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入間航空祭。中止が続いたりで実質、5年ぶり。そして予報はみるみる変わり、快晴♪ そしてそして、C-1 祭り!・・・・・今日で全機退役というわけでもないが、最終号機の 18-1031 がラストフライトの由。
YS-11FC は見届けること叶わず、せめて C-1 はと思っていたが、これでどうにか・・・・・大人の事情で川重名義ながら、YS-11 に次いで 2番目にして最後の、日本航空機製造の開発機でもある。
岐阜からは「銀ちゃん」こと試作機ベースの FTB、銀ちゃんカッコイー♪ 入間の試作 2号機と最終号機、そして EC-1 まで揃い踏み。これに「飛鳥」が加われば、完璧(笑)。
◆それはさておき、会場エプロンから滑走路向こう側に、YS-11EB が 2機見えた。最後の現役 YS-11、そして最後の「スーパーYS」。プロペラは付いたままながら現状については判らないが、年度内退役は確定であって、
これが見納めに、なりそうか・・・・・任を解かれれば公然と人前に出すこともできようが、保存も気安くできるものではないだろうし・・・・・入間で駄目ならいっそ、美保はどうですかね。
海自下総航空基地開設65周年記念行事、に行く。下総基地の訪問は
実に9年ぶり
なのだったが、こちらにも P-1 が入ってきたとのことで、P-3C も徐々にフェイドアウトだろうし、一度訪ねておこうかと。退役した YS-11T/T-A の、何かしら名残を見ることができるかもしれないし。
空模様が今一つなのと服装に迷うような陽気でもあったので、今回バイクはやめて、電車。新鎌ヶ谷からのシャトルバスが有難い。
◆着くと最初の展示飛行の P-1 と P-3C は既に上がってしまっていて、デモまで少し時間があるので、エプロンまで回り道。P-3C と YS-11 のプロペラを組み合わせた「第203整備補給隊」の看板は、
まだまだ健在。
最初に見てから
もう 12年・・・・・はえーな。エプロンでデモ等々を観て・・・・・飛来してた C-1 もここで見るのは最後になろうか・・・・・一段落したところで、腹も減ったしと、食堂やら売店やら入った厚生センターへ向かうと、
途中に下総特注のマンホールが。歴代の所属機と思しきシルエットと、機種名が彫られていて、その中に当然 YS-11T もある。これは撮らずにおけづ。で、厚生センター、久々に食堂で・・・・・やってねー。
しかも一店は休憩室と化していた。売店も閉まってるか蛻の殻かといった体で、何があったのだ。コンビニだけは変わらず営業していたが、食堂気分だったところへ、もう切り替えられづ。
◆気を取り直して史料室を覗けば、コックピットが・・・・・ああこれ、YS-11 だわ。内側だけ抜き出して、コクピットトレーナーのような佇まいだが、今更訓練に使うわけもなく、保存されたものと思われる。
すぐ傍には、中央にトムボーイのマークが入った・・・・・ご無沙汰ですなトムボーイ・・・・・操縦桿や、ロールスロイスのエンブレムが入った、エンジンナセルの一部、そしてロードアジャスターなる、
計算尺・・・・・暫くじーっと見入ったが、使い方が分からづ(汗)。重量計算がらみのものとは察したが。プロペラのブレードも一枚置かれてる。これらは前回にはまだなかったと思うので、
これだけでも今回来た甲斐があったか。そしてさっきのマンホールの、カラー版。ピンズにしてほしいくらいだなー。さて、腹を満たしに露店の並んでる方へ行こうか。
報道によると、昨日能登空港で、開港21周年のイベントが行われた由。厳しい中ではあろうけれど「復興に向けてテイクオフ」のスローガンの下、隣の日本航空学園の YS-11 を使っての綱引き体験もあったようで、
その様子を伝える写真には、エアロラボ機を含んだ 4機が、写っている。とりあえず、その消息は判った。
入間基地ランウェイウォーク。これまで応募・抽選制だったものを、今回はなんと一般開放で開催。参加したことがないので内容的な比較はできないが、日程変更で正月に予定された航空祭は、能登地震で流れてしまったし、
