Tokyo In and Out '92

(その5)



その5.信念と根気がヒットの原動力になる

19.勝負は長い目でみよう
ビジネスとしてみた場合には、本当のヒット商品とは、短期的な話題の盛り上りではなく、その商品が本来持っているライフサイクルを通してどれだけ売り上げたかで評価される。だから、市場戦略は短期決戦ではなく、最後に勝つ必要があるのだ。一試合一試合の勝ち負けも、無論大事なのだが、それ以上に考えなくてはいけないのが、この商品寿命が尽きるまでの長い勝負。だから、これはアタると手ごたえを感じたら、野球のペナントレースのように長丁場の勝負を考えなくてはいけない。
一攫千金の大ヒットを狙いたくなるのは人情だが、どんな大ヒットでも「一発屋」では意味がないのがビジネスの世界の常。目先の売り上げにコダわりすぎたあまり商品の寿命を縮めてしまい、せっかくの金の卵をみすみすつぶしてしまう、というコトにもなりかねない。
その商品のライフサイクルをみすえ、最適な順序と最適な価格でラインナップをそろえじっくり時間をかけて育てる。この視点があってはじめて、大きな市場をつかまえることもできるのだ。

○おどるポンポコリンを計算ずくでヒットさせたBeingの底力
「美人ジャズシンガーブーム」「ヘビーメタルブーム」など、邦楽界の「ブームの仕掛人」として業界ではしられていた長戸大幸氏率いるプロダクション、Being。国民的大ヒット絶えて久しい時代に、BBクイーンズの「おどるポンポコリン」でスーパーブームを引き起こし、一躍メジャーシーンのまん中に踊り出た。しかし、これは決して偶然ではなく、計算されつくしたブームだったところが、Beingの底力のスゴいところだ。
Beingの強みは、戦略的なタレントプロデュースにある。芸能界には、なにも考えないヒトが多い。タレントプロダクションも、ビジョンをもってタレントを育てるところは少なく、時代にあったタレントをどっかから「スカウト」してくる、「狩猟型」のタレント養成がほとんどである。いわば、それは偶然の産物。だから、資金力にモノをいわせて大量のタレントをかかえられる超大手は別として、中小のプロダクションでは、ヒットがでてもあとが続かないコトが多い。
しかし、Beingは違う。次にどういうブームを作ろうか、最初に狙うターゲットを明確にし、基本コンセプトを確立した上で、それにあったタレントを「開発」してゆくのだ。そして、メディア露出やパブリシティーなどの展開も、長期的な構想をたて、それに基づきじわじわとブームを興してゆく。だから、一発アタると、次にその二番手、三番手もちゃんと用意できるのだ。まさにヒットを作り出すマーケティングだ。
それまでは運に頼るしかなかった「ヒット」を、みずからの手で作り出すことができるという「練金術」を手にいれた強みは今後も続くだろう。

○Be-1ブームとその限界
日産復活の口火となったBe-1ブーム。たしかにそのインパクトは大きかったが、やりかたさえウマくやれば、それをもっと広げることができたはずだ。戦略的に作られてきたものでなかったことが、その可能性を摘んでしまった。
Be-1の人気は、別に「限定車」だから高まったワケではない。あのデザインそのものの持つインパクトが起こしたのだ。Be-1自体が驚くべき高い商品性を持っている。あのカタチは、量販しても充分インパクトはあったし、そうしたほうがより大きな社会現象となっていただろう。
もし、あの時点でかなり高めの値段設定としても量販できていたら、日本人の持っている「車格感」は根底から覆されることになっただろう。アレが街にあふれだしたら、日本人のクルマに対する価値観は確実に変わっていた。実際には、製作上の問題から量販が難しかったのだろうが、新しい生産技術を導入してもやるべきではなかったのか。時代を変えられたのに、そこまでの認識と体制がなく踏み切れなかったのだ。
その次に登場したPAOは、一応期間限定ながら量販車となったが、PAOの商品性はそんなに高くない。あれが街にあふれても、価値観を変えるものではなかったのがそれを示してる。だからPAOのほうこそ、限定車としたほうがよかったのだ。
生産現場の問題から、売りかたを決めてしまったところに、商品が本来持っている可能性をつぶしてしまった理由があるのだ。

