1960年代から1970年代にかけて日本のモータースポーツでのスカイラインの活躍が、スカイラインのブランドイメージになっているというものである。しかしこれは、メーカーとモータージャーナリズムだけが、オイルショック前のモータースポーツの隆盛にたいするノスタルジアから思っているだけのものだ。ユーザの間では、もはやこんな神話などどこにもない。
ユーザにとってスポーツカーはなによりも性能である。ストレートでライバルを抜きさるパワーを持ったエンジン、ワインディングでライバルに差をつけるポテンシャルの高いシャシー。必要なのは、誰よりも速く走れる性能だ。ブランドイメージなんていくらあったって相手をかわす武器にはならない。
どれ一つとして速いクルマがなかった80年代のスカイラインでは、欲しくないのも当然だ。どんないいブランドでも、ダメな製品を出したら一発でイメージダウン。しかし、いい製品を出せば、またイメージは良くなる。その証拠に、現行モデルのGTRは、イメージの悪いスカイラインブランドだったにもかかわらず、その図抜けた性能で、圧倒的に評判がいい。なんといってもけっきょくたよれるのは商品力だけなのだ。

○横綱が8勝止まりでは……、欲張りすぎてこけたスーパーファミコン
世界的なスーパーブランドとなったものに任天堂のゲーム機「ファミリーコンピュータ」がある。ファミコンといえば、誰だって知ってるゲームの代名詞。アメリカでもNES(Nintendo Entertainment System)といえば超人気商品だ。しかし、こういう大型商品を一回手にすると、次の一手を見あやまることが多い。こんなスーパーヒットは次にはもう狙えないにもかかわらず、自分のブランド力を過信しすぎて、欲が出てしまうからだ。
実際任天堂も、ファミコンの後継機としてスーパーファミコンを出した。多くのヒトにとってファミコンは値段なども含めて、ゲーム機としては必要にして充分のもの。それより高性能の機種を出すとすれば、これはどうしてもゲームマニアがターゲットとなるだけに、市場は狭くなって当然だ。しかし、ここで欲張りすぎた。スーパーファミコンも、ファミコンなみの超大型商品を狙った商品戦略をとった。これではマニアからすると物足りないし、一般ユーザからすると高級すぎて、どっちつかずのモノになってしまった。けっきょく売行きも中途半端。本来狙っていた市場はセガのメガドライブに奪われた格好になった。コダわりすぎるとロクなことはない。けっきょくは大事なものまで失ってしまうという典型的な例である。

○もうアッシーくん、キープくんとしかいかない苗場
作り手の側は、マイナスのイメージには気づきにくい。実はちょっとでもマイナスイメージがついたら、必死にイメージチェンジを図らなくてはいけないのだが、これでタイミングを逸する。一旦マイナスイメージがついたら、転がるように落ちてゆくのはそのせいだ。定量的な指標から見るとまだウマくいってると思っていても、イメージがすっかり色あせているのだ。
この典型的な例はスキーリゾートの苗場だ。スキー場といえば、民宿か温泉宿しかなかった1970年代なら、総合リゾート施設の整った苗場は、魅力的な場所だった。しかし、その後の開発ブームで、個性的な魅力を持ったスキーリゾートが全国各地に生まれた。しかし、苗場は基本路線を変えることはなかった。
これでは最初の競争力は維持できない。かつては、恋人同志でスキーにいくといえば苗場だったのだろうが、その後世の中の男女構造も大きく変わってしまった。いまや、女のコが苗場にいく相手といえば、ちょっと前に話題になったアッシーくん、キープくんがいいところ。苗場のイメージも、そんなモノなのである。

○このフィット感がたまらない、デザイナーズブランドのパンツが売れるワケ
さて、いまでもイメージのいいブランドはある。それは、そのブランドを持った製品にキワだった個性があり、独特の魅力があるからに他ならない。静かなブームを呼んでいるデザイナーズブランドのブリーフはその典型的な例だろう。
ブランドパンツはブランドだから売れていると思うのは、一度もはいたことのないヒトだけだ。ブランドパンツはヒト味違う。プリミティブな意味で文字通りはいてて気持ちいいのだ。その理由は、立体裁断のフィット感にある。
デザイナーズブランドのブリーフは、どれもイチモツの入るところが立体的なパターンでカットされている。だからはいたときには、モノが押しつぶされたり、へんなほうを向いたりしないばかりか、激しく動いても、バッチリサポートされるのだ。
これはいままでの、下着メーカーの製品にはなかったもの。売れる理由はこれなのだ。いくら今までと同じパンツを、ブランドをつけただけで売ろうとしても売れるワケはない。売れているものにはちゃんと理由があるのだ。

