広告関連領域におけるディジタル化の波と広告業界への影響
(その3)
3.ディジタル化の時代と広告会社の進むべき道
○変化する構造
アドバタイジング・エージェンシーとメディアレップの二重構造
ここで、もう一度原点に立ち戻って、広告会社とは何か、広告会社の強みとは何かについて考え直してみる必要があるだろう。日本の広告会社の特色は海外の広告会社と比べてみるとよくわかる。すなわち、アドバタイジング・エージェンシーとメディアレップという本来別の業態が、一つの企業の中でコングロマリット的に結合している点である。この二重構造こそが、日本の「総合広告代理店」の強みなのである。
しかし、いままでは「一つの会社」という観念があまりに強かったため、このような見方はなされず、逆にこの複合構造を、媒体か営業かの一元論で割り切ろうとすることが多く、この強みを活かす発想につながらなかった。これからは、本来役割の違う二つの機能が、一つの企業体のなかにまとまっているメリットを追及する「二元論」に立つべきである。これをどう活かしてゆくかが、広告会社の未来を考えるカギになる。
○利益の時代における会社のカタチ
スケールメリットの方向が違う以上、分社化による「強みへの特化」は必須
二元論を生かすためには、この両者のビジネス構造の違いを理解しなくてはいけない。アドバタイジング・エージェンシーとメディアレップとは、利益の構造が違うのである。アドバタイジング・エージェンシーの利益は、広告会社の生み出した付加価値と考えられる。一方、メディアレップの利益は、単なる作業の手間賃である。したがって、両者を別のプロフィットセンターとしてとらえ、それぞれに特化した経営を行う必要がある。
このような視点がなくては、二重構造のメリットを活かせないばかりか、どっちつかずの経営となり、どちらも足を引っ張られる結果となる。現状の広告会社の抱える問題のうちいくつかは、ここに原因があるといえるだろう。このためには新しい会計制度に取り入れる必要がある。事業部間での社内取引の概念をベースとする新しい管理会計の考え方が、この答となるだろう。
○今後の広告ビジネスの利益のもと
メディアレップでは利益は薄い、知的生産にこそ金は出る
では、アドバタイジング・エージェンシーとメディアレップの利益構造は、どのようなものであろうか。メディアレップ側の利益は、基本的には商社的である。取引があれば必ず手数料が発生するが、その率は小さい。この本質は、アメリカの「メディア・バイイング・カンパニー」の興隆を見れば理解できるだろう。したがって、メディアビジネスはスケールメリットを活かして薄く広く利益を稼ぐ必要がある。
一方エージェンシー側の利益は、基本的にはフィー的である。企画の持つ付加価値分を、きちっととることが必要。これをつきつめてゆけば、アメリカ的なビジネスパートナーとしての、リスク/プロフィットのシェアリングという考えかたも成り立ち得る。
現状の媒体手数料は高率だが、これはアドバタイジングエージェンシー側の利益を含んでいるからこそ、広告主が納得しているのである。今後、未来永劫こういうビジネスが可能とは考えられない以上、広告会社が媒体に対して影響力をもっているうちに、新しい時代への対応を積極的に図ることが望ましい。
○これからの広告業界の強みとは
ノウハウと経験の蓄積と、それを基盤にしたクリエーティビティー
さて、メディアレップにおいては、ディジタル化・情報化は、業務そのもののコンピュータ処理という形で、その利益に密接な影響がある。究極的には、メディアバイイングVANというカタチで、全ての業務がオンラインで処理されるのが理想の姿である。では、アドバタイジング・エージェンシー側ではどうなのであろうか。
その利益が、ある種の成功報酬であり、単なる手数料ではない以上、クライアントが直接プロダクションに発注した以上の付加価値を生み出さなくては、広告会社の存在意義はない。広告会社に期待されるものは、広告のプロならではの、戦略から表現までトータルな提案である。こうなると、企画を社外へ丸投げし、表紙だけ付け変えるというやり方は全く通用しない。広告主が金を出してもいいと思ってくれる「知的生産」を社内で行わなくてはダメなのだ。ばらばらに個別発注したのでは得られない、トータルな付加価値が出せるかどうかに、存在意義がかかっているのである。この場合広告会社は、提案の価値を評価して、より高く買ってくれるクライアントとつき合うことになるだろう。付加価値を評価しないクライアントは、レップ直、プロダクション直でいい。