○売れ過ぎて次がでなかったYAMAHA DX-7
ヤマハのディジタルシンセサイザー DX-7といえば、FM音源という、それまでのシンセサイザーとは根本的に違う革命的な技術を使い、幅広い音色で表現力豊かなプレイができるキーボードとして、ライトミュージック関連の商品としては単品では最大のヒットとなったコトでしられている。
この大ヒットのウラには、業界の常識を裏切った価格設定がある。当時、DX-7と同じようなプロ用クオリティーの機種は50万円前後が相場であった。しかしDX-7は248,000円という、アマチュア用の高級機種の価格で発売されたのだ。当然、本来のターゲットであるプロだけでなく、アマチュアや入門者までこぞって購入した。
DX-7に使われたFM音源用の技術は、もともとエレクトーンの高機能化のために開発されたものである。したがって、開発コストは高付加価値商品であるエレクトーンで回収されていたし、また技術としての完成度も高かった。このためDX-7の機能は驚くほど高度に、価格設定は驚くほど低くできたのだ。
しかし、これだけ完成度の高いものを、これだけ数多く販売してしまっては、シンセを奏くヒトはみんなDX-7を持っていることになる。かくしてFM音源を使用したシンセサイザーは、このあとまったく売れなくなってしまった。技術としての可能性は大きかったのが、マーケティングのやりかたから陳腐化してしまった。このように、最初からあんまりいいものをあんまり安く売りすぎると、数は売れるけど、けっきょくは商品生命を縮めてしまうのだ。

20.安易な妥協をせず商品企画の原点に忠実にいよう
消費者が商品に魅力を感じるポインは、色とかカタチとか機能とかいう単純な要素ではなく、それらの複雑に組み合わせにイメージ的なものも加わった、微妙なバランスの上にできあがっている。この絶妙のコンビネーションは、直感ならば創り出せるが、理屈で考えてはとても創り出せない。
だから、長い商品開発の課程で、いろいろなヒトの意見がまじってしまうと、最初に企画したときに持っていたはずの魅力がそがれて、カタチだけの商品になってしまうコトも多い。また、いろいろ欲をだして、あの商品の要素も、この商品の要素も、とやっていくうちに本来相容れない要素を詰め込む結果になり、誰からも見向きもされない商品になってしまうコトもある。
二兎をおうもの一兎を得ずといわれるように、多くを狙うとけっきょく焦点がボケてくるものだ。けっきょく、最初のひらめきを大事にして、初心に忠実に商品開発を進めることが魅力ある商品を生み出すのだ。

○日本人も「遊べる」ことを示した、ユーノス・ロードスター
ユーノス・ロードスターは、かつてのライトウェイトスポーツにカタチはよくにているが、中身はまったく違う。スポーツカーは、マニアにとっては楽しいが、ふつうのヒトにとっては楽しいクルマではない。しかしユーノス・ロードスターは、誰にとっても運転しているコトが楽しい、いわば「ジョイカー」とでもいうようなまったく新しいジャンルを創り出した。
このようなクルマが、実用的なクルマ、目的が明確なクルマしか創れないと思われていた日本からでてきたコトは、ある意味では面白い。これも最初に企画したときの遊び心の芽を摘みとることなく、製品の中に結実させたからだ。仕事だけが生きがいと思われていた日本人も、本当の遊び心を持っているコトを証明した格好だ。
実用的でないクルマを作る。のってるだけで楽しいクルマを作る。今までの日本車とは対局にあるクルマを創らなくてはならない。ちょっと前の日本車メーカーなら、へんに実用的にしたり、あまりに高性能化を狙ったりして、このクルマの持っている楽しい遊び心をだいなしにしていただろう。こういった欲を出さず、遊び心に徹したことがユーノス・ロードスターを生んだのだ。

○初心貫徹が新たな市場を開く -初代ウォークマンの成功-
今やヤングから熟年まで、世界中でなくてはならないものになったヘッドホンステレオ。この市場を切り開いたものは、1979年に登場した初代ウォークマンの、商品企画の原点を忠実に守った商品作りにある。
商品を企画した時点では、ちょうどクルマの中でのカーオーディオのように、ひとりで屋外にいるときに「音楽を楽しめる」機械として設計していった。だから、いい音で音楽が聞けるマシンが、手軽な値段と、手軽なサイズで実現するコトが目標となった。
しかし、企画が具体化しだすと社内の各部門から、「録音できなくてはテープレコーダではない」というように、いろいろな機能を求める声が聞こえてくるようになった。これらをすべて聞いていたのでは、大きく、高いマシンになってしまう。それでは新しいジャンルの商品としての特徴が薄れてしまう。
もし、ウォークマンがこんな「ふつうのテープデッキ」としてでてきたら、当時ニューヨークの黒人がやっていたように、小型のステレオラジカセをもって歩くなり、音楽業界のヒトがやっていたように「ステレオデンスケ」をヘッドホンを組み合せて持ち歩くなりするのとどこもかわらなくなってしまう。これではヒットは難しい。
あえて既存のオーディオ製品とは違う、「聞いて楽しむ」というソフト面での特色を強烈に打ち出したことがウォークマンのヒットにつながったのだ。そして、これは商品企画の原点に忠実にいたからこそできたことなのだ。

