YSな日々 〜奇行ログ

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2002/6/29(土)
「エアライン」誌を覗く。羽田特集。例の屋上金網と、城南島の砂浜に触れてる。うーむ。来月はまたまたYS特集、盛り上げますな。

2002/6/27(木)
入電。例の1/200の、空自飛行点検隊仕様が出た由。うむうむ。

2002/6/26(水)
目覚めがちと辛かったが、ここで起動失敗しては訪問の意義そのものがすっ飛ぶ。這い出てシャワー。ようやく回り出す。 チェックアウトすると、さすが朝は北海道、吐く息も白い。今日は涼しく行けるんだろか ・・・・・
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2002/6/25(火)
また丘珠。あー、なんか、ボンバイエダッシュ8投入前に行かねば、丘珠空港の工事状況を見極めなければ・・・・・ それが自分にとってどれだけ重要なことだっていうの・・・・・んが、既に思考停止状態の頭の中は、どうしようもない強迫観念が飽和状態。 ・・・・・
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2002/6/11(火)
カチカチ、カチ・・・・・あうー。(ぉ ◆ チラチラ横目で「プロX」見てたら桜の移植の話。登場人物の一人、ダム開発責任者が、YS開発立ち上げにも関わっていた由。 ロータリー編でもアラビア石油編でも出てきた、あの伊丹を飛び立つJACのカットが流れる。哀しい性、これに見入る。1カットだけなんだけれど。

2002/6/10(月)
今年もお盆に臨時で大島へ飛ぶと聞く。ダッシュ8の検査入場をちびちびチェックしてたのだが(笑)、やっぱ飛ぶ時は飛ぶか。丘珠で余るし・・・。 どーすっかなー。なにがだ。

2002/6/3(月)
ぴあから「プロX」のMOOKが。今から出すかい、と思いつつも、手に取る。初期の濃かった頃の題材が続く・・・・・むむ、やはりYSも。 新しいものは無いにしろ、開発当時の写真が大きく有難い。現況を語るくだりでは・・・ん、JACはどこ行ったい。「プロX」本編ではJACばかりだったが。 官公庁向けはともかく、試作機とANKオンリー。丘珠の写真・・・・・うーん、今月どしよかと動揺。(ぉ 保存の紹介で所沢のJA8732、あ、来週末にも公開と。 調べると結構ちょくちょく公開してる。どうすっかな来週末は・・・。ときに、佐賀にいるのと連番なのか、これ。


2002/5/30(木)
「エアライン」誌にダッシュ8「すずらん」の記事。こないだ羽田で見たアレか・・・と、一方で、といった風に片隅に5月にYSが1機退役の由。 よくよく読めばJA8722と・・・・・ああぁ、初めて乗った機体でわないか。

2002/5/29(水)
TVを点けたまま寝たらしい。明け方前に目覚めると、羽田空港の風景。最近のNHKはこういう環境ビデオみたいなモンを流してる。 34LにANAのジャンボが降りてくる、向こうでくるりと向きを変え・・・・・あ、手前にANKのYSが2機。くぅぅ、まだ2機いた頃だよ。 ん、んん?、んんん!?・・・その手前、左下にTDA色の垂直尾翼・・・あん?? これいつの映像? すると滑走路も「34L」ではないカモ・・・。 うーむ目が冴えてしまった。

2002/5/27(月)
タカラのチョロQのページを見る。今度のセットの説明に「ジャンボ機YS−11A」云々と・・・・・もしもーし。

2002/5/26(日)
海自の下総基地でイベント。昨日なら確実にYSが飛んでるハズだったのだけど、今日飛ぶUS−1Aの方が見たかったというか・・・。YSは都合4機見えた。 エプロンの自由に回れる辺りから結構離れたところにいたから、これが「地上展示」の範疇になるのかはやや疑問。尾翼を並べた3機をぱちり。YS的にはこれっきり ・・・・・いや、格納庫内でダート10エンジンの展示にウハウハ(笑)。 ◆ お開きになって、帰投する飛行機達を眺めながら帰りの送迎バス乗り場で列に並んでいると、微妙に聞き覚えのある音が・・・・・お?、と思い見やると、 YSが上昇していく・・・・・下総所属だったよな、どこ行くんだよ、まさか内輪で遊覧飛行かね、それにしても今頃飛ぶなよ・・・・・なす術も無く、 小さくなった機影を目で追う。しばらく待って、バスに乗って、滑走路反対側の出口で別の送迎バスに乗り換え・・・・・そこで今度はローパスするのが見えた。 あん?? ま、遠くまで行かずに、久しぶりに飛ぶ姿を拝めただけでも、良しとするか。

