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鉄雑誌買いに入った書店で航空系雑誌のチェック。各誌出揃ってきて「航空ファン」と「Jウィング」にしっかり、T-A退役の記事が出てる。
さてさてどれかは手元に置いておきたいかなーとは思いつつも、値段のこともあるし当該記事の内容と、他の掲載記事との兼ね合いで・・・・・
迷った挙句ブルーの訓練再開の記事のあった「Jウィング」を所望。「エアライン」より内容は細かいか・・・・・カテゴリ的には本来こっちだろうし。
読者プレゼントだったかにトムボーイのパッチ。こんなこともあろうかと何年か前に確保済みであった。
書店をぶらり。「世界の艦船」の増刊で「海上自衛隊 2011−2012」という本が目に止まり、航空機編まで捲っていくと、YS−11M-Aが載っていて。
そりゃそうなのだが、T-Aについては既に退役の記述。そろそろ雑誌の新刊が出てくるところで「エアワールド」8月号、やはりT-Aラストフライトの記事。
うーむ、これなら他も出るだろな。
美保、ねえ・・・・・と美保基地のホームページ覗いてみたり。今年の航空祭は中止、来年はどうだろなと眺めていて、ふと50周年特設サイト、てのが目に止まる。
入っていくと、おっ、記念塗装のギャラリーに、ペーパークラフトなんてのもあり、これは早速保存々々・・・・・いやちょっと待て、何だこのデ・ジャ・ヴュは・・・・・
あー、やっぱりあった、3年前に保存したのが(苦笑)。
書店で「エアライン」誌を手に取りパラパラ・・・・・と見開きでトムボーイT-Aの編隊飛行が目に飛び込む。えっ、これ「エアライン」だよな、
「Jウィング」じゃないよなと表紙を見たが確かに「エアライン」。海保機でも自衛隊機でも、YSだと載るんだなあ・・・・・で、5/18にラストフライトだったらしい。
とすると他の雑誌は来月号掲載か。そういや下総基地のサイトは、相変わらず空っぽのまんまだし・・・・・いつまでこうしとくつもりかねえ。
◆下総のトムボーイも5月一杯くらいの話をどこかで読んだか聞いたかした気がして、様子を見に行こうかくらい思っていたのだが時既に遅し。プレスも交えて3機で飛んだそうで、
見開きの写真では天測用のバブル窓に顔が見えて羨ましい限りだが(笑)、救援物資の輸送など、急な出番もあった中で、検査期限ギリギリでここまで持ち堪えていた由。
まずは、ご苦労さま・・・・・残すは入間と厚木、そして美保・・・・・厚木はそのうち偵察に行くとして、美保、かあ・・・・・美保、ねえ・・・。
国中が大変な年になってしまい、観閲式などやってる場合じゃなくて中止だったよな、と海保のページでそれを確認して、ふと目に止まった「かいほジャーナル」の4/7付のお知らせ。
そういえば見てなかったなとクリックして、「かいほジャーナル Vol.46」、2011年春号、3/25発行。内容は震災前のそれのようで、時節柄的にか海上保安大学校の特集。
テーマは「絆」とあり、今となってはずっしり響くようだったが、さて巻頭グラビアに「ブルーイレブン」の解役式と、茨城空港での催しの模様がちょろっと。
次号ではどんなに重い誌面になっているのか・・・・・そう考えると、茨城のあの日さえもが、懐かしく。
模型やら書籍やらDVDやら、心当たりのシロモノをまとめてみた。追ってる間は色々思い出して楽しくもあったのだが、さてそれを表にまとめると・・・・・うへぇ。
散歩がてら羽田。天空橋のJCAB機変わらづ。モノレールの旧線はとうとう構造物の解体が終わってしまった。国際線タミのプラネタリウムもさすがに空いてきたようで、
一度は観ておくかという気になったので、その待ち時間の間に国内線ターミナルの店を駆け足で偵察。まずは2タミでANAのポストカード、
セット売りが始まっててYS−11のそれもあったが、もう間に合ってます・・・・・その後1タミへ移り、濃いぃ本屋さん覗くと、海保機の表紙が目に入った。
◆「PILOT」誌。「Pilotが作る隔月誌」ともあり、日本航空機操縦士協会発行・・・・・そのへんの店頭で見かけるものではない。
表紙の海保YSは1月の茨城空港での姿、そもそも3月号らしいので合点。巻頭の特別寄稿「海の守りの最前線 最後の民間YS−11機:JA8701号」では、
その運用や、いくつかのエピソードを交えた思い出話など。うーむこの1本かと捲っていくと、サン・テグジュペリの話やら、「気象庁における低層ウィンドシアー対策について」、
「航空機設計における信頼性解析」・・・・・たまらん。
◆「痛し痒しのターボ・プロペラ機」という随筆風の記事では、「プロップ」というのは子供言葉の「ぶるんぶるん」に相当するのだとかで、
そんな言葉をデカデカと記していたYS試作機が引き合いに出され・・・・・あー(笑)。
1/400の海自2機入り、出土。掘るというよりちょっと隠れてただけなのだが、しかしまあ、何やってんだか。
出かけた帰りに羽田を通る。今更どうでもないのだが、JCABのJA8709が相変わらず。その向こうにJALのB−767がいたが、身売りなんだろか。
環八の付替え道路はフェンスの中で舗装も進んできたが、こっちまでちょっとのところが、手付かずで。
1/200の海自機確保。厚木のラクダさん、カーゴドアがバックリ開いてるヤツ。これであと試作機だけのハズ。あっとひっとつ! あっとひっとつ!
