YSな日々 〜奇行ログ

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2006/12/22(金)
JCABのYSも、今日限り・・・・・NHKのローカルニュースで流れていた。JA8709、JA8720が2機並んでタキシング・・・・・くぅぅ。 恐らくいつもの旧整備場のエプロンか、2機並べてセレモニー。「41年 おつかれさま」・・・・・おつかれさま、JCABで使われたその言葉は、 ANKの「さよなら」ともJACの「ありがとう」ともまた一味違って、同僚を労うような、そんな響きがある。2機は防衛庁とJAXAに貰われて行く由。 ◆ そおかあ、では挨拶に行こうかと、トロトロと・・・・・いや寒いので今日はクルマで・・・・・羽田のいつもの場所。重なっているのか隠れているのか、 JCAB機はJA8709だけナトリウム光に浮かび上がっていた。その手前でこちらにお尻を向けているのは、JAC機のよう・・・・・ 既に新しいレジが振られているようだけれど、最後の2機の、元JA8766か、JA8768か、そこまではもう分からづ。 ◆ ともかくぱちりぱちりと撮って、あー絞り変えても一回撮るかーと取り掛かっていると、背後の歩道に何やら人の気配。 ちぃ、また職質かと(前例アリ)気付かないフリしていると、YS撮ってんですかー、と声がした。ほお、お巡りさんも心得たもんだなと振り返れば、 フツーの勤め帰りらしい人。ハイそーです、とそこから少しお話モードに入り、なんとこの方、YSの整備に関わっている方らしかった。 さっきまで打ち上げ(?)か何かで、終電近くで帰るところといった風。そこへ夜中にYS撮ってる物好き(私である)がいて、 琴線に触れるところあったのか、何故か握手(笑)。今日はJACの1機もフィリピンへ発ったそうで、JCAB機の引退共々、 特別な日となっていたらしい・・・・・どちらにも立ち会うことは叶わなかったが、ちょっぴりそのお裾分けを、この方に頂いたような。

2006/12/20(水)
ANAのナントカっていう食玩、前回ではいきなし737と727のモヒカンセットが出てお腹いっぱいだったのだが、で、 続編が出ると聞いて随分経つ気がするのだがこれがまた、とんと見かけないのだった。地元のヨドバシでも見ない、羽田のANAの店でも見ない ・・・・・さては大人買い攻勢の前にペンペン草も生えないでいるのかと、半ば諦めていたところ、今日ふらりと入ったコンビニに、あった。 おー、これかー、ととりあえず、2つばかりむんずと掴んでレジへ。 ◆ 家まで待ちきれず(子供かよ)歩きながらベリベリと開けてみれば、をををっ、いきなしビンゴ! トリトンブルーのYS、JA8756。 くぅぅぅ・・・・・思えば「タイムスリップ・グリコ」でも、一発目でいきなしYSに出くわした。気迫だな気迫。ふふん。さてともうひとつも、 ベリベリベリ・・・・・まあ、いきなしYSだもんなあ、アルビノ・ジェット(ホントはゴールドナントカらしいが勝手に命名)が出たら御の字か、 佐賀へ乗ったA320も捨て難いか・・・・・ん、こりゃなんだ? なんだこの色は・・・・・え? ええっ? うへえこれ、 モヒカンの前の色の、YSですがな。箱には出てなかったが・・・・・シークレットかぁ!? じっと手を見る・・・・・ゴッド・ハンド。うーむ。 いきなしYS100%しかもシークレット込み、いいのかこんなことで・・・・・味しめてモヒカンまで狙いだすと大散財の罠が待ってんだろなーとか考えつつ、 レジを見ればこちらはJA8733、そおか、佐賀のヌシの、若き日の。

2006/12/16(土)
防衛庁の看板撮り方々市ヶ谷。意を決し例のクリスタル立体点描YSを求めるべく突入するも、ショーケースに既にその姿無く。 訊けば品切れの由。迂闊。まだ入荷するそうなのでそちらに繋ぐとして、小さいキーホルダーの方のがあったのでそちらを押さえる。 この間入間で見たのと、多分同じだろな・・・・・携帯ストラップの方はやっぱ小さ過ぎた・・・・・JACの名の入った箱に収まり、 ちょっと内々の記念品的な風情がなかなか素敵。ボタン電池を入れて光らせることも出来るという。ほお。

2006/12/12(火)
細切れに見たくなかったので我慢して、ようやっと通しで見る・・・・・あああ、グッと来たですよ。うるうるですよ。 ディレクター氏が語っていた「人と飛行機とのいい関係」が、まさにそこにあった。人々の想いに囲まれて舞う、YSの姿。 デモで既に見ていたが与論へのアプローチ・・・・・あああ(涙)。 ◆ 与論の最終日が台風との戦いになっていたとは知らなんだ。「台風飛行」と名付けられた副題は、まさにあの「台風飛行」のことなのか、 それともあの本以前からよく使われた言葉なのか・・・・・いずれにしろ、台風を避け、或いは時に立ち向かうことも、 島々を結んできたYS達にとっては、日常の一部であったわけで・・・・・最後に名脇役(?)を迎えての競演、と言っては叱られるだろうか。 白波立つ与論へ若干ドリフト気味に(?)舞い降りるYS・・・・・くぅぅ。 ◆ 2005年12月とテロップの入った雪景色に、もしや自分の出くわしたあの日かと色めき立つも、「ありがとう日本の翼」の入ったYSがもういるから、 あの後にもまた降ったらしい。あの日居合わせた地元の人にこれほどの雪は珍しいと言われたが、こちらの降りっぷりはそれ以上で大変だったようで ・・・・・こんな日にも、ちゃーんと朝から記録を残しているのには、頭が下がる。予報で動いたのだろうか、それとも、 ニュースや他の取材だったのか・・・・・何かを続けていると、時にご褒美のように偶然の方からやってくることも、あるけれど。 ◆ YSを巡って様々な人が登場し、想いを語る中、いつものおじさん(失敬!笑)と共に最後のフライトに臨んだ査察機長氏・・・・・ あの阪神淡路大震災に遭い、それ以前の自分の写真が残っていないという。勝手な思い込みでアレコレ言う無礼は慎みたいが、 我が身に置き換えてみるに、やはり身につまされるものがあり・・・・・昔「岸辺のアルバム」というドラマがあった。 洪水で家が流されようという時に、家族はアルバムを運び出すのである・・・・・世の中には、代え難いものというものがある。 どういう経緯かあったのか、最後にかつての同僚から昔YSの前で撮った記念写真を渡される。思わずホロリ。 ◆ 時折ナレーションがニュース番組のように感じられてしまったのは、「客を選ぶ」ことの出来ない放送番組故の、 広い層向けに分かりやすくという宿命かもしれなかったが、しかしそんなにハキハキ喋らんでも・・・・・などと言ってはバチが当たるか。 DVD用に再構成したついでに、例えば・・・・・音声は基本的にライブ音のみ、ナレーションの代わりに最低限の字幕を、 すーっ、と静かに入れる・・・・・DVDならそういう選択肢だって設けることが出来る。じんわりと、浸れるいい演出になるのでわ。 ナマ言ってスミマセン。それはそれとして、次作・・・・・放送順的には前作・・・・・のDVD化が、待ち遠しい。 ◆ 昨年の暮れ、JA8717に施された「ありがとう日本の翼」の記念塗装。「さようなら」では寂しいから、と担当の人は言う ・・・・・ふと思う、これはYSへの言葉なのか、YSからの言葉なのか。誰から誰への「ありがとう」なのか・・・・・ 無論、単に乗り物であることを超えた「存在」であるYS−11への、言葉であることは間違いない。けれど一方、YSを産み、育て、 共に働き、そして慕った人々へ対する、YSからの言葉でも、あるかもしれない。とかく主語が曖昧と言われる日本語だが、 「ありがとう日本の翼」・・・・・故にそれぞれの様々な想いが、この言葉でひとつに融け合っていたようにも、思うのである。

2006/12/11(月)
日付を跨いで、中身を取り出す。白地の中に切り出した、青空を背に舞うYSの写真、そのさわやかなパッケージはなんとなく、 昔よく平積みで見かけた片岡義男の文庫本を思わせ(世代依存)、ダートに首ったけだの、幸せは白いYSだの、彼のヒコーキ彼女の島だの、 スローなウィンドミルにしてくれだの、しょーもないコト考えつつこいつを開けて、今宵のところは特典映像だけ、ちょっと見てみる ・・・・・いやはや、それは全く「残りモノをかき集めた」ようなものではなかった。それぞれのカットがそれだけで、たっぷりと「魅せて」くれる。 撮り貯めた膨大な素材の中から、選び取られたうちのひとつひとつであろうことは、一目で判る。伝わるものなのだ。つまりこれは、 いわば本編から溢れ出した分なのであり・・・・・ふと「ディレクターズ・カット版」の存在を、夢想してみたり。

2006/12/10(日)
昨日またメールがあり、予定より早く出来たので発送した由。焦がれる想いを汲んでの心遣いが嬉しい。さらに次作も計画中という。ををを。 今回の前に放送された番組を収録するらしく、噂には聞いていたが大いに期待。で、着くのは週明けと思っていたら、出かけている間に不在票が。 早速トロトロと本局へ取りに行く。

2006/12/7(水)
DVD予約してたんですけど、どうなってますかねえ、と訊いてみようと思ってたら、来た来た案内メール。ほっ。

2006/12/6(水)
南日本新聞のWebに、例のDVD「ありがとう日本の翼 YS−11」のお話が。番組制作からDVD発売までの経緯が紹介され、 インタビューに答えるディレクター氏の「人と飛行機とのいい関係」という言葉が、沁みる。飛行機に限らず、乗り物に限らず、 「いい関係」を持った道具というのはまた、「いい風景」をつくる。「全国の人に見てもらえる機会ができてうれしい」と続けるディレクター氏だったが、 なになにこちらこそ、「地に足の着いた」ものに接する幸福に、感謝しているのですよ。 ◆ さて初回生産は1111枚というこれまたコダワリの数だそうで、先行予約で既に900枚程のオーダーがあった由。 12/5に一旦止めたそうだが、自主制作並の数じゃ足りるわけが無い。そういえば月刊「エアライン」にも出てたし、情報さえ広まれば相当、 伸びるハズでわ・・・・・そういえば速攻予約した時に届いたメールに、追って詳細を知らせる旨あったような気がするが、 あれ、その後何も来てないような・・・!? SPAM除けに引っ掛かったかとそっちのログまで穿り返してみたが、うーむ、無い。 まさかどっかでリストからこぼれたんじゃ(汗)・・・・・以前海上保安庁には、観閲式応募者情報すっ飛ばされたし(しつこい)。


2006/11/25(土)
トロトロと天空橋でいつもの場所から覗けば、JACの2機の姿無く。どこへ行ったのだろう・・・・・JCABのは2機が仲良く並んでいた。 さらにトロトロと都内を走り、ふらりと市ヶ谷に立ち寄る。 おっ、DVDとCDのセットの「永遠の翼 YS−11 WINGS FOREVER」がずらずら〜。3年前のANK機の退役前後に、 リリースされたような気がするが・・・・・また生産したのかな。 ◆ 奥へ進むと、おっ、例のクリスタル云々てなレーザーでチュンチュン焼いたYSの像の、その大きい方のが鎮座しており。ネットでは見てたが、 ほお、これかあ・・・・・少々覚悟を要するお値段、その台座の安っぽさ・・・・・何故か花札のプラケースを連想したが・・・・・ 場末の土産物チックな香りが仄かに漂うような気もしつつ、しかしそのYSの像はといえば、機体のロゴやJA8717のレジまで読める細かいもので、 その立体点描でありながら醸し出される量感、存在感には、グッと来るものがあり。うーむむむ、どおしよお。

2006/11/24(金)
ながらで点けっぱのTV、今日の「NHKスペシャル」は朝鮮半島情勢のお話のようだったが、ハイジャックと聞こえて、まさかと画面に見入ると、 ああっ、北へ行ったまま帰って来なかった大韓航空のYSがぁ・・・・・シリアスな話と関係無いところで反応してるのもオメデタイが、 うー、録画しておらなんだ。再放送、いつだろか。

2006/11/23(木)
トロトロと天空橋。いつもの場所から覗いた手前のJA8768、とうとう「ありがとう日本の翼」もJACのロゴも、消えてしまっていた。 奥に見えるのはJA8766か。最後まで勤め上げた2機・・・・・この間見たのがどちらだったのかは、結局分からずじまいだったが・・・・・ ぱちりとやっていると、ぽつ、ぽつ、と2人ほどご同輩。「やー、やっと横向いてくれましたねえ」なんて言われて、 ちょくちょくチェックしている人は少なくないのカモ。ともあれ、JACの衣を纏ったYSは、これで三沢の1機のみとなり。

2006/11/16(木)
おっ、出た。「シアタービューフクオカ」に、ギンギラの大塚ムネト氏が「YSさん」に扮してYSに乗った時の話。やっと写真が見られたかあ。 にしても、ホントにやっちゃったんだ(笑)。アレ被ったまま乗ったらどー考えても、後の席の人邪魔だよな・・・・・機内まで行くことに挑戦した、 とのことなので流石に脱いだか。この時のビデオ映像は今度の公演で見られるらしい・・・・・うー、見たい。福岡行きたい。

2006/11/15(水)
うーむやはり昨日、調布へ発っていたらしい。新聞に出てる。見事にブツ切りですがな・・・。生涯に渡って実用に供されてきた、 この個体の状態が、データとして蓄積されるという。JAXAのページには、かつて0号機の試験を行った話に触れられていたが、 あれは言わば試験というシミュレーションであった。今度は実際に「生きた」本当の成果に、接することになる・・・・・多分、 生みの親たる当時の設計者が最も、それを知りたいのではあるまいか。いや、その生涯を労いつつ、ちゃんと設計しましたから、 と言うのかもしれないかな・・・。JA8788、今度の一般公開の時に、会えるだろうか。

2006/11/14(火)
今宵は心なしか少し暖かいようで、トロトロと羽田を覗きに行く。パチパチとシールドが鳴ったと思えば、通り雨。 涙雨だろかーと考える辺りは我ながらオメデタく、夜闇の旧整備場地区をウロウロと不審行動。ハンガーもゲートも閉まってて、 どうも寝静まった感じ。ギャラリーらしき人影も無く、ソレと思わせる「ニオイ」が無い。こりゃ空振りか、日程変更の可能性もあるような話だったし ・・・・・それとも真夜中だろうというこちらの思い込みに反して、とうに出て行ってしまったのか?  電車だって白昼堂々環七あたりで陸送してることあるもんな・・・・・旧整備場地区のエプロンへの入口には門限が書いてあるが、その前に出たとか。 まさか調布まで見に行く気力は無く、怪しそうな箇所を一応いくつか巡って・・・・・途中エキパイが緩んで焦りつつ・・・・・帰ってとっとと寝る。

2006/11/13(月)
昨年種子島へ飛ぶ企てをして以来、ずっと取ってたりするJAXAのメールマガジン。いやはや、姿を見なくなって、 てっきり海外へ売却されたと思っていたJA8788、まだ羽田にいたらしく、調布のJAXAへ譲渡の由。次期国産旅客機にYSの成果を継承する、 といったようなことが書かれていたが、疲労試験云々ともあるので無事では済むまい・・・・・ああ、羽田を出る時にもうバラバラなのかあ。 しかし実際のトコロ、丁度良い出物がありましたってコトなのだろうけど、戦前戦中に蓄積された技術の戦後への継承でもあったYSの、 その身をもって次代の礎となると思えば、立派な最期とは言えようか。ED30の部品になっちゃったEF55みたいなもので・・・・・ そういや調布には前にも、YSの輪切りがあったろう。あれも衝撃試験でぐしゃりと・・・・・あれはもう無いんだろかやっぱ。 譲渡は明日の由、うーむむ搬出は夜というが何時頃だろ。(ぉ

2006/11/12(日)
トロトロと「しらせ」でも見に行こうかといったその行きがけに天空橋。JCABの2機と、JACカラーで既にロゴの無い1機・・・・・ JA8768はどうした? あれがJA8768なのか? しかしダックテールをこちらに向け、肝心のレジは水平尾翼に遮られ。

2006/11/11(土)
南日本放送がDVDを出す由。「ありがとう日本の翼 YS−11」。JACの地元ならではの番組が時々放映されているらしいことには、 遠い空の下にいて歯痒い思いでいたのだが、つひに、それに与れる・・・・・2、3日来てちゃちゃっと撮って済ませたようなのではない、 地に足の着いたドキュメンタリー作品・・・・・そういうものを、身体が欲してる。3分程のデモ映像があった。与論へのアプローチのカット、いきなし俯瞰。 エメラルドの海を、小さな機体が真っ直ぐ進む・・・・・ああ、一昨年に乗った時、あの風景の中にいたんだ・・・・・画面がほんのちょっとだけ、 滲んだかもしれない。おっと先行予約開始とな。速攻カチカチ。

2006/11/3(金)
入間航空祭。先週海自で今日空自、我ながらご苦労なことである。特異日だけあり多少霞みはあるものの晴れてくれて、 日が高くなるにつれ暑くさえなり、小春日和にしてもホドがあんだろがーといった陽気。開場直前あたりに現着、ぞろぞろと中へ進み、 地上展示機の並ぶエプロンを見渡して、特に場所取りするつもりもなく、そういや初めてだったわい、とまだ空いているC−1やらの機内見学の列に並ぶ。 そういや「飛鳥」なら入ったことあったが・・・・・先程よりT−4が空を舞っていたが、びぃぃぃぃぃぃ・・・・・えっ、と振り返れば、 飛行点検隊のYSがまさに機種を上げるところ。わぁっ!・・・不覚。飛行展示のスタンバイに上がってしまったのだった。 ◆ で、その展示飛行。紹介の一航過のあと、飛行点検隊のデモ。やはり国内線から引退したYS、といった紹介の仕方。あぷろーち、あぷろーち、ぴー、 といういつものヤツを見せてくれ、その霞みの中右に左にと舞う姿を、逆光側から狙う。やがて着陸してくるのをエプロンのロープ間際で待ち構えると、 警備のお兄さんがフレームに入り、YSと歩調を合わせるような絶妙さで動き、どうにもこうにも避けられづ。むう。 ◆ 午後のブルーを待たずしてどころか最初の1時間で既にもう消化試合に入っているのは毎度のことながらなんだかなーだったが、 続くC−1のぐいぐい旋回と、第1くるってる団(をゐ)の降下、ハンガー内のT−4の脚上げデモ等々でウハウハ。勿論ブルーでもウハウハ。 そういえば今年のツアーワッペンの7番機のも所望してウハウハ。ファントムIIとイーグルの帰投見てウハウハ。終了。 ◆ 入間といえば3枚プロペラのスーパーYSなのだが、これまでなら大体遥か遠く敷地の南端の方に見えていたものが、今年は見えづ。残念。 そもそも今日は飛行点検隊の2機しか見ておらづ。みんなお出かけなんだろか。グッズ販売のテントで、クリスタル云々てなキーホルダー・・・・・ よく観光地なんかで見かける、ガラスだかアクリルだかにレーザーで大仏さんなんかを立体点描している、ああいうので、様々なヒコーキ達の中に、YSのもあり。 アンテナ線まで表現されててる。コレクダサイと指差すと在庫が切れている由。見本の現物でもいいからと食い下がるも、不心得者が持ち去らぬよう厳重に括り付けられており、 断念。少し小さいので携帯ストラップならあるというので、それを所望。たーだこれが小さいために、点描の目が粗くなってボフボフ。 ◆ 夜にトロトロと久しぶりに天空橋。JAC機JA8768がシルエットで佇む。塗装はまだそのまま。JCAB機が2機見え、JAC機は他に・・・・・ ん、見えなかったよーな・・・・・・隠れてたか、もう発ってしまったのか。元JA8717は既に発ったように、風の便りに聞く。


2006/10/28(土)
下総航空基地祭。トムボーイのいるところ。あれれ秋だっけかなーと思いつつ、久方ぶりに出かけてみた。もう4年くらいになるか。体験搭乗は、 あえなくハズレ・・・。京急から直通の電車に乗って、北総線の西白井。新鎌ケ谷からシャトルバスがあるようだったが、どれくらい待つのか読めないこともあり、 最寄とされている野田線の高柳より近そうな、こっちから歩くことにしてみた。パスネットから引かれた金額にぎょっとしつつ、30分程歩いて現着。 ◆ テントの店を覗いて二輪偵察隊の流鏑馬ピンバッジに蝕雷なんぞしつつ、エプロンへ出ると、をを、早速いますなトムボーイ3機並び。 それとは別に地上展示機が1機、これまたC−1と並んでくれてたりして、もうタマラン状態。ブルーが来ちゃったりする入間あたりと違って、 場所取りだ何だとごった返すでも無く、のんびり見て回れるのがなかなか。そう思ってよゆーかまして11時頃に来たのだったが・・・・・やがて展示飛行が始まり、 ぶーん・・・・・航過するYSと地上のYSとからめてみたり。「ご存知のように、旅客機としては引退しまたが・・・」との紹介にはちょっぴり、 最後まで飛ばすのはウチですヨといった響きが、あったようにも。 ◆ 午前の部が終わったところで、売店へ出かけトムボーイのワッペンなんぞを求めつつ、そろそろ午後の部だなと戻ってみると、びぃぃぃぃぃぃ・・・・・ をを、体験搭乗のYSがタキシングに入ったところだった。ああ、特にこのタキシングの、今や懐かしい音。そして3機のYSが、次々と駆け出す。 北向きに真っ直ぐ上がって、右へバンク、ぐるーりと東の空を南下して行く・・・・・鹿児島でターミナル逆サイから見送った姿がふと重なったが、 今日見るのはあの懸命に高度を稼ぐ姿ではなく、ちょい乗り気分の、遊覧飛行。 ◆ 姿が見えなくなり、暫くすると西から南へ回り込んできて、着陸。滑走路から折れても暫く留まって、3機揃ってから、並んでタキシングして来る。 くぅぅ、かしゃかしゃかしゃ! なんとも羨ましい「選ばれし人々」の次のグループが既にエプロンに控えている。 そこへ第1エンジンだけ止めて片肺でタキシングしてくるYS。へぇ、こりゃちょっと珍しいカモ。アレだったよな、樺太侵攻作戦(をゐ)の時、 海保のYSがコンスタンチン君を乗せる間エンジンを止めていなかったのを思い出したが、あれは両方回ってたような気がする・・・・・どうだったかな。 ともかく、片肺で回したまま体験搭乗者が簡単なタラップを降りてきて・・・・・あ、トムボーイには自前のタラップ無いんだっけか?・・・・・ 次の人が乗り込んで、きゅぉぉぉぉぉぉ・・・・・再び第1エンジンに火が入れられる。3機で、これを4回くらい繰り返したろうか。 旅客機ではないから一度にそんなに乗せられないようだったが、午後一から始まって、終わり一杯までこれが続いた・・・・・というか、 午後はひたすらコレなのだったが、夕方に近付くに連れ光線も色味を帯びて、撮る方としては、ウハウハで。そのうちに閉会時刻。 ◆ ちょっと早く手にした「エアライン」誌は、YSさよなら特集。とその前にいきなし、全日空商事の見開き広告。 殆ど幻のまま終わったJAC「ありがとう日本の翼」が完売と断りながら出ているのは時節柄かもしれなかったが、 続けてJCABの「おつかれさま」に、海自のトムボーイ、他に未塗装の試作品が並んでいて・・・・・なんか怪しいコブが付いてたり、 3枚プロペラだったり(!)、うーむむむ、大攻勢。ここまで来て試作機は・・・・・と思ったら、一見フツーのYSに見えて、 しかしエンジンの後に出っ張りが無く、主翼の付け根の膨らみが小さめのが。ををを。デルプラド以来、いよいよ出るか。 ◆ 肝心の特集、最後の2日間のドキュメント。いやいやホント、天候に恵まれて良かった良かった。カブリモノをした人も探してみたが(笑)、 流石に出て来ないなぁ・・・・・日経に載ったらしいのだが未だその映像というか写真にお目にかかれずにいる。で、YSは「失敗だったのか?」 と題されての、そのプロジェクトの遺産についての紹介、回顧録、そして・・・・・おおっ!? なんだか見覚えるのある、TDA赤緑塗装の、 なんちゃってYS−11J仕様機!・・・・・たーしか1年くらい前に「ノスタルジック・ヒーロー」誌でたまたま見かけたのだったが、 それでわないのかこれわ。YSと言えば個人的にモヒカンとこの色なのだが、プロペラ等々パーツを見つけ出し、日本の関係者も巻き込んで、 静態保存機としてあらためて整備される由。そおかあ、良かったなあ。

2006/10/23(月)
カチカチ徘徊してて、おやウィキペディアの表紙に秀逸な記事としてYSのそれが。「イチイチ」の話から入るあたりに筆者の拘りを見るような。 項目自体はここの中では古くからあったように思うが、そういえば久しく読んでおらづ。さてどんな風に加筆されているのやら・・・・・どれどれ。

2006/10/21(土)
ヒコーキ雑誌の発売日をよく心得ていないものだから闇雲に、書店に立ち寄ればチェックしてたり。こちらはしっかり覚えている鉄雑誌目当てで行ってみると、 「航空情報」誌でYS特集。JACの最終日の様子、続いて消えることになるJCAB機と、海保機の添乗ドキュメント、空自の飛行点検隊の仕事の様子に、 まだ暫くは残るらしい空自、海自機達の紹介・・・・・うーむEBを見たいんだよなあ。 ◆ 島文雄氏の回顧緑的な記事。これまで過去の記事を纏めてMOOK化などして来た同誌、思えばこういった関係者が直接関わる記録の積み重ねであり ・・・・・と思っていたら、開発当時のリアルタイムの記事のピックアップ。このあたり「航空情報」の厚みというものか。鉄なら「ピクトリアル」的な香り。 科博でのシンポジウム・・・・・これ行きそびれたんだ・・・・・の様子、そして「サヨナラYS−11で良いのか」と、鳥養氏の記事が引き締める。 「ありがとう YS−11」でなく「日本の翼」であったことの事実。何の疑問も無いブームが過ぎて3週間、あらためて周りを見回してみる。 ◆ トロトロと羽田。JACの3機とJCABの2機。豪華5機揃いに変わり無く。そういえばJACのうち2機の垂直尾翼のロゴが、まだそのままに残る。 どういうタイミングで消すものなのかよく知らないが、手続き上まだその段階に無いのか? それとももしや、ファンサービスだったりして。 ◆ ついでにターミナルをウロつくと、「空の小話集」を発見、確保。地元で買うつもりでいたら、大きい店を回っても置いてなかった。 余程控え目な売り方してるのかと思いつつ奥付見ると、「2006年10月15日 初版第1刷発行」に続いてすぐ「2006年10月20日 初版第2刷発行」 ・・・・・ふーむ。帰ってまず「YS−11物語」(航空ジャーナル別冊の方の!)と表紙を並べてみたり。(ぉ

2006/10/16(月)
日の出より営業。トロトロと羽田へ。今日こそはと気合を入れたのだが、果たして白む空には星が瞬き。おーし。一昨日と同じく、まずは蒼い情景をぱちり。 そして御来光。んが、向こうの2機のJAC機はオレンジ色に染まるも、肝心のJA8768の鼻先は太陽より僅かに南に向いていたようで、 こちら側の右舷にはまるで陽が当たらづ。むぅぅ・・・。

2006/10/15(日)
届き物あり。奇しくも誕生月に・・・・・んー、これも巡り合わせか。

2006/10/14(土)
日の出より営業。(ぉ トロトロと羽田へ。右舷をこちらに見せる、JA8768。後の2機も向こうにいて、この1週間配置が変わらぬ様子。 少し右へ目を転ずればJCABのJA8609も同じように休んでいる。ナトリウム光をアクセントに、夜明け前の蒼い情景の中で佇む姿を、ぱちり。 朝日に映えるのがお目当てだったが、予報とは裏腹に生憎雲が出ててこれは叶わづ。しかしま、こうしてYSを眺めながら迎える夜明けというのも、 昨年末の鹿児島以来・・・・・近頃新鮮な、羽田での時間。

2006/10/12(木)
書店でTDAの赤緑カラーのYSのイラスト・・・・・なんだか「YS−11物語」(航空ジャーナル別冊の方の!)を思わせるが・・・・・が目に止まり。 「空の小話集」。手に取りパラパラと捲ってみると、今ならありそうなYSがどうのこうのという話ではなく・・・・・相当に関わりはあったようだけれど ・・・・・かつて海軍でパイロットを目指し戦後になって旅客機を飛ばしていた人の四方山話、古き良き時代の武勇伝や微笑ましいエピソードが綴られている様子。 ヘロンだったか主翼の構造が客室を貫き、その段差を行き来するスッチーをして「今日は白ですか」なんて、今だったら大変(笑)。

2006/10/10(火)
新装備を得て、早起きしてまたちょっとだけ見に行く。JACの3機の位置は変わらないように見えるも、これまで気付かなかったがよくよく見ればJA8717 ・・・・・これは「元」と呼ぶべきか、そのレジは既に消え、「RP−C2677」なる文字が垂直尾翼の付け根の背びれ辺りに見えた。 そろそろ、旅支度を整えたか。あのJAL時代の塗装に戻してどこかに保存・・・・・てな淡い期待はお預け。

2006/10/7(土)
昨夜の派手な降りっぷりからケロリと晴れた秋空の下、バイク転がしてトロトロと羽田。先週交わした会話の中では、 もう1機のJA8768も今日あたりやって来るような風だったのだが着いてみれば、やややもう来てますがな。シカーモ、 もうどこかへ発ったものと思っていた、JA8717もまた現れて、JAC色のYSが都合3機・・・・・ 3機揃うというのは暫く鹿児島でも見られなかったハズで、役目を終えて、久方ぶりに顔を合わせる3機、何を語らう。 視線を少し移せばJCAB機、向こうには海保のもいる筈で、図らずも羽田は今、YS天国。1タミに場所を変えると、 果たして海保のも見え。ジェット達の吐き出す陽炎の向こうで集うYS達を、遠く眺め。

2006/10/6(金)
鹿児島空港で事故の訓練があった由。南日本放送の映像が見られたが、退役したばかりのJA8768を使って、発煙筒焚いたり水かけたり救助したりと、 なかなか大掛かりであった様子。意外なところで、これが鹿児島での最後のご奉公、なのかもしれづ。

2006/10/5(木)
そろそろ9/30の話が週刊誌にでも、とパラパラ見て回るも、これがなかなか・・・・・まあ交通博物館閉館の話もそんなモンだったし・・・・・ と、「サンデー毎日」、巻頭カラーグラビアにどーん。最終日の様子ではなく事前の取材だったようだが、シャッター速過ぎたナと思いつつ(ぉ ぺらりと捲った見開き、 博多のビル群をバックに、板付へとアプローチするYS。一緒に飛んでるようなアングルは映画「WATARIDORI」を思わせたが(かなり誇張)、 撮影条件が相当厳しかったらしく後処理バリバリなトーンの下の隅には、「本社ヘリから」。そういえば3ヶ月ほど前の「読売ウィークリー」では、 鹿児島で駆け上がる姿をその上から狙ったカットがあったか・・・・・いやはや、大マスコミの力技。にしても、週刊誌でおしまいでは惜しい。

2006/10/2(月)
モタクサと出掛けに、点けっぱなしのTVのワイドショーでYSの最後の日の話。聖火をアテネから運んだそうだ(苦笑)。 売り上げが伸びず生産中止というのも随分端折った話で、まあ、いわゆるワイドショー的な内容とはいえ、現地の様子やインタビューや古い映像等々、 録っておきたかったカモこれわ・・・・・沖永良部を発つ時のカット、エプロンの出口でなくアサッテの方へ向かうように見えたが、 種子島の時のように、くるりと回って挨拶したのかもしれない。ひょっとしたら鹿児島のアプローチも、それでぐるーりとRW16へ回り込んだのカモ?  ・・・ときに、色んなコトで何か喋らにゃならんコメンテーターって仕事も大変と思うが、ナルホド生産中止もまずアメリカのせいでしたか、カツヤさん。(ぉ ◆ YS−11、なる名前の自転車が発売されるそうな。ハンドル回りがコクピットを模した宇宙戦艦ヤマト自転車みたいなモンか、 はたまたYSを鋳潰してフレームを・・・・・などとほんの一瞬妄想が膨らんだが、なんでも日本航空機製造の元技術者?・・・・・ 正確には「YS−11(日本航空機製造)の」とあるので日航製プロパーなのか微妙なニュアンスな気もしつつ、 ともかく「バイク技術研究所」なる会社を興して、軽量折り畳み自転車を発売する由。その名も「YS−11」と「YS−11A」。折り畳みといえば、 JR東日本で持ち込み放題と謳ってた気がする「トレンクル」がぼんやり欲しかったりというのはあるのだが、あれは結構値が張るシロモノ、 その点このYSなら・・・・・うーん、どうか。自転車用ABSも開発中らしい。折角なので水&メタノール・アシストなんてのわ・・・。

2006/10/1(日)
カチカチとニュースサイトを見て回る。気になる日経・・・やっぱ無いな。また実機を見たくなって、先週の所沢のフィルムの残りを消化がてら、 トロトロとバイクで出かけ。ついででラゾーナに寄って、ウロウロするうちに雨が降り出したのでそのままバイクを置き去りに、電車で天空橋へ。 地上に上がって歩き出すと、JCABの白い機体が2つ見え。やややっ、JA8720、ようやく再会。こちらにも「おつかれさま」の文字が。 ◆ さらに進むと、門扉のところに先客が。昨日の今日で鹿児島から飛んで来るものだろか・・・・・ダイヤも判らないのでハナから諦めていたが、 もしやこれわと傍らの人に尋ねてみれば、なんでもさっき鹿児島を発った由。何年か前まで飛んでたYSの大阪〜種子島便の所要時間はいくらだっけか、 ジェットで羽田〜鹿児島はどうだっけか・・・・・どう考えても2時間以上はかかりそうで、雨支度も無いままこんなとこでつっ立ってるのもナンだったが、 聞いてしまった以上は、待つしかあるまい。そういやJA8717の姿が見えないが・・・。 ◆ JCABでもいればそれ撮ってラボに出そう、くらいのつもりでいたので残弾が心許ないが・・・・・ごそごそ・・・・・ お、予備のフィルムがあった。レンズは300mm止まりのお気楽ズームだが、これで踏ん張ってみるとしよう。幸い雨はパラパラ降ったり止んだりで、 まあ我慢出来る程度ではあったが、そのうちギャラリーが1人2人と増えだして、中には顔見知り同士もあるようで、 線路端でお目当ての列車待ってるのと変わらんノリだな(笑)。そのうち植木屋さんかというようなでっかい脚立・・・・・ 手荷物シールが無数に貼ってあるがこれで遠征もしてんのか・・・・・を持ったバリバリのシューターが現れ、高い金網をよゆーで上から抜く。 うーむ、これは来るのは間違いない。 ◆ 風向きはRW34。22で降りてくれれば、JCABのYSと絡めて良い感じに撮れそうなんだが・・・・・JALのバスが通り、何やら人の動きがあり、 そろそろかと浮島の方を見ていると、これまでのより小さな機影が、ぽつん。垂直尾翼だけが大きく目立つ。そして3つの着陸灯の、あの配置・・・・・来た。 34LへアプローチのYSが、モノレールの高架の上を過ぎ、整備場を過ぎ、やがて、草の茂る起伏の向こうに沈んだ。 殆ど垂直尾翼だけになって、1タミの前を通過していく。JAC・・・・・しっかりそう書いてあるのがファインダー越しに判る。 それがひらりと翻り、誘導路へ逸れる頃、びぃぃぃぃぃぃぃ・・・・・懐かしい音が。 ◆ JACのYSはジグザグと折れながら、こちらへ向かってくる。「ありがとう、日本の翼」も、JACのロゴもそのままに・・・・・ こちらのエプロンまで辿り着くと、JCAB機の向こう側へ向かい、ハンガーの前あたりで鼻先をこちらへ向け、ひゅぅぅぅぅ・・・・・火を落とした。 夢中で判らなかったのでデジカメで撮ってた人に問うてみると、レジはJA8766の由。そうか・・・・・最後に乗ったYSに、 同じ色でいるうちに、また会えた・・・・・もう一度お別れを言うつもりで、ぱちり。


2006/9/30(土)
鹿児島はRW16だったのだろうか、西日を受けながら、無事、役目を全うした様子をTVで見る。遠い空の下より、お疲れ様。

2006/9/28(木)
読売にまた何か無いかとカチカチほじくってると、「翔べ! YS−11」の横倉潤氏の話や、MJの話がヒット。MJ、厳しそうに書いてあるな・・・。 ◆ 「クローズアップ現代」でも今日はYSとMJの話。ををっと前間氏も出演。番組も、氏の本をベースにしたような構成。プロXの映像ソースも交えつつ、 ある意味プロXとは対極にあるのカモ。 ◆ ぬお、ギンギラ太陽's の大塚ムネト氏・・・・・あのカブリモノのYS「サムライ」を演じた・・・・・が明日、鹿児島〜福岡でYSに搭乗する由。 ををっ、とうとうやるか!・・・ってJAC非公認(笑)のようだけれど、ふぅーむ、日経の記者さん云々とあるし、そのうち当日の様子が見られるだろか。

2006/9/27(水)
一方読売には島文雄氏。このところ関係者は方々から引っ張り凧のことと思うけれど、氏にコメントを求めてさらりと纏めた感じの記事の最後、 ラストフライトのキャンセル待ちが、500人だとか・・・。 ◆ ところで先日買ったYS本の、一方は読了、今一方の前間氏の文庫「名機YS−11」も終わりに近い。前に新書で読んだ時に覚えた、 口の中を苦味が広がるような感覚を思い出していたが、単純化された物語と共にただ名機名機と囃される昨今、 そんな空気の中にあって意味のある1冊では・・・・・メディアに借用される関係者のコメントの、深みを知るにも。

2006/9/25(月)
佐賀新聞のサイトに、佐賀空港での空の日イベントの記事。あー、JA8733だ。読むと昨年5月で見学中止となった由。貨物ターミナル拡張に伴って、 とのことのようで、記事ではバスツアーで見学とあるから、外側からはもう、見られないのだろうか・・・・・3年前に訪れたきりで、 あの時は機内はともかく自由に傍で眺められたものだったが、それもまた、巡り合わせか。

2006/9/24(日)
あらためて羽田。JA8717をぱちり。水平尾翼でよく見えないレジに、さらに金網がかかってしまうので、どうにかそれを避けるのに手間取る。 1タミ行って陽炎ユラユラも構わず超望遠でぱちり。見れば海保の2機も、仲良く並んでる。こちらも近く退役するそうだから、羽田も寂しくなる。 ◆ 久しぶりに浜松町までモノレールに乗って、お次は上野。国立科学博物館でニュース展示「YS−11 国産旅客機44年の航跡」。 行ってみると久しぶりに本館から入れるようなって、フーコーの振り子にも再会。うーん。エスカレーターに乗ると、 正面の窓の外にラムダとそのランチャーが見え、そういえば最後のΜ-Vが打ち上げられてたなーと思いつつ、最も好きな科学技術方面のフロアへ向かう。 ◆ 特別展というわけではないから常設スペースをやりくりしての展示だったが、まず目に入るは、挨拶のパネルと、製造番号順の全機の写真。 いくつか欠けてはいたが、工場を覗き込んだような写真まで引っ張り出して、よくぞといった感。たしかどこかの本にも無かったかな・・・・・ そのひとつひとつ、182通りの、営みがあり・・・・・それぞれの「個」が黙々と役目を全うしている様が健気に思われて、 なんだか、じーん。そしてそれらが集まって、「YS−11」という「存在」を構成していることに、想う・・・・・そういえばこの中には、 北朝鮮へ飛んだまま帰って来ない者も、あったのでは・・・。 ◆ その傍らではクロスウィングの協力で、ショーケースに1/200モデルが犇く。壮観。帰ればこれくらいあるわけだな(汗)・・・・・中にはあの、 幻の(!)「ありがとう 日本の翼」バージョンも。垂涎の的であろうなあ・・・・・さらに奥へ進むと、試験飛行で記録に使われた機材や、プロペラ、 当時のパンフレット等々の展示・・・・・おっ、幻のYS−11Jのもある。見上げれば普段は零戦の傍にある風洞模型が吊るされ、 検討用の高翼バージョンもあったり。所々に掲げられた「聖火とともに運んだ 日本の希望」「日本の空を 日本の翼で」「総生産機数182機」 「100機以上が海外の空で活躍」・・・・・といったコピーに、プロXのオープニングかよと苦笑しつつ目を引いたのは、飛行試験や耐久試験の際の写真と、 マニュアル用のイラストの原画、そして「設計、試作大日程」なる青焼き。こういう生々しいものが、たまらん。また「YS−11」という映像が流れていた。 「イタリア トリノ市 (1966−6) 航空宇宙関係映画祭 民間航空機宣伝部門 最優秀賞 受賞」・・・・・であるそうだが、これまたたまらん。 この時代にまだモノクロというのも別の意味で日本の姿を見るような気もしつつ、これDVD化しないものだろか・・・。 振り返れば三菱のジェット旅客機計画と、ホンダジェットの紹介。前間本をいくつか読んでると、「YS後」の業界にあって、 ホンダあたりにササッと前へ出られちゃう感じが、なんとなく頷けるような気も。 ◆ たっぷりとしみじみしたところで、池袋へ出て今度は西武線に乗り込み、所沢航空発祥記念館。駅前のJA8732との再会を楽しみつつ、 企画展「さよなら日本の翼 YS−11〜写真と模型でたどる軌跡〜」へ。ANKから退役直前の3年前の企画展の時はもっと生々しい物品があった気がするが、 今回は模型と写真。模型はというと様々なスケールのものが並び、やはり1/200のダイキャストも。またまた「ありがとう 日本の翼」バージョンも。 おっとデルプラドの試作機もあんじゃん。なかなか。そして「青木勝写真展 YS−11名機伝説」・・・・・もう2年になるだろか、コニカプラザ以来。 山をバックにアプローチする小さな機体がぽつん、てなお気に入りの1枚にも再会。一周して、引いて眺めて、また近付いて・・・・・んー、しみじみ。 今日はぐるりと、そんなYSのハシゴ。

2006/9/21(木)
また夜中にトロトロと走って、JACカラーのYSを認ム。金網越しにそのダックテールだけが覗くのをよくよく見れば、 「JA8717」・・・・・あ、JA8788だと思っていたら、やはり運用離脱していたか。するとJA8788は今、どこの空の下に。

2006/9/18(月)
夜明け前にノロノロと起き出して、まずはPCを立ち上げる。カチカチ・・・・・はふ・・・・・おーしっ! 0500現在、福岡は強風域からも脱してる。 昨夜の予報より少し足を速めていたらしい。フフフ、晴れ男復活である。このまま日本海側へ逸れるようで、伊丹にいるであろうYSも ・・・・・
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2006/9/17(日)
日の出前より営業。今夜の夜行は運休必至だろうしとまずは博多駅で「あかつき」を迎えるべく、宿が駅前なのを幸い三脚とカメラだけ持って早朝鉄。 戻って今日は軽装での支度、宿の居酒屋で朝食、焼き鯖嬉し。今度は新幹線ホームへ上がり、YSと前後して去ることになりそうな0系に ・・・・・
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2006/9/16(土)
あと、2週間・・・。誕生月に割引を利用してどこかへ出かけるのは最早恒例と言えたが、YS目当てでのそれも、これで最後。 今更ジタバタしても始まらないのだが、福岡でぶらぶらするつもりで、そして鹿児島へ、最後の搭乗・・・・・JACのYSとの、旅客機YSとの ・・・・・
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2006/9/10(日)
羽田の空の日イベント。いつもの如く旧整備場地区の展示場へ向かうのに天空橋から歩いていくと、JA8788。もう2ヶ月にはなるのでは、 なかろか。居場所がまた微妙に、変わっていたけれど・・・・・その先でダックテールだけちらりと見えたので金網越しにぱちりと撮りつつ、 さて会場。NOBさんこと下田信夫氏のイラストの、今年はステッカーを頂く。くぅぅ、5枚組の中に、YSの退役に因んだものも。 ◆ JA8709の尻尾から見えだすのはいつもの通りながら、今回は若干、他の機の位置が違うような気も。JCAB機は4機も出してたっけかなこれまで。 昨年勝手に期待していた、量産初号機の御開帳は、さすがに無し・・・。心なしかいつになく人が多いような気がしたのはやはり、見納めとなるJCABのYSか ・・・・・それと「海猿」かなどうも。海保の一角が妙に賑わっていたし。ともあれJCABのYSとこうして間近にするのも、これで最後かも知れず、 しみじみと、ぱちり、ぱちり。今日は晴天にも恵まれて、「おつかれさま」の文字と、雲の浮かぶ青空とをからめてみたり。そういえばもう1機のJA8720、 あのブーツが無い方、JA8709の「おつかれさま」登場以来見かけていないのだけれど、どこかへ遠征しているのか、それとも整備中なのか。 ◆ JCABのテントではグッズの販売。1000からとのことだったが、0950頃にはもう、濃いぃ感じで人だかりが。それではぁ、 と言った途端にどっと群がり、並んでくださーい、とJCABの人が声を張り上げる中、どれどれと覗き込めば、プリントのTシャツに、帽子に・・・・・ 最後だしなぁ、とついついNOBさんのイラストのYSの帽子と、同じく飾り用の超チビTを所望。それとまた恒例の、使用済のチャートの配布。段ボールの中をごそごそと、 北海道も捨て難かったが奄美諸島のを見つけ出し、これを頂戴。あれ前に貰ったのはなんだっけとふと思いつつ、あーこれ眺めて、与論まで脳内飛行しようかしらん。 ◆ いつものように、会場から少し離れたところに、しかし見て頂戴といった風に海保のJA8702「ブルーイレブン」がぽつん。飛び雲に猫の目露出の中、 じっと陽の当るのを待って、ぱちり。そういえば窓上に「うみまる」の姿が無いが?・・・・・契約切れたのかねぇ、などと言ってたりしたが、 あとで前に撮った写真見たら、JA8702にはハナから無かったらしい。それはさておき、ここ数年イケイケ感の漂う気もする海保もグッズ販売。 「うみまる」の小さいぬいぐるみの新作、潜水士バージョン・・・・・ってキミはシュノーケルだのボンベだの要らんだろがぁ、などとツッコミつつ、これも所望。 ◆ しばらくまったりとヒコーキ達を眺めた後・・・・・JCAB機の中の見学も、とうとう中学生以下だとかの制限が・・・・・あとはいつものように、 航空保安大で昼食、ビールでホロホロのところで羽田1タミ、まずはグッズ販売のところへ。大体食器とか毛布とか、まあいつもの通りで、 最近出たYSのピンバッジなどがあるでもなし・・・・・¥500ナリの毛布をちょいと買ってみたり。 ◆ なんとなくメルツェデスのディーラーのような風情のスターフライヤーのところでデモの座席に座ってフムフムと頷きつつ、 HASMのミニ博物館では今年は「飛鳥」。その隣では羽田空港の移り変わりの航空写真が並ぶ。気になる直線翼の機影を見付けては、 これYSじゃねーの、いやまだ飛んでねーだろ、じゃあこっちの頃ならこれはYSかも、これは海保だな確実に、などと勝手に盛り上がり。 ◆ そして巡回バスで2タミへ移るのだが、こっちの物販は、正直さっぱり・・・・・お菓子やアクセサリー類や物産系のがある程度で、 「航空関連グッズ」云々するには、聊か憚られるものがあるような。そもそもどこがANAなのか判らない程だし・・・・・ 昨年もそうだったが、たまたま午後だったから、とかいう次元の話なのかどうか。

2006/9/9(土)
「YS−11物語」というと航空ジャーナル別冊の本が手元にあったが、同じような大きさの本がJTBから出た・・・・・MOOKと思ってたら違った。 さてそれを求めようかと地元の書店・・・・・前間孝則著「YS−11」が何年もの間ずぅーっと平積みされている書店に行ってみると、これが見当らづ。 端末で検索かけてみると、在庫無し。うーむスタートダッシュの後だったか・・・・・と他の候補を見ると、文庫で「名機YS−11/前間孝則」。おっ、 またまた前間本が出たかぁ、ともひとつ新書で「YS−11 世界を翔けた日本の翼/中村浩美」。どちらも今月の発売、いやいやラッシュの様相ですかな、 と早速売り場で探し回ると、まず「世界を〜」の方を発見・・・・・帯には「さようなら、41年間ありがとう、2006年秋ラストフライト」・・・・・ ってそう言いつつ写真は雪レフっぽいANK機のそれ。なんでだろ・・・・・お、「名機〜」も見っけ。これまたANKのよく似た写真が。うーむ。 ◆ 「YS−11物語」の方は近くの別の支店にあるというのでそちらで確保。何故か傷んだのを出して来られ取り替えさせたりしつつ、 早速パラパラ捲ってみると、わお写真がすげぇ。でっかい夕日に小さいシルエットがかかってるのなんか、圧巻・・・・・ 信じられないようでも、それはさり気ない日常の中の確かにあった瞬間であり、今日もどこかで無数の名シーンが、或いは誰にも気付かれずに、 或いは誰かが密かに・・・・・じんわり想う。 ◆ やれやれ最後の月はこれで、読み物で盛り上がって参りますかぁ・・・・・しかし大筋ではこれまで何冊かでなぞって来ているわけで、 さてさてどれだけ、新たな話に出会えるだろう・・・・・とパラパラ捲ってると前間本の方、あれっ?  「本作品はニ000年五月(略)『最後の国産旅客機YS−11の悲劇』を加筆・修正のうえ(略)」・・・・・ありゃ、思いっきし読んでるわいこれ。 まあ加筆分を読むつもりで・・・・・そういや前のは出るなり買って、城南島あたりで大島便の帰りを待ちながら読んでたっけなぁ。 そんなに経ってたかぁ。あー。

2006/9/4(月)
JACのピンバッジ確保。あまりに地味な登場だったので、造りはしたけど云々というイワク付の日陰の品かと勘ぐりつつ、 それならそれでまたレアだなーなどと考えもしてたが、よそでも扱っているのを見かけたので・・・・・あ、買った店の方が随分安い ・・・・・それなりには出回っているのだろか。しかし肝心のJALの通販にもJACのYSページにも、未だその紹介無く。ハテ。


2006/8/31(木)
よくよく調べるとJCABのYSも、今年一杯だったか。のんびりJCAB機でも、というのも束の間の話であったか・・・。 なんでも航空会社に対して規制している手前、国交省的には同じ空港使ってぶんぶん飛ばすのも示しがつかない、とも。ふぅーむ。 ◆ 産経のは連載であるらしい。成田の試作機を訪ねたり、鹿児島〜福岡と乗ってみたり。ここでもインタビューはANKのCAさん。ハテハテ。

2006/8/28(月)
どうも何か臭うと思えば産経のページに碓氷峠の記事。その内容にををを、と呻りつつカチカチすると今度はYS。どうしたんだ今日の産経は(笑)。 読んでみるとANKの機長さんにインタビューしているので、3年前の記事かと最初思ったが、なんでもかつてはフェリーパイロットであったらしい。 YSのフェリーパイロットの話といえば、手元に2冊ばかりあった気が・・・・・「惜別!〜」てのと「ゼロファイター〜」てのと。 その著者や主人公とは別の人のようだけれど、ひょっとしたら中に登場してたか。

2006/8/26(土)
届き物あり。んー、やっぱあの、侵攻する爆撃機のようなYS、すげぇ・・・。 ◆ 出かけたついでにまたまたまたまた天空橋。あらためて昼間のJA8709を、ぱちり。夜にまた出直そか。 ◆ ANAのページをカチカチ徘徊していて、ふと紙飛行機のページに行き当たる。PDFの部品図をダウンロードして、これを印刷して作る。 へえ、YSがあんじゃん。ANA初期塗装にモヒカン、NKAとANKのトリトンブルー。そういえば市販品で、こういうのあったっけか・・・・・ 買ってはいつつ持ってるだけだがぁ。

2006/8/25(金)
「家から5キロの大冒険〜」モードで日を跨いで深夜というか未明の徘徊。我ながら挙動不審。またまた天空橋で覗けばナトリウム光に浮かぶシルエット。 目を凝らすと垂直尾翼には見慣れたストライプ・・・・・いるのである、JA8788。ここへやって来てから、もう1ヶ月半にはなると思うが。 ド逆光の光源をどうにか垂直尾翼の向こうに隠せるアングルを見つけて、コンパクトのデジカメを金網に押し付け、ぱちり。 ◆ 帰ってPCに取り込んで、ブレブレだらけの中からどうにかマシそうなのを探していると、端に写り込んでいるJCAB機の窓上に、 何やら文字が見える・・・・・「おつかれさま YS−11」!? その横には小さく「since 1965」・・・だろうか。 JA8709、退役するのかもしれない。JCABからも近々減るような話があった気もする・・・・・あーまた見に行かにゃならんか ・・・・・ん、空の日の今年の催し、主役カモ?

2006/8/22(火)
9月にMOOK出るんですかぁ。明後日JACのピンバッジ出るんですかぁ・・・・・うーむANKの時は買ったよな確か。(ぉ ◆ ということはJACのページで何かアナウンスでも・・・・・カチカチ、おっ? 表紙がちょっとリニューアル。むふ。

2006/8/20(日)
へろへろである。青森を発つ前にJAS色のYSをもう一目、と考えないでもなかったが、ベイブリッジで駅を越えようにも橋脚から登る通路はまだ開かず、 迂回の面倒を考えて萎えた。あ、八甲田丸も橋から俯瞰しそびれたな・・・。 ◆ 野辺地でレールバスの跡をちょっと見てから、三沢着。青森県立三沢航空科学館。無論そこを目指すのである。事前に交通の便を調べると、 三沢空港まで行くバス路線はローカル空港の頻度ながらあるにはあり、しかし逆サイの航空科学館までが、分からなかった。歩くにも随分な回り道である。 タクシーを使うならいっそレンタカーの方が・・・・・三沢観光バス、というのが目に止まった。定期観光バスかと思えばさにあらづ、 市内の観光スポットを巡る巡回バスであるらしい。駅前で待ち構えていると、小さめのちょっと枯れた味わいのバスがやってきた。 素朴な笑顔の多分まだ若い運転手氏、テープが壊れているので自分で喋ると言う。田舎ぁ〜のバスはぁ〜オンボ・・・と思わず口ずさみそうなバスで、 航空科学館を目指してガタゴトはっしっる〜。 ◆ それにしても、三沢は航空の町というのを前面に出している。それも単に空港や基地があるからというのではなく、初めて太平洋横断無着陸飛行に成功したという、 ミス・ビードル号に因んでのこと。電車で着く直前、どこかの水道屋さんか何かの建物の壁に赤いヒコーキの絵がどーん、駅にも模型がどーん、 市内には赤いヒコーキを模したテントの広場がどーん、市役所にもどーん、空港へ曲がる角のガソリンスタンドにも赤いヒコーキの像がどーん、 空港入口に石碑がどーん、航空科学館へ入る道の両側には、赤いヒコーキを模した街灯がどどーん・・・・・いやこれは複葉に見えたが、 そして航空科学館の前にパイロットの像がどーん。二言目には「ミス・ビードル」、そんな三沢なのであった。 ◆ ひとつの企てがあった。「三沢観光バス」のダイヤは結構スカスカなのだったが、そんな中の航空科学館に0945着、というのに乗った。 ダイヤ通りであれば開館15分前に現着、開館と同時に突入といった寸法である。突入したならば本日お目当てのYS、JA8776に直行し、 フロアの客が少ないうちに撮影してしまおうというわけである。定石と言えば定石。さり気なくを装いつつポールポジションを確保、 ドアが開けられるやいざ、突入。 ガキ お子様が走って追い越して行ったが、動じることは無い。 ◆ ミス・ビードルを通り過ぎると、航研機とYSが見えた。くぅぅ、たまらん。屋内だけありコンディションはかなり良さげ。暗いのが撮影には辛いが ・・・・・早速パノラマカメラから撮影を始める。場所を変え、レンズを変え、構図を変え、ウヒウヒ言いながら撮り続け、 気が付けばあっという間に1時間が過ぎた。YSだけで1時間。何やってんだろ・・・。ルリーの入ったJAC機、つまりごく最近まで飛んでいた個体であるから、 最近乗った現役機と変わるところなど無いのだが、中を覗いてみることにする。タラップを上がりながら、いつものように振り返ってルリーと並んで自分撮り。 機内はやはり見慣れたそれで、とりあえずトイレの撮影などしてみたり・・・・・ふと気付いたことに、この機、やたらと揺れる。最初地震でも起きたのかと思ったが、 サスが生きている証拠とも言え。運用中の機材なら燃料や貨物や乗客で大分重い筈だから、子供がパタパタ駆けたくらいではビクともしないだろうが、 今の状態は相当、軽くなっているのだろうか。少々興味のあるところ。 ◆ 吹き抜けの上に出た。ダックテールをこちらへ向けているYSを見下ろす。向こうには航研機。結局この構図に落ち着いちまうのかぁ、 とどっかで見たよーな感じでぱちり。(ぉ 一通りのアングルを巡ったところで、再び入口側から眺める。YSのバックの壁には、 掛け軸のように縦長の大きな写真が並ぶ。それぞれに、もくもくと湧き上がる雲。その中の1枚だけ、ぽつん、とYSの姿。 JA8776そのものかは判らないながら、この機が空を駆けた記憶が、そこに映されているようにも見えた。 ◆ あれまもうお昼。「三沢観光バス」は1245発の次が、1545・・・・・3時間!? その間には空港ターミナルまでよゆーで歩けそうだが、 流石にそんな気力は無い・・・・・そのような次第で最後は慌しくなってしまい、また訪れる理由を作ってしまったような気もしつつ、 ふと思うに、国内で一般に公開されているYSの静態保存機はこれで、一通り巡ってしまったのでは、なかろか。所沢に始まり、各務原、成田、但馬、佐賀、高松 ・・・・・愛媛の幻のレストランは見そびれたが・・・・・そして青森、三沢。電バスの首だけのはさておき、他に羽田に隠されてる量産初号機や、 学校の教材の・・・・・そういや崇城大学のは見たっけか、あとは輪島の・・・・・うーむむむ。巡礼の旅は終わらない。

2006/8/18(金)
JACのYSが引退したら、保存機巡礼の旅にでも出ようかと、ちょっと考えてた。早ければこの秋あたりにでも青森とか・・・・・そこへ、 津軽海峡を歩いて渡ることになった。水蜘蛛履いてスイスイと行くわけだが・・・・・いえ青函トンネルを歩くアレです。で、それだけというのも勿体無い、 八甲田丸は当然として、北のYSを訪ねずして何の青森か、と相成った次第。 ◆ 津軽地方は豪雨に見舞われたようで、その影響で八戸から先の列車ダイヤがボロボロだったが、1時間半遅れでどうにか、青森着。幸い雨は止んでいて、 早速「みちのく北方漁船博物館」を目指す。無理無く歩いて行ける距離ではある・・・・・実のところ、一抹の不安があった。 JAS塗装になったJA8809が「みちのく北方漁船博物館」にお目見えした頃、それなりに報道なりPRなりあったように思うのだが、 今あらためて「みちのく〜」の公式ホームページを覗くと、全く、全っっっっったく触れられていないのである。過去の話題を穿り返すと出て来ないでもないのだが、 かつてはちゃーんと、展示物として紹介されてなかったか? そもそもどういった経緯でここに収まることになったのかは知らないが、 博物館の趣旨とあまりにもかけ離れていることが、或いはその経緯について何か、問題化したのだろうか??・・・・・邪推すればキリが無いが、 「無かったコト」のようにされているとなれば、色々と憶測も呼ぶ。 ◆ ベイブリッジの坂を下って交差点を過ぎると、それは杞憂と判った。「JAS」のロゴ。「船の博物館」とあっさりした名の入った建物の陰から道路に向けて、 あのダックテールが覗いてる。ああ良かった、いたいた。胸の高まりを抑えつつ・・・・・というのも大袈裟だが・・・・・近付くにつれ、段々とその姿が露わになった。 失礼ながら、雨曝しの宿命で多少枯れた感じを想像していたのだが、思いの外綺麗に見える。「無かったコト」のようでいて、 手入れはちