テレビは不滅だ

(その3)


○拡がる裾野と高まる頂点
・同人メディアへの期待
ハイテクの強みはローコストにある。DTPやCDは表現の裾野と幅を広げ、一般人にもソフト制作の機会をもたらした。かつての映研の16mm、8mmのフィルムに代わり登場した、ビデオによる自主制作映像は、資金がなくても映像の世界を生み出せる可能性を生んだ。かつての同人誌コミックス即売会から始まった「コミケット」は、 DTP、DTMといったハイテクを駆使し、どんどんその世界を拡げた。それはとりも直さず「自費出版」が、画像・映像メディアでも成立する可能性を示した。
安いメディアが出てくれば、同人誌的に、送り出したいニーズのある人間が、インフラ利用のコスト負担をして、メディアを使うことができる。絵画や書道の同人展の出展コストは、一作品あたり5万から10万というものが多い。これは、衛星ディジタル放送で、1チャンネル30分〜1時間のコストに近い。日曜画家や日曜書家は、発表の場として画廊を借りる。ビデオマニアは、発表の場として衛星のトラポンを時間借りする。ディジタルTV多チャンネル化の成功の鍵はここにしかない。
このような同人メディアは、今後インフラ需要として伸びる。個人レベルでみた支出額はたかが知れているが、チリも積もれば山となる。インフラ需要として、これを無視するわけにはいかない。だが現状の法制度では、これらのニーズに充分に応えることは難しい。この市場を取りこむカギもまた、キャリアとコンテンツ分離の規制緩和にある。
しかし、すべてのおたくニーズがオンラインに向かうワケではない。マニアものでは、ヒトによって見方が違うため、シーケンスにそって見せるのが必ずしもベストでない。たとえばアダルトビデオの早送りポイントは、ヒトにより千差万別だ。パッケージはこの面で有利だ。だから将来もパッケージ系とオンライン系の間で常に競争が行われ、規模、コスト、内容に応じた棲み分けがなされるだろう。

・仮想コミュニティーでは送り手=受け手
同人メディアには、多くのヒトが参加するだろう。だからといって、作品を作る才能のある人間が増えるわけではない。極端なハナシ、マニアの映像では、技術面はさておき、演出面での質は問われない。自作自演の内輪ウケでいい。インターネット・ホームページの例を引くまでもなく、誰でも参加できるよう敷居が下がれば、雨後の竹の子のごとく、何でもありで有象無象のコンテンツが出てくる。なんせ、送り手=受け手なのだから。
それらは、インフラの需要を支えるものの、マスマーケットとはお金の出所もモチベーションもまったく異なり、競合しない。内輪ウケがマスの支持を得られるものではないからだ。敷居が低くなり、見かけの市場が拡大する分、本当にマスに支持される作品を作れる能力の価値は一層高まる。一見同じようなことをやっても金を取れるのがプロ、金を払ってやるのがアマ。このプロとアマの違いは今までの映像メディアでは顕在化していなかった。それゆえ、勘違いして「構造変化」を期待している向きも多いようだが、そんなことはないのはもうおわかりだろう。

○テレビは不滅
・人々がテレビに求めるもの
マスメディアにおける映像ソフトビジネスを動かしているカギは何か。それを知るためには、そもそもヒトがテレビを見たいと思う動機付けを考えてみる必要がある。なぜかメディア論ではこの点が見落とされがちだ。
人々はマスメディアに、ストレス解消やなごみ・癒しを求めている。だからテレビを見る。気楽に受け身で楽しめる娯楽、ストレス解消できる娯楽。これこそテレビエンターテイメントの本質だ。このためにマスメディアに接する。それなのになぜ「低俗だから悪い」とか判断するヒトがいるのか。エンターテイメントソフトの価値は、送り手の思い入れで決まるのではない。あくまでも受け手が決める。
ネットワーク社会のようなインタラクティブな世の中は、一層ストレスが増える。エンターテイメントまでツーウェイではタマらない。もっと手軽で、低俗な娯楽が欲しくなる。そんな中で、テレビの役割は一層高まる。

