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おっ、新聞に載ってる。さよなら仕様のYSが、昨日羽田でお披露目された由。ということは、その後鹿児島へフェリーされたのを、昨夜たまたま、
目撃したということらしい。明日の朝イチの福岡便から入るそうだが、今日あたり慣らしで飛んでたりして・・・・・羽田へは重整備で時々顔を出しているようだけれど、
そのついでで順繰りに、衣替えしていくのだろうか。ラッピングなら一夜のうちにちゃちゃっと出来るのかと思ってたけれど・・・・・
そういえば12/5から機材変更の便があったケド・・・・・整備のついでじゃないと面倒なんだろか、羽田じゃないと都合がつかないのだろか、
それとも単に今回は東京でマスコミに披露したかったとか・・・・・仮に今後も羽田で行うとしたら、マメに通えば・・・・・うーむそこまでわ。
段々住んでるような気分になってきたが、今回の訪問もいよいよ今日まで。さて起き出して外を窺えば、おっとこれは晴れそうだ。
今回朝日がまだお預けなのだったが、雪に月に朝日にと、夕闇の蒼を除けば、お目当て+αに恵まれたと言え
・・・・・全文
ファソラシドレミファソ〜、と起き出して、外を窺えば・・・雪? 雪!? 雪!! クルマで走れるのか不安を覚えつつともかく支度をして、駐車場へ。
こんな日でも、いやこんな日だからこそ、日の出より営業である。さすがに心配した程は積もって
・・・・・全文
ファソラシドレミファソ〜、と鳴るケータイ(ぉ に起こされた。こういう用途もあったわけで・・・・・布団の温もりへの未練タラタラを、えいやっ、
とどうにか振り切り・・・・・そうそう左耳、やれやれ寝ている間にケロリと・・・・・あれっ!? 右耳が
・・・・・全文
この大事な時に、風邪にやられた。喉がいがらっぽいと思った時にはもう遅く、シカーモ色々立て込んでゆっくり寝て抑え込む作戦も採れづ、
いよいよという日に至ってまだ治まらぬどころか依然、頭はクラクラ、おめめはグルグル
・・・・・全文
JACのページに更新ありとチェッカーが告げたので、さてYSネタ掲載かと思い覗いてみれば、あらあら丸ごとリニューアル。なんだかスッキリ洗練されてしまったようで
・・・・・数年前頃のあの手作りの味わいが、ちと懐かしく。
半年前に本郷を訪ね、やはりここはと、駒場祭なる催しの中へ。正規分布の反対側の斜面の住人にはなかなか遠い場所なのだったが、さて井の頭線から降りるなり、
そういや映画「にっぽん零年」の中でわっしょいわっしょいやってたのはまさにここだったわい、と感慨に耽り(をゐ)。それはさておき、輸送機設計研究協会
・・・・・いやたしか、「プロX」で設計室跡だとかで学食らしきモンが映ってたよなぁ・・・・・ここかいなと入ってみるも、たーだの学食。
あれれこんなだったかな・・・・・そもそもボケッとしてて下調べを忘れて来たのがダメダメなのだが、まあ、そのうちまた、出直すか。
◆
他に何か無いかと暫く彷徨い、ふらりと学生オケの演奏会の入場の列に並んでしまい、後はどうでもよくなり。弦の音が綺麗だったなー、と出てくれば既に日は暮れて、
方々で撤収なんか始まってる。バウハウスのなんちゃらを覗いて一二郎池(この名には笑った)の方から出ようとすると、何やら怪しい物体。ボートか何かかと思えば、
JA何々とのレジらしき・・・・・そういえば垂直尾翼のようなカタチが・・・・・どうやらグライダーの分解して運ぶ状態のモノであるらしい。
そういえばみんなでグライダーを引っ張って、引き起こしが足らないと慌てて伏せて通称「機銃掃射」・・・・・って誰の本だっけか。
◆
ときに。JAC的にいよいよさよならモード突入らしく、YSの記念塗装など登場の由。これがまたJACでなくJALのページが先んじていたりして、
さてさてJAL主導で派手に盛り上げるつもりなんだろか、かつてのANAの展開を横目に「オイシイ」と思ったとしても不思議ではないな、などと邪推しつつ(笑)、
いよいよ、国内旅客機としての、ファイナル・カウントダウン・・・・・気になる記念塗装、さてはJA8717をJAL時代塗装に!?、などと勝手に夢想するのだったが、