ここで意地を見せ・・・・・と一方的に受け取ったが、開催された筈の航空祭では見届けておきたかった部分多々あって、あわよくば C-1 や YS-11 をもう一目・・・・・その機会を与えてくれたとすれば、これは有難い。
◆地上展示、ましてやそのつもりでもない機体に関する事前情報は皆無だったが、航空祭では運が良くてもエプロンの遠く遠くにしか見えなかった電子戦機が、滑走路を歩けば見えるかもしれないのである。
そのようなわけで、目を皿に公式の Web 情報を嘗め回し、昨今散見される、撮影機材類の制限の記述がないことを何度も確認、14mm から 800mm、さらにテレコンと、バッグに詰められるだけ詰め込んだ。
◆稲荷山公園駅で降りると、やはりいつもの航空祭と違って、開門待ちの人も多くはない。いつもこれ位だったら、いっそブルーが飛ばなくてもいいから、と思いつつゾロゾロ中を進んで行き、
とりあえず物販コーナーを覗く。「C-1 昇降車輪 バームクーヘン」なるものがあったが、これから一日中持って歩くのは厳しいので、ひとまず後にして、エプロンへ。
◆と。いる! いるな! スーパーYS の後ろ姿が見える! 位置的に、隠す気もないらしい!・・・・・これまで空自の公式ページでも「MAMOR」誌でも写真が載ることはなく、
ダイキャストモデルやプラモデルまであるのに公然の秘密という、情報管理できてるんだかできてないんだかよく判らない機体なのだったが、退役も迫っている今、もういいやと、なったのか。
ランウェイウォーク開始にはまだ早かったので、少しでも近く、とエプロンを南へ南へと進んで行き、テープが張られたところで、ここまでか、とパチパチやっていると、その横を、更に誘導路を先へ進む人達が。
◆えっ、もっと行って良いの?? 誘導路に出ちゃっていいの?? キョロキョロ見回すも咎められそうな気配は無く、ならばとそこへ追従。まず YS-11EA が 2機並んでいた。
12-1162 と 12-1163、両機とも既にプロペラがない。2機とも整備中ということでもないだろうから、既に退役したのだろうか・・・・・ん? EA 後継の C-2ベースの機体ってもうあったっけ? RC-2 じゃない方。
EC-1 だけで回るんだろうか・・・。ずっと這いつくばってる人らがいて、なんだなんだと思ったら、水たまりの反射狙い。そうかそうかとこちらもぱちり。
◆続いてその EC-1。まじまじと・・・・・おそらく見ること自体が初めて。カモノハシのような鼻先が取り外せそうなのが、地味な発見。そしてレドームがポコポコ付いた、YS-11EB! 02-1159。
こちらはまだプロペラがある。あらためて眺めると、スーパーYS 化による三翔プロペラでややスッキリとしたエンジン回りに加え、グレー塗装で引き締まって見え、ちょっと若返った趣。
EC-1 を含めた C-1、そして最後のスーパーYS も、たしか今年度中の退役とされていたように思ったが、奇しくも日本航空機製造が開発・・・・・C-1 は大人の事情で川崎重工名義だが・・・・・した機体が、
揃って空から姿を消すことになる。そして今回、こうして、航空祭中止で諦めていた、最後の・・・・・かもしれない・・・・・対面が、果たせた。YS-11FC の退役に際しては、これが叶わなかった。
◆もう、お腹一杯である。しかしこの、ここの航空祭では味わえなかった、のんびりした空気よ。これまでは見送っていた警備犬の訓練も、初めて見た。今年初めての試みという、
C-1との綱引き・・・・・素朴な疑問だが「相手」は引っ張られる一方なんだよな・・・・・も見た。ノウハウ不足かこれがビクともせず、中の人が機体の後ろから加勢・・・・ズルともいう・・・・・して、
やっと 4cm(笑)。引いてた方は手応えがなかったろうなあ。その後ようやくランウェイウォークに参加、あれこれ写真を撮るのに思いの外時間を取られ、3/4 程まで来たところで、強制リタイヤとなってしまった。
残念だけど、気分はすこぶる良い。航空祭とは別腹で、これはまたやって欲しいところ。「C-1 昇降車輪 バームクーヘン」は結局買いそびれた。次の機会あるかな。
能登半島地震以来、満足に練習できない中学生球児達が、輪島市のグラウンドで練習試合、というニュースが NHK で・・・・・と、映ったグラウンドの奥に、YS-11 の垂直尾翼!