・メディアビジネスの源泉
メディアとソフトはタマゴと鶏の関係ではない。ネットワークや電波は、所詮はインフラ。水道事業やガス事業と同じだ。社会には必要だし、安定的なニーズはあるが、それがあるからと言って新たな富を次から次へと生むものではない。メディアがビジネスになり、新たな富を生むためには、多くの人を引きつける新しい魅力を提示することが必要。そして、メディアが多くの人を引きつけるカギは、ソフトのエンターテイメント性にある。
この場合重要なのは、大衆が直接出す金でなく、大衆に向かって動く金こそが大きい点だ。ビジネスを考える上では、この違いは大きい。多くのヒトがワクワクするところに、金は集まり、金は動く。あらゆるビジネスが、このチャンスに向かって動いている。
たとえば、カルチャースクールやセミナービジネスでは、全体として動く金は大きいが、個々のビジネスは個人レベルの零細なものになる。それはお金の出所が、ばらばらのニーズを持つ個人の財布だからだ。だからカルチャースクール事業は規模が拡大しても、マスのビジネスにはならない。付加価値を増すためには千差万別のニーズに個別対応せねばならず、スケールメリットが活かせない。同様にメディアビジネスでは、同時に多くのヒトが見てこそ、ビッグビジネスになり得る。

・テレビ局の本質はどこにあるか
テレビビジネスの本質を理解するには、映像ソフトビジネスの論理をまず理解する必要がある。ソフトビジネスの行動原理は、投資業・金融業としてのモチベーションだ。ソフトビジネスの本質は、作家や表現者ではなく、資本の論理だ。片手に台本、片手にそろばん。このバランスこそが映像ビジネスのカギだ。ポートフォリオ理論を活かし、リスクヘッジをかけたラインナップ作りなど、まさに彼らの面目躍如たるところだ。
そんな彼らにとって、テレビ局でおいしいのは「営業」と「編成」が一体化した、金を生むメカニズムの部分だ。実際アメリカのネットワークビジネスは、日本の放送局ビジネスとは異なる。ネットワークビジネスの本質は、電波を出すことではなく、映像ソフトを広告収入によりリクープするシステムにある。これは映像ソフトビジネスの中では、ローリスクという特筆すべき優位性も持っている。
テレビビジネスの強みは、このように免許ではなく、少ない手間でより多くの日銭を生む「仕組み」にある。テレビの魅力は、回収コストも、回収リスクも、ほとんど考えなくていい、広告収入による権利リクープだ。電波にして出してしまえば、一発で回収できる。おまけに個々の作品の当たり外れも、全体の視聴率(GRP)の中でまぶせるため、総収入に影響しにくく、非常にリスクが小さくなるのもメリットだ。
・マスをつかんだものが富をつかむ
今まで見てきたように、少なくとも現時点で日本のメディアウォーズの勝利者となり得る最短地点にいる者は、民放テレビ局だ。しかし彼らが勝利を得るためには、それなりの努力も必要だ。それは、自分の本当の強みを知ること。そして、自分の強みを活かして勝負ができるスリムで強靭な体を持つことだ。
このためには、一切の利権を自ら捨てる勇気が必要だ。世の中には、育ちも良く、才能にもあふれた人がいる。彼らは、才能で勝負すれば誰にも勝てる。だが、育ちの良さに安住した瞬間から、相手に弱みを見せ、隙を作ることになる。今のテレビ局は、能力もさることながら、利権に守られることになれすぎている。ちょうど、育ちの良さに安住しているように。実力を出せば、誰にも負けない力を持ちながら、勝負にでるのを意味もなく恐がっている。これでは、相手にわざわざ隙を見せるようなものだ。
今テレビに求められているのは、自らの強みを見定め、そこをさらに強化することだ。テレビの強みとは、マスエンターテイメントのソフトを作り、広告によるローリスクのリクープを行うという、ソフトビジネスとしての強みだ。これはインフラを問わない。問わないからこそ強みたり得る。
今こそ民放テレビ局は、電波に見切りをつけ、「大衆を引きつけるソフトを広告費でリクープする」という、権利換金システムに特化することを目指そう。この領域でアイデンティティーを確立したとき、民放テレビ局は、間違いなく、日本のメディアウォーズの勝利者となるだろう。そして日本のメディアウォーズの勝利者には、世界でソフトの二次利用、三次利用を繰り広げ、世界のメディアウォーズに参戦するチャンスも与えられるのだ。


月刊ニューメディア(96/7・8月号)  



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