発表資料によればさよならロゴとマークの追加に留まる様子。まだ隠し玉あんじゃないのぉ? 新JAL塗装とかサ、などと尚も勝手な期待を膨らませつつ、
いずれにせよ、フツーに、当たり前に飛んでいる「いつもの」JAC塗装の姿が、一足先に見納めということらしい。そうか、見納めなんだ・・・。
下総のYSが鹿屋の近くでニアミスの報。詳しいことは判らぬがとりあえず、あちこちのWebを保存(馬鹿)。海自のYSといえば、
2、3年前だかの下総でしかまともにお目にかかっていない気がするけれど、そうか鹿屋へ訓練に飛んでたか、などとアサッテな感慨に耽ってみたり。
鹿屋というのも今年の頭に、二式大艇に会いに行ったが、そういえば滑走路の方は全くノーマーク・・・・・なんとなく勿体無かった気も。
入間。生憎の曇り空だが、今年は軽めに行くかと考えていたところでもあって、かえって吹っ切れた心地。記念パスネットに触雷などしつつ、
どうにかお目当ての始まる前には現着。YSが上がる、C−1が上がる・・・・・人込みの向こうから舞い上がる様を、まずはぱちり。こうして引いてみると、
何も最前列でなくてもよく見えんじゃん、と目からウロコになりつつ、しばらく後、まずは飛行点検隊。YSと、ナントカというジェットのペア。
まずは滑走路方向にアプローチ、ぐいっと頭を突っ込み、また引き起こしたりを繰り返しながら、過ぎる。あぷろーち、あぷろーち、とコテコテ日本訛りの英語。
次に曇り空の向こうに、何か光った。アサッテの方からアプローチ。ここ何年かこっちはやらなかったので、てっきりなくなったと思ってた・・・・・
向きを変えているからか、光ったと思えばまた見えなくなり、というのを2、3度繰り返すううち、霞んだ向こうに微かに、小さな機影が見えだした。
3つの着陸灯、それが左右に揺れながらこちらへ向かってくる・・・・・いつぞやの、雪の中標津で見たそれと、重なる。くぅぅ。
◆
お次はC−1がピタリと編隊飛行・・・・・ぐぉぉぉぉぉんんんん・・・・・たまらん。第1くるってる団の後、やんちゃ飛行担当らしき4番機が、
背中を見せてぐいぐいと回る回る。くぅぅ、「入間インパルス」なる異名があるそうだけれど、いや地獄の4番機とかじゃなくて(ぉ、つひに復活か・・・・・
何年か前に物凄いやんちゃぶりを見せて、その翌年から急に大人しくなったのである。さてはやりすぎたか?、と憶測を呼んだものだったが真相は不明。
◆
地上展示機もパチパチ撮りつつ、また3枚プロペラのスーパーYSが端っこに見えたので、遠目にぱちり・・・・・って毎年同じ構図じゃんか(苦笑)。
ブルーが飛ぶ頃にはもう消化試合のようになっているトンデモ人間なのだったが、生憎の空模様だしと久しぶりに、裸眼でその演技を眺める。ん〜。
最後の青迷彩ファントムの帰投まで見送って、出口へ向かうついでにグッズ系のテントを覗いて回る。するとバッジ類を沢山並べたところで、
YSのキーホルダー捕捉。凡そ1/500程度かと思しき、金属の削り出し(?)の立体モノ。このテのはこれまで他の機種のを色々見た気がするが、
YSは・・・・・多分無かったよな。ダブってないよな。(ぉ
鉄雑誌を求めたついでに、ちらりと演劇方面のコーナーを覗く。韓の字だらけに埋もれた一角の、中からいくつかこれはというのを掘り出して、パラパラ、
おっ、「シアターガイド」にギンギラ載ってんじゃん。渋谷と思しき屋外での写真が出ているものの、内容的にはどうも、公演前っぽい・・・・・そらまだ早いわな。
発売日を見る・・・10/1・・・なーる。こっち方面の雑誌の発売日など、いやそもそもどんな雑誌があるのかすらよく知らづ、チェックといってもなかなか。
「ギンギラ太陽's」なる劇団の「翼をくださいっ!さらばYS−11」なるものを観劇。ふとしたところでこの公演を知って・・・・・演劇方面というと、
学生時代に部室を演劇部とシェアしてたなー、くらいの縁しかなく、正直「ソレナニ?」状態。いくらYSぅ〜な日々とはいえ、流石にこっちまではアンテナ張っておらなんだ。
カチカチ調べるとどうやら、モノを擬人化して演じる被りモノ集団であるらしく、しかも拠点である九州ローカルの濃いぃネタ満載らしい・・・・・ツボに来そうな予感。
