雨の栗山(その2) -1972年7月16日-


さて今回も前回の続きで、1972年7月に行った初めての北海道撮影旅行から、室蘭本線で撮影したメインカメラのカットの最終回です。大丈夫、室蘭本線のモノクロのカットはこれで終わりです。ということで今回も、雨の栗山-栗丘間での撮影。ここは室蘭本線の岩見沢-室蘭間では珍しくサミットになっている区間。さすがに室蘭本線ばかり3日目、それも午後となると、結構激しい雨が降っていたこともあり、だいぶ投げやりになってきています。まあ、それでもこの後に栗丘駅で個人的には代表作の一つを撮ったりしていますから、面白いものですが。それもまあ、ある意味普通の写真はもういいや、ってなってたから撮れたということでもあるのですが。



雨足が激しくなる中、下りの旅客列車が重連でやってきました。前補機は岩見沢第一機関区のD51118号機、本務機は岩見沢第一機関区のC5744号機です。雨粒で画面がモヤっている状態ですが、ナンバーはかろうじて判読できます。この列車は確か定期で重連だったと思いますが、前補機は回送運用ですね。重連で客車5輌っていうのも、なんだか模型みたいで面白いです。ちゃんとこういう列車も実在したのですから、模型でやっても後ろ指をさされることはありませんよ。まずはトンネルを出て、国道のオーバークロスに差し掛かったところでワンカット押さえます。


次に列車全体が見渡せる場所まで来たところで、もうワンカット。ところでこのカマ、両機とも現役蒸気最末期まで活躍した上で、D51118号機は所沢、C5744号機は愛媛県西条市と、北海道から遠く離れたところで保存されているという不思議な縁があります。そういえばこの時はこの列車を撮影した直後に、この国道の上り線を越えたカーブのところで、軽のバンと大型トラックの正面衝突という交通事故が発生したのでした。死亡事故でしたが、クルマ同士の正面衝突をナマで見たのはこれが初めてでした。その後自分がクルマを運転するようになると、何度か見てはいますが。


次にやってきたのは、道東・道北の漁港からの冷蔵車が目立つ本土向けの上り貨物列車。この列車は<無意味に望遠 その4 -1972年7月15日〜16日->の中でキハ22の単行とすれ違っているシーンを公開しています。この写真ではナンバーが読めない上に、標準型D51で極めて比定が難しいのですが、密閉キャブ、前2本ストレートで3本目のみ後ろへなびく砂撒管の取り回し、異常に低い位置に付けられた正面のナンバープレートと結構特徴があります。この区間でこういう運用がありそうな機関区のD51を全部当ったところ、小樽築港機関区のD51287号機というのがヒットしました。デフの穴やキャブ吊り輪といった特徴も合わせ、多分間違いないと思います。


下り線のトンネルから飛び出してきたのは、滝川機関区のD511086号機が牽引する貨物列車。1086号機は長らく常磐筋で活躍した後、67年の電化と共に渡道。北海道ではほぼ滝川で過ごしましたが、全検期間が残っていたためか、最後の最後になって追分に移動。現役蒸気最末期まで活躍しました。ちなみに全く経歴は異なるのですが、連番の1085号機も岩見沢で蒸機最末期まで生き延びました。同時にサブカメラで撮影したカットは、<無意味に望遠 その4 -1972年7月15日〜16日->の中で公開しています。望遠が煙室がトンネルから出たぐらい、こっちがテンダがトンネルから出たぐらいのタイミングですから、本当に1秒違いぐらいのズレですね。


前照灯のLP403を輝かせながら、トンネルを今まさに出ようとする下り旅客列車を牽引するC57104号機。雨も激しく降っているし、段々と飽きてきた感じもあって、完全に狙って撮ってますね。まあこういう遊びができたというのも、この時期の室蘭本線ならではというところでしょうか。北海道のライトパシフィックを撮りに行くのがこの時の目的の一つでしたが、もうすでに番号的には撮り切っているので、ちょっと遊び心が働いたというところでしょうか。それにこのトンネルのポータルは、スノーシェッドみたいにトンネルの外にまで伸びている独特の形をしているので、それを強調した絵柄で撮りたかったというのもあるかもしれません。


岩見沢第一機関区のD5111号機の牽引する、上り貨物列車。東室蘭行のタンカーの返空列車です。この区間を通過しているということは、旭川とか十勝とかからの帰りでしょうか。キロポストと勾配票をアクセントにしていますが、確かにこれがないと典型的なバッタ撮りになってしまいます。しかしD5111と1が並ぶと、ナンバープレートがヤケに小さくなってしまい、妙な感じです。5号機とか8号機とか、機番が一桁のヤツと同じぐらいの大きさですよね。ナメクジに皿型クルパーは厳しい意見もあると思いますが、北海道らしいという意味ではらしい姿だと思いますが。


国道をオーバークロスするラーメン橋の上で、岩見沢第一機関区のC5744号機が牽引する上り旅客列車を撮ります。とにかくこの時はまだC57は踏段改造されていませんでしたから、正面からこういう角度で撮ると、本州のカマのように見えます。この立体交差は線路と道路が斜めにクロスしているため、道路上に張り出した部分が左右にあり、そこに手摺りがついています。このため、このテラス状の部分がまさに「お立ち台」となっていました。実はこの時も、同業者の三脚が立ち並んでいます。そのカットもひとまず撮ってありますよ。このカットと同時に撮影したサブカメラの画像は、<無意味に望遠 その4 -1972年7月15日〜16日->の中で公開しています。


最後は、岩見沢第一機関区のD51915号機の牽引する下り貨物列車。これまたサブカメラでのカットを、<無意味に望遠 その4 -1972年7月15日〜16日->の中公開しています。915号機もまた現役蒸気機関車最末期まで活躍していたカマですね。この日は、そういうラッキーなカマがいっぱい来てました。その時も書きましたが、中小炭鉱から出鉱したトラ積みの石炭、無蓋車に積んだ坑木、ちゃんとしたセキも繋がってるし、その間には車扱いのワラやワム。これこそ北海道の貨物編成の醍醐味ですね。こういう日常的なヤツが来るから、栗山以北は面白かったんですよ。これは追分で組み直す区間貨物だと思いますが、こういう生活感こそライフラインを支えていた国鉄貨物の魅力ですね。。




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