2002/5/25(土)
チョロQの、YSが出る由。全日空商事の企画で、土地土地のバスやタクシーとのセットのものが出ていて、たしかに沖縄と鹿児島のは見覚えがあるけれど、 その今度は佐賀らしく・・・・・佐賀ぁ? 佐賀でYSって・・・・・佐賀空港に保存してあったか。でもあれはANKではなかったか・・・・・そのへん、 企画元が全日空商事ということで以下略、ということか? しかし佐賀に飛来実績ってあるんだろか、ANAのYS。 ◆ ふらりと羽田空港訪問。工事中だった屋上は、それも終わった様子。で・・・先々週に抱いたイヤーな予感は、見事的中。高さ4〜5m程の金網が張り巡らされ、 ご丁寧に上の方では鼠返しよろしく内側に折れ曲がる。50mm×100mm程と思しき格子状の網目には、レンズを突っ込む穴など無く、カメラ持参者にとっては、 帰れと言われているようなものである。下も上も、A滑走路側は全滅。側面へも回り込む。側面の残された10m程の所で、カメラ軍団は犇くことになる。 しかも南側はアンテナが林立しているからかなり難。C滑走路側は手付かずながら、あっち側にはターミナルビルが建つ。 ◆ ほらな、と。あーそーですか、と。階段部に屋根を付けることもなく、バリアフリーのバの字も無かったこの工事。W杯を目前にしてとかいうハナシなのだろうけど、 本当にそれだけかと邪推もする。こんな状況を知ってか知らずか、たまたまか、こんなに良い天気なのに、カメラ持った人はあまりおらづ。屋上全体ガラガラ。 警備っぽい(?)制服着たねーちゃんが2人、日陰で靴脱いで足伸ばしてパン齧ってる。こっちくらいしか撮れるもの無えか。(ぉ  それはそれとして、ボンバイエダッシュ8、すずらん塗装機認ム。サウジからの飛来機認ム・・・W杯がらみかね。 ◆ そうだ、と1階の全日空商事の店へ。例のチョロQの発売日(5/28)には早いが、もしフライング売りしてたら・・・・・やっぱり無いか。 かくなる上は・・・・・足が神楽坂へ向く(笑)。ん、あるある! 流石。無事確保。さてこのYS、翼がやけに短いのにやや違和感か。太胴の大型機とは違って、 空気を掴まえようと一杯に伸ばした主翼や大きな尾翼が、チャームポイントと思うのだが。デフォルメに定評あるチョロQだけに、ちと惜しい気も。 正面から見ればまずまずか。車輪は主輪と、尾輪(笑)、まあ致し方なしか。少し上向きに、飛び立ちたそうに走る。さてこいつをデジQ化は・・・。 プロペラの色はANA/ANK(トリトンブルー)のというよりも、JACっぽいか。ん、モヒカンもこうだったか? 折角金型起こしたことだし、 色々展開しないのかなーと勝手に期待。よくよく見れば頭の方にちゃーんと「オリンピア」と。くぅぅ。レジはJA8733。あ、やっぱ佐賀空港に保存してある機体。 結局そういう意味なんだろか、実際にはANKなんだけど・・・。

2002/5/16(木)
ふらりと新宿。さくらやホビー館でNゲージなんぞ見て(笑)、ふと例の1/200のJTA仕様のYSが目に止まり。そろそろ品切れっぽいと思えば、 こんな所にあった。あまり欲しい仕様でも無かったのだけど(この塗装の実物なんぞ見たことも無い)、20%引きだしなー、ポイント付くしなー、一期一会だよなー、 などとグラグラするうち、とうとうコテッと。店員氏に用件を告げれば「それ、どこでしょう?」ってまたかよ。ヒコーキのショーケースは1箇所だよ。 そこまで連れて行って、その一番下のそれとガラスをぐりぐりやって指しても、どれですかと来る。専門店ではないから多くは期待してないが、しかしYS−11だよ。 一応中身も検め、この店員氏、今度は元に戻せない。機体や箱を傷められてはかなわないので、いーから貸せと取り上げる(苦笑)。ときに、飾る場所がもう無いぞ・・・。

