冷水峠の足跡 -筑豊本線 筑前内野-筑前山家間カラー編 1971年4月2日(その2)-


さて今月は先月からの続きで、1971年4月の2度目の九州撮影旅行の際、4月2日に冷水峠で撮影したカットの続きです。午前中は筑前山家側で撮影していましたが、午後は筑前内野側での撮影です。ひとまず同じ日の続きなので、この時の35oモノクロのカットもまたカメラの不調によりウマく撮れておらず基本的に未発表です。カラーの方も足場の関係で三脚を立てられるカットしか撮っていません。とはいえ、明らかに機関車のアップというのではなく、景色の中の汽車を撮ろうとしていることはわかりますので、一日にしてそれなりにだんだんと絵になってき始めているという感じでしょうか。今回も中学生の切ない思い出ということでご笑覧くださいな。



冷水峠の筑前内野側というと、一直線にどんどん上り勾配を登ってゆく近代的な線形の築堤がおなじみですが、冷水トンネルの内野側の坑門付近には中々風光明媚な場所があり、個人的には冷水峠越えでは一番好きな辺りです。そこには峠から流れてくる小川を越える小さなガーダー橋があり、ちょっとしたアクセントになっています。そこで撮影した、若松機関区のC5552号機が牽引する下り旅客列車。あと200mほどで坑門なのですでに前照灯を点灯し、ギリギリまで上り勾配を力行しています。峠の雰囲気も漂わせながら、小さな橋梁をはじめレイアウトに作りたくなるようなアイテムがいっぱい詰まった情景は、地面派モデラーにはグッとくるものがありますね。


続いてこの区間ではおなじみの、定期のD60重連による下り貨物列車。牽引するのはどちらも直方機関区の所属で、前補機がD6052号機、本務機がD6063号機。52号機はD60型式に改造以来郡山機関区に配属され、1968年に直方に移動するまで磐越東線で活躍していましたので、郡山工場式集煙装置を取り付けていた名残で、煙突が短いパイプ型に換装されています。63号機は改造前から大分に配属され、改造後も大分と直方と一貫して九州で活躍しました。九州では多いパイプ煙突に換装されていますので、パイプ煙突同士の重連という形です。この列車の全貌は<九州の優等列車 -1971年4月->の中でこの前のカットを公開していますが、実はトラ・トラ・ワフの3輛編成。こっちの機関車アップの方が迫力があるかもしれません。


サミットを越えて冷水トンネルから飛び出してきた、直方機関区のD6046号機の牽引する上り旅客列車。これまた後方に見える坑口を出てすぐなので、前照灯が点灯しています。場所的には、最初のC5552号機のカットとほとんど同じ場所で、逆側を振り向いたような構図になっています。これまた限られた面積ながら、線路脇の畑や小川、そそり立つ切通とその上の神社の鳥居、奥には小さな集落も見えるなど、日本型レイアウトになくてはならない要素が満載で、これだけ風景が揃っていてくれるのなら、機関車は絶気でも個人的にはバッチリ画になります。黒煙モクモクでないと画にならないというのは、車輛しか見ていない証拠ですね。模型でも鉄道模型ではなく車輛模型のファンのようなものでしょう。景色が良ければ、列車がいなくても画になるんです(キッパリ)。


この日のカラー最後のカットは、下り貨物列車。牽引するのは直方機関区のD6031号機。トンネルの出口よりはもう少し内野寄りのストレートの築堤に近付いたところでの撮影です。さっきの現車3輛の重連とはうって変わって今度はけっこう荷がありますが、完全燃焼に近い余裕の焚き加減で、ドラフトの蒸気の方が目立っています。ある意味、黒煙を嫌う九州らしい煙といえるでしょう。貨車はセラが中心ですが、これは炭鉱の出荷というよりは、各機関区への石炭の輸送用、具体的には筑豊地区の国鉄炭鉱から鳥栖や熊本への発送と思われます。九州では、セラで直接各機関区まで石炭を配送しており、各機関区の給炭台もそれに対応した構造になっていました。鉄道と国道が並行し、その間の低地に田んぼが広がるというのも、蒸機末期らしい情景です。





(c)2022 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


「記憶の中の鉄道風景」にもどる

はじめにもどる