◆と、1/400の2機入りのが目に止まったのだが・・・・・海自のMとM-Aの。持ってたかどうだか自信が無いのだが(馬鹿)、
なんだか平積みだし不安にかられつつ見送り。で帰ったら、やっぱ無い・・・・・でも読み返すと、あるハズ。2年半前・・・・・うーむ、発掘か・・・。
1週間以上経ってから知ったが、3/19の徳島新聞サイトの記事によれば、下総のYS−11T(ママ)が、徳島県で用意した救援物資の空輸に当たった由。
海自徳島基地から、同下総基地を経由して、空自松島基地へ、水や食料、簡易トイレなどを運んだという。他の記事を当たっていくと、
地震発生の翌日には、徳島教育航空群の備蓄分をP−3Cで下総基地へ運んでいたようで、小月基地からも送ったという記事もあり、恐らく他にも相当、運んでいるに違いない。
下総のTAも間もなく退役だった筈だが、訓練機というその経歴の最後にこんな形で、国難、に立ち向かうことになろうとは。
日曜の昼下がりだというのにガランとした都心を抜けて「東京とびもの学会」。またまたPC−8801の「ザ・コックピット」やら手作りロケットやら、
流体力学に踏み込んでいたり、ミント状態だった大昔のラジコン飛行船・・・・・「日立キドカラー」・・・・・を膨らましていたり、
はたまた撮影禁止の密室芸的物品やらが並んでいたりと例によって濃いぃわけだが、そんな中であぷろのこべやというところの「日本の電子戦機」なる冊子があって。
EBとかTAとか、ちゃーんと載ってる。無論これを所望。C−2Aにもちょっと触れてるのが嬉し。
隣にあった「日本の大型飛行艇」は、たしか昨年の夏コミか冬コミで押さえたハズ。
◆市ヶ谷へ流れ・・・・・「航空自衛隊 大型機 2010」なるDVDが、出てるのだな。やや手作り風味なパッケージにある種の予感を覚えつつ、
メインの航空祭シリーズからの寄せ集めであるためか、かつややマイナーであるためか、程々のお値頃感あーんど20%オフ・・・・・ふーむお試し感覚で以下略。
岐阜、入間、松島・・・・・松島・・・・・そして三沢の昨年の航空祭からの抜粋のようで、航空祭会場のものであるから、しみじみ感など望むべくもなかろうが、
一般客視点の他に、屋上だとかの特等席アングルもあって。YS的には、入間でのFCのデモフライトが多分その全てか。
民間ではもう云々という場内アナウンスを聞きながら、8の字飛行をゆったりと追う・・・・・意外と、いいな。
1/400の初代塗装とモヒカンのセットと、1/200のモヒカンが出たので確保・・・・・結局1年延びた、か。パッケージ写真は往時の羽田の、
エプロンを追い出されて滑走路に駐機するJA8744、おぉおぉこれ、前に絵葉書で買ったわさ。
◆さて、これも出てたんですけど、と言われて出てきたのは、1/200の初代塗装。聞けば今年の始め、早いところでは昨年暮あたりからあったらしいのだが、
あのー、入荷の知らせ貰ってない気がするんですがあ・・・・・なんでも、数の確保もままならず、掛け持ちキャンセルやらでバタバタしてたとかで・・・・・
やはり全日空商事の商品だけあって羽田のANAの店は早めに入るらしかったがそのあたりはさておき、どれが持っててどれが待ってて、なんだっけか(馬鹿)
・・・・・と、ここにアレコレ書いてたお陰で未確保であることを確認(呆)、ならばとこれも確保。
◆こんな調子ではと不安になり、試作機はまだですよねえ、と訪ねればこちらはまだである由。ほっ。あと海自のカーゴドアが開いてるのがあったハズ。
◆モヒカンは前にもJA8722が出たばっかりと思ったが、今度のはレジ以外何がどう違うのやら・・・・・そこまでよく判らぬままに、ずーっと前に出てたモヒカンとは、
金型の違い・・・・・胴体と主翼の接ぎ方・・・・・以外にも、主翼や腹の銀色が、ただの塗りでなく磨き出しのようだったり。うーむここは意外な。
まあお値段も前のとは相当違うし、これくらいはねえ。水平尾翼も磨こうよ。
