YSな日々 〜奇行ログ

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2001/6/30(土)
大島線のYSも、今日限りである。いや夏休みの臨時が飛ぶので、定期便としては、今日が最後なのである。 ◆ そのようなわけで、今日はや氏と大島へ行って来ることになっている。 ・・・・・
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2001/6/27(水)
ANAの空席案内を見る。大島線の9/3以降の便、YSからダッシュ8に変わってた。検査の日程がずれたのか、それとも以前の表示は誤りだったのか、 尤も堅気の利用者には機種のことなどあまり関係無いだろうけど・・・・・ん、9/3を境にそれ以降、きれーいに満席になっているようなのだが。 はてはて? 超割なんかでもないし。梯子外されたマニア諸君だろうか(笑)。 ◆ 「台風飛行」で紹介されていた、全損から甦ったJA8643、履歴を調べようとしていたのを思い出したので、例の攻略本で見る。 すると‘81年にも高知でオーバーランした由。そこでも立ち直って、JASになっても飛び、そして海外へ渡ったらしい。 ◆ ところで書店で目を引いた「台風飛行」の表紙。一見劇的なのだが、どう見ても光線の向きがおかしい。よく見れば機体だけ粒状性が違う。 なんだ合成である。合成の是非を云々する野暮はしないが、粒状性は画像処理である程度馴染ませられたろうし、光線の向きの配慮など、合成の初歩と思うが。

2001/6/26(火)
「台風飛行」読了。パイロットはじめ、運行を支える人々の心意気に、じわり。鉄道でも、昔はこういう心意気を感じたように思う。 ◆ やはり同梱CDと連動しているようで、というかそもそも、音源から起こした本なのか。なかなか臨場感があって、 読み進むうちにこちらもわくわくしてくる。そこでふと思うのは、この本があるのだから、CDにもわざわざナレーションで解説を入れたのは、 聊か野暮ではなかったか。最初からCDだけならともかく、既に本で知っている事柄のライヴの音として聴いていくと、どうも煩わしい。 やはり大元の録音集「日本の翼YS−11」の復刻を望みたいところ。 ◆ 全損YS復元作業の話といい、ややプロXワールドな気も。H2ロケット並のえこひいき(ぉ をするならば、この復元物語だって良い話になりそうである。 ならないかな。「最新鋭機が」・・・「離陸失敗」・・・「全損」・・・「部品取り」・・・「機体は」・・・「刻まれた」・・・「ある技術者」・・・ 「よみがえれ」・・・「大空へ」・・・・・♪つーばーめぇよぉー・・・・・だめかね。 ◆ そんなプロXの今週のを観た後、ニュースで三宅島の現状。噴火から1年とのこと。1年前、前間氏の本を読んでた頃で、 まだ撮影目的で羽田へ出かけたりはしていなかったから、我ながら浅いものだとあらためて苦笑。そういえば撮り始めの頃、 三宅線のダイヤがよく乱れてた気がする。そしてとうとう飛ばなくなってしまった・・・。島を一周する道路は復旧したそうで、 でも人が住むにはまだまだらしい。晴れがましく、とばかりは言えないだろうけど、YSがかの地に再び舞い降りるのは、いつの日のことであろうか。

2001/6/24(日)
朝の部の返しを撮ろうと、またクルマで出かける。時間ギリギリなので不安になり、道中iモードで運行状況を見る・・・ 「欠航」・・・あでゃ。あーあ、としばしその場でうだうだする。ふと、朝のが行ったきり帰って来られないってことなんかあるのかなー、 という思いが頭を過ぎり、試しに往路の便を調べてみる・・・「引返し」・・・あん!? 戻り予定時刻は、順調だった場合の復路と同じ頃、 くぅぅぅ、真っ直ぐ撮りに行っておけば間に合ったか、と後の祭。しかし、引返しの便って乗っててお得だったのでは、 などと堅気衆の利用者のことなどすっ飛ばして、マニアな独善が頭を過ぎる・・・・・不謹慎だけど。でも料金だって戻るんだろうしな・・・。(ぉ ◆ あーあ、というわけで用事を済ませながらチラチラiモードで情報を取る。昼の部は12:00発、「出発予定」の「予定」がなかなか取れず、 とうとう12:30頃に「欠航」となってしまった。一度引返しているから、見切るのも早いのカモ。夕方の部も、あっさり「欠航」と。ふう。 今日はとうとう、全便欠航であった。天気予報を見ると、大島は濃霧。ナルホド、荒天ばかりが欠航ではないわけか・・・。 ここのところダイヤの乱れによく立ち会う気がするけど、「台風飛行」を聴いた後では、どうも呆気無い気もする。果たして決戦の土曜日は大丈夫だろか。

2001/6/23(土)
ダッシュ8に交代前の最後の週末(来週は乗る)、晴れるという話はどこへやら、やけにガスっぽい曇り空、我ながら執拗な16L進入狙い、 時間が無いので仕方無い。訪れるは城南島、今回はカーブ外の城南野鳥橋ではなく真下近くから正面を狙ってみる。着陸灯が光るハズ・・・・・ ところが飛行機によって通る場所がまるで違うので、これがなかなか難しく。ここと当たりをつけるも、 YSは例によってえらく小回りに回ってしまった。うーむ・・・。昼の部でリターンマッチだ。 ◆ ちょいと用事を済ませてきて、昼の部の着陸の頃を見計らって再び城南島へ。見ると22に変わってる。あららー。 キャンプ場のトイレに入ると、外でプロペラの音。あん? 海保か、それともダッシュ8か、と余り気に留めてなかったのだけど、 表に出てその音の方を見れば、あららC滑走路にYSが。え、今から飛ぶの? どこ行くの・・・? おおそうだ、これがあったわい、 とiモードで発着状況をチェック(何故今まで活用せなんだか)。なんと、1時間半遅れで昼の部の離陸なのだった。おいおいどうなってるんだ・・・。 ◆ 大島の滞在時間を切り詰めたか、30分くらい回復して戻って来た。22進入。BBQに興じる人達とからめてみたいなー、 と思う・・・・・うーん、どうしよか。 ◆ またすぐ離陸して行くので撮影の移動は叶わず、また帰ってくるのを待つ。着陸は相変わらず22。風も西よりになっているし、 このまま行けるかもしれない。iモードで確認、時間をどんどん詰めてきている。そのうちB滑走路(22)の誘導灯が灯りだす。 天気は相変わらず冴えない有様で、お蔭で少しは暗くなってくれてる感じ、誘導灯が映えるカモ。 潮風を避けてぼーっと無線だけ聞いているような具合だったところへ、見覚えのある3つの光点が現れた。定刻30分過ぎくらい、 そういえば三宅島線が、飛んでいれば今頃帰ってきたんじゃなかったか・・・・・ともかく、本番である。スイッチが入る。 ぶーん、頭上を過ぎ、振り返る、YSが光の地上へ舞い降りて行く・・・・・モードラが刻み続ける。

2001/6/21(木)
9/3から、また大島線がYSに戻るらしいという。一体どういうことか? 多分、だっしゅ8が1機しかいないので、 その定期検査によるものなのか。今日ANAのページで確かめると、翌9/4もYS。2ヶ月と14日先までしか判らないので、 これがいつまでなのか・・・・・ともあれ、まだまだ「延長戦」が。西日の16L進入、チャンスありや?

