男の肖像 -ドラフトと煙の香りの想い出・番外-


本当は、今回から新シリーズをと思っていたのだが、ちょっと時間が足りず、準備不足で今月スタートは無理。ということで、無理無理雨傘企画をでっち上げました。名付けて「男の肖像」。前に、蒸気牽引旅客列車の先頭車輌から、牽引機のテンダを撮影した「男の背中」シリーズをやったけど、それの自己パロディー。今度は、蒸気機関車の正面写真を、堂々と線路内から撮影したカットの特集。さすがに走行中はなく、機関区見学時に撮影したモノばかりですが、当時は大らかで、見学許可を取っていれば線路内から撮影しても、被写体が停止中の機関車であれば別に何も言われないのがふつう。それを考えると、一々「許可を取って敷地外から撮影しています」とか書かなきゃ発表できない(明らかに、これは自主規制だよね)風潮は、いかがなものかと思ってしまうのだが。なお、カットの性質上、同日の連続するカットは、すでにこのコーナーでも発表済みの機関車ばかりであることは、ご了承下さい。



まず最初は、千歳の駐泊所に佇む、苗穂機関区のC5738号機。1972年7月14日早朝の撮影です。関連カットは、「北の庫から -1972年7月-」と、「線路端で見かけた変なモノ その2 -1972年7月-」に登場しています。苗穂機関区は、札幌着発の貨物の牽引機が集う要衝で、道南、道央の多くの機関区に所属するカマがひっきりなしに出入りしていましたが、所属機はC57・C58・C11と揃えているワリに、千歳線の補機と入換、各線の代打運用みたいなのばかりで、所属機はちと寂しい感じでした。それにしても、正面から見ると一段と北海道を感じさせない面構えですね。


次は、旭川機関区で仕業に備える、旭川機関区のC5530号機。1972年7月17日の撮影です。関連カットは、これまた「北の庫から -1972年7月-」にカラーのカットが出ています。稚内までのロングランに備えて、給砂塔のところで、公式側のクロスヘッドのあたりを機関士が仕業点検しています。向かって左には、私服のオッさんのように見えますが、これは庫内手の方ですね。さすがにピットがあるので線路のど真ん中ではありませんが、ぼくは片足を線路の上において、身を乗り出して撮っていますが、なんら文句を言われる気配ではありません。まあ、当時はこんなもんだったんですね。


こんどは、撮影日こそ同じ1972年7月17日ですが、場所は苗穂機関区。同区所属のC57147号機です。このカマは、「北の庫から '72夏 -1972年7月-」のほうで取り上げています。もともと関西のカマなので、鷹取工場受持機によくみられた、煙室前端の平面化改造を受けています。C57の煙室前面を平面化すると、C55と同じ顔になると思っている方がよくいます。しかし、違うんですよ。前のC55とよく見比べてください。フロントデッキの取り付け角度が、C55とC57では全然違うので、顔が違うのです。16番だとそもそもボイラー太さやランボードの幅をデフォルメしているので、違いがはっきりしない場合もありますが、これは全然違うんですよ。


ここからは、同じく1972年7月17日に、苗穂機関区で撮影した写真が続きます。小樽築港機関区のおなじみD5170号機。こちらも、「北の庫から -1972年7月-」に登場しています。当時、北海道の電化区間は、函館本線の小樽-旭川のみ。旅客列車はさておき、この区間の貨物列車は、ほとんど他路線から直通で乗り入れてくるものばかりだったので、それぞれ蒸気機関車が直通で牽引していました。当然函館本線の山線から来る貨物列車や、他路線から小樽まで直通する貨物列車は、札幌駅を通過しますが蒸気機関車が牽引していました。そういう流れで、苗穂機関区にも当然やってきます。このカマ、「日立」のメーカーズプレートのよしみか、ニセコの補機の代打ちにもよく入っていたようで、坊主メクリではないですが「こいつが来てしまった」という経験をお持ちの方もいらっしゃると思います。


これまた1972年7月17日、苗穂機関区での撮影。同じく小樽築港機関区所属のD51465号機です。「北の庫から '72夏 -1972年7月-」で取り上げています。雨天の中、水溜りからの反射を強調したいので、ディテールを潰したハイコントラストな描写となっていますが、その分、シルエットは強調されます。この、太すぎず細すぎずという絶妙なボイラのバランスが、D51らしさの源です。あと、給水加熱器との位置関係も、絶妙なものがあります。このあたりが、16番だとできないんですよね。実物をいろいろな角度から見ていて、印象がきっちり頭に入っていると、こういうプロポーションがちゃんとできていないと、全然イメージがわかないんですよね。そういう意味では、さほど変哲のない写真ですが、よーくご覧になってください。


今度は一気に飛んで、九州は吉松機関区。撮影日もさかのぼって、1971年12月19日。例の変圧柱の脇に佇む、人吉機関区所属の峠の人気者、D511151号機です。「南の庫から 吉松機関区その1('71冬) -1971年12月19日-」で取り上げています。吉松は、朝、霧が出やすい地形ですが、この時は雨です。こう考えると、けっこう撮影時に雨という日が多かったことがわかります。実はシャッタースピードが稼げないことを除けば、他の人が撮ってないカットが撮れるという意味では、雨の日は決して嫌いではありません。一度峠を越えた帰りの仕業なので、けっこうカマがくすんでいるのがわかります。それにしても、R150ぐらいでしょうか、庫内ならではの相当な急カーブの上に乗っかっています。実物で言えば、先台車の変位は、このくらいが限度なのです。


最後もまた吉松機関区ですが、こんどはその翌日、1971年12月20日の撮影です。鹿児島機関区所属のC5772号機です。これまた吉松機関区ではおなじみの、給炭用のベルトコンベアと給砂塔とがシルエットでメカニカルな味を添えています。門デフ装備のC55、C57は、切取デフ装備機の中でもスタイリッシュで人気がありますが、ぼくが特に好きなのが、この真正面からの眺めです。いやあ、ホントにいいですよね。模型でも、やはり正面からのプロポーションにはコダわりたいところ。とはいえ、これが難しいんですよ。16番でも、どの方向から見ても、きちんと1/80スケールで作ってくれればいいんですけどね。まあ、それじゃ先台車は首を振れなくなってしまいますが。


(c)2013 FUJII Yoshihiko


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