○業務と経営の分離で成功したフジテレビ
商品の中身に口をだして商品の持っていた魅力をダメにしてしまう可能性がもっとも高いのは、経営トップである。経営トップが安易に口出ししてしまうと、現場はそれを拒否しにくいので、取り入れざるをえない。この結果魅力のゆがんだ商品ができてしまうのである。
一般メーカーでもこういうコトは多いが、特にこういう問題が起こりやすいのはマスメディアだ。マスコミ関係では、新聞でもテレビでも、現場の一線で活躍していたヒトが、その後トップにまでのぼりつめることが多い。このような場合、肩書は社長でも、心の中は現場作業のことばかり考えていて、意識としては「現場のトップ」にしかすぎない。だから、経営よりも現場作業に興味があり、アレコレと現場にチョッカイを出すのだ。
天才的な能力のあるヒトならばイザ知らず、現場作業をやっている当時はそれなりのセンスがあっても、現場からはなれれば的確な判断は難しい。当然のようにマトの外れた指示ばかり、現場におろすことになる。これでは質は落ちるいっぽうである。
さて、フジテレビが危機に瀕していた昭和50年代の半ばに社長に就任した故鹿内春雄氏は、もちろん現場出身ではない。かれは経営と業務の分離を明確にした。かれは会社経営にはモノを言うが、番組の中身については権限移譲して一切現場に任せ、口出しをしなかった。
これがアタった。現場はたちまち活性化し、ヒット番組がどんどんでてくるようになった。そして、視聴率でもNo.1をとるまでになった。トップは経営に専念し、番組内容には口を出さない。この簡単でむづかしいことをまもったとき、フジテレビはレーティングで独走するようになったのだ。

21.信じるものは救われる
商品開発の担当者にもっとも必要なもの、それは信念だ。こういう商品がいい、こういう商品が欲しいんだという強い信念があればこそ、それをカタチにできるし、自分の欲していた「魅力」を商品の中に込めることもできる。だが、これは簡単なことではない。
実際に発売するまでには、多くの困難が待ち受けている。これをすべて体当りで突き破り、乗り越えてゆくのは並み大抵の苦労ではない。そこで、多くの場合途中でメゲて、安易な道を選んでしまう。これではヒットはおぼつかない。さらに、発想のところからイージーに走り「作りやすさ」からスタートした企画では、アタったためしがない。
商品企画を成功に導くためには、パッとひらめいた夢を大事にして、無理だと思ってもそれに賭けてみることが重要なのだ。このようにロマンがあれば、それを実現する熱意もわいてくものだ。

○商品作りの信念が通じたソニーハンディーカムのヒット
βとVHSのビデオ戦争に負けたソニーは、据え置き型では自らVHSを採用し、βはセミプロ用の規格としてしまうコトで決着をつけたが、カムコーダの分野では、8mmを引っ提げてVHS-Cと再び勝負にでた。
このうらには、オリジナル技術へのコダわりもあっただろうが、一番大きかったことは「小さくて高性能」という8mmビデオのもつ特色が、カムコーダの時代になり、「撮るビデオ」が重視されれば必ず評価されるとみな信じていたからだ。
初期においてこそ、販売力にモノをいわせたVHS-Cと一進一退をくりかえす競争をしていたが、やはり自分で撮るビデオでは、コンパクトさと高性能さが大きいチェックポイントになる。じわじわと8mmビデオのシェアは広がり、勝負は誰の目にもはっきりとみえてきた。
この決定打となったのが、パスポートサイズのソニーハンディーカムのヒットである。カメラ系メーカへの積極的なOEM供給など、戦術面でも成功要因はあったが、一番のヒットの理由は商品力である。「小さくて高性能」という8mmビデオの原点をそのまま基本コンセプトにして、それを具体化した商品がハンディーカムシリーズだ。まさに8mmビデオという商品への信念が、ヒットを生んだといえる。