2001/6/19(火)
や氏より、大島線が全便欠航とのこと。どうしよう、6/30は飛ぶんだろうか、と話は勝手に盛り上がってしまったが、どうも天候によるものらしい。 東京は至って平和だったが、伊豆諸島は荒れていた様子。八丈島線も欠航が出ていることだし、そういうものと思いたい。 2機いるんだろうから、故障でもなかろう。

2001/6/18(月)
何故か夕方城南野鳥橋にいた。何故かや氏もいた。2人して16L進入西日ギラリを狙ってみるも、 そもそもここへやって来るまでに見る見る霞んで来てて、既にたーだの薄曇り。戦意喪失しつつも、折角だからと待ってみる。 入れたフィルムは、YSをガンガン撮るか、さもなくば1コマも切らないで抜く、と決めた。 ◆ またイヤ〜な間があって、やっぱりB滑走路に切り替わる。シカーモいきなしだっしゅ8である! もう移動は間に合わないかな、 と言ってる場合ではない。YSが来るべき時間だろう、YSはどうなった? 大島にはANK用のスポットが1つしかなかったと思うが、 こいつが大島から飛んできたとなると、まままさかピンチヒッターか!? 昨日も1時間遅れたことがあったし・・・。 ◆ すっかり萎えたところで、まあB滑走路見に行くか、とキャンプ場へ・・・・・や氏のクルマで駐車場へさしかかったまーさーにその時、 ぶーん・・・・・あでゃ? 見上げる。あああっ!? 真っ白なそれは、国土交通省のYS・・・・・よりによって一番見たこと無いやつ! ◆ すっかりボロボロになりつつ、海保が来るカモよー、と淡い夢を抱きつつ、空を見る。海保のYSは来ない。そんなに虫の良い話も無いか、 とウダウダやってると、ぶーん・・・・・スクランブル! 500mmで覗けば、ANK塗装! ん? 40分くらい遅れてる。 ともかく、誘導灯の列の向こうへ沈んで行くYSを追う・・・・・全てが救われた気がした。撮れたかどうかは判らないけど。 ◆ 謎のだっしゅ8から、40分ほどの後続。あれが大島空港で何か梃子摺って、YSの着陸が待たされたのだろうか。 折り返しは20分あまりで出来るそうだから、だっしゅ8と入れ代りというのは一応成り立つ話ではある。 大島上空でだっしゅ8離陸待ちで旋回・・・というのに乗ってたら面白かったろな、などと気楽なことを考える。

2001/6/17(日)
晴れるらしく、それに南風らしいので、朝一に浮島の埠頭へ。北風でも良かったのだけど、1000mmで離陸をパチパチ。 ついでにAPSのセピアも使ってみたり。残り少ないけれど、少しは遊んでおきたいところ。後で気が付いたらISO400、ザラザラか・・・。 ◆ 順調に南風が続くので、返しを城南野鳥橋で待ち構える。自転車が沢山走っていて、上手くすれば彼らをからめることも出来そうだ。 しかし9:55着のところ9:25頃から待って、これがなかなか来ない。9:55を過ぎても、10:00を少し回っても、来ない。遅い。 たまに、異常に早く着いてしまうこともあるのだけれど、南から直進の34L進入ならいざ知らず、多少は遠回りの16Lである。 逆算すると、大島をタッチ・アンド・ゴーでもして来なくてはそんなに早くは戻って来られないハズ・・・・・もうしばらく待ってみることにする。 半ば自分を納得させるがため・・・・・まともに日差しを受けて、フラフラしてきた。 ◆ と、1時間ほど遅れて、ようやく登場。500mmで追う。光線的には夕方の部が本命、肩慣らしのようなものである。 去り行くYSに絡めたい自転車は・・・・・ああ、丁度途切れてしまった。 ◆ 昼の部の離陸は、旧ターミナルのあたりから。脚立を出して、金網越しにどうにか・・・・・管制塔バックに上がって行くシーンをと狙ってみるも、 そう見込み通りには行ってくれず、もう少し滑走が長かった。残念。これの返しをまた城南野鳥橋で撮り、午後の離陸もまた旧ターミナル跡で。 行ったり来たりのルーチンワークと化す。 ◆ いよいよ午後の部の16L進入である、日差しはバッチリ。次々とギラギラ輝く機体が降りて行く。 夕方は突然B滑走路に振り分けることがあるので気を抜けないのだが、ギリギリまで様子を見て、クルマを後にする。 他にもクルマで乗り付け仕度を始める人。彼もこの1本に賭けて来たに違いない。 ◆ 到着予定時刻は刻々と迫る。もう他の場所への移動は不可能であろう。速度v1状態である。行くしかないのである。しかし次々と、 目の前に黄金色の機体がやってくる。今日は大丈夫だろう、今日こそは・・・・・。ふと、飛行機が途切れた。イヤ〜な兆候である。 定刻通りなら今まさに来るべき時刻である。とにかく1本何か来てくれ、安心させてくれ・・・・・と、遠くにYSが見えてきた。 こちらへ向かってくる、よし、来い、来い、こっちへ来い・・・・・・どうも姿勢が変だ、いやまだそうと決まったわけではない、 そーら、こっちだ、こっちだ・・・・・あああ! ◆ その瞬間、今日の活動は終わった。YSは悠々とB滑走路へ沈んで行く・・・・・しかもあろうことか、それに呼応するように、 34Rから離陸する飛行機が! 北向き!? んなバカな! ・・・「羽田トラップ」である。無線を聞いてても、移動は間に合わない。 列車で言えば、入るホームもやって来る方向もその瞬間まで判らないようなものである。そう喩えると、つくづく、ギャンブルであると思い知る。 この道に通じている人達の間では別の呼び方があるのだろうけど、この「羽田トラップ」に幾度引っ掛ったことか。伊丹の平和が眩しい。 とぼとぼクルマへ戻ると、さっき仕度をしていた人も丁度片付けているところだった。互いに言葉も交わさなければ、 顔を見合ったりさえしなかったけれど、なあに、見知らぬとも同志の間には、何も要らないのである。