しかもエアロラボ機でわないか! それのアップからグーッと引いてグラウンド風景になるカットなのだったが、ああ、まだ健在だったか、とこんな形で知るとわ。
◆つまりグラウンドは日本航空学園のそれであった。施設は災害復興拠点として明け渡し、学生達は山梨校、或いは明星大の青梅の空き施設に間借りしているそうである・・・。
映像を見返そうと NHK のネットを探すと、そちらでは YS-11 の寄りから引くカットは同様だが、垂直尾翼に NAA と入った、同学園の機体に変わっていた。
グラウンドは 1面、エプロンが見えるアングルは変わらず、状況から機体を入れ換えたように思われるのだが、もしや、NAA機をよく見えるようにしてからそのカットを撮りなおした?
もう少し咲いてくれと、またまた所沢の JA8732。確かに咲いてはくれていて、夕暮れはもういいので、ちゃちゃっと済ます。
桜が大分開いてきたので、再び所沢の JA8732 を・・・・・まだちょっと早かったか。咲いてみてよく判ったが、機体とそううまいこと絡められるように桜は植わっておらず、
花房アップの背後で機体をぼかして構図を作るのがやっと。ともかく今日もブルーのライトアップの、日暮れまで粘ってみる。桜は光線が当たらないことが判ったので諦めて、
公園の雑木林アーチ(?)越しの機体を狙うも、これが背景の看板が目立ちまくりで、しかも人物アップなものだから、肝心の YS-11 を差し置いて主役のようになってしまい、
更にはライトアップされるという難物ぶり・・・・・あくまで手前都合だが。雑木のシルエットを駆使して隠そうにも、アングル的に踏み台が必須・・・・・というわけで今日は持って来た(笑)。
所沢の JA8732 を青くライトアップする由で、コロナ禍でのソレ以来に、立ち寄ってみる。今回桜とのコラボがどうのと PR されてた様子なのだが、今年は思いの外遅れて、まだ全然咲いてねえ。
ともかくライトアップ期間中に程よく咲くことを祈りつつ、夜景だけぱちり、ぱちり。LED のせいかマゼンタ被りするのが、辛い。
機能に続いて今度は「国産旅客機、2035年までに量産…政府が新たな航空機産業戦略を策定へ」なる報道が。4兆円突っ込むんだってさ。MRJ が盛大にコケて、しかし今続けないと何も残らない、
という問題意識は、解らぬでもない。とはいえ国主導でジャブジャブ注ぎ込めば出来るのかというと、そもそも MRJ は資金不足で潰れたわけではないし、本当は何が足らなかったのか、
が明らかにならない限り、同じ轍を踏むだけではあるまいか。かつて官主導で国策会社を起こして YS-11 を開発したが、参加メーカーの当事者意識の希薄さで赤字を垂れ流して、
臭いモノに蓋で強制終了したわけで、MRJ にしても親会社と子会社の二重性から当事者意識が希薄化し・・・・・夢をもう一度、なんてヌルい動機なら、またやらかしますぜ。
「MSJ挑戦の歴史伝える 航空ミュージアム展示へ」なる報道が。つひに(完成機の)現物が拝めるか!・・・・・ていうかやっぱ残ってたか! 闇から闇とはならずに、済んだようだ。
そもそもは MRJ が「あいち航空ミュージアム」の目玉となったハズで、YS-11、MU-300、MH2000・・・・・既に収まっているこれらはどれも事業的に失敗に終わったものだが、
MRJ はそれを翻す存在になれ・・・・・なかったな結局。嗚呼三菱黒歴史館・・・。
量産初号機が羽田を後にして
4年弱、コロナ禍もあってか何度か予定が延び、ようやっとこの日、ザ・ヒロサワ・シティの「ユメノバ」がオープンを迎えた。
最後に様子を見に行って
からでも、もう 3年余りになる。ザ・ヒロサワ・シティでは、元々自動車や鉄道車両などのコレクションを無料で公開していた(知る人ぞ知るだったが)が、
科博所蔵の YS-11 他の保存・展示を目的に、同敷地内に「(一財)科博廣澤航空博物館」を設立、新たに設けた収容施設で公開・・・・・当初のアナウンスはそこまでだったと記憶するが、