○ヤングのファッショントレンドはゼンモールにあり
ブランドといえばなんといっても主流はアパレル。しかしブランドもののファッションをかうヒトというのは、ブランドにつられて買うんじゃなくて、そのデザインやその素材がほしいから買うのだ。これが、昔のブランド信仰とは違うところ。ブランドが「気持ちいい」コトはありえない。
さて、デザインやその素材がほしいならば、それと同等の個性をもっていれば、なにもブランド品でなくても売れるワケである。こうなるとやはりでてくるのが、日本の得意ワザ。そう、有名ブランドそっくりのコピースーツだ。しかし、最近のヤツは、昔のようなブランドそのものをマネするヘマはしない。デザインや素材だけウマくマネて、自分のブランドで安く出すのである。さすがに服のデザインそのものは「著作権」ではない。商標権を侵害していなければ手も足も出せない。
渋谷、原宿、下北沢にあるメンズファッション専門店「ゼンモール」。ここには一部の並行輸入品をのぞき、有名ブランドの製品はほとんどない。しかし、今やヤングのファッションを支える存在だ。ここの秘密が「コピー商品」だ。安くて、しかも個性的ないい商品がいっぱいある。この売れかたをみていれば、ブランドのもつ意味がいかに変わったかわかるであろう。

25.8割のマンネリと2割の斬新さが心地よい
消費者は、とても保守的なようにみえているときでも、まったく同じものを提供していたのでは、だんだんとあきられてしまう。逆に、イメージを一新したユニークな商品を求めているようにみえるときでも、なにからなにまで想像もしなかったような斬新なものを提供したのでは、とてもついてこれない。その商品の中で、新しい面をみせるか、今まで通りの面をみせるかは、コミュニケーション上のテクニックだとしても、商品そのものの特性としては、8割のマンネリと2割の斬新さがをあわせもっている程度のバランスがいいのだ。
いかに安定した市場がある商品でも、消費者の心は、いつでも時代とともにコロコロ変わる刺激を求めている。だから、いろいろ目先が変わってくれないと満足しない。一回つかんだユーザを離さないためには、その浮気の先を自分の都合のいい方向に転がす努力が必要だ。
そのためには、あまりに斬新でも、あまりにマンネリでもダメだ。8割のマンネリに2割の斬新さなら、新しさを求めるヒトにも、安心感を求めるヒトにも、どちらにも満足してもらえるぞ。

○「伝染るんです」はなぜウケたの
ビッグコミックスピリッツ連載の、吉田戦車作の人気4コママンガ「伝染るんです」。このマンガは、不条理とかシュールだとかよくいわれる。たしかに、登場するキャラクターにはちょっとシュールなものもあるが、マンガのストーリー自体は、けっして不条理でもなんでもない。不条理な4コマというなら、コミックモーニング連載の、榎本俊二作の「GOLDEN LUCKY」のほうがよほど不条理で面白い。
「伝染るんです」は、いわれているほどに既存の4コママンガのワクから大きく踏み外していない。よくよく見れば4コママンガの王道をにのっとって、きちんと起承転結を踏んでいる作品が多い。だからこそみんなが面白がって、大ヒットになったのだ。本質がわかっていないヒトからみると、表面的な目新しさだけが目立つのかもしれない。しかし、本質の部分で王道を押えていたからこそ、マスにのれたのだ。

