YSな日々 〜奇行ログ

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2000/12/29(金)
午前中は鉄して、天王山の先の方でさよなら20世紀な写真展など観て、帰るまでの間に時間があるなー、 ということで再び伊丹の南端へ。夕暮れのグラデーションを一杯に入れて撮ってみる。仕事納が済んで、 そばの町工場も閉まっているから生録もしやすい・・・・・あ、犬が吠えてら。 ◆ 日が落ちるので生録に徹しようと、適当な場所を探す。トンネルを潜って滑走路の反対側へ出るも、 意外とクルマの往来があるので不適。滑走路に沿って北西へ向かって、住宅街を進んで行く。 上手くすれば滑走路に面したところへ出られそうだし、夜なら生活の音は家の中へ消えるハズ。ただ、 さすがによその家の裏庭のような所へなど入れないし、暗闇であまりウロウロしては不審以外の何物でもない。 さてどうしたものかと探すうち、小さな公園に辿り着く。子供が遊んでいる筈も無く、幸いクルマの往来も無い。 タキシングから離陸まで、どうにか録れそうだ。手前の滑走路の離着陸さえ無ければ・・・・・ここまで来たら、 ギャンブルに出るしかない。 ◆ ぶーんという音が右の方へ動いていき、他の雑音に埋もれそうになりながらも、向きを変えるのが判った。 やがて全開で滑走をはじめ、目の前を昇って行き、夜闇へ吸い込まれて行った・・・・・多分これが、自分の収める、20世紀最後の音。

2000/12/28(木)
今日は鉄するつもりなれど、朝一でまたJR北伊丹ヘ来てしまう。昨日は朝も夕方も良いもの見てしまったので、 つまりは、味をしめたのである。滑走路北端で、またまたオレンジバックのシルエットを撮る。 ◆ エプロンへ回り込んでまた少しスナップして、今日はおしまい。今世紀最後の開館日である、 交通科学博物館と梅小路蒸気機関車館を巡る・・・・・科学館にも航空ネタがちらほら、そっちに見入る。 己の軸足は鉄道にあったハズだったが、やや覚束なくなっているような昨今。

2000/12/27(水)
寝台急行で朝の大阪に降り立つ。これまで鈍行で来てたのからすれば、大奮発である。寝台列車に乗りたかったというのもあるし、 朝一から伊丹でかましてやろう、という算段もあった。JR北伊丹駅からてくてくと歩き、川にさしかかり空港の方が見えてくると、 これがまたうまい具合に雲が出てて、8時を回ろうかというのに東の空がまだオレンジ色をしている。誘導灯も灯っていて、 なかなか良い感じ。ここからではやや遠く相手も小さいのだが、橋の上で三脚を据え、ここで離陸のシルエットを狙う。 ◆ 次の便までの間に滑走路の先の墓地越しのお馴染みポイントへ移動。まだまだ良い感じのシルエットを撮る。今回は生録を企てた。 クルマの音を避けて、MDレコーダーを据える・・・・・と、我がEOS−1が喧しすぎて台無し・・・というか興醒めの出来。 近過ぎた。今度は離れて撮ることにして、撮った後さあどうだと駆け寄ってみれば、年の瀬の締め括りにお墓参りの人あり。 良いところで、すぐそばでガサゴソとやられてしまった。そんな具合の何度目かのトライで、どうにか。 ◆ 空港のエプロンを金網越しに覗く。到着から出発の仕度、出発までが見て取れるも、300mmでどうにかという距離ではやや厳しい。 進入するYSを大きく撮ろうかと、滑走路南端のポイントへ移動。腹が減ったのでコンビニでもと思うも、 なかなか無いので歩き回っていたらギリギリになってしまった。やや焦りながら生録セットを据え、 ここいらへんかという場所で構えたところへ、着陸灯が見えた。よしよし、ぶーん。 ◆ 夕日はどうしたものかと思案、機体ギラリが撮れそうなので、さっきのエプロンヘ戻る。今日は歩き通しな気も・・・・・ 果たして読み通り、YSの向こうは良い塩梅の夕焼け。エンジン始動、合図するパイロットの手がシルエットに浮かぶ。 やがてテラテラと輝く機体が向きを変えて出て行く。聊か舞い上がってて写真はどうなるか判らないが、 ライヴで目撃しているそのシーンが、まず嬉しかった。何か続けていると、時々そんなことがあるもので、 特に偶然としか言いようの無いものとなると、続ける「ご褒美」と信じてしまうことさえある。 そこまで行かないにしても、また良いシーンに巡り会いたくて余計止められなくなったりも、する・・・。