2001/6/16(土)
午後にカイシャの行事というのがあって、せめて午前中だけでもと、朝の部を撮りに羽田へ。前日の雨は止んだものの、 尚もどんよりとした曇り空。前線の北側だから単純にそうなのか、風は北寄り、16L進入は望み薄か・・・・・ ターミナルから離陸を狙う。34Lで着陸灯を点灯するYS。雨が残ってれば反射したろうに・・・・・。 ◆ 一旦駐車場を出て様子を見るも、風向きは変わる気配無し。再びターミナルへ戻って、三脚を据え・・・・・ なんだかやたらに人がいる。YS狙いか? いや何か様子が違う。よくよく見ればディズニー仕様のJAL機がすぐそこに。 しかも2機並び。子連れ客ばかりでなく、情報があるのだろうけどカメラ持ったソレっぽい人達がわらわらと。手すりによじ登ったり、 なんだか物凄い状況である。まあ線路端でもこういうのは見てるから(苦笑)さほど驚くものでもないのだけれど、 ヒコーキの人って(鉄に比して)結構余裕かましてる感じなんだなー、というこれまでの印象は、やや修正を必要とされた。 ◆ そんなところへ大島帰りのYSが34Lに着陸。私以外殆ど誰も撮ってない。「エアライン」の特集が延びてなかったら今頃は ・・・・・考えまい。そういや、ディズニー機を撮らずにさっさと退散してしまった。まあいいか。ゴーイング・マイウェイである。 ランナー出しても振りかぶって投げ込むのみなのである。・・・後になって考えが変わるかもしれんが。 ◆ 地元の書店で「台風飛行」なる本を見つける。我ながらスルドくも、数多ある書物の中で、こいつが浮かび上がって見えた。 よくよく見れば、懐かしいTDAカラーのYSの後姿の写真。中を見て行くと、台風の日のフライトのドキュメンタリーらしい。 しかもCD付である。収録内容の説明は見当たらなかったが、聴けば判ることである。即決。 ◆ 早速CDを聴いてみる。‘81年に台風来る中鹿児島→奄美と飛んだYSのドキュメンタリー、CDはその添乗生録を含んだ、 ラジオのドキュメンタリー番組のような仕立て。だからしみじみ聴き入るようなものではないし、編集の手法も賛否あると思うけれど、 そこにはたしかに、「現場」があった。離島にとって航空路はライフラインであって、それを維持し続けようとする気迫の前に、 鉄道でも何でも、結構そういうのには弱かったりな自分がいたり。横道の話で、JDAの全損したYSを再生する話も。 鉄的にはC57 1の物語を思い出す。JA8643がそれらしいが、その後どうしているのか・・・・・例の攻略本で確かめるか。 ◆ CD収録の音源は、以前「日本の翼YS−11」というタイトルで出ていたものらしい。飛行だけでなく整備や何やと、 「現場」の音が5時間くらいのものだったそうだ。今回の本も、そろそろという「機運」の賜物のような気がするのだけど、 この録音集の方も、期待したいところである。

2001/6/10(日)
晴れるでもなく降るでもなく、中途半端な曇り空の下、16L進入を少し遡って、台場はテレコムセンターヘ行ってみる。 20階へ上ると、他にも色々眺めの良い部屋があるのに、わざわざ¥600の展望室が別にある・・・・・ たしかにもう1フロア上にはなるのだが。ドリンクサービス(?)も廃止になったという。聊か不可解な¥600である。 ともあれ、試しにと展望室へ入ると、一応360°の視野は確保されているようで・・・・・尤も今回、 見たい方角は決まっているのだが・・・・・展望室であるから、カメラをカシャカシャやっても文句はあるまい。 その大儀と余裕の代償の、¥600と考えたい。それにしても地味な場所である・・・・・貿易センタービルのような。 ◆ 果たして、目の前を飛行機がターンして行く。着陸灯を点しこちらへ向かってきて、フェリー埠頭のあたりから旋回、 そして城南島の方角へ回って行く・・・・・羽田C滑走路まで見通せる。ん〜。ウォッチングには良いカモ。 中には大回りして頭上を過ぎていくものまである。マージンを取っているのか。 ◆ さて、そうこうするうちにYSである。昼の便。小さい上に、やはり小回りに行ってしまう。 単体じゃ遠いし、いっそ眼下のコンテナ群とからめようかと気転をきかせたつもりだったが、如何せんどうにもまとめにくく。 もっとコンテナ群のそばから、ぐおーんと仰いでみたいとも思ったが、あのへんはきっと立入禁止であろう。 ◆ 降り出しそうな空の下、夕方の便を狙いにまたまた城南野鳥橋へ行ってみる。暗い空で露出を切れば、 バンクしたYSが青味がかった情景にシルエットになって、着陸灯が引き立つ・・・・・そんな算段をしつつ現場へ着くと、 着陸進入がB滑走路に切り替わってた。(--; 最近このパターンが多い。管制官の胸先三寸、どうしようもない。 とりあえず遠いながらB滑走路進入を・・・・・街路灯をにょきにょき入れてみる。んー。

2001/6/9(土)
梅雨に入ったはずなのに、なかなか雨模様を撮るチャンスが無い。思いっきり晴れてしまったので、西日狙いだけ出かける。 そういえば空港ではなく16L進入路を西日順光で狙える場所を探してなかったなと、城南島の北側を地図で探せば、 城南野鳥橋という場所が空も開けてそうで良さげ。行ってみれば果たして、これがまたドンピシャリ! 近過ぎず遠過ぎず、 北北西からターンした飛行機が目の前で水平に戻しつつ、16Lへ入っていく・・・・・何故今までここへ来なかったんだ! ◆ やがてやって来たYS。少し小回りに北西からやって来て、一瞬西日にギラリと輝き、そして降りて行った・・・・・くぅぅぅぅ。 500mmではみ出す。くぅぅぅぅ。明日も晴れそうだが・・・・・夕立がありそうだが。んー。

2001/6/3(日)
今日は晴れていてくれそうなので、再び午後に羽田へ。屋上から16Rの離陸・・・というか滑走直前の姿を撮る。 けれども滑走路の端まで行かず、ちょっと端折った所から滑走路に入ってきたので、構図的にはやや物足りづ・・・。 ◆ 返しの着陸、またC滑走路んとこで狙う。例によって他に誰もいない。今日は西日に映えた・・・・・か? 少なくとも昨日よりは良かったか。 露出が自身無し。タクシーウェイへ逸れて反転する際にくるっと一瞬こっちを向くタイミングで狙う。 プロペラが綺麗に輪を描くように撮ってみたい・・・その為には1/125以下が必須のようなのだけど、 超望遠で狙う以上ブレが恐く、なかなか実現できないでいる。タキシングでは回転が上がっていないので、さらに厳しい。 ◆ いよいよ梅雨に入る。夏休みの臨時便は午前中だから、羽田西日編は、これで見納めか・・・。

2001/6/2(土)
最後の梅雨入り前にと、西日狙いで午後の羽田へ。ピーカンだったのが、電車に乗り蒲田で見上げると曇り空、 ままよと羽田までやってくると、もうどうしようもなく・・・・・着陸灯だけ映えればいいか、と、 新ターミナルの工事現場を見下ろす、C滑走路狙いの場所で脚立に乗る。1ヶ月切った週末だというのに、他にはだーれもいない。 そんなものか。続々とB滑走路に着陸する飛行機。やがて現れたYSも、フジテレビをビルの上を横切り、B滑走路へ降りていく。 撮るだけ撮っとく、というような・・・・・ここで日が出れば良い塩梅の順光になったろうに。 ◆ ビッグバードの屋上へ上がる。をををダッシュ8はいずこ、YSが2機並んでいる。西の空には雲が無いので、 あの2機に日が差すのを待つ・・・・・風が無く、雲はなかなか流されず、結局30分待ち。(=_=; ◆ ANA系の新しい時刻表を貰う。三宅島線、大島線を一応チェック・・・・・あん??、大島線が1往復多い。 よくよく見ればYSの設定。なんと! 夏休みの増便で、まだ飛ぶのである! 6/30限りと思ってそのつもりでいたのだが、 思いがけずの延長戦である・・・・・うーん。今更と思いつつも、ちょっと気が楽になった。こいつの最終日は、ええと・・・。(ぉ ◆ 帰りに寄ったヨドバシ、例のFS2000用の海保YS他のデータがあったので所望・・・・・ふう。 ゲーム本体をインストールしていないのだが・・・。(ぉ ◆ のりもの倶楽部扱いのグッズ関係、ずっと忘れてたので、いくつかピックアップして申し込む(照)。


