カラーネガの端っこから -つれづれなるままに-


70年代初頭、蒸気機関車の撮影旅行に出陣するときは、あらん限りのチャンスを活かそうとばかり、モノクロフィルムを詰めた35mmカメラ2台、カラーフィルムを詰めたブローニーカメラ1台という重装備。現地では、望遠をつけた35mmとブローニーを三脚に取り付け、標準か85mmをつけた35mmを手持ちで、というのが「いつものスタイル」でした。もっとも、最末期には「悟り」をひらいて、ブローニーのエクタクロームで「一発撮り」という境地に達しましたが。しかし、何台持っていっても、盗難や事故にあうというようなリスクはあります。そんな時のために、最悪の事態に備えて、コンパクトカメラかハーフ判のカメラを、着替え等をいれたバッグの中に忍ばせておきました。フィルムは、家族旅行などを写したネガカラーの残りが、そのまま。旅行中、ほとんどこのカメラのシャッターを切ることはないのですが、突然被写体に出くわしたときには、カメラバッグを開けるよりこっちが速い、とばかりに、取り出すこともありました。そんなこんなで、記念写真を写したカラーネガの最後のコマに、なぜか鉄道が写っている、ということになりました。今回は、そんな不憫なカットの特集です。その性質上、撮影時期もバラバラですし、正確な日時がワカらないものも多いのですが、お許しください。



最初は、函館本線を行く711系です。木々の緑が夏姿ですし、そもそもこの時期、北海道に行ったチャンス自体が少ないので、1972年夏の撮影と思われます。となると、711系も69年のデビューから、まだ3年目。全検も受けていない、颯爽とした初々しい姿です。オリジナルスタイルで、3連×3本の9連というのは、なかなか迫力があります。ところで、これ撮影場所が確定できません。一コマだけ孤立したネガなので、前後関係からも推定できません。多分、苗穂ではないかとおもうのですが。見返りショットであることと、M車のパンタの位置から、旭川行きの下り列車であることはわかるし、「北海安田倉庫」という大きなランドマークがあるので、調べようと思えば考証は可能ですが、札幌の図書館とかで、古い市街地図に当らなくてはいけませんね。どなたか、ワカる方がいたら、教えてください。


次は、一気に千数百キロを飛び越して、車窓から見た下関の機関区風景です。まるはの工場もなつかしい車窓風景ですが、この車輌があふれんばかりの風景は、妙に模型心をくすぐります。手前には、EF58とEF61。EF61の写真なんて、多分これしかないのでは。その向こうには、EF65。つながっている2輌で、エンドの向きが逆になっているのが面白いですね。その向こうには、長門区からやってきた、山陰本線のD51。かすかにナンバープレートが、372号機と読み取れます。その奥にも、EF65がつながっています。後ろに控える客車が、これまたクセモノ。並ロからの、格下げ普通車が連なった編成の向こうには、スハネ16の寝台急行。一番奥まったところには、167系でしょうか、修学旅行用電車の姿も見えます。これでは全く、模型店の棚ですね。


さて、上のカットと続けて下関の駅頭風景です。多分、73年の春の時の撮影ではないかと思いますが、正確な日時は思い出せません。蒸気の牽く旅客列車と、ヘッドマーク付きの電車急行。これまた、昭和40年代の「国鉄」ファンには、こたえられない魅力があります。「急行はやとも」は、43・10改正からは広島・博多間の急行として活躍していました。しかし、もともとは、475系の南福岡配置が始まった40・10改正時に、名古屋・博多間のロングラン急行として登場した列車です。クモハ475が先頭ですから、これは上り列車ですね。並んだD51は、山陰本線は長門区配属の732号機。「クルクルパー」には、いろいろご意見もあるかとは思いますが、関東のカマを見慣れていた身にとっては、今となってはなつかしい感じです。北海道の切詰デフをどう感じるか、みたいなものでしょうか。


このカットは、撮影日時がわかっています。前に取り上げた、「鹿児島本線三太郎越え」のときの撮影ですから、1970年7月31日です。習熟運転のED76と本務機のDD51が重連で牽引する、下り普通列車。それにしても、スハ43系中心に、旧型客車11輌編成というのは壮観です。サボが入ってないので、優等列車ではありません。それだけ、鉄道が交通の中心だった、当時の時代感覚を忍ばせます。ところで、この写真は望遠で撮っていますので、サブカメラではありません。多分、メインカメラに、その前に使っていたカラーネガフィルムが残っていて、メインディッシュの蒸気が来る前に、残りを撮りきってしまおう、と撮影したものだと思われます。その分、写りもきれいですね。それにしても、ED76にしろ、DD51にしろ、キャブには関係者がすし詰めです。当時の機関車のキャブは、エアコンはおろか、扇風機すらないワケで、真夏の九州、その暑さたるや相当なものではなかったかと思われます。まあ、それでも蒸気機関車のキャブよりは、マシなのでしょうが。


最後は、八代駅での、上りはやぶさ。これは、上のカットの2日後、鹿児島本線と肥薩線川線の撮影をした日のカットです。それにしても、最初の撮影旅行で、撮影地の一つとして「川線」を選んでしまう、というところが、とんでもない中学生ですね。我ながら。これはもはや、「性」としか言いようがないでしょう。進歩のないヤツ(笑)。こっちのカットは、正真正銘のサブカメラ、それもハーフ判のキヤノンデミで撮影しています。その後の保存状態の問題もあり、褪色が目立ちますが、腐ってもブルトレ。その風格は、伝わってきます。よく見ると、カニの乗務員室にもカーテンがあることや、幕板の帯と腰板の帯では、シルとヘッダーぐらい太さが違うことなど、色々発見があります。それに、ホームに荷物用台車があふれているコトからもワカるように、テルハも現役です。大阪万博の年ですから、東阪間はもはや新幹線が常識でしたが、九州−東京間では、ブルートレインを乗り通すヒトもけっこう多かった時代です。

(c)2007 FUJII Yoshihiko


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