2002/5/12(日)
鶴見線で鉄したあと(笑)、ふと思い立ち羽田へ足を伸ばす。送迎デッキに出るも、今工事中で上には上がれづ。両端も塞がっててA滑走路のどちらの先も見えづ。 狭い囲いの中で人々が犇いている、そんな現状。ヒコーキのマニー筋はとうに事情を知っているのだろう、そのスジな風は見かけづ。 この建築物、素人の作かと思しき設計で元々嫌いなのだが、今の工事で多少なりとも改善するかというと、そんなおめでたい期待もしていない。 折角の視界を妨げるわ屋根も無くて滑りやすいわの階段が、まず退かないのだろうどうせ。で、これまで上へはバリアフリーのバの字も無かったから、そのあたりか?  下からチラチラ見える限りでは、屋根でもつけようというように見えるが、羽田のことである、どうもイヤぁ〜な予感。W杯仕様のJALがいたがまあどうでも良い。 ◆ はともかく、そんな視野も狭い中で、旧整備場のところにANKのYSの尻尾を認ム。海保のも見える。国交省のもズラズラ。や氏に、 それらとは別の勿論エプロンでもない場所にANKのが1機、と聞いていたのだけど、話を確かめずに来てしまったので見当違いのところを探していた具合。 ◆ でかどらなど所望しつつ、ついでにつばさ公園へ。飛行機同士のわずかな隙間につばき柄と思しきものがちらと見え。ダッシュ8であろう。ついでについでに城南島のキャンプ場。 人工渚が解禁。他はどうってことはなかったのだけど、対岸つまり羽田空港の島に人影が。いや人影なんてものじゃない。人の一群である。よくよく見れば漁船が止まってて、 どうやら潮干狩りの様子。そうか、その手があったか!(ぉ

2002/5/9(木)
そういや丘珠にもダッシュ8が来るんじゃん、と。9月のイベントまで考えてなかったのだけど、朝の3機並びのうち1機が7月からダッシュ8になるわけで、 そうとなるとこれが、YSの3機を見ておきたくなったような。空港周辺もなんか変わってきてるし。とりあえず、AIRDOあたりで・・・・・なんか早割みたいなモン始めてるし。 ◆ ぼく管2「かごしま離島管制」インストール。複数の空港というからもっとインターフェースが煩雑なのかと思いきや、1つの空港の場合とさして違和感無し。 にしてもYS、YS、YS。くぅぅ。気になる鼻先の塗り分け、やっぱりANK塗装と同じだな・・・うーん。オープニングのスケールものはバッチリなのに。 で、しょうもない指示でミスってゲームオーバー。今日はここまで。ロケーション的に、この先何か「仕掛け」があるのではと期待もあるも、 そういうものに出会うまで気力が続くのか・・・・・我ながら飽きっぽいのである。H−IIA増強型が見たい・・・って誰があると言ってんだ。 しかしオープニングのNASDAのクレジットは見逃さなかった。

2002/5/8(水)
ぼく管2「かごしま離島管制」を見つけたので所望。わくわくしつつもなんだか体調悪いので、箱開けづ。

2002/5/6(月)
しばらく伊丹方面へ行く予定も無いのであまり気にしてなかったのだけど、ふと気になって伊丹発着便を見てみると・・・・・あわわわ、ぽつん、ぽつん、 としか残ってない。数える気力も無かったけれど、なんだか片手で足りそうな感触、かつて発着合わせて20便以上を数えた日々は既に遠い。 昨年の暮にはあんなに飛んでいたというのに。じわじわと、いやばっさばっさとフェードアウトが進んでいる模様・・・。 かくなる上は、いよいよ福岡か、鹿児島か・・・・・ん゛ー。なんだか調べるのが恐いけど。


2002/4/30(火)
「エアライン」誌見てみたり。3発機特集とはナルホドと思いつつ、1/200のYSの広告が目に入り。飛行点検隊の次はYS−11Pか。んー。これは欲しいカモ。 あ、ぼく管2「かごしま離島管制」、そろそろ出てた気が。