2000/12/17(日)
のりもの倶楽部で見つけていた、バンダイの1/72だかのYS−11、本日所望。胴体は青いモールド・・・・・ 窓ガラスもイチイチ入る。ほほう。最近イカロス本で飛行機プラモ大全みたいなMOOKが出たようで、 立ち読みしてみたら、これ絶版ということになっていた。世間的にYS熱が高まれば、復刻もありか?

2000/12/13(水)
来るべき日に備え(笑)、大島への船便というのを調べてみる。夜に竹芝出るやつで、片道¥3Kくらい?  羽田から飛んで来るYSの大島での滞在時間は短いから、朝一の便で飛んでもその返しの撮影は難しそうで ・・・・・船で行けばよゆー、か。うーむ。


2000/11/24(土)
羽田の送迎デッキで撮ってると、「ヒコーキ好きなんですか?」と声をかけてくる人あり。ひょろっと背の高い、 穏やかな感じの若いにーちゃん。聞けば新潟から夜行で着いたところで、店なんかが開く時間までの暇潰しとのこと。をを。 ヒコーキ好きで、JALのカウンターの仕事に就くことになっという。をを。 ◆ 夕方、大島発の着陸(A滑走路)を待ってると、やや早めに着陸するYS有り。あれれと思いつつ撮ってると、海保のYS。 をををついに・・・こーんなに小さいけど。北風が強いのでこっちから降りるのか。

2000/11/23(金)
朝浮島のフェリー埠頭で、釣り人に混じって撮ってみる。遠いけれども、色々なアングルで見てみるということで納得。 今更ながら、受信機持参。碓氷峠以来の活躍か(笑)。羽田はすぐ滑走の向きを変えるので、必携カモ。 英語は解らんが「すりーふぉー」か「わんしっくす」かだけ聞き取れれば、まあ事足る。もう少し聞き取れるようには、 なりたいか・・・。一応家にも届くし、羽田なら。 ◆ 夕方あらためて城南島へ。夕焼けが最高だったのに、着陸の向きが逆でダメ・・・。 森クンのジャンボの離陸を目撃。

2000/11/21(水)
ネットを徘徊してて、何故かメガフロートのページへ行き着く。ナルホド運輸省のYSが飛んでたのか。 そういや羽田で、旧ターミナル跡と海保の間くらいに、YSと思しき真っ白な機体が見え・・・・・あれなのか?

2000/11/19(日)
午前、昨日見付けた場所で撮ってみる。降りてくるYS待ってると、まだ早いのにプロペラ音。あれれと思いつつカメラを構えると、 なんとUS−1! ラッキー!、尤も急病人でも運んでるんだろうから、後ろめたくもあるのだが。 ◆ 昨日の夕方は南からのアプローチだったので、今日もそのつもりで夕方羽田の島の南端へ。伊丹より難しいけど、 探せばまだまだ撮れそうだ。とーころがそろそろという時に、アプローチが逆向きに! クルマすっ飛ばして城南島へ。 シルエットで、撮れ、た、か・・・? 片付けてクルマに戻ったところへ、海保のYSがぶーん・・・くうう、またか。

2000/11/18(土)
のりもの倶楽部へ行ってみる。うーむ、なかなか濃ゆい。例のYSビデオ、さよならオリンピアと、 ザ・コックピットとかゆーのに、どっかん。色々見てると、JACのケータイストラップなどが。コロコロ丸っこいし、 エンジンナセルはYSもサーブも似たようなもんだし・・・・・サーブなのだろうが、鼻先黒く塗ればYSだな。 ◆ 夕方に羽田へ行って、大島から帰ってくるのを狙う・・・・・到着予定時刻は16:30、しかし思ったより日没が早く、 さらに到着が遅れたりで、露出がでんでん足りづ。半ばやけくそでレリーズ。(--;;;; と・・・・・ををっ、 ゴーアラウンド! 私が乗った時もやって欲しい(笑)。モノレールで新整備場駅へ行って、 暗い中ロケハン。暗いのでイマイチ判らづ。降りて来る飛行機のライトで見立てるも、ビルが邪魔でダメっぽい・・・・・ 環八のトンネルをくぐって、新A滑走路の反対側に出る。をををを、こっちから撮れるじゃーないか。 滑走路までの距離は大体、ターミナルビルから見るそれと同じくらい。南から進入してくると、着地のあたりが真横から狙えるか? 脚立で金網抜けばかーなーり良いカモ。ついでに、と隣の天空橋駅まで歩いたら、すんげー遠い。(--;;;;