○制作費のための苦肉の策が大ヒットをうんだトレンディードラマ
このところ、ヒットするドラマといえば、現代の東京を舞台に、限りなく生身のわたしたちに近い主人公が活躍する「トレンディードラマ」が中心になっている。いままでの、美男美女スターがフィクションの世界で演技するドラマにはあきたらなくなっていた層にも、等身大の演技がアピールしたのだ。
しかし、このトレンディードラマ、やりたくてやったのではない。いわば偶然の産物だ。地価と人件費の高騰は、ドラマの製作費を圧迫する。ちょっと前ならじっくりスタジオでとれたドラマも、ロケ中心でさっと作らざるを得ない。しかし、最近の開発ラッシュから、ロケとなると現代劇しかない。時間の制約から都心でとるとなると、おのずとビジネスマン、キャリアウーマンのストーリーになる。こうして、「予算がないからしかたない」とやっていくと、おのずと作れるのはトレンディードラマしかなかった。
しかし、実は苦肉の作だってこの身近な切り口も、作ってみると今までになかった斬新な味をもっている。そしてなにより、今の時代のテイストにあっている。こうして、ケガの巧妙から2割のユニークさが加わって、トレンディードラマはうまれたのだ。

○最高、最大のサービスビジネス、サービスの原点を忘れない人々、その名は「ヤクザ」
治安維持法いらいの人権侵害法という声もある暴力団対策法も施行され、一段と注目を集める集団「ヤクザ」。しかし、なんとかいってもかれらは基本的にサービス業。かれらを必要としているヒトがいるから、これだけ金が動くのだ。
仁義・仁侠の世界にいきるかれらは、ともすると「古いヤツらだとお思いでしょう」がそれではこんなにカセげるわけがない。いつの時代にも、みんなが必要としていても、表の世界ではやりにくい、やりたがらない仕事(マジで、キタない、コワい、クラいの3Kだ、まったく)をウマくみつけては取り入れているから、シノギがカセげるのだ。
コワモテという商売道具は一緒でも、それをどう活かすか、いつも新しい要素を時代にあわせて取り入れている。これぞ、サービス業の原点ではないか。特にバブル時代には巧みにそして見事に変身した「ヤクザ」の皆さん。ニーズがあるところをさっとカギわけるワザはさすがだ。

○アダルトオリエンテッドミュージックのお子様ランチ、マライア・キャリー
アメリカでは、70年代以降ポップミュージックがビジネスになるとともに、音楽なんて空気のような消耗品であるという風潮が強まってきた。そうでない音楽ももちろんあるのだが、主流は使い捨て音楽である。CDの普及以来、この傾向は世界的になってきた。
この時代にさっそうと登場した、「ポップミュージックなんて、どうせ消耗品なんだからと割り切った音楽」の頂点にたつのが、マライア・キャリーだ。その音楽は、いままでのアダルトオリエンテッドミュージックの数々のヒット曲からいいところをよせ集めて一丁あがり。定番ともいえる曲想、アレンジばかりなので、口当りがわるいハズがない。もちろんカノジョはテクニシャンなので、これを心地よく歌いこなしている。
しかし、よせ集めたといっても、今まであったようなコピー、盗作といった、モロ「パクり」ではない。個々の要素はおなじみのものでも、組み合せかたによってはオリジナリティーが出せるのだ。そして一抹のオリジナリティーがあったからこそ、大ヒットにつながったのだ。

26.トレンドに踊らされるな
今のトレンドはどうなっているのか、必要以上に気にするヒトが多い。しかし、それは自分に自信がないから気になるのだ。トレンドといっても、世の中の100人中100人がすべてそうなってしまうというコトなどありえない。しっかり自分の強みをもっていれば、トレンドがどうなっていても、顧客はガッチリとつかめるはずだ。
いまや、いろいろな価値観が同時に存在している時代だ。ちょっと前みたいに、猫も杓子もトレンド一色になることはない。だから、トレンドから外れても支持者がいる限り恐れることはない。それよりも、こういう「不遇」の時代にこそ、自分の個性や強みをどう磨くかを考えるのがいい。
はっきりいって、時代からは取り残されているようなイメージがあったとしても、自分の強みがきちんとあり、それを評価してくれる顧客がいるかぎり、けっして悲観することはない。トレンドに流されず、自分の持っている強みを守り通すコトのほうが、長い目で見ればずっとプラスになるのだ。