2002/4/4(木)
例の1/200のYS、JTAのも出たとのこと。うーむ、出来は良いんだと思うけど、実機を見た記憶が無いとなかなか・・・・・ いやオリンピック航空とかだったら分からないから(笑)、結局塗色の好みによるのだけど。


2002/3/16(土)
時間があったのでや氏と高津の「電車とバスの博物館」に立ち寄る。思えば物凄いブランクを経ての再訪問、拡張された施設は、前回に来た際の面影を探すのに努力を要した。 んでここに、TDAカラーの「なると」の首が。調べるとJA8662、‘88年に米子で離陸失敗して中海に落ちちゃったらしい・・・・・東急系の縁か、 それがシミュレータとして今ここに。事故でどれほどのダメージがあったのかは知らないけれど、とりあえず鼻先のレドームはなーんか違うような気も。 写真に収めようとするもこれがまた狭い場所で引きが取れず、超広角で無理矢理・・・・・まあ「行きました」でおしまいの写真。 ◆ 折角なので中へ入ってシミュレータの体験を・・・・・むむむ、グラスコクピット化されている!(笑) 操縦桿にNAMCマークが無いのが、ちと残念。 装置は本格的っぽく、けれど時代なのか仕様なのか、現れる画像は至ってシンプル・・・・・今時のゲーム画面に見慣れてると。で、 勝手が判らないのでコパイ席の係のおじさんに、まずどうするんでしょうと訊ねるも、何か反応鈍し。うーむ遠い昔に通った自動車学校を思い出したり。 ともかくスロットルを前にぐいっ、ワケ分からずのまま操縦桿を引いて離陸。言われるままにこいつを右へ回し・・・・・フツー、一気に回したりしないと思うが、 じわじわ回して行くと反応が無い・・・・・回して、と横から言われ、操縦桿に手応えまで加わる。回してますってば、という言葉を呑み込みながら従って回していくと、 突然つーっと画像が横へ流れた。うう。ん、で、ラダーは要らんの??・・・・・2、3度繰り返して、気が付くとまた滑走路が見え、降りて、終了・・・。はあ。 そんなもんですか。事情通の(笑)や氏に聞くところによるとこれは初心者コースで、もうちょっと手応えのある上級コースもある由。 そっちのコースで丸一日独占してみないことには、シミュレータとして「面白い」の領域は些か遠く思われた。いっそ方エンジン離陸とかさ・・・。(ぉぃ  尤もそんな独占の機会など無かろうが、けれどもやはりホンモノを弄れることは他に代え難く、これには満足。 ◆ 夜半に帰宅してPC立ち上げると、JACのページで更新と。覗けば、JACがYSへのTCAD(航空衝突警報装置)装備の承認を得た由。 来年10月以降の計器飛行には必須と思ったので、それに対応する延命措置か。ANKは来年10月以降も飛ばすのだったかな・・・・・しかしJACも、 保有するうちの何機に施すのか・・・・・そこが運命の分かれ道か。いずれにせよ要ACAS/TCAS(航空機衝突防止装置)となる‘06年末までに訪れる終点は、 変わるものでなく・・・・・どうも切ない。

2002/3/7(木)
や氏より「ぼく管2」鹿児島編がニュース・サイトで紹介されてるとの報。早速覗くと、ジェットだけでなくプロペラ機もある、といったニュアンス。 たしかに鹿児島空港は、それなりの規模だから・・・・・機体の画像を見ると、あるあるJACのYSとSAAB。ん、YSがちょっと変。ああ、 コクピット窓下の反射避けの塗り分けが違うんだ。これ、ANKのそれではないか。ついでにJACでは黒というより茶色で・・・・・まあ、色々細かいのである。

2002/3/6(水)
目覚ましが鳴る前に目が覚めた。あんまり睡眠が取れてないかもしれない。TVの予報は全道雪と告げ、道東では吹雪いて視界不良の恐れ、と脅かす。 今日はムネ根室中標津空港へ飛ぶ行程。 ・・・・・
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2002/3/5(火)
超割予約した時点でこの日程の空模様など知りようも無く、雪像の溶け出した「雪まつり」のニュースなんぞ見ながら、ちょっと残雪でも残ってたらお慰みかな、 くらいに考えていた。 ・・・・・
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2002/2/25(月)
「ぼく管2」の新しいのが出るそうで、今度は鹿児島ベースの離島便。おいおい、まんまJACのためにあるような設定(笑)。わざわざ桜島や、 種子島宇宙センターを引き合いに出すあたり、どうも怪しく・・・・・桜島が噴火でもするのだろーか? ロケット打ち上げで規制がかかったりするのだろーか?  ドサクサにH−IIA増強型が飛んだりしないだろーか? ◆ YS初飛行40周年とのことで、その記念品企画の第一弾として、今回の「ぼく管2」には限定特別版が。さてどんなものかと思えば、 あの「台風飛行」が付くという。ナルホド因縁深い。ただそれ、間に合ってるんだが・・・。