2001/11/17(金)
や氏より、旅客用のYSの引退が近い由の話。衝突防止装置の義務化で、来年から実施、これを積んでいないYSは‘06年末までに引退、 と・・・・・なんとなく続くつもりでいた日々に、突然終点が現れた。いきなりかおい。 ◆ そういえば碓氷峠の時も、そんなだった。あの時は、碓氷ヘの興味をきっかけに鉄道へ帰ってきた。写真的にもチャレンジだった。 そしてハマった直後、状況に尻を叩かれた。カウントダウンが始まってしまった。 今度のYSにからむ経緯といい、こうして示された自らへの「猶予期間」といい、この妙な符合に、聊か戦慄というか、嫌ぁ〜な予感がする(苦笑)。 また、やれということか・・・!? おーしやってみるか。まさか写真集は無いだろう(苦笑)。 ◆ ANKは‘03年末までに引退、JACは未定・・・・・ANKからフェードアウト、か。

2000/11/3(金)
入間へ行く。ブルー来ないし、雨模様でさえあったのだが、濡れた舗装の上でライト灯らせる写真も良いかなと出かける。 ただ一点、飛行点検隊が目当てである。会場の土産物屋で、グレーのYSのワッペン発見。¥2K・・・。 ピンバッジもある。見本の番号を言うと「YSですねー!」とみょーなレスポンス。そのおじさん、 まっすぐこっち向いて目を見て「ありがとうございました」。気圧された。整備か何かの関係者か? ◆ T4が飛んで、救難へり飛んで、いよいよC−1とYSの登場。 例によって無線誘導(?)で右に左にゆーらゆーら揺れながら頭上を通過。モードラ回る。個人的に今日は既にここで終了(笑)。 地上にいるYSをちょいと撮り、昼頃現場を離れる・・・・・と、雨のためか今日の飛行展示は終わりとの放送があり、 わらわら帰りだす人達。食べ物関係も投げ売り開始。

2000/11/2(木)
吉祥寺のユザワヤを覗く。1/144モヒカン! 童友社とハセガワ双方触雷。他に海自に、海保に、JAS、ANK ・・・・・うち海自を。ちょっと見た感じ、鼻先のラインは童友社の方が良いような気も。どうか?  家に帰ったら海自のがダブってた。既に倒錯が・・・。((--;;; スペアということで納得する。 ◆ プロX本3巻も、YS外伝・コースチャ救出編(をゐ)まで読み進む。サハリンでの写真に注目。「LA782」と読める。 かかみがはらで買った攻略本を引っ張り出す・・・・・JA8782、製造番号2167。YS−11の、A−213と。 よく分からん。もう消化不良である。‘72年1月26日初飛行、2月15日、日航製に登録、同日全日空にリース、 ‘78年8月25日名古屋空港に到着の後海保向けに改造、‘79年2月、日航製へ返却、2月2日、海保へ引き渡し、登録。 サハリンの一件の後‘91年5月8日、「おじろ」と命名、記入・・・・・すげー資料だな、と思いつつ、 履歴見てしみじみする自分に気付いたり。


2000/10/31(火)
松山にYS使ったレストランが出来たらしい。いずれ行かねばなるまい・・・。

2000/10/29(日)
「プロジェクトX」の本を買う。

2000/10/25(木)
新宿出たついでにさくらやホビー館に寄ったり。で、YS。童友社の1/144、ANKとJTAと空自。 JTAはハセガワのもあったが、うーんと安い童友社を・・・さくらや特価各¥800ナリ。 ついでに田宮の1/72ベルX−1。いつ作るんだか。