2001/5/30(水)
発売の「エアライン」誌を見る。YS特集の筈なのでやや身構えて書店に入るも、見つけたそれは、何故か国際線特集・・・あん??  巻末を見ると、YSを取り巻く状況が変わったため延期とある。はて? たしかにANKの方は新会社設立の報があったが、 やっぱり、アレか、過熱を恐れてのことじゃなかろうかとゆー気も・・・・・そうだとしても、そうは言わないだろうし。 大島線があと1ヶ月。「エアライン」片手にワサワサ来たかもしれなかったわけである。延期で多少は変わったハズ。 ヘタすれば羽田は実質6月限りと知らぬ人もいたろうし。で、大島線最終便のレポートなんか、載ることになるのだろうか。 ・・・あと1ヶ月、か。

2001/5/26(土)
し氏と海自の下総基地へ行く。海自のYSを撮るのは初めて。キャリアの浅さは見る物を新鮮にする・・・・・ などと予防線のようなコト書いてみたり。エプロンの先まで入ることができた。すぐ前は草っ原。 草っ原の向こうはタクシーウェイ。ロープも無いから、放っておくと乱入する者が出てくる。「そっちは地雷があるぞ」と子供を嗜める親。 別の所でも「そっちは地雷があるから」とやってる。よくわからんが、地雷になるわけか・・・。 時々、見張りの自衛官が戻るように促すのだが、草むらでお尻出しておしっこを始める子供には、 さすがになす術を持たぬようであった。御苦労なことである。みんな笑ってる。 ◆ エプロンには数々の輸送機、哨戒機が並ぶ。ボーリングのピンよろしく並んだ10機のオライオンなどは壮観。 わらわらといる飛行機の間を泳いでいると、中古飛行機屋かと思う。考えてみると、武装のある航空機は陸自の攻撃ヘリくらい。 そういった意味では地味であるけれど、戦闘機ばかりが軍用機ではあるまい。こういう方が好きなのが、 ここにもいるわけだけど・・・・・し氏曰く「モーターショーの商用車館」。言い得て妙。 ◆ オマケのつもりだったオライオン。4発の迫力というのもなかなかで、これが3機並んで来ると、 腹にずーんと来る。ん〜。そのうち普段の日に滑走路先の道路で狙うことになるカモ・・・。 ◆ さてYSである。展示飛行もあったのだが、これが大人しい。入間で見る飛行点検隊のデモなどは、 着陸灯を点しながら、右に左に揺れて頭上に迫って来るのがなかなかなのだけれど・・・・・ただ、 滑走路が近く遮蔽物も無かったのは、ぐーであった。降りて来てタクシーウェイを牽引される様に、 草っ原に咲く菜の花などを絡めてみたり。ありがちで小っ恥ずかしいところだけど、そういえば今までこんなの撮ってなかった。 曇ってて発色が悪いのが悔やまれる。 ◆ 貨物ドアやらレドームやら、基本を同じくしつつエアラインのとは色々仕様が違ってるのもまた、いとをかし。 例えばスーパーカブなんかでも、岡持キャリアから始まり、田口式スタンド装備だったり、新聞配達用のライト増設車や郵便仕様、 狩猟用オフロード仕様・・・・・そういう「はたらくくるま」ノリのバリエーションが好きだったりするのである。 ◆ 夜、別の用で舞浜へ。見上げると羽田へ向かって行くらしき飛行機が。やっぱりこの辺りを通るのかと今更ながら。 ある時点から少しコースが少し沖へずれたような。B滑走路に変更だろうか。しかし、YSでは小さ過ぎそうだな・・・。

2001/5/22(火)
「プロX」のあとそのままながらで点けてたTV、NHK「ニュース10」の数分の中継コーナーで、 羽田のANK整備工場が出てきた。主役はダッシュ8、3日前に見た機体だろう。客室一番前がボックス席とは意外。 インタビューに応える整備員はYS−11を「わいえすいれぶん」と呼んでいた。そうなのか。 しかしこれに倣うのもなんとなく小っ恥ずかしいので、「じういち」で通そうかと思う。 三宅島線への就航を示唆。運行再開と機材交代と、どっちが先になるか・・・。

2001/5/21(月)
書店で海保のハンドブックとかいう本を見かけ、手に取る。まあお目当てのページは決まっているのだが、 それによると今年あたりにYSの後継機種が決まって、‘04年頃には就役予定、と。こっちもか・・・。