2002/2/23(土)
部屋の片付け物をしていて、「日本のインダストリアルデザイン」という本と対面。昭和の工業製品から100点ばかりピックアップしてあり、そういえば、 とキッコーマンの醤油さしやスーパーカブ、0系やYS−11といったページを開いてみたり。ずっと前、 そのプロジェクトにデザイナーとして関わっていたという人に、YSの開発の折の愚痴を聞いたことがあるけれど(笑)、ここでも同じような話が。 あらためて読むとこれは、あの横浜は杉田でのモックアップ製作の過程での話。つまり太胴。「三年後に飛ぶ処女飛行までには」云々とある当時の「工芸ニュース」の記事に、 ひとつのリアリズムとしての重みを覚える。「プロジェクトX」では西陣織の生地が好評だったと紹介されたシートも、作った側は「まずいもの」と言い、 不本意な状態で披露会パーティーに臨んだデザイナーの心境を「悲劇」と呼んだ。シートはリクライニングにするのか、ギャレイや他のサービス設備は、 どうすべきか・・・・・様々な仕様要求の迷走、結局長距離機なのかローカル用なのか、つまるところYS−11とは何ぞや?、といった根本的な性格付け、 コンセプトで、造ってる側自身が手探りだったことが窺える。これが量産までにどう推移していったのか、同じ人から続きを聞いてみたいところ。

2002/2/18(月)
ようやく寄り道がかなって、モヒカン所望。中身を見る時は店員まで、と張り紙している前で、いくつも箱抱えた客がバリバリ明けてやがる。閉口。 段々、ヒコーキな世界も判って来たとはいえ・・・(苦笑)。んで棚を見ると1つしかない。さっきの客がバリバリやってハネた品じゃあるまいかと少々不安を覚えつつ、 レジへ。一応検めさせてもらうも、大丈夫そう・・・・・と、家でよくよく見てみるとやっぱ、こないだのようにプロペラこそ曲がってなかったものの、 プラの主脚がちょっと曲がってる。水平尾翼もなんだか怪しい。むむむ・・・・・そういえばショウケースにあった個体も、ちょっと横座り気味であった。 ロットごと「まあ、だいたいこんなもんですよ」な世界で済まされるような、話なんだろか・・・? ◆ ともあれ、トリトンブルーと並べて、しみじみ。どちらもすっかり馴染んだ今にあって、やはりモヒカンは些か遠い・・・・・目の前にありながら、 目蓋の残像を見ているような。その色彩の違い以上に、これは時のコントラストか。それはそうと1/100のモヒカンは・・・。

2002/2/10(日)
岡山方面より入電。例のダイキャスト1/200モヒカン入荷と。むむ。

2002/2/3(日)
一昨日届いた「ぼく管2B(ブラボー)」を入れてみる。調整に少々ハマりながらどうにか動くようにする。舞台は夕刻の羽田。と、 いきなし大島から帰って来るYS。ををを。ん、ダイヤがちと怪しい気も・・・・・ともあれ、茜色に染まりかけの情景の中を飛んで来る姿にしみじみ。 出発便はさっさと片付けて、YSに続くJASの到着便は大回りさせ、これでゆっくり眺められると思った。さらにYSに着陸復行の指示まで出して、 こりゃ延長戦だーとウハウハしてたら、思いの外大回りのJAS便の足が速く、オカマ掘るごとくニアミス。むう。国交省になんと申し開きしようか・・・。


2002/1/31(木)
そういや出てたかとエアライン誌を手に取る。表紙がいきなしシブイ。「名機発見!」って今更発見するのは「今なお現役」ノリか、 はたまたぱっとしなかった機種の再評価か・・・・・広げてみると、あまり深く考える必要も無かった風。日本の雑誌としてはYSは外せないトコロ。 当然ながらページも割かれ、ましてや、煽り入ってるこの時期・・・・・退役してしまった後、どんな扱いになるのやら。

