続・男の仕事場からの眺め(信号扱所から見た苫小牧貨物駅・その4) -1972年7月15日-


3年ほど前の2018年から19年にかけてのこのコーナーでは、最初の北海道撮影旅行で撮った室蘭本線での全列車を紹介する企画シリーズを展開していました。そこでも書いていますが、この時の撮影旅行はちょうど35mmモノクロ中心からブローニーのカラーポジへの転換期で、35mm2台(標準と望遠)にブロニカという前代未聞の重装備で撮影を行っていました。すでに数カットは散発的にこのコーナーで発表していますが、ほとんどの列車は3つのカメラで捉えているので、カラーポジのカットもあります。今度はそちらを拾っていこうかということで、手始めに苫小牧貨物駅の信号扱所から撮影したカラーのカットをお届けします。ここは流石に三脚を立てるスペースがないので、全部のカメラを首に下げての手持ち撮影。ということで、全列車をカラーで同時に撮れていないのですが、撮れたものだけということで。



最初は小樽築港機関区のD511057号機が牽引する、コキとワキで編成された千歳線下りの特急貨物。これは同時に撮影したモノクロのカットを<男の仕事場からの眺め(信号扱所から見た苫小牧貨物駅・その1) -1972年7月15日->の中で公開しています。ワキは苫小牧から紙を積んで東京へ行き、東京で北海道向けの主として雑貨類のパレットを積み込んで札幌貨物ターミナルに向かう、いわゆる「三角運用」の真ん中の部分です。千歳線の対本州貨物は、室蘭本線の石炭輸送と並んで、この区間の柱とも言える花形運用です。カラーで見ても、小樽築港のカマは手入れが良くてきれいですね。


苫小牧機関支区から下りの重連回送でやってきた、鷲別機関区のD511098と岩見沢第一機関区のD5111号機。これも同時に撮影したモノクロのカットを<男の仕事場からの眺め(信号扱所から見た苫小牧貨物駅・その1) -1972年7月15日->の中で公開しています。11号機は皿型回転火粉止を取り付けていますが、この時期の北海道では円筒型の火粉止の方が一般的になり、けっこう珍しいので目立ちます。43・10の頃の北海道はまだ皿型ばかりだったのに、わずかな間に円筒形に交換されていきました。これ以降は本当に皿型は珍しくなります。あれだけ嫌われていた皿型ですが、珍しくなると興味も湧くというものです。


岩見沢第一機関区のD51328号機が牽引する、上りの車扱貨物列車。苫小牧の製紙工場が仕向地と思われるチップを満載したトラ90000型が連なっていて、黒一色の貨物列車の中にいろどりを添えています。D51328号機は、水戸時代にストーカーを設置するためD511068号機とテンダを交換し、標準型であるにもかかわらず戦時型の船底テンダを装備しています。ギースルと低い位置のナンバープレートも特徴があり、一発で機番がわかるカマでした。実は、このカットのみモノクロで撮影しておらず、カラーのカットしかありません。手持ちの持ち替えで撮っていると、時としてこういう「間に合わない」瞬間が出てきます。


岩見沢第一機関区のC5744号機が牽引する、上り旅客列車。これ同時に撮影したモノクロのカットを<男の仕事場からの眺め(信号扱所から見た苫小牧貨物駅・その1) -1972年7月15日->の中で公開しています。妙なタイミングですが、持ち替えなので仕方ありません。マニ32の張り上げ屋根は、カラーの方がよりはっきり特徴がはっきりとわかります。同じ日に同じ場所で撮影しているのですが、より陽射しが強い時にジャストの露出で撮影すると退色が起こりにくいという、エクタクロームの特徴がよくわかります。これは古いポジをたくさん見ていると、本当にはっきりしているんですよね。



(c)2021 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


「記憶の中の鉄道風景」にもどる

はじめにもどる