既に今日は東京公演の最終日、ネット予約はとうに終わっていて、ろっぴーも駄目、かくなる上はとともかく一か八かで渋谷へ乗り込むと、どうにか当日券にありつけた。
◆
席に着いて開演を待っていたら、西鉄バス軍団が登場・・・・・間にガラの悪い呼称が挟まってた気がするが・・・・・実際この人達ガラが悪く(笑)、
あの井上陽水の歌のCMとはまるで・・・・・観客を弄ったかと思うと記撮大会、なんだかな(笑)。そんなこんながあって開演。主役はスカイマーク。
話は参入当時に遡り、大手にいびられながら、新規参入は厳しいな〜、てな前半。色々小ネタで笑かしつつ、しかしそれが濃いぃ・・・・・
TVなんぞでしばしば目にするような、浅はかなイメージで誤魔化すような臭いはなく、取材に裏打ちされた確かさというか・・・・・
説得力とはそんなもんだろう。・・・佐賀空港の扱いはもう、笑うしかなか〜。
◆
この際YS抜きでも十分に楽しめていたのだけれど、さてさて「さらば」というからにはYSは、と思っているうち、戦後航空史へ。
このへんはプロXでもお馴染みのくだりだが、航空禁止時代を経て、日航の就航、そしてYSの誕生・・・・・「自分の翼を手にする」・・・・・
かつては日航もそうだった、とスカイマークに重なる。あっ、そうか。・・・世界で舞うYS同士の会話がまた、なにげに製造番号で呼び合っていて濃いぃ。
これまでからすると多分、資料を紐解けば実機の履歴と合致するんじゃなかろか。考えてみれば、ここ数年の間にいくつか出版されたYS本で、
このあたりはフォローされてたハズで、作者もきっと、それらを当たったのだろう。故国を離れ、翼に付いた、自分を必要とする国の印を誇りに、
健気に飛び続けるYS達・・・・・舞台を眺めながら、心当たりのいくつかの実機に、想いは巡る。そういや「今はアジアのさる国で」と赤い色してるのって、プーケット??
◆
大いに笑い、そしてホロリとさせられ、幕。面白可笑しくしているけれど、物言わぬモノ達を代弁するようなところには、一貫して、
モノ達への愛情や敬意が感じられるようで、グッ、と来るものがあり。尤も題材的に、こちらの一方的な感情移入も大、だがぁ・・・・・ともあれ、
今度YSに接する時、少し違った気分が、あるかもしれない。佐賀のJA8733にも、また会ってみたい。雀の巣を探してみたい(笑)。
そういや昨年のまさに今日、どうやら知らずに雁ノ巣飛行場跡のあたりをうろついていたらしい。うー、己の無知が悔やまれる・・・・・
いやいや見えざる手に導かれていたのか?(またまた) さて、しばらくは演劇雑誌をチェックだなー。DVD化しないかなー。
書店にてふと目に止まるは、南西航空のオレンジYS。「ラジコン技術」の表紙。をを、とぱらぱらその記事を探す。
コクピットのあたりのラインはこんなだったかなーなどと眺めつつ、しかしこれは凄い。鉄道模型なんかではとりあえずは走るように出来るし、
船だって浮くだけなら多分容易い。けれど飛行機となると「生の性能」「生の原理」が全てを支配し、見掛け倒しは通用しないわけで。
あらためて表紙を見る。タキシングするイメージだろか。これ、いっそ這い蹲って超望遠で狙えば・・・。
「エアライン」誌で特集。種子島のレポート。うーむ、種子島出ちゃったか(ぉ・・・・・ふむふむ、先日羽田で見かけたのはJA8771だったらしい。
この個体も撮ってはいるだろうが、搭乗の縁はなかった。今頃はもう、日本を発った後だろうか。新天地での活躍を祈る。
それにしても、最長で来年末までとあれば当たり前だろうが、あれよあれよという間に路線撤退も進んでいるようで、
あの屋久島からのサンセットクルーズも、そして与論のアプローチのバンクで眼前にせり上がったエメラルドの珊瑚礁も、
今や思い出の彼方。まだまだ身体に染み込ませ足りないが、あとどれほど、それも出来るだろう。
ぬぉぉ、カチカチ・・・。
つひに、1/400のJTAが登場の様子。出掛けたついでに早速以下略・・・ふう。
月齢確認、先行カチカチ・・・。
さて今年も空の日月間、お日柄なのか警備が物々しい気がする中、羽田へ。例によって天空橋で降りて、早速金網越しに、さてさて・・・・・
まずはJCABの1機が見え。そしてその向こう、何機か越しに怪しげな垂直尾翼が。ややや、JAC色ではないか? しかもJACのロゴが消された状態。