2001/5/19(土)
決行である。昨夜や氏と乗り込んだ東海汽船「さるびあ丸」、チェックインしてくれたや氏の話によれば、 随分混んでるらしく臨時の続行便への乗り換えをアナウンスされたらしい。しかし現地到着が3時間ほど遅く、 これでは初便を撮り逃すので断ったとのこと。そらそうだ。我々はある意味特殊な客なのである。 ◆ 出港。湾内とはいえ波は無く、しかし風が強い。甲板に上がると場所によっては呼吸するのさえままならない。 やがて羽田ヘ降りる飛行機が見え、丁度我々の頭上をスカイマーク機がB滑走路へ降りて行き、2人して・・・・・ いやそんなのは2人だけなのだが・・・・・大いに盛り上がる。横浜を出て暫し後に消灯、とっとと寝る。 雑魚寝席を選んだのは正解だったようで、大いに寝る。浦賀水道を抜けても波は穏やかだったようで、 目覚めた際に、身体の調子で判った。や氏はトラベルミンを忍ばせていたけれど、そのご厄介になることもなく、 定時に岡田港着。島にいる間中うーうー言うハメになったらどうしよう、という最大の懸念はこうして乗り切った。 互いに肩を叩き合って喜びつつ、大島上陸を果たす。 ◆ 岡田港から空港まではおよそ4km弱。最初の撮影タイムまで3時間もあるので、歩いて移動。 道中やったら毛虫がいて終始サブイボ立ちっぱなし。(=_=;; 漫画みたいに糸でつーっと下がってたり(汗)。 大島空港を俯瞰できる場所がある・・・・・というかYSのビデオで見たので、まさか三原山じゃあるまい、 と近くの小山に登ってみる。下から家なんかが見えるので、菓子折りでも持って行けば撮れるかもしれないが、 他は木が繁っててちょっとムリ。眺めの良さそうな茶房(?)があるも、営業時間には早いらしい。 やがて時間切れということで、この件は保留。 ◆ 滑走路のそばまで来ると、どうも様子がおかしい。なんと、新滑走路に切り替わっている!  過日新中央航空機が強行着陸(!)した方である。竣工は来年春だった筈、まだ工事やってるというのに、 既に完成した部分を、もう使っているのだ。これで、2月にチェックしてた撮影ポイントが総崩れである(沈)。 滑走路の先からの正面狙いも出来づ。うう・・・。 ◆ やや腐ったところで、初便は送迎デッキで撮ることにする。今度は滑走路の端が死角になってないので、 180°転回する所も撮れるだろう。いよいよ到着、んがしかし、滑走路が長くなってるので、 端まで滑走して転回することもなく、そのままくいっと曲がってエプロンへ入ってきてしまった。ああ・・・。 降りて来る人達を見てたら、1人なーんか見覚えのある・・・・・あ! やっぱり! 友人である・・・世の中狭い(苦笑)。 しばし駄弁る。今日と明日で2往復乗るという。そんな話に接すると、自分もまだまだフツーなんじゃないかと、 錯覚してしまう。恐いことである。飛んで来たのはJA8772、近頃よく見る気がする。 ◆ とにかく風がビュービューなので、生録は大苦戦。ビデオは諦めた。写真的にもどうも、イマイチ乗れづ。 合間に訓練飛行なのだろう、ダッシュ8が飛んで来る。高翼機を見下ろし気味に撮るのは意外と難しく。 ◆ 帰りはYS。8列目、これが非常口、窓が小さいというかヘンなカーテンがあって、 ついでにもうひとつの窓が随分前にあるので、視界はちょっと辛い。通路側席から見る小さな視界の向こうで、 海がキラキラしていた。 ◆ 通路や非常口の注意書きなどを撮ってみたりするうち、ベルト着用のランプが消えた。ついに好機到来。 それを認めるや否や、チャキンとベルトを外し、すっくと立ち上がると、くるりと後ろを向いてずんずん進む・・・・・ 早速念願のトイレ探検である。突き当たりまで来るも、そこにある筈のトイレの扉を認識出来ずまごついていると、 最後列に座るすっちー2人の、やや緊張した面持ちの「な、なんですか??」な目と合った(汗)。気負いすぎたか。 こっちも舞い上る。一瞬後、トイレですと言い訳しつつ、ようやくそれと判った扉を開け、中へ・・・・・ うーん、ナルホド。とりたてて珍しいものでもないけれど、きつめの曲線を描きもたれかかってくるような壁が、なかなか。 ぶーんという振動に任せて、ここで一時を過ごしてみたかったが、身体はそうでもなかったので、一通り見回して退出。 ◆ 房総半島を辿りながら、旋回のタイミングが早いなと思えば、B滑走路へ着陸。よってタキシングも短い・・・。 遠ざかるバスからまた窓越しに名残の1枚。バスでYSにアプローチする空港は、羽田で最後なのだろうか。 思い巡らすも、事情を知らなさ過ぎるので分からない。ターミナルに着くなり早速屋上へ上り、今日乗ったYSを撮る。雷が鳴り出す。 危ないところだったらしい。惜しい気もする。(ぉ 下のレストランで、蒼く沈み行くA滑走路を眺めつつ、や氏と祝杯。

2001/5/16(水)
クロスウィングからお知らせメール。ヘルパからANK色の1/200ダイキャスト・モデルが出るという。 世界的には稀少な機種だろうから、こういうのは出ないものだと半ば諦めていたのだが、機は熟したか?  あの、そっくりさんのデカール張り替えじゃないとは、思うが(笑)。

2001/5/12(土)
午前中、ちょいと羽田へ。いつもYSが2機いるところ、片方がダッシュ8に化けてた(汗)。長崎での訓練を終えたのか。 YSが大島へ飛ぶと、しばらくして後を追うようにどこかへ飛んで行く。同じ大島だろうか。先週に引き続きC滑走路狙いの場所で、 脚立に乗りお目当てを待つ。ソレっぽい人が他にいるにはいたが、いざという時撮ってるのは自分だけ。はて?  引き上げようとすると、入れ代わるようにソレっぽい面々がやって来た。今日は何か飛んでたか。 ◆ 冊子の時刻表を貰う。三宅島線は設定上、7月もYSらしい。

2001/5/11(金)
松山のレストランが火事を出して閉鎖されていると知る。あああ・・・。

2001/5/8(火)
大島線のダッシュ8への置き換えが7月となっているが、では7月のいつからなのかとANA系のページを覗いてみる。 空席案内をカチカチやると、きっちり7/1から変わっていた。6/30の最終846便は既に埋まっている。 や氏にこの件を伝えると、彼は素早く6/30の往復2席を予約してしまった。をを、なんたるフットワーク。

2001/5/5(土)
大島行きの前の肩慣らしをというや氏と、羽田へ出かける。まずはつばさ公園からA滑走路を狙う。これがまた遠い。 16Rだからまだ近くまで来て良いようなものの、34Lだったら絶望的に遠い。500mmにテレコンで1000mmにして狙う。 1/250以下は止めておいたが、マーク7に据えてもギリギリか? 少し霞んでるが、構うまい。 圧縮効果が物凄くて、浮島のジャンクションが間近に見える。都会らしい感じと言えなくもないか。 ◆ 返しをC滑走路沿いのポイントで迎える。初めて撮ってみる場所だが、フジテレビのビルをバックに撮れたりして、 何故もっと早く来なかったかと悔やまれた。ターミナルをウロウロ、屋上で離陸撮って、次は北側のタクシーウェイを偵察。 ナルホド、金網越しに撮れなくも無さそうか。一応撮ってみるって感じなので、ここは梅雨に入ってからでも良いか。 いやB滑走路着陸となると・・・・・うーん。 ◆ さっきの場所でまたC滑走路着陸を狙い、浮島へ移動、離陸を狙うももたもたしてて間に合わづ・・・。しかしまだまだ、 城南島で最後の着陸に臨む・・・・・おおっと進入がB滑走路に切り替わった。お目当てもB滑走路か? これは初めて。 やがてぶーんとYSが進入。んー、やや慌ててイマイチだったが、撮りようによっては良い感じにできるか? ◆ 夕飯の後川崎ヨドバシに寄る。MSのFS2000用の、海保YSと羽田、大島のシーナリーのパッケージを発見。 うううううこれは卑怯である・・・・・弱った。一応踏み止まるも、決まったようなもの。

2001/5/1(火)
超割・・・・・ああもうだめだ。意を決し、カチカチっと予約。目指すは丘珠(苦笑)。勿論直行など無いから千歳となるところなのだが、 折角なので往路は函館ヘ飛んで、YSで丘珠に乗り込む作戦。千歳へ出てから電車乗るよりも早いし、なんたって超割だし。 先日の函館で苦戦したので、これならどうだと間近で撮ってやろう、というわけではないけれど、 それでも何かしら撮って来るのは必定であろう。あわよくば、窓越しに函館山や摩周丸でもと思うのだが・・・。