2002/1/18(金)
近くまで来たので、銀座へ歩いて天賞堂に立ち寄る。久しぶりに鉄道模型でも眺めて・・・・・と、少々置いてあるダイキャストのヒコーキの棚に、 例の1/200のYS・・・・・いやこれがモヒカン! むむ、もう出たか!?、と思いきやまだ発売前の展示らしく。さらにJTAと、空自の飛行点検隊まで。 天賞堂、恐るべし。トリトン・ブルーでは、ほんの少し青が淡いように思えたのだが、モヒカンではどうか・・・・・どうだったか。実物を見なくなって久しい。 JTAはあまり馴染みも無く塗色もどうも好みじゃないのだけど、見てしまうとこれがまた・・・・・飛行点検隊は既に決定。 ◆ ふらりと、ミニクラブ(鉄道模型Zゲージ)を所望。思えばこいつは1/220スケール。並べてみたくなる。

2002/1/14(月)
電車に乗ってうつらうつらしていると、隣の席のおっさんがスポーツ紙をバサバサやる音に妨げられる。ちっ、とばかりにそちらを見やると、 紙面の端に「YS−11」云々という見出しが目えたような・・・・・おっさんすぐに捲ってしまったので、確認出来づ。 錯覚ではと、己のバイアスがかった頭脳を疑いつつも、気になるのであとで情報を探してみると、あった。 ◆ 昨日、JACの福岡発高松行のYSが、飛行中にエンジントラブル、片肺飛行で引き返した由。片肺飛行・・・・・性能的にマージンはあるとはいっても、 目の前でプロペラが止まれば、乗客も気が気で無かったことであろう。むしろ引き返されて困る方が大か? かなり横滑りで飛んだに違いない・・・。 着陸復行くらいならもう体験済みなのだが、次なるはやはり、片肺・・・・・ってこらこら。

2002/1/10(木)
カタカタ、カチカチ、今更ながらANAマイレージクラブ入会。1年前に入っておれば・・・・・と思うも、それまで年間に乗るか乗らぬか程度の利用だったので、 リアリティなどが無かったのである。ま、大して貯まらんのは判っているのだが、とりあえず予約の便宜というものがあるので。 ◆ 新宿に寄って、紀伊国屋にて地形図を求める。まずは中標津に、もう必要も無いだろうに昨年春に買いそびれた函館、伏線的に鹿児島(ぉ、福岡、ついでに滑走路1本の成田。 空港周辺の地形図なんてものが簡単に手に入る国の平和を密かに喜びつつ、しかしながら我ながら怪しい買い物ではあったか。あと富士山。 ◆ 出口付近で、そろそろ処分市っぽいカレンダー群。ANKのが目に止まったので捲ってみると、ひたすら737、捲れど捲れどどこまで行っても737。 昨年もそうだったカモなれど、分社を睨んだこの時期にあっては、なんとなく決定的な現象のようにも思え。

2002/1/6(日)
大島臨時便、今回の最終日。やはり天気が良いので富士山バック狙いで送迎デッキから狙う。今日はクルマで来てみた。早く着いたところで立体駐車場から渡り、 ターミナルビルの吹き抜けンとこへ来るとBSデジタル放送をデモってて、たまたま朝比奈隆のブルックナー第9なんぞ流れていたものだからしばし鑑賞。 そうしつつ、これよりラストチャンスに臨むべく、イメージ・トレーニング。まだ早いながら送迎デッキに出て、軽くリハーサル。 近くで三脚をお神輿にしている(1本の三脚にカメラを何台も載せてる)人。鉄道ならいざ知らず、ヒコーキ的には初めて見るような。 あれでは追いようが無かろう・・・。そこいらの椅子だの勝手に引っ張ってきてて、やたらと場所塞ぎ。閉口。 ◆ はさておき、富士山バックを狙うのである。今日も34Lであれば、タキシングと離陸で1回ずつ計2回のチャンス。そうこうするうちに向こうの駐機スポットに動きが出て、 いよいよYSがこっちへ向かってきた。今度ばかりは落ち着かねばならぬ。どうか、どうだ・・・・・かしゃかしゃかしゃ! すぐさま上のデッキへ上がって、YSが駆け上がるのを待つ。 左手から、ぶおぉぉぉぉぅぅぅぅぅぅぅぃぃぃぃぃぃん、頭を上げた、地面を切った、よし、どうか、どうだ・・・・・かしゃかしゃかしゃ! んー、どうにか、撮れたような、 撮れてないような・・・・・泣いても笑っても、これで決まる。2階でまた「空飛ぶ子ドラ」所望。 ◆ 返しはまた、つばさ公園から1000mm狙いで行く作戦。クルマを北へ走らせ・・・・・前方に、海保のYSが上昇中。ええっ!? 04から離陸して反転した風、 右から左へ横切って行く。これは勿体無かった気も・・・。今日は風が弱いためか、つばさ公園から1000mmで覗いているともう、陽炎がゆらゆら。 エンジンのぶおーっという排気も判らなくなる・・・・・またまた、圧縮効果で編隊飛行のように見える着陸機。それがちょっと途切れて、一際小さいのがぽつんと現れる。 あれだ。逆光の中いよいよ近づいて来て、陽炎ゆらゆらの中へランディング。これが羽田の見納めか? また次があるのか、そろそろ難しそうな。