うーむむ、身売りされるのであろうか。レジが気になるが、尻尾は陰で見えないし、先輪のフタも何か書いてあるのかどうか、遠くて何も判らづ。
JACはこれで何機だったのが何機に減ったのか、そこいらへんがまるで判っていないのだけれど、まあ月末には書店で判るか。(ぉ
◆
さて旧整備場地区。JCABのJA8720はじめ、お馴染みの位置にお馴染みの面々。実はずーっと置きっ放しだったりして、
などとしょうもないコトを言う。海保のブルーイレブンも、展示機ではないながら、ちょっと離れてなにげに良いポジションで待機していたり。
色々お話を聞いたりシャッターを切ったりしつつ一巡り、来年はJA8610を引っ張り出す(!)とちらりと聞こえたとや氏。
あ、そこの格納庫の中にいるんだっけ!? 普段は非公開だけれど、空の日イベントだけ御開帳、いいねえ! ついでにエンジンかけてみたりして。
◆
その格納庫の横から滑走路の方を覗き込んでみれば、あれれもう1機海保のYSが佇んでおり。JA8702。
名前忘れちゃった(をゐ)。そうこうするうち、お待ちかねのコクピット見学。今年は座らせてもらえず、写真撮るだけ。なんでも昨年の公開後、
調子悪くなったとかで・・・・・えっ?(汗)
◆
会場を後に、ANAの格納庫を回り込むようにして、ゲート越しの覗きポイントに寄り道。例のJAC機、ここからでも垂直尾翼しか見えづ。
んー。代わりにLA−702が目の前に。ぱちり。
◆
航空保安大でビールなど流し込んで、そういや関空の方に引っ越すらしいな、ここの催しもいつまでだろ、などとや氏と交わしつつ、
シブ〜い設備など見学。ややフワフワ感覚のままターミナルへ移動・・・・・今年はJALとANA、
それぞれ1タミ2タミと別々にグッズ販売など行っているのだったが、なんだかどちらも、ぽつん、といった風情。航空祭みたいに、
グッズの業者なども呼び込んで、一緒に並んでという風にはならないんだろか。鉄道の世界とは事情も違うと思うけれど。
しかしことに今年のANAは、ツナギ姿の人達や部品加工の品も見当たらず、楽しみだっただけに少々残念。
例の機長がマニュアルやら制服やら売って捕まった一件のせいかしらん?? 全然関係無いと思うが。
◆
1タミではHASMの、今年は飛行艇/水上機の展示。二式大艇もいいが、二式水戦なんかたまらん。川西四発飛行艇・・・・・
あーそういや、デルプラドの模型持ってんだよなー、と思い出し、大元のデルプラドはアマゾン本家あたりで買えるんだろかと呟くと、
そういやどこかで日本版の在庫処分市やってたとや氏。へぇ、ちと気になるな。屋上から旧整備場地区を望む。まだ公開時間中、
あの一角にヒコーキが犇き人が集まってる様というのも、遠目に見ると独特の趣があるのだったが、ふとHASMの構想がそこに重なり。
旧ターミナルのあたりは国際線ターミナルに取られてしまったが、旧整備場地区、いずれ整理されるのではなかったっけか? どうだろな。
書店で「CLASSIC AIRLINER IN JAPAN Vol.2」を手に取り。前回に引き続きこれまた懐かしい風情の写真に混じって、
既に輸出先の塗色を身に纏い、旅支度を整えたYS達。当時どれほど人の目に止まったものかは知らないが、頑張って来いと見送る視線も、
きっとあったろう。これを撮ったファインダーにも、勝手にそんな気分を混ぜ込んでみたり。
◆
鉄方面な本と一緒にそれもカゴに放り込みつつ(汗)、目に止まったノスヒロをパラパラ・・・・・これなにげに創刊号から購読してたりで、
せめて100号までは頑張ろうと思っていたのだったが大分手前で途切れてしまい・・・・・さて「ノスタルジック‘80s」(だっけか?)と銘打ち
‘80年代のクルマを募集とある。ノスヒロも最初はたしか「ノスタルジック‘50s & ‘60s」みたいな名前で、
‘80年代のクルマなんぞフツーのクルマでしかなかったのだが、そうか歳も食っちまったかとじっと手を見たりしつつ、
さらに捲っていると投稿ページにZ31とそのバックにTDA塗装らしき赤緑のYSの写真。
エンジン部にプロペラが無く、ぽっかり開いた穴に金網が張ってあったりするのだが一見幻のYS−11Jのようで、それなりの趣もある・・・