○日本市場はとてもオープンです、日本が支えたローバー・ミニ
1960年の発売以来、30年以上に渡って愛され続ける小さな名車ミニ。しかし、この長い歴史の間には、何度となく製造中止の危機があった。それを乗り越えてるカギとなったのじゃ、実は日本市場なのである。
ミニが日本で一番売れるイギリス車なのは周知の事実だ。しかし、意外と知られていないのは、ミニは世界で日本が一番大きい市場になっている特異なイギリス車ということであろう。いろいろな面でイギリスと共通点のある日本の道路事情がそうさせたコトもあるだろうが、日本でも使いやすいリッターカーで、これほど個性がはっきりしたクルマが他になかった強みは大きい。トレンドとは関係なく、ミニの魅力を認めるヒトは常にいたのである。
ローバーミニの市場は一日にしてならず。ローバー・ミニが、いまも作り続けられていることこそ、本当に個性的な商品に対しては、日本市場はけっして閉鎖的でなくオープンなものであることを示している。

○なんのことはない、単なる担当者の趣味 -なんにも見えてこない「アンテナショップ」-
トレンドといえば、「ヤングトレンドをつかむため」といって一時ブームになった、「アンテナショップ」みたいな茶番を生み出すこともある。「アンテナショップ」をつくってなにか成果があったハナシなんて、まったく聞かない。そりゃそうだ。わかるコトはアンテナショップなんてなくてもわかってるし、わからないコトはアンテナショップ作ったってわからない、これは常識だ。
なんのために「アンテナショップ」をやるかっていえば、はっきりいって担当者の趣味を満足させる以上でも以下でもない。なら、高い金かけてやることなどない。そもそもトレンドがわかったからどうするというのだ。
一時話題を呼んだ冠イベントも同じ。イベントブームってなんだったんだろう。あれで企業のイメージがあがったってハナシは聞かない。喜んだのは、芸能界のタニマチ気分が味わえた経営トップと、知合いの女のコやいきつけの飲み屋の子にチケットをばらまいて、会社の金を使っていい顔ができた担当者だけであろう。トレンドに踊らされるとロクなことはないのだ。

○「ポロ」はいつでも、良い子のユニホーム
トレンドと対極にあるもの、それは定番商品だ。だから、大きいトレンドがない時代になると、その強みが発揮される。小党乱立の中で、マジョリティーこそとれないものの第一党をとる。そんな感じである。
さて、一時はあまりの定番ぶりに見向きもされなくなったポロ・ラルフローレンのシャツだが、セゾングループが販売権を獲得し、ポロ・ラルフローレン・ジャパンを設立するとともに復活した。
ポロといえば「ポロシャツ」の定番だから、その強みは保証付き。しかし、いままではブランドマーケティング的に、これを無理に拡大して大きく当てようとしていたから、けっきょく飽きられてしまったのだ。
そこで、こんどは地道に本来の定番路線でいくことにした。この地道さが、ちょうど団塊二世を中心として起こってきた、マジメな良い子たちのカジュアル路線にフィットし、みごとに定番としての地位を復活したのだった。

○稼ぎがよけりゃなんでもやるぜ、3Kも吹き飛ばしたGAT'Nパワー
バブルの時代といえば、超求人難の時代。求人市場は超売り手市場。誰でも、スキな条件で、スキな仕事がエラべた。楽でおいしい仕事もいくらでもあった。この時代、一番ヒト集めに苦労したのが、建設関係を中心とする肉体を使う職種だ。いわゆる3K業種としてもっとも嫌われたため、外国人労働者をヤミで使うしか手のないところもあった。
ヒト集めのために、イメージアップやイメージチェンジを図るところもあったが本質ではない。これではいくらやってもヒトは集まらない。しかし、バックにあった好景気を受けて、当然のように労賃はあがってきた。すると、たしかにハードではあるが、他の仕事と比べても、短期間で大きい現金収入がある職種となってきた。
人気のある仕事は、概して稼ぎは悪い。人気がない仕事でも、「ハードだががっぽりかせげる」「銭になる」となったら、この苦労も我慢するヤツは多い。女性の志願者も出てくるようになった。稼ぎのためなら3Kも吹き飛ばすGAT'Nパワー。トレンドよりも中身というヒトは、必ずいるのだ。




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