2002/1/5(土)
成田の博物館を訪ねる。着くなりまずは「冬物語」を取り出し記撮。なにやってんだか・・・。 ◆ 続いてGLAYのアレの検証。過日CD屋で貰った例の冊子を取り出し、その写真と見比べる。プロペラを固定する柵のようなものは地面に螺子止めされており、 容易に取り外しが出来ることが判明。普段と違うタラップも、周囲を見回すとGLAYの写真と同じ物があった! 高さ調整も出来る汎用のもので、 あれに換えたに違いない。足元のコンクリを打ってある部分、GLAY写真では丁度そこにチェック模様の板が敷いてある。 機体は塗り直したような気配も無くアレはシート貼りであろう。そんな諸々で、判定下る。GLAYだけどクロ・・・・・しょーもな。 とりあえず、近似アングルから1枚ぱちり。 ◆ 予報では午後から崩れる風で、既に昼頃にはかなり怪しい状況。少しパラパラ来だしたことでもあるしと、バスで空港へ戻る。東成田駅でドアを開けたまま動かず、 はて何だろうと見守っていると運転手、外へ向って「検問は!?」・・・・・をゐをゐ特別警戒実施中ではないのか。警官が慌てて乗り込んで来て、一通りチェックして、 ようやく発車。警戒も日常化するとこんなものかと。 ◆ 空港ターミナルで夕暮れまで過ごしていたのだが、空はまた晴れて、西日がキラキラ、やがて夕焼けを残して日没。これなら博物館で粘れば良かったカモ。 いずれ決着をつけねばなるまい・・・。

2002/1/3(木)
予報の通り、やはり朝の天気が良くなってしまったので、富士山バック狙いで羽田へ行くことに・・・。有難いことに風向きは北風に落ち着き、 これなら慌てることも無い・・・・・のだが、いざとなるとこれが、手応え的にどうも良くない。早いとこ片付けてしまいたいのだが・・・。 返しは海面のキラキラを入れて。これもどうか・・・。 ◆ ときに、近くにいた重装備系の奴、デッキは禁煙というに煙草吸いだす始末。こういった手合いは線路の近くでも見かけたが、こっちでも事情は似たり寄ったりか。

2002/1/2(水)
新杉田からシーサイドラインに乗る。そういえば、と外を見やると、出てすぐ日本飛行機の工場が見えた。むむ、「プロX」で見たそれそのものではないのかあれは。 モックアップを御披露目した、「okohama ugita で、11日に会いましょう」のあの場所・・・・・建物はそのままだったんだっけか。 ともあれ、こいつぁ春から縁起が良い(のか?)。 ◆ ところで、乗ってた車両の銘板が目に止まる。新潟鉄工製・・・うーむ。昭和64年製・・・うぅーむ。 ◆ おっと超割の受付が始まっていたのである。カタカタ、カチカチ、完了。今回も函館経由丘珠行の一泊二日ながら、翌日は朝の3機並びを手早く撮った後、 中標津ヘ飛んで、離陸2回、着陸1回を撮って帰る算段。3月初旬で雪が残ってるのかやや疑問ながら、足止め食うことを思えば・・・。


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