◆蓋の裏には元機長さんの文章があり、モヒカンはJA8722もJA8744も同じもので、初代塗装のが違う。もしやと1/400の箱を見れば、
その両方が載っていてつまりそれぞれ、YS−11と、YS−11Aにまつわる話、なのだった。駆け出しの頃に元海軍パイロットの先輩に学び、
予算の都合でオートパイロットとレーダーの一方しか載せられずレーダーを選んだ等々、「きたえた翼」の道程を、窺わせるようで。
鉄雑誌買うついでに「航空情報」誌。むう、「羽田空港撮影日記 海保YS−11のラストフライト」とは、美保へ発つ姿だったか。RW05より舞い上がるその姿を、目で追いつつ・・・・・
静止画なのだが思い入れ100%で追体験・・・・・ぶーん、という音すら聞こえた気がして、しみじみ。しかしこの号、「続・前間が行く!」やらリフティングボディ機やら、
タイフーンだの殲20だの、読む所が多くて個人的にはお得感。
別件で書店をうろついていると「エアワールド」が目に止まり。こちらはちょっと早く出るんだ・・・・・てか誌名が浮かばずに調べてなかった(汗)。早速パラパラパラ・・・・・
解役式の記事、結構細かい。4ページも割いて・・・・・と思ったら4ページ目は「ある日の翼」という連載で、題材を合わせてきてるのだった。
さらには「在りし日の国産旅客機「YS−11」フォトアルバム」と続き、JAレジの最後の1機を見送る。後の方では茨城空港の催しの記事、まさかこの中に写ってたりし・・・・・んんっ!?
「エアライン」以来、航空雑誌が出てるのかなと待ってはいたがなかなか出ない・・・・・発売日把握してない・・・・・ようなので、各誌の発売日をカチカチ探ってみる。
あれれ鉄雑誌とほぼ同日なんだっけか・・・・・で、次号の「航空ファン」で、解役式の記事がある様子。「航空情報」も解役式と・・・・・
「羽田空港撮影日記 海保YS−11のラストフライト」ぉ!? おーし。他にHASMの「羽田空港に航空博物館を」やら、「続・前間が行く!」が糸川英夫編だったり、うーむむ、これわ・・・。
そういや「かいほジャーナル」だったかにそろそろ載ってるんじゃあるまいか、と海保ページを覗くと、出てた出てた「かいほニュース No.34」。
冊子形式の「かいほジャーナル」に対し、「かいほニュース」の方は学校なんかの掲示板に貼ってあった新聞社の写真ニュース的な風味。でその4つ挙げられている題材の筆頭に、
ブルーイレブン解役のお話。茨城空港の公開の動員は、こちらでは約4500人の由。
ハワイアン航空確保。やれやれ。
阿佐ヶ谷方面で鬼太郎仕様のC−1を確保がてら、他を物色しつつ目に止まったのが、ハワイアン航空のYS、ジェミニジェット1/400。はて、
こんなのの予告なんて貰ってたっけか、全日空商事シリーズなどもう1年も延びたりしてるし、どれがどれやら、持ってるのはどれだっけ、などとこちらも末期的なアレでもあったが、
勘を信じてダブるのも嫌だし、ととりあえずお店の人に、いつ出たんでしたっけかと訊いてみると、1年くらい前じゃないかとのことなので、
じゃあ持ってること自体忘れてる(をゐ)可能性もあるな、ととりあえず見送り。
◆んがしかし、帰ってみればやはり手元には無く、お店のWebを覗いてみれば、未入荷みたいな・・・・・あれれ。他所をカチカチ巡ると、たしかに昨年3月頃に出てたような風。
パッケージはハワイアン航空80周年記念のようで、同社の創業は1929年、ちょっと遅くなりましたー的な時期ではあったろうか。YSに前後してDC−3も出てたようで、
それ以上調べなかったが歴代機材を出したのカモ。
書店うろついてたら「エアライン」誌を見かけ、そういやもうそんなかとパラパラ・・・・・お、海保ブルーイレブン解役の記事が。
海保機だとどの雑誌で取り上げるのかとよく分からずにいたのだったがそれはともかく、翌々日の茨城空港での催しは約4300人の動員だとかで、
その4日後の1/19に美保へフェリー、1/20付で空自へ引き渡された由。羽田を覗いたのはその後であった。
書店をウロウロしていると、ややっ、前間氏MRJの本を出したところだったんだな。ナルホド・・・。
◆出かけたついでに羽田を覗く。ブルーイレブン、その姿見えず。エプロンにはダッシュ8が2機見え、そうか、交代しちゃったか・・・・・先週茨城空港で聞こえた感じでは、
入間ではなく美保かどこかへ引き取られるらしいようで、既に発ってしまったか。天空橋のJA8709は相変わらず、こちらはもう自力で動けないだろうし。
Bizスポでいきなし、先日の茨城のYSお披露目の映像が。をゐをゐ待てよ、と食い入っていると、話はMRJ、例によって「YS−11以来云々」の常套句的なところで、
ニュース素材を持って来たようで。プロXの時のクレーンで試作機撮ってたあのカットも。長らく米国の下請けを続け・・・・・むむ前間節入ってるか?・・・・・と思えば、
ホントに前間氏登場、MRJの見通しなどを語る。しかしナレーションのYSの顛末については、売れなかったから止めた的な言い方で、ここいらは前間本と聊かトーンが違う。
まあ、三菱の取り組みを紹介しようってところで、日航製を巡る体質的なアレコレの前間本で言及されているようなところには、触れにくいだろうケド。(ぉ
茨城空港というと、完成前にチラッと覗いて、完成後にまたチラッと覗いて、百里基地のついででもなけりゃ、もう来ることも無いかもしれんなー、
程度な認識にあるのだったが、一昨日海保の解役式のニュースの中で今日の催しを知ってしまったからにはもう、緊急出動しかない
・・・・・全文
海保最後の「ブルーイレブン」、今日退役だったのか。ニュース・バリューとしては地味なのか、TVで見ることは叶わなかったが、羽田の格納庫内で式典が催され、
頬にあしらわれた「ブルーイレブン」の文字を塗り潰す儀式が執り行われた由・・・・・ぶーん、というあの音を、モーニングコールのように聴くことも、もう無いのだな。
◆カチカチとニュースを拾っていくと、老朽化を物語るものとして、エンジンや何やらの不具合の話など。一昨年には、南鳥島から帰って来られなくなり部品を送った、
ということもあったらしい。老朽化もさることながら、先が見えてくると整備も見切ってしまうところがあるという側面も、あるのではとは思うけれど。
◆ブルーイレブンは空自へ譲渡される由。部品取りとしか考えられない状況だが、ドンガラになってでも、切り刻まれてでも、いつかまた、
羽田に帰って来てくれるのでわ・・・・・自衛隊からも完全退役となる頃には、羽田に博物館が出来てるかもしれないし。
◆カチカチやってた中で、毎日新聞が詳しい。先に退いた、樺太侵攻作戦(だからー)の「おじろ2号」にも触れつつ、ナホトカ号事故の調査や、
自沈した北朝鮮工作船の残骸捜索等々、記憶に残る事案でのこの機の活躍を紹介、昨年の最後の観閲式での様子も伝える。先述の老朽化の話にも触れ、結びに、
「15日に茨城空港で行われる展示見学会で最後の公開をした後、日本の空から姿を消すことになっている」・・・!? ああん?? アサッテ?? あっちゃー、
こりゃ急だわ・・・・・されど最早選択の余地なし(馬鹿)。しかし何故に茨城? まさか早速空自に譲渡? だとしても百里に配備は無かったハズで、
普通なら入間かどこかに落ち着くハズで・・・・・茨城空港のサイトを見れば、なんだ海保の主催とある。ふーむ。しかし何故に茨城・・・・・いや、この小回りが茨城?
出掛けたついでに羽田へ足延ばし。いつものように海保のところ覗くと、いつものようにエプロンに佇むブルーイレブン。結局年内に退役のニュースは無かったように思うが、
長くても年度末、いつまでその姿を拝めるのやら・・・・・ところで特救の建物と背中合わせにあったハンガーが、昨年から取り壊されていて、
JA8610のいるハンガーがよく見えて。建て直すのか、そのまんま更地なのか。天空橋のJA8709も相変わらず。
環八付け替えは微妙に進行中? モノレールの旧線は下の道路で車線規制かかってて、そろそろ片付けも佳境か。