2000/10/15(日)
また夜行鈍行で伊丹に来る。鉄道の日記念フリーのお蔭とはいえ、完全にアレである。今回梅小路と欲張り旅程。気楽に行く。 天気が今ひとつだが、まあいいか。阪急蛍池から歩いてみたら10分ちょい。なんだ。貨物を扱うエリアを覗いてみる。 開いたシャッターから、アヒルのようなYSの尻尾が見えた。結構自分好みの構図。金網を避けるのに難儀しながらも、パチリ。 今日はこれだけで満たされた気になった。 ◆ ターミナルへ行く。土産物屋を覗くと、バルサのグライダーでYS−11のがあるのを発見。一応ANK。 白塗装してあるのかは中身見ないと判らづ。潰してもいけないし、また鼻のあたりのラインがなんとなく気に入らず、今回は保留。 桟橋状の屋上へ。ううううう、タキシングするYSも300mmで十分。滑走路のもまぁ、300mmでなんとかなるか。 羽田で500mm振り回すより楽で良し。目の前の大型機の、地上要員の動きなんかもよく見えて、面白く。しっかしこの、 「見せる」ことに対する、羽田との圧倒的な差よ! あの建物の造りからして、どうも羽田は好きになれないのだが・・・。 ◆ 昼前か、空港北側を、20機はあろうかというヘリの編隊が西(南西?)方向へバラバラバラバラ横切って行く。 「ワルキューレの騎行」がぐーるぐる(笑)。さて梅小路へ向かうか。

2000/10/13(金)
JACの例の通販を受け取る。JACの手提げ紙袋に入ってるのがなんとなく嬉しい。赤と緑の、TDAで見慣れた色合いと、 尾翼以外にもストライプの入るJASな色の。前者が結構好きだったり。中身を出すと、翼のパーツには日の丸とレジと、 氷落としのブーツがシールで貼ってある。前に買った南西航空のはただのプラ地だったのだが、この差は何ぞや? オマケの絵葉書、 たーだの姿写真にあらず、写真的に良い感じだったり。撮影意欲が沸いてしまう。

2000/10/8(日)
やっぱり正面離陸が狙いたくて、梅小路へ行くつもりだったが今日は普通の向きの滑走だろうと、先に伊丹へ寄る。 雲の間から漏れる日差し、それが滑走路上をスポットライトのように照らしている。見る分には綺麗なのだが、 撮るとなるとなかなか・・・。

2000/10/7(土)
伊丹へ行く。夜行鈍行から、早朝犬山橋なんぞへ寄りつつ、JR伊丹駅。み氏と待ち合わせして一緒にターミナルの逆サイから狙う。 攻略本でお約束ポイントとして紹介されるだけあって、ナルホドこれは近い。とても羽田では味わえない。天気は思わしくないが、幸い雨には至らず。 ◆ 今日は滑走が普段と逆向き。こっちの方が好都合か・・・? ただ、YSは小さい&遠いので、どうしても長い玉必携なのだが。 しかし今回、150〜500mmを初投入なのである。これでどーだ・・・・・ってこっちが振り回されそうだけれど。 北端のポイントヘ移動。今日の風向きではこっちから着陸、低く頭上を通過して、これがなかなか。

2000/10/6(金)
JACの通販ページに旧塗装の1/100YS他のセットが。気が付くと注文メール送信してた(汗)。あうー。

2000/10/1(日)
し氏と百里基地へ行く。何はともあれ、飛行点検隊のYS。ブルーインパルスJr.とのからみも撮ったりでご満悦。 一方戦闘機のバリバリ飛行はほどほどに済ませてしまう私に、「そんな奴は他にいないと思う」とし氏。そう、かな・・・。


2000/9/18(月)
「ぼく管」中級の宮崎空港を遊ぶ。いきなし端っこにYS、なーんか知らない色。尾翼と鼻っ面にオレンジ、 側面窓周りに黒っぽい帯・・・・・交信和訳にチラッと運輸省うんちゃらと見えた気が。 いよいよ伊丹、勿論JACのYSも飛ぶ。忙しいながら順調に行くも、あとちょっとで失敗。くそ。

2000/9/17(日)
台風にもめげず、や氏と所沢航空発祥記念館ヘ行く。これまた表の公園のYSでしみじみ。 写真的には難しい場所ながら、雨の中、垂直尾翼に止まっている鳩がなんとなく印象的でパチリ。