無料公開なのかここだけ有料にするのか、維持費はどうするのか、と外野で思い巡らしてる間に、暫く経つと、全体で乗り物のテーマパークに再編というような話になって、
更にその後、事情あって閉鎖されていた「消防自動車館」が、房総から移転して加わる話も加わるなど、コロナ禍もあってか遅々とする間に、話は膨らんだ。
◆ともあれ、是非もない。暫く経って落ち着いてからでも構わなかったが、まずは初日に、収まるべき場所に収まった姿を、見届けておきたい。恐らくは今後も色々と手が入るであろうから、
オープン当初でしか見られなかった景色も、後々生ずるハズなのである。初日の動員が全く読めないが、とにかく入れればよいとそこは割り切ることにして、
前日までに入場制限の兆しも見当たらなかったので、ゴーである。
◆6日前の雪の中でカメラ持って震えてた(笑)せいか、風邪・・・・・病原体が特定されない限り風邪なのだ・・・・・を引いてしまい、実のところ体調次第では棄権の可能性もあったのだったが、
まだ本調子ではないものの、昨日までにどうにか抑え込んだ。都心を抜け常磐道、谷和原で降りて・・・・・と毎度なルートで、現着。オープン 2時間前。「ユメノバ」入口は、こっちかな・・・?
◆いねえ。誰もいねえ(笑)。徹夜組が出るとまではいかなくても、こりゃ日取りを間違えたかとすら思ったが、オープンの準備はしてるので間違いなさそうだ。柵越しに中の様子を窺ったり車に戻ったり、
ウダウダしてる間にはパークゴルフの客・・・・・高齢者多し・・・・・が続々やって来て、地域の娯楽と社交の場としての賑わいを見せる。1時間を切ったので戻ってみると、既に行列が。100人程いるだろうか。
お祝いの胡蝶蘭がズラーッ。何故か寅さんと源ちゃん・・・・・と思われる人がいて(笑)、前説みたいなのを始めた。
◆オープニングセレモニーなど、初日ならではのシーンを期待していたが、結局何もやらずに淡々と定時オープン。大人¥2.5K(小人¥500) はなかなか強気な気もしたが、
維持費を思えばこの程度のカンパで足りるかどうか・・・・・入るなり関東鉄道のブースがあって、つくば博の記念切符(のデッドストック)、などという地雷を思いっきり踏みつつ、
家族連れが新幹線だ北斗星だと言ってるのを横目に、「科博廣澤航空博物館」へ直行!
◆床に描かれた滑走路の先に佇む、量産初号機。2020年暮に見た時と変わらないままで、なので特に書き加えるべき話もないのだが(苦笑)、羽田を追われて辿り着いた新天地に落ち着く姿を、
こうして見届けることができた。後はもう前の見学会同様、思い付くままに、ぱちり、ぱちり。光線が変わったらまた、ぱちり、ぱちり。
小牧の MRJ 工場跡を、航空機の研究拠点にするとの由。建物からどうするのか不明ながら、これと言って他に使い道もないのだろうけども・・・・・CBC のニュース映像では建物内部の様子が映り、
それがいつのものか断りが入ってなかったが、建ったばかりのメディア向けのお披露目の時と思われる。それも映ってるのは仕切られてるうちの半分のみだったが、ココにあった造りかけのドンガラはもう、
処分しちゃったのだろうか。そして渡米してない完成機は、どこに。あいち航空ミュージアムまで転がすことも、できないのか。
実施日をずらして開催だった入間航空祭、中止。URL も "thu-shi" と綴りがとっ散らかった様子。しかしずらしたら直撃とは・・・・・大規模災害のさ中に流石にないだろう、
と思いはしたが、仕事始めで速攻出るかと思いきや、偉い人の出勤が今日初めてなのか、忙し過ぎて後回しになったのか・・・・・そのあたりはさておき、
2020年はコロナ禍で YS-11FC を見送ること叶わず、今回は今回で恐らく見納めであろう、C-1 もまた見届けられそうになく、ブルーは二の次でこの両機をお目当てにしてきた身としては、ただただ無念。