製作過程のディジタル化は、製作単価を押し下げる。結果単なる手数料的な利益は、同一作業に関しては減ることになるだろう。その意味でも、単純な「振り作業」はやる意味がないのである。利益の時代においては、限界効率を越えてまで売り上げを求める必要はないのである。
○理想のアドマン
AEであり、CDである。メディア、プロモーション、デザイン全てに見識がある
作業のディジタル化が進むと、職人的スキルの価値が相対的に下がる一方、企画における独創的な発想力に代表されるクリエーティビティーの価値がますます高まることになる。これを突き詰めると、たとえばデザインのディジタル化が進めば、センスとデザイン技術の見識さえあれば、徒弟制的にスキルの修練を受けデザイナとしての経験をつまなくても、アートディレクタたり得ることになる。事実、ディジタル化が特に進んでいるエディトリアルデザインの分野では、編集者出身のアートディレクタも多く見られるようになった。
この傾向は、ますます多くの分野に拡がり、広告領域とて例外ではない。もともと広告作業は、理想的なアドマンであれば、ひとりで全てがこなせるという性格をもっている(電通の有名クリエーティブディレクターである白土CDは、営業から、マーケティング戦略立案から、すべてを一人でこなしてしまうため、「ひとり電通」と呼ばれているが、このあだ名が、理想のアドマンのあり方を象徴している)。いまは、人手間の問題でそうは行かなくても、ディジタル化の進展は、必ずや、アドマンたる条件として、これらのセンスを持つことを強要することになるだろう。
○スーパーアドマンがいなくては広告会社は生き残れない
付加価値を生み出す人材が、広告業界には必要
しかし今後、全ての広告主が高付加価値サービスを必要とするわけではない。このようなサービスを必要とするのは、高度なマーケティング戦略や経営戦略に基づいたビジネスを行っている企業だけである。それ以外の企業にとっては、今後とも「付加価値より安さ」であろう。これらの広告主に対しては、現状同様のやり方で対応可能だ。一方高度なニーズを持つ広告主の要求は、ますますレベルアップすると考えられる。すなわち、キャンペーン全体をトータルにプロデュースし、付加価値を生み出す人材を増やさなくては、広告会社は生き残れないのである。オリジナリティーある企画力、発想力、デザイン力に加えて、卓越したコミュニケーション力。これらのスーパーアドマンとしての能力は、基本的に属人的な個性に依存しており、組織として対応できるものではない。したがって、このようなスーパーアドマンをいかに社内に抱えるかが、広告会社の今後の活きる道を決めるといえる。
○けっきょくは人間の問題
古くて新しい問題に、答えられる採用と教育のポリシーを持つ
このようなスーパーアドマンをどうやって確保するか。そのためには、こういう個性や能力をもった人間を採用するところからはじめなくてはいけない。かれらはある種の「天才」である。しかし、偶然にしか生まれないほどの「天才」ではない。毎年社会に飛び出してくるフレッシュマンの中には、確実に何百人かはいる。かれらを確実に社員として捕まえることからはじめなくてはいけない。そのための、採用方法、採用基準を定める必要があるだろう。しかし、採用だけでは終らない。その潜在的能力を引きだし、伸ばすために、あらゆる機会を与えなくては、スーパーアドマンとして開花しないのだ。「いかに人材を採用し、開発するか。もう一度原点に立ち戻り、この問題に応えることが、ディジタル化の波、情報化の波の中で、広告会社が生き残るための唯一の道といえるだろう。
講演資料(94/4)
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