2000/9/16(土)
PS版「ぼくは航空管制官」を所望。‘70年代編で広島かどこかで遊んだら、早速モヒカンのYSとご対面。v(^^;

2000/9/15(金)
親戚筋の用事で長崎日帰り(・・・)。朝羽田でタキシング中窓の外を見るも、YSの近くは通らず。 上空から自衛隊岐阜基地を捕捉。先週間近で見た博物館のYSは識別不能。犬山橋は判った(笑)。 ◆ 帰りに福岡空港で、とうに日は落ちてるのに、YSを探してみる(苦笑)。第1ターミナル、 第2ターミナル双方の展望デッキへ上るも、死角にいるのか、そもそもいないのか,見当たらず。 そんなハズは・・・・・タキシング中も目を凝らして外を眺めたり・・・・・いない、いないなー。 離陸滑走中に最後のチャンス・・・・・あ、いたいた! 殆ど明かりの当たらないとこに、1機シルエットで捕捉。 今回これっきり。 ◆ 羽田到着後も、またまたYSのそばは通らづ・・・そうはうまくいかない。

2000/9/10(日)
名古屋まで来たついでに、かかみがはら航空宇宙博物館を訪ねる。屋外にいきなしANKのYSがでーん。 磨き上げられたナセルがきれい。写真撮ったり眺めたりでしばらくここから離れられず、 建物の中に入るまで30分は要したか(笑)。 ◆ お土産コーナーで、YS本発見。「エアワールド」誌の別冊(‘97)で、国産機総覧とやらのYS−11編。 カラーバリエーションに始まり、製造番号順の履歴があったり、形態分類のようなものがあったりで、試作機の改造遍歴、 3舵問題の頃か、ボルテックスジェネレータだのを付けたり取ったりといった細かい所まで、これがまた濃いぃ・・・。


2000/8/27(日)
旭屋で求めたイカロスの全国空港撮影ガイドを持って(笑)、伊丹空港に望む。展望デッキでウハウハ、み氏と合流して、 滑走路北端でもウハウハ。しかし暑い。み氏自慢のレフレックスニッコール500mm/f5も、伸びたか無限遠が出なくなった(笑)。 しかし滑走の向きも一定だし、この距離感、「もう羽田なんかじゃやってらんねー」と思った。それくらいに色々撮れる。 逆に言うと羽田が難なのか。伊丹とて勿論歩いてナンボだが。 ◆ 午後、滑走路南端へ移動してみる。随分歩いた気がする。誘導灯のすぐ横で撮れて、垣根があったりで滑走路上の様子は見えないものの、 ぐおーんと降りて来て頭の上をかすめる様子は、50mmではみ出しそう。今日は明るいうちに引き上げ、ロケハンみたいなものなのだが、 次に備えて光線とか時間帯とか、空をどーんととか、もう色々考え始めている・・・。 ◆ 最後に寄った旭屋書店では、「別冊航空情報」の「航空秘話復刻版シリーズ 生きている航空日本史外伝 日本の航空ミレニアム」 なる本があり、YSの話など開発当時の、当事者の座談会とか、これがかーなーり濃いぃ。えらいもの見つけた。 ただこの座談会、完成間近リアルタイムな記事の復刻で、「いよいよですね」なんてあったりする。 みんなうまくやってますー、遅れてるけど大丈夫ですー、国ももっと応援してくださいー、ロケットより輸送機にお金くださいー ・・・・・みたいな調子のくだりなど、前間氏の本を読んだ後ではこう、「行間」が見えてしまうようで、なんとなく辛い・・・。