と思えばある? なんでも北米で唯一、YSを保存しているところらしのだが、さてどこだっけか。名前が覚えられづ・・・・・
ナニユエにTDA塗装なのかという謎も含みつつ、ちょっと会ってもみたいがなにぶん遠い。国内保存機巡礼の旅(苦笑)もままならぬというに。
書店に立ち寄り、パラパラと・・・・・あー、来月特集ですかぁ。いよいよ 煽り ファイナル・カウントダウン近し、のようだけれど、
こちらはこちらで、丁度なにげにまた月齢を調べていたところだったり。今度はどこへドライブしよかな・・・・・そういえば、
JACサイドでさよなら体制を敷くという話が、随分前に伝えられていた気がするが、その後音沙汰ありや無しや・・・・・
そろそろ始めないとアレだろうし、来月あたり、どーんと連動企画発表とか?? はさておきとりあえず、来年一杯の、心の準備だけは。
そういえば今日は初飛行の日。
地元の書店で「昭和『のりもの』ヒーロー」なる本が目に止まり。新幹線にてんとう虫に、そら外せないわな・・・。
野暮用がてら、縄文弥生のコスプレねーちゃんに騙されたわけではない・・・と思うがフーコーの振り子がいい加減恋しい国立科学博物館。
常設コーナーでまた風洞モデルと対面。うーんと唸ったところで交通博物館へハシゴ。吹き抜けの天井に吊るされているアンリ・ファルマン機。
そういえばさっき上野でプロペラだけ見た。例の徳川大尉の飛行に使われたという・・・・・と、ここの機体もそれだそうで、よくよく見ればプロペラが無い。
あらあら・・・・・ここも閉館が近く、その後これがどこへ移るのかは知らないが、また一緒にしてやれないものか。
特別展、秘蔵の模型など眺め・・・・・JALのコンコルドに釘付け、をををシブいじゃんと盛り上がりつつふと見上げれば、JA8612、JDAの「聖火」。
「受入年:1965年」「スケール:1/50」「受入先:日本国内航空」・・・とある。なにげにJDA後期塗装。
40年もの間、ここに所蔵されていたことになるが、ひょっとしたら幼い時分、航空コーナーで目にしていたのかもしれづ。
えっちら、おっちら・・・・・今年も富士山だったりなのだが、見上げれば飛行機雲。山頂の少し北を通過するこの航路、
西へ向かう際には左舷窓側を押さえて、それを見下ろすことを楽しみにしているのだったが、それを逆の立場より見上げる。
しかし羽田近くで見上げるそれと違って、巡航速度なものだから、ごぉぉ、と聞こえる音の方を向いたのではもう見つけられない程に、速い速い。
で、七合目は過ぎたかまだだったか、不意に、ぶーん、と聞こえ。小型機のようでもあり、或いはバイクのようにも聞こえたが、
はてと見上げれば、双発の白い機影。山頂の南側を東へ向かう。咄嗟のことで望遠で捉まえることは叶わづ。
半分希望的観測でYSではないかと思うが、空自か海自か海保か航空局かJACか、腹が白っぽいといえば・・・・・尤もサーブというセンも、
無きにしもあらづだがぁ・・・・・だらだら流している感じの音は下降中かもしれなかったが、すると厚木か入間かはたまた羽田、
などと夢想しつつ、はっはっ・・・息が苦しひ。
終電続きでへろへろなこの頃、ふと目に留まった週刊朝日の中吊り。もしやと思いつつコンビニでそれを手に取れば、果たして東條輝雄氏のインタビュー。
中身は時事的なアレコレで技術者としての話では全くないのだったが、インタビュー記事というより本文にはめ込んだ氏の発言のボールド具合がなんだか、
言質でも取ってるみたいだなーとかいうのはさておき、その変わらぬお顔などを眺め。
家に着いてTVのスイッチを入れると、さっき見たのより大分若い顔がいきなりアップで飛び出した。「へ?」・・・目が点。ラテ欄なんぞ見る暇も無く知らなかったが、
どうやらプロXのYS編の再放送らしく。三菱に帰っていた氏が、三舵問題の中再び日航製に呼ばれるくだりのところのようで・・・・・というと後編、
果たして間もなくスプリング・タブが登場・・・・・しかし、こんな偶然ってあるものなのだな。1月の鹿児島訪問以来、久しく実機に接していなかったがこれは、
「見えざる手」の悪戯か。うーむむ、羽田でも覗いて来るかな・・・。