南の庫から 宮崎機関区3 '73春 -1973年4月6日-


まだまだ続く、宮崎ネタ。今回は予告した通り、前回に続いて、1973年春の九州撮影旅行の際に撮影した宮崎機関区のシーンです。前回は、朝と昼の撮影でしたが、今回は夜行列車に乗り込むまでの間に撮影した、夜のカットをお届けします。夜間のバルブ撮影というのは、このコーナーでもすでに何回か登場していますが、けっこう得意技でした。というか、好きでしたね。なんか模型のジオラマっぽくなって、叙情的な雰囲気になるからでしょうか。さすがにこの頃になると、手馴れた感じで、今見ても質感とかよく撮れています。この時には、ブローニー・カラーポジでもバルブ撮りをやっていて、そのために入射光を測って決めた露出データを、モノクロの撮影にも利用しているためでしょう。



トップバッターは、この時期ならではの特ダネともいえるカット。この3日後からはじまる、最後の「蒸気牽引お召し」として知られる、第24回全国植樹祭のための御召し列車を日南線で牽引した本務機、志布志機関区のC11200号機です。日南線での運行は、4月10日と12日。本番を4日後に控え、すでにお召し用の整備も済み、あとは、当日日章旗と菊の紋章をつけるのみ、といういでたちです。10日の列車は、勾配の関係から、宮崎機関区のC5692号機が次位に補機がとして付きましたが、この時も本番さながら、次位にC5692号機が控えています。


続いて、次位のC5692号機のアップ。磨きこまれたお召し装飾が、夜闇の中でひときわ輝いて見えます。C5692号機は、前年の昭和47年10月20日〜25日、吉松機関区のC5691号機と重連で、鹿児島太陽国体のためのお召し列車を、日豊本線、指宿枕崎線で牽引しているので、御召しの連続登板という感じでした。それにしても、現役蒸気のお召し仕様をを撮影したのは、前にも後にもこの時だけです。この時は、給炭・給水のために、一瞬だけ庫の外に出てきたタイミングのようで、なかなか運の良かったカットといえるでしょう。


C61、D51、C57と三輌連結して仕業を待つ姿。先頭は、宮崎機関区のC6128号機。C6128号機は、「黄昏の青森駅 -1970年5月-」のカットのように、青森駅で出会って以来、3年ぶりの再会です。この日は、昼に18、19、20号機を写していますから、けっきょく、当時宮崎区にいたC61は4輌全部見れたことになります。次位のD51は、南延岡機関区のD511095号機。LP405副灯付きで、密閉キャブ改造といういでたちからもわかるように、弘前機関区に所属し、奥羽本線北部で活躍したカマです。C6128号機とは、いわば戦友のような関係ですが、こういう長距離大規模転属も、蒸気末期ならではのモノといえるでしょう。


蒸気がまつわりつき、なにやら幻想的な雰囲気をかもし出している、C57115号機。昼も入換作業中のカットを撮りましたから、どうやら、一日中宮崎駅構内での入換作業に従事していたようです。周囲のプラットフォームや貨車などには、ちゃんとピンが来てますし、露出も合っているので、このカマ、本当に大量の蒸気を噴出させているようです。あまり状態がよくなさそうなので、各所から蒸気もれを起こしてしまっているものと思われます。このあと、比較的早く廃車になってしまいますが、さもありなん、ということでしょうか。


最後は、見返りショットで狙った、宮崎機関区のC57112号機。日本型蒸気は、この角度から見るのが、一番狭軌感が強調されて、「らしく」思われます。テンダーの長軸台車も含めて、16番の泣き所ですね。夜間撮影だと、強烈なトップライトがない分、奥まったパイピングまでくっきりと見え、模型資料としても役に立ちます。112号機の門デフは、一応K-7タイプなのですが、K-3タイプと同様に、上辺が標準デフと同じ高さで、嵩上げがないのが特徴です。見るヒトが見れば、番号が読めなくても、これだけで112号機とすぐにわかります。事務所の窓越しに見える、本棚と額。模型でもやってみたいですね。これは。



(c)2009 FUJII Yoshihiko


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