2000/8/22(火)
降灰と掃除の都合らしく、三宅島線の欠航が続く。当事者のことを思えば、撮影が云々などと言えたものではなく。

2000/8/19(土)
味をしめて、単身朝のつばさ公園へ行く。時節柄か、2本の滑走路から、まあ飛ぶわ飛ぶわ。全機発艦、の風情。 A滑走路から上がるYSを後ろから・・・・・サンニッパ×2でも、やっぱ遠い。(--;; 三宅島線は欠航・・・。 大島から帰ってくるのを撮りに、今度は隣の城南島のキャンプ場の方へ。YS来る、狙ってみるも、手応えイマイチ。 タキシングがてら政府専用機と並ぶのを撮ったり。 ◆ これで帰ろうかと思ってたのだが、風向きが変わって、今度はC滑走路からの離陸を前から撮れる?、 と2時間ばかしぼーっと待つ。その間に前間氏の「YS−11の悲劇」を読む。国会答弁などを交えての生産中止に至るくだり、 技術より体質の問題だっただけに、なんか気分が重くなる・・・・・この不遇な身の上の国産機を見送ってやろうじゃないか、 とちょっと意気込んでみたり。上を見上げると、政府専用機が離陸。パキスタンへ飛んだらしい。 ◆ で、そろそろとレフレックス500mm×2の1000mmで狙ってみるも、時刻を随分過ぎてもなかなか出てこない。 かれこれ25分くらい経った頃、おっかしーなーと色々余所見していると・・・・・ぶーん・・・・・あ゛あ゛っ。 ◆ 空港の島の縁には柵がめぐってて、YSは小さ過ぎて尾翼さえ見えづ。知らない間に滑走路にいたらしい。 無線聞かないと動きが掴めない。あー。

2000/8/14(月)
ビッグバード屋上でや氏と待ち合わせて、YS−11を撮ってみたり。私は先にちびちび撮ってて、 や氏がクルマで到着・・・・・駐車場渋滞にハマった様子(そらそうだ)。盆休みとあって長玉携えた人は多いものの、 YS−11ピンポイントというのはどうも、この2人だけらしく・・・。三宅島線は乱れているのか、 朝一のは飛ばず? かと思えば違う時間に飛んだり? 妙な時間に飛んで来て惑う。 ◆ やたらANKに反応する、小さな男の子。ANAではなく、ANKに限って。なんか知らんが見所のありそうな(笑)。 ◆ 例の駐車場でフジTVバックで撮った後、京浜島つばさ公園、城南島キャンプ場と移動。ナルホドこんな具合か。 しかし遠い。日が暮れかかり、帰ろうかというところで海保のYS−11が頭上をぶーん。虚脱状態。 ふと、ここでBBQしてみるのも、いいかな、と考えてみたり・・・。

2000/8/7(月)
「めざましテレビ」の合間の羽田のカットでYS−11の2機を発見。物を見る目がそうなりつつあり・・・。(--;;


2000/7/31(月)
「エアライン」誌によると、あと2、3年でANKから引退らしい。後釜はダッシュ8?、どんなのだろ。

2000/7/28(金)
大島空港の滑走路延長が、‘03年春に完成らしい。どうなるんだろ・・・。三宅島もあるが。

2000/7/25(火)
今週も「プロジェクトX」はYS−11の話だったのか(をゐ)。サハリンへ飛んでいたとは・・・。 旧ソ連というのはレア中のレアなんだろか。

2000/7/18(火)
「地上の星」買って聴く。(T-T) 「プロジェクトX」見る。(T-T)

2000/7/13(木)
ネットをウロついてて、阿川弘之が「あひる飛びなさい」という物語を書いてたことを知る。 YS−11がモデルになってるとかいう・・・・・調べてみると絶版になってるようで見当たらづ・・・。 そうこうするうちに、「きかんしゃやえもん」の作者であることを再発見。そうなのか!「やえもん」の名付け親でもあったという。 ◆ 機運が盛り上がって、再版というのはどうか。「ライカでグッバイ」の文庫も、 沢田教一の映画公開を機に再版されたのだが・・・。

2000/7/11(火)
「プロジェクトX」を見る。じーん。三宅島の地震速報の字幕がアレだったが、今も飛んでる島だし、まあいいか(意味無し)。 昨夜の放送のエンディングに、参考文献として「YS−11 前間孝則」と。読んでてぼんやりしてた話が、 もう少し見えてきたという感じ。放送に先を越されることなくどうにか読めているが、さてさて来週は・・・・・ 東條部長に代わって島文雄が就く・・・・・「あの」島秀雄の弟。丁度、東海道新幹線建設と同時進行で・・・。 ところで、今度の週末の羽田は混むんだろか?