○真のデベロッパー森ビルの生んだアークヒルズ
貸しビル大手の森ビルの森泰吉郎社長は、経営学の学者出身の異色の経営者としてしられるが、その経営理念は学問の中からでたものではなく、先祖代々虎の門の地主だったという森家の歴史の中から生まれたものだ。
大家と店子の関係は、共存共栄でなくてはいけない。店子にとって一番メリットのあるやりかたをすることが、けっきょくは長い目で見て、大家にとってもプラスになる。大家はけっして短期的な金儲けを考えてはいけない。これは、江戸時代の典型的な大家の心得でもある。
この、古いが本質をついた考えかたが大きく花開いたのが、アークヒルズである。あの一帯は都心の一等地であるにもかかわらず、交通がちょっと不便なこともあり、うらびれた住宅地のまま残っていた。森ビルは、そこを金の力だけで地上げすることなく、長い時間をかけて地権者の合意をまとめ、あのビルを建てたのだ。今でも、古くからの住民の多くが住居棟の中に住んでいるという。事業は金儲けのためでなく、世のためヒトのためにやるという信念が、長い時間をかけて都会のゴーストタウンを東京の名所にしたのだ。

○夢をカタチにするパワーが成功を招いたTDL
いまや、日本のというより、アジアの誇る世界の名所となった東京ディズニーランド。この、日本のレジャーのありかたさえ大きく変えた大事業も、ひとりの人間の夢からはじまったのだ。
まだ埋め立てもほとんど行なわれていなかった、戦後が色濃く残る昭和30年代。当時アメリカで話題になっていたディズニーランドを日本に作ろうと夢見た男がいた。もとオリエンタルランド社長の高橋政知氏である。まだ干潟で、交通手段もなかった浦安の地に、アメリカでもできたばかりで人気を集めているディズニーランドを持ってくる。この発想のスケールでかさ、とび抜けかたは、まだ飛行機も発明されていなかった19世紀に、月面探検をマジメに構想することに匹敵する。
このように、夢はとび抜けて大きかった。だからこそ、その後いろいろな紆余曲折があってもけっして負けることなく、ついには実現にまで導くことができたのだ。ロマンがいかに人間を力強くするか、東京ディズニーランドは示してくれる。

○首をきられた組合員の呪いか、なにをやってもコケる汐留跡地
東京は新橋にある、旧国鉄の汐留貨物駅跡地。この土地は、バブルがはじけた今も都心にある最後の利権といわれる。しかし、その価値が大きすぎてちょっとやそっとでは手をつけにくい。ということで、当面はイベントスペースとして使われることになった。
ここは、新橋駅から歩いて5分、銀座の端からでも5分ぐらい。地の利は最高である。スペースも充分広い。どんなイベントをやっても大成功しそうである。しかし成功したイベントは少ない。それだけでなく、大部分は大コケに終ってしまった。
この理由は簡単だ。すべて発想が、最初に土地ありきの企画なのである。「こんなイベントがここでできればいいな」という企画からの発想がほとんどないからだ。イベントは企画内容の勝負である。夢のないイベントは、決して成功しない。地の利だけではヒトは呼べないのだ。しかし、夢のない「国鉄清算事業団」では、そんなイベントを創り出すことはできず、ただ、場所があればいいという企画をひっぱってくることしかできない。これではコケるのももっともだ。

22.欲を出したら負け
人間は多かれ少なかれ欲張りである。だからそこそこのヒット商品がでると、ついこの商品にテコ入れして大型商品に育て、マスマーケットを狙って大儲けしたくなるのが人情ともいえる。もちろん、こういうようにして芽をみつけ、大ヒットに結び付けた例もたくさんある。しかし、本来マスマーケットにはふさわしくない商品だったときには、悲惨な結果に終ってしまう。どちらかというと、欲張りはこういう結果に終ることのほうがおおいのだ。
ニッチ向けの商品と、マス向けの商品は根本的に発想が違う。だから、商品の本質を見あやまり、ニッチヒット商品をマスに持ち込んでも失敗が待っているだけだ。そのために多額の宣伝費や販促費を使ってしまったら、目も当てられない。
3-3の同点で迎えた9回ウラ、1アウトランナー3塁なら、チームが勝つためには、バッターはホームランを狙わなくとも、手堅くヒットなり、外野フライを狙って確実に点をカセぐべきだ。ニッチ商品も同じ。勝負のためにはなにがプラスか考えて行動すべきだ。

