南の庫から 熊本機関区'70夏 -1970年8月2日-


この数ヶ月、若干の寄り道がありましたが、今月は原点に戻って機関区風景をお届けします。順当にいくと鳥栖機関区とか行きたいところですが、鳥栖機関区は入場許可がおりない機関区の一つでした。場所的にも撮影からは孤立しており、撮影旅行では縁のない場所でした。ということで、その次、とばかりに、熊本機関区です。これもまた、はじめての蒸気機関車撮影行となった、1970年夏に撮影したカットです。当時はまだ、熊本まで電化されていましたが、熊本-鹿児島間は未電化。この年の10月からいよいよ電化され、青森から鹿児島まで、幹線が電化で結ばれる直前の姿です。



いかにも夏の九州、という感じの、晴れ渡った空の下、まず最初に登場するのは、鹿児島機関区のC6029号機です。後に、ちらりと熊本機関区のD51176号機が控えています。鹿児島本線の熊本・鹿児島間では、まだC60、C61が活躍していました。予備運用的な熊本機関区の2輌を除いて、すべて鹿児島機関区の所属でした。こうやってみると、やはりC59/C60というのは、流麗なスマートさと蒸気機関車らしい力強さを併せ持つ、スタイリッシュな機関車だったことがよくわかります。C60は2軸従台車の分、ちょっと重ったるい感じもしますが、戦前型の箱型テンダーのカマだと、テンダーの迫力でそこそこバランスがとれるので、C60なら1次型がお好みだったりします。テンダーの後には、チラりと屋根上水タンクが見えていますが、まだ冷房改造する前のキハ58のようです。


給炭塔と給砂塔に挟まれたスポートから給水中の、熊本機関区のC1148号機。熊本機関区のC11は、当時、入換と三角線に使われていましたが、この48号機を含め、九州では珍しい、キャブの下辺とサイドタンクの下辺が一直線の、2次型の若番が多かったのが特徴です。よくみると、コールバンカーの上で、石炭を寄せている人、地面に広がったアス殻を整理している人など、機関区の作業員の働く姿が発見できます。また奥には、ターンテーブルのキャブもチラりと見えます。その他の小道具の数々も含め、模型派にはタマらないシーンですね。しかし、こういう風景を、「エコーモデル」のレイアウトアクセサリーを駆使して再現したら、いったいいくらかかってしまうのでしょうか(笑)。


運用につくべく機廻し中の、熊本機関区のC57151号機。同機は、昭和40年代では、熊本機関区にただ一輌だけ配置されていたC57で、毎日八代までの旅客列車往復の1運用に従事していました。熊本生え抜きのカマでもあり、いわば熊本機関区の看板娘のような存在で、大切に扱われていたらしく、非常にきれいなカマだったことをよく覚えています。写真でも。質感の違いがわかるのではないでしょうか。予備車がないということは、点検等の日には、C60かD51が代走していたのでしょう。ちなみにC57151号機は「富士山と天女と羽衣」の試作門デフが装着されたころから、非常に調子のいいカマとして知られ、蒸気末期まで活躍し、いまでも鹿児島に保存されています。バックには、九州新幹線の工事で取り壊されてしまった、九州鉄道以来のレンガ造りの機関庫がみえます。その延長部分からは、やはり熊本機関区所属のD51546号機が顔を出しています。


さて、撮影から帰ってきた夜、夜間撮影に挑戦です。この時のワンカットは、すでに「鹿児島本線三太郎越え -1970年7月31日-」の中で公開していますが、なんたって、この時がはじめてのバルブ撮影。露出を変えて何カットか撮ってはいますが、どれもなかなか辛いものがあります。とはいえ、今となっては、それでも貴重な記録。このカットも、露出をかけ過ぎて、ネガが真っ黒。画像はほとんど「赤外線写真」のようになっていますが、奥のキハ20を見てもらえばわかるように、露出の合っているところは、ちゃんと写っています。機関車は、熊本機関区のD51272号機。今では、世田谷公園の機関車としておなじみのカマの、現役の頃の写真です。


続いて、前出の「鹿児島本線三太郎越え -1970年7月31日-」でのカットと、相前後するコマ。蒸気機関車の終焉とともに、文字通り「燃え尽きて」しまった、国鉄最後の現役蒸気機関車79602号機の、熊本時代の姿です。機関区の照明が強すぎて、レンズが内面反射を起こしていますが、これはこれで幻想的な雰囲気を醸し出しています。給炭塔の奥には、給水タンクが見えていますが、このタンクも新幹線工事が始まる近年まで、その姿を残していたようです。しかし、このテンダの増炭枠、通常の九州型と違い、北海道のそれのように、後ろ側の板がない、本当に「盛り上げて積むため」のタイプですね。そう思って見ると、相撲部屋のドンブリメシのようなてんこ盛りの積み方も、どことなく北海道の積み方を思わせます。なにか、その後の運命を暗示するかのようですね。


最後は、旅情のカット。にじむライトと、輝く二条の鉄路が、鉄道がライフラインを支えていた「栄光の昭和」を感じさせます。奥にバックスタイルが見ていているのは、熊本機関区のD51222号機。こう見ると、流石に幹線の特急機配属区だっただけのことはあり、給砂塔も、思いっきり立派です。こういうの見ると、模型のストラクチャで作りたくなるのですが、実物がとてつもなく大きいモノなので、一筋縄では行きません。給砂塔とスポートで、1モジュール。給炭塔だけで、大き目の1モジュール。こんな感じになってしまうでしょう。ちなみにこの信号、三灯式の一番下がついていますから、「赤」の現示です。色がなくても、信号はわかるんですよ(笑)。



(c)2008 FUJII Yoshihiko


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