2000/7/9(日)
羽田へ行く。8:40発のから見ようと思ったがモタモタして、9:40発の便から。 その後およそ1時間置きに到着が2便、でまた12:00発が1便・・・・・と、ここまで。頭の中で、 中島みゆきの曲がぐーるぐる(笑)。エプロンの、端の端の端の遠くに止まる事を知る。2機並びを500mmで撮っても、 小さいこと。降りて来たの見てたら、誰もタラップ降りてこない・・・!? ◆ ビッグバードの屋上から狙う。常用で500mmという感じか。離陸のシーンは、フツー500mmでははみ出すところ、 YS−11では丁度良い(笑)。ポケモンジェットとの並び(?)が、撮れたカモ。 ◆ 居合わせたF5使いのおじさんに話しかけられたのだが、まるで噛み合わづ(苦笑)。 ビギナー丸出しで「YS−11撮ろうかなー、なんて」とかヌカしてる私に対し、 彼は「がんばれニッポン!」だかのペイントした機が来るらしいので撮りに来たらしく、私も同じと思ったらしい。 ナルホド。おじさん、駐車場から撮れると教えてくれた。なんとなく不安を表すと「みんなやってるヨ」と・・・・・うーん。 まあ良識の範囲内で、てことだな。 ◆ ANAだのルフトハンザだのの5社提携塗装の機体とか、やふーのとか、色々見る。 うーむ面白いじゃないか・・・。鉄に喩えて言うなら山崎のカーブか(笑)。YS−11はさしずめボンネット特急だな。 どれくらい撮れたか判らないが、下のお土産屋で、1/100の模型を1機所望・・・・・ミーハー丸出し。(^^;;(--;;;  南西航空の多分初期塗装・・・・・昔のJAL同様、鼻先と垂直尾翼に青いしましま。名前は「そてつ」。 ◆ 久しぶりにモノレール乗る。通り掛かりに見えた海上保安庁の庫の中、YS−11と思しき機体が・・・・・ うううカメラ用意しときゃ良かった。不覚。

2000/7/8(土)
JACやANKのページを探して見てみる。ナルホドJACでは主力なのか。色々グッズもあるようだ。 ANKの八丈島線は長く乗れて好都合と思いきや、1往復残された便もジェット化する由・・・・・タッチの差か。 ならば大島線ではどうか。三宅島より近いが、1往復多く3往復あるから、朝一で行って撮って撮って撮って撮って、 最終便で帰り、¥20Kで釣りが来る。ふむ。 ◆ し氏が色々なページ教えてくれた。感謝。

2000/7/4(火)
「プロジェクトX」見てて、来週と再来週が拡大版のYS−11編と知る。 偶然にも、前間孝則著「YS−11」を読んでいる最中(汗)。最近ようやく読み始めた本。 そういや彼のは以前「亜細亜新幹線」というのを読んだなと思いつつ、まだ上巻の2/5あたり、 丁度「5人のサムライ」達の紹介のくだりなので、来週までに読み進んでおかねば。 ◆ 0系の次にはYS−11に乗りたいと思っていたのだが、八丈島あたりへ行くだけでも、 結構元手がかかる・・・・・写真だけでも、まずは撮っておかねば。しかし羽田はやたら広すぎる。困った。


1999/11/16(火)
み氏が、島根の方へ出張のついでにYS−11に乗ったという。ついでに鉄もしてきたらしいが、 横風食らって(?)スッと尻振るのが「グー(笑)」らしい。エアポケット好きな(?)自分としても、 小さな飛行機というのはいずれ乗ってみたいとは思う。大島あたりなら乗れるんだろか。 しかしただ乗るだけを目的にというのには抵抗があるし、料金も安くはなかろうし、どうにも・・・。 でもなぁ・・・でもなぁ・・・。

1999/11/3(水)
し氏と、入間基地の帰りに所沢の航空公園へ立ち寄る。時間が遅くタッチのところで入館時間に間に合わづ。 日暮れ行く中、公園でYS−11を眺めたりする。柵が邪魔だったりでどうにも撮り難く、 あのマンションから俯瞰が出来るなあ、などと言ってみたり。やらないけど。 ◆ こんなに間近に見るのは初めてか。0系新幹線にも通じる、これは時代の空気か、なんだか温かく、懐かしい。 その生まれ働いた時代の記憶を宿して、翼を休める・・・。まだあるうちに、乗っておきたい。


−YSな日々−