○日本酒を変えた吟醸酒のヒット
日本酒のイメージを変えた吟醸酒ブーム。その軽い口当りとフルーティーな香りは、いままでの日本酒とはまったく違う、上品な醸造酒のものだ。もともと、日本酒の品評会のために、特別な製法で限定生産していたため、関係者以外はほとんど飲むことができなかった幻の酒だ。
これに目をつけた、吟醸酒専門の飲み屋が何軒か登場して以来十数年、いまではすっかり「吟醸酒」名前もポピュラーなものとなった。
こういう場合、広がってゆく過程で量産に走るとともに質が低下し、けっきょく商品寿命を縮めてしまうことが多いなかで、吟醸酒は珍しくウマくいった。これは吟醸酒が簡単には量産できないものだったため、そもそも欲を出そうにも出せなかったコトが幸いしたのだ。

○欲を出したら負け、ホンダの地盤沈下の理由
このところホンダにかつての勢いがない。それなりのクルマは作っているのだが、イマイチ個性がなくパンチにかけているのだ。この地盤沈下の原因は、ホンダがアメリカで「メジャー入り」してしまったコトにある。
ホンダの魅力といえば、ニッチな商品企画による個性的な魅力である。これが独特の「ホンダ党」にとってこたえられない味だった。しかし、ホンダはアメリカでクライスラーを抜きビッグ3の一角を占めるまでになってしまった。こうなると、ますます上を狙いたくなる。大きく高級なクルマに欲がでて、つまらない車種を連発した。商品企画がだんだんと「体制的」になってしまったのである。
これでは、自分で自分の魅力をつぶしているだけだ。欲にくらんで身を滅ぼす。個性あるものはマスを狙ったときから魅力ないものになる。売り上げの魔力の前にこの原則を忘れたものは地獄が待っているのだ。

○あこがれのイメージもバブルとともにはじけたフェラーリ
かつてフェラーリといえば、スーパーカー世代ならずとも、名前を聞くだけであこがれたスポーツカーの名車中の名車である。日本ではなかなか見ることもできず、たまに街を走っているのを見かければ、たちまち視線が集まるほどであった。
しかし、あのバブルの時代。かつては高根の花だったフェラーリも東京の土地の価格に比べればたいしたものじゃない。ということで、その手の「バブル紳士」にとっては手軽な買い物になってしまった。札束に目がくらむのは、洋の東西を問わず同じ。さしものフェラーリも、この上客の前には欲がでたのか、大量に日本に向けて輸出をはじめた。
おかげで六本木などは、交差点ごとにフェラーリがとめてある始末。こうなればイメージが落ちるのは速い。あこがれのフェラーリも、土地成金のバカ息子のトレードマークになってしまったのだ。
なかなか見かけない、なかなか手にはいらないからこそその価値があるものは、いくら売れるからといって売りまくったら終りなのだ。

○無理にゴールデンを狙わず有終の美を飾った、カノッサの屈辱
テレビの24時間放送が始まって以来、いくつものマニアックなヒット番組が生まれた。その中でも、伝説的な人気を誇ったものに「カノッサの屈辱」がある。いろいろなブームや風俗を、歴史のパロディーとして面白おかしくみせるこの番組は、深夜番組史上に残るヒット番組だ。この伝説は、今でも語り継がれている。カノッサの屈辱が、いまだにカルト的なヒット番組として評されるのは、無理にゴールデン進出を狙わず、深夜番組のままで美しくおわったからだ。
深夜番組のヒットから、ゴールデンに進出してヒットしたモノも多い。もともゴールデン向きの新企画を、実験的に深夜ワクでかけたというモノはイザしらず、本質的に「深夜向け企画」の場合は、陽のアタるところへでてくるときに換骨奪胎され、もともと持っていた毒気とか、キッチュさとか、マニアウケしていた部分はすっかり消毒されてしまう。
これでは、せっかくのヒット番組の思い出も無惨なものになってしまう。とても伝説など残るわけがない。「カノッサの屈辱」は、深夜だからヒットしたのであって、けっしてメジャー狙いの企画ではない。さすがにフジテレビはこのへんがウマい。こうして神話だけが語りつがれてゆく。初恋のヒトは思い出の中にいきてるから美しいのだ。




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