2001/4/29(日)
来月の「エアライン」誌が、YS特集らしい。とうとう来たか! 発売までに動いておきたいところ・・・・・ プロX放映前にもそう思ったっけか。

2001/4/25(水)
以前1/100のANK色について問い合わせたことを覚えててくれてて、クロスウィングから入荷のお知らせメール。 阿佐ヶ谷で買った由伝えつつ、モヒカンはどうかと付け加えてみたり(笑)。機運的には、アリと思われるが・・・。

2001/4/22(日)
何故か函館である。わざわざそれだけのために来るハズも無く、シゴトで出張したついでに、昨夜青函トンネルを潜ってきた。 シゴトに関係無い荷物の方が、圧倒的に多い・・・(汗)。 ◆ 今日1日、全開走行なのである。早起きだってしてしまうのである。早速函館駅前へ向かう。 市電で終点まで乗って歩いて行けそうだったのだが、無難に空港行きバスに乗る。天気は上々、この分なら、 夕方には「くぅ、来て良かったぁ!」と北の大地の上で拳を握り叫んでいることであろう。 ◆ まだ目覚めの頃らしく、閑散とした空港着。丘珠からの最初の便までにまだ間があるので、早速ロケハンへ出発。 トンネルを潜って滑走路の逆サイ、即ち南側へ出てみたのだが、しかしどうにもこれが、地形的に厳しい。 道路より滑走路の方が位置が高く、ともすると降りて来た飛行機は「稜線」の向こうへ消えてしまう。しかも今回脚立も無いから、 金網のガードも厳しいのである・・・・・。しかし歩くなここ、と思えば滑走路は3000m。うう・・・。 東端に近いかなという所まで歩いたあたりで、もう到着の時間が迫っている。どうにかしなくては・・・・・ とりあえず金網そばにちょっとした足場を見つけて上ってみる。ここにするしか無さそうだ。いよいよ降りて来る、 あまり気の乗らない構図だがとりあえず撮る・・・・・ん、こないだ大島へ乗った機番ではなかったか? 思わぬ再会。 ◆ 30分後にはもう出発なので、ここから動くのを止めて、先ほどから立ち昇っている陽炎をからめようかと考えた。 果たして、へろへろに歪んだYSがこちらへ向かってタキシングしてくる。よしよし・・・・・いや、随分遠いな。 離陸した機は左へ旋回、函館山を見せるようにしてから、再び頭上へやってきて、北へ向かった。その眺めを想像してみる・・・。 ◆ 次の便が来るまで3時間くらい。これより東へ行っても希望が持てない気がしたので、ターミナルへ戻る方々、滑走路北側をロケハン。 滑走路を潜るトンネルを抜けると、いきなしお立ち台が。あでゃでゃ・・・・・でも次の便はモロに逆光かぁ。 色々散策するも、撮れそうな場所は他所さんの畑だったりしてて、どうも具合がよくない。仕方なく、てくてくとターミナルへ戻る。 展望デッキをまだ見ていなかったので上がってみると、金網だらけ・・・・・ダメだこりゃ。ミグ25の名残か?、 とワケわからんことを思いつつ見回すと、YSが駐機するエプロンは死角だし、どうにもならない風。 せめて録音と思うも、出入口のドアが近過ぎてガラガラバタバタ煩い・・・。 ◆ ここには見切りを付け、一息ついたところで今度は西の方へ出る。空模様がどうにも怪しく、ほどなく雨が降り出した。 なす術も無く通り雨と祈りつつ、しばらく歩くと滑走路沿いに出た。幸い金網が低く、次の着陸(353便)はここで撮ることにする ・・・・・しかしここも遠いな。まだ時間があるので滑走路の先へ。んー、金網に押し付けるしかないか・・・。また滑走路沿いに戻って、 とりあえず353便を。さっきからそばに不審車(笑)がいるのだが、その主が出てきて、少し話した。 車内でじっとエアバンドを聞いてたらしい、来意について触れると、小さい飛行機は興味無いと言われた。はあ。 プロペラはうるさいとも言われた。はあ。一航空ファンとして云々、という台詞もあった。よく解かんないけど、はあ・・・。(-o-)y-~ ◆ 354便の離陸を先っぽで撮り、逆サイドへ回り込むと、公園が。あららこんなところにねえ。BBQコンロもあるが、 早い者勝ちで使って良いのだろうか? ともあれここで狙ってみるか。空模様は一向に冴えず、いつしか風が強まり、どうでも良いけど寒い。 寒いので物陰に身を潜めて時を待つ。とほほ。人影も無く、こんな日じゃ誰も来ないわな、とタカをくくったのも束の間、 いざという時に、何故だか人が現れる。せめて生録をと置いたマイクも、ガキ^H^Hお子様に発見されてしまった。 素人ながら入念にセッティングした機材も、彼らのバタバタという足音と「なんだこれ?」という台詞を録るに終わる。 ◆ 辛うじて戦意を駆り立てつつ358便を見送り、敗戦処理投手のような気分のまま、時間が開いているので歩いて市電乗り場へ行き、 ちょっと乗って車庫を覗いて気を紛らす。そうこうするうち雲が切れてきて、西日が差してきた。吉兆か? せめて最後くらいは何か手応えが欲しい。 風向きさえ変わらなければ、359便は西日バリ順光で降りて来る筈である。先程不審車のいた場所へ戻って構えれば、 果たして若干オレンジに染まったYSが降りて来た。離陸まで30分、日没直後に違いない、滑走路の先へ移動する。 ◆ この場所は滑走路端からスロープになって低いので、滑走する様子は見えない。突然稜線の向こうから浮かび上がってくるのである。 不意討ちに用心せねばならない。塔のように並ぶ誘導灯、それ自体点ってはいないけれど、沈んだ空をバックに、西日を受ける。 時が来た。耳を澄ますと、プロペラが空気を斬る音、そしてそれを後ろへ後ろへ押しやる音が聞こえてきた。よし。 金網にレンズを押しつけ、いつでも来い、とばかりにテンションを高める。ふうっ、とそれは浮かび上がって来た。ぶーん。連写。 頭上を過ぎ、上昇して左旋回、右舷を金色に燃やしながら、丘珠へのサンセット・クルージングに発つYS。見上げながら、刹那、 今日最高の時を過ごした。一日の手応えはボロボロだったし、もう撮影目的で来ることも無さそうだけど、やっぱり、来て良かったかもしれない。

2001/4/9(月)
「日本の旅客機2001−2002」とかなんとかいうMOOKを見る。YSネタが熱い。 コラムで「最後に1機くらいはモヒカンにでもしてくれんか、ANKさん」みたいな話。同感である。 しっかし北海道で飛ばれてもなー・・・。

2001/4/6(金)
阿佐ヶ谷に進出したクロスウィング、寄ってみた。お客が数人いて談笑している。んがしかし、話題が濃いのか薄いのか、 聞こえてくるその中身がでんでん解からづ。門外漢の悲しさよ。そんな中目当ての棚を物色、ををを出ている出ている、 1/100YSのANK塗装が。箱はいつもの空と雲ではなく、ANA/ANKカラーになっている。ををを。 いくつか手に取りしばし見比べ、決定。しかし何故に2つ買う(汗)。オマケに特製雨傘もらう。(^^;;

2001/4/1(土)
JACの伊丹−松本の就航の初便を迎えに、鈍行列車で松本へ。セレモニーとかあるのではないかという読みである。 雪景色の中央本線、しかし天候は上り調子。途中寝てたので退屈はせず。事前にネットで下調べしたのとやや違ったようで、 松本駅からの丁度良い頃合の直行バスが無く焦るも、直行以外にもあると判り一安心。 ◆ 空港のカウンターで、客の声が聞くとも無しに耳に入ってきて、「伊丹まで・・・・・いやYSの方です」と。 をををやはりいるのか乗り鉄(じゃなくてジュラルミン?)が。たまたまかな。展望デッキは普段¥100取るらしいのだが、 ゲートには「YS−11再び就航記念 無料開放!」と張り紙が。デッキはちょっとした人だかり。 地元のマスコミの人に、同業者と思われる(苦笑)。 ◆ 横にいた人に「エアバンド聞いてるんですか?」と。進入の向きを知ろうと、イヤホンで聞いてたのである。 ええ、と答えるも、その後に続く質問がまるで解らづ。いやそもそも質問そのものの意味が解からづ(苦笑)。門外漢の哀しさよ。 ◆ そうこうするうち、北の方に機影現れる。そのままこっちへは向かわず、空港の東方を、雪山バックで大きく回り込んで、 南から進入、着陸。滑走路の端まで行き、くるりと向きを変えて戻って来て、エプロンへ入ってくる。 そして、やっぱりセレモニー。来た甲斐があったというものである。マスコミの面々はエプロンへ出て撮ってる。 同じ真似など出来ないので、ひたすらデッキから超望遠。 ◆ 伊丹へ向けて準備が始まる頃、横にいたねーちゃん、向こうに見える若い副操縦士と手を振り合う。カノジョか? ほほう。 で、出発。滑走路の南端へ行って、くるりと転回、北向きに滑走して、離陸。上がってそのまま左旋回で伊丹へ向かうのかと思いきや、 上昇しながら名残惜しむかの如く大きく右に360°旋回して、もう一度空港の真上を航過、それから左へ旋回して大阪へ向かった。 特別な日の、サービスだったのか。 ◆ 滑走路脇には公園があって、展望デッキよりすぐ近くで、シカーモ、少し盛り上がって丘になっているから、 金網越しに狙えそう。便数少ないとはいえ、YS以外にMD−87だかも来るし・・・・・雪の季節に狙ってみるか。


2001/3/17(土)
プラッツのプラモが入荷ということで、チケット授受方々や氏と飯田橋で落ち合う。果たしてこれ、完成を見るのはいつのことであろうか?

2001/3/16(金)
や氏と大島攻略について協議。超割時期の空席状況から、船で上陸し羽田行最終便で帰還というところで落ち着く。 安く上がるし、ついでに1便余計に撮れる。そうと決まれば素早いや氏、早速復路のネット予約を完了。さすが。

2001/3/3(土)
ブックタワーで、ビデオ「航空機映像アーカイブ」Vol.2のデモ放映を見る。 昔の記録映画そのものみたいな、YSの濃いぃ映像に負ける。


2001/2/28(水)
新しいゲームボーイうんちゃら用に、「ぼく管」が出ると知る。何故かJASとタイアップ(?)で、 JASの飛行機以外は架空の飛行機らしい。YSもあるらしいが、JAC色では無いんだろか。TDAあたりの色ではどうか。

2001/2/20(火)
ルリーのぬいぐるみをネットで申し込む。一体どうしちまったんだ(自問)。

2001/2/19(月)
地元のヨドバシで「パイロットになろう!2」のデモを見かける。YS−11も飛んでた。PS2用ソフト初購入はこいつに決定か?  しかしこの塗装は・・・・・故あって具体的な塗装とはし難かったのだろうが、感情移入という点ではどうだろうか。 それでもちょっとJTAっぽいか? 実際のエアライン色で不都合なのなら・・・・・これが試作機塗装だった日にゃ。

2001/2/17(土)
他の予定がキャンセルになったので、朝つばさ公園へ。こっちへ向かって離陸してくるYSを狙おうと、これまで何度か試みるも、 風向きが逆だったりで叶わなかった。ようやく今朝はこっちへ向かって離陸してくれ、ほっ。離陸後すぐ180°旋回するのだが、あれ、 頭上近くまで来るかと思いきや、ちょっと向こう、旋回の軌跡は羽田空港の島の北端までに納まってしまう様子。思ったより小回りと知る。うーむ。 ◆ こっちから見て運河隔てた羽田空港側の岸付近、何やら工事が始まってて、所々に櫓があってこれが邪魔・・・。結局なんだかんだで遠く、 500mmに2倍テレコン、しかしシャッターはプロペラをブラしたくて1/250、無論三脚を据えるも、さてどうだか。(--;;;

2001/2/13(火)
JACのページ覗くと、4/1から松本〜伊丹就航と。午後に発つから、多分、朝家出て鈍行で行っても間に合う。 青春18きっぷが使える。関西行きの新ルートともなりそうだ。v(^-^;; 大阪より向こうへ行くのはしんどいが、 これならぐー。早速夏にはこれか。 ◆ 一方ANKのページを覗けば、7月から羽田発着の線はダッシュ8に置き換えと・・・・・がーん。 いくらなんでも早過ぎる。心構えまで前倒しに迫られるような・・・・・冬の早い夕日のフライトも、もう見られない。 羽田へ行けばYSがいて、そんな当たり前の日々に、もう少し続いて欲しかった。遅まきながら昨年撮りに訪れてから、 「近所のYS」との時間は、結局1年・・・・・しかし1年だけでも、こんな身近な時を持てたのだから。 ◆ しかしこれ、大島空港ジェット化までの繋ぎだろうか。北海道へも増備していって、あと2、3機まで追い込んだところで、 大島ジェット化で一気にさやうなら・・・・・そんなシナリオが浮かぶが。(T-T;;

2001/2/11(日)
昨夜の夜中に急に話が持ち上がり、昼に待ち合わせ、や氏とのりもの倶楽部を覗く。これといって目当ても無かった筈だったが、 1/100JAC色を所望・・・。羽田へ移動、途中モノレールから海保のYSを見る。羽田でちびちび見て、メシ。

2001/2/10(土)
クロスウィングから回答。延びて3月末発売と。売り切れというわけではなかったらしい。とりあえず、ほっ。

2001/2/7(水)
どうにも不安なので、ANK色の1/100のYSについてクロスウィングに問い合わせてみる。

2001/2/6(火)
クロスウィングのページを覗いてみた。いきなり1/100のYS−11の10機セットが目に入る。(((((^^;;;  しかし今から買っては、殆どダブるな・・・。(ぉ と・・・・・ぬお、ANK色があんじゃん! 12月に出てたらしいが、 現物を見たことが無い。レジはJA8726と読める。惜しい。雑誌広告にも出てたし・・・・・店頭で見ない以上、通販しかないか。 ◆ JAS系ではバースデー割引なるものを始めるらしい。JACもどうか。

2001/2/5(月)
ANAグループのページ見てて、また超割があると知る。YS路線は¥7K、日によっては¥5K。うーん。とりあえずや氏に提案。(ぉ ◆ プラッツのプラモはANK色らしい。

2001/2/3(土)
朝、羽田に着くなりニヤニヤして仕方が無い。展望デッキから今日乗るYSを撮ろうと、500mmで狙うも、 大型機に隠れて尻尾だけ。(--;; しかもブレてるくさい。三宅島が欠航続きのせいか、1機しか見えづ。 ◆ チェックインして、バス乗り場へ向かう。待合所には既に乗客が。バスでは最前列に乗ろうと思ってた。いよいよバス乗車の案内があって、 ゲートを向かうも。しかし素早くアタマを取る人あり。やられたか!? マニーじゃ無いカモという淡い願いも空しく、 最前列を取られてしまう。己の隙を呪いつつ、いきなしその隣というのもアレなので仕方なく2列目に陣取り、発車。 前方を凝視するとやがてそれは見えてきた。ご対面〜。v(^^;; 運命の機体はJA8722。 さっさとバスから降りてパシパシ撮り、後から乗るのはセオリーであろう。絶叫マシーンにでも乗るような、このときめきよ。 ◆ 座席は6A、プロペラを後から透かす。エンジン始動・・・くぅぅ。落ち着かない。タキシングで向かうは何故か沖合いのC滑走路。 しばし渋滞に付き合い、そしてようやく離陸、地面を切るなり機首は左へ向き、右横滑りで上昇して行く・・・・・くううう。 やがて富津岬が見えてきて、一路大島。高度が低いので、下がよく見えて楽しい。・・・と。ふわ〜っ、 スロットルが絞られて、機体も右左と振られる。うう、これよこれ。v(^^; しかしお蔭で座席ランプは点きっぱなし、 機内サービス無し。トイレ探検も無し。(T-T) ◆ あっちゅーまに大島。私も含めて、マニーが3人ほど機内に残り、思い思いに撮影(笑)。 すっちーのお姉さんが「あ、じゃまですか?」と笑いながらどいてしまう。どいてほしくなかった・・・。(ぉ 折り返しは展望デッキで。中学生(?)の女の子が1人乗り込むのに、友達が見送りに来てて、なんとも賑やか。 「がんばれー!」とか言ってるから、受験だろか? ◆ 空港の周りをほぼ一周してみる。ジェット化で新滑走路が並行して造られてて、この変化に攻略本も殆ど役に立たづ。 来年春に完成という。さっき着陸の時に島の北端の山の上の灯台が良い感じだったので、そこで撮ろうかと思うも、 木が邪魔で断念。仕方なくその西の、碁石浜(?)で、海を向かってくるYSを撮影。羽田へ返って行くのは、 逆サイから離陸されて失敗。(--;;; 遠くを行く「さんふらわあ」を捕捉。 ◆ 帰りの便。荷物を預けてみる。タグが記念になると思ったのである。待合室で外のYSを眺めていると、自分の荷物が、 カートに乗せられ、手で機内へ受け渡しているのが見えた。いよいよゲートが開いて、エプロンへ。パチパチ撮りながら前進。 乗り込めば機体もすっちーも朝と同じ。(^^;; 3A、プロペラの真横で窓がひとつ無い・・・。エンジン始動、すぐ横でプロペラが回っているので、 なんかおっかない。やがて離陸。2度目は落ち着いたものである。遠心力で雲の水滴でも飛ぶのか、時々バババッと何か当たって、やっぱおっかない。 エンジン越し後方に富士山が見えた。見えたのだが霞んでて写真に写ったか疑問。房総半島の南端に取っ付き、陸伝いに回り込んで行く。 西日に輝く海面。この季節の晴れた日を選んで正解。高度が下がり、城南島のキャンプ場を掠めて、C滑走路(16L)に着陸。 ふう、終わっちゃった。バスに乗り込み、小さくなって行くYSをずっと見ていた。出口ではタグを丸ごとむしり取られ、何も残らず。残念。 ◆ 「空飛ぶ0系」と呼んでたけど、乗ってみるとこれは「空飛ぶ南部縦貫」カモ(笑)。揺れるし、エンジンに近過ぎたか、 ぶーという音と振動で、頭がぼーっとして来る。伊丹〜種子島線だったら耐久レースになりそうだ。

2001/2/2(金)
家に帰りTVを点けると、丁度「ビッグウィング」をやってた。話には聞いてたがナルホドこれね、 とその直後、エアーニッポン843便大島行の離陸シーン。いきなりかおい。明日への吉兆と見た。 ◆ 「パイロットになろう!2」ではYSでも飛べるらしい。うーむむ。しかしあれ、ストーリーが面倒でな・・・。 ◆ JACのページに、今年のイベントは4/1と。カレンダー壁紙のサービスが始まっていて、早速DL。

2001/2/1(木)
ネットで天気予報と空席状況を睨んで、GOサイン、大島往復の予約を入れる。往路6A、復路3A、おーし。o(--; ◆ 「プロX」のビデオが出るらしい。しかしVHS・・・・・DVDを待ちたい。 ◆ 昨日の派手なニアミス、ニュースで例のTCASがクローズアップされてる。YSに引導を渡すことになった装置だったと思うが、 先の見えた機種とはいえ、いやそれ故に影響が気になる。


2001/1/24(木)
ヨドバシでDVD売り場なんぞ見ていて「日本航空史」なるものが目に止まる。全4巻。その4巻目というのが、 パッケージはJDAのYS−11。名前は「オパール」とあり。初飛行の映像などがあるようだ。全体が45分、 20以上ある見出し、45分を20で刻むと・・・・・お目当て映像は一体どれくらい入っているのか。

2001/1/7(日)
や氏と成田ヘ行く。航空科学博物館の、「プロジェクトX」でロケしたというYS試作1号機がお目当て。 生憎の空模様だったが、もう、こっちは全開である。実は初めて触れるYS−11、中にも乗り込み、出たり入ったり。 主脚の例の傾きなどをチェックしては、悦に入る。居合わせた人が、翼下の燃料計が手書きであると教えてくれた。 ナルホド文字盤の文字に、微妙な揺らぎ、いや味わいが認められる。 ◆ 夕刻成田空港の第1ターミナルで見学。店舗の中に「航空博物館」の売店を発見。YSネタをいくつか漁り、 レジのところで、目に入るはYSテレカ、「あ、これもください」などとここでも全開走行。こいつはと思われたか、 「このビデオはいかがですか?」と来た。「そのへんはもう、一通り持ってますんで・・・」と答える(爆)。 求めた中のイカロスのYS責めのビデオ、5年くらい前の国内エアライン現役機全機のトーシロ映像(笑)を片っ端から流すという大味。 これはこれで、なんかスゴイのだが、半ば投げ売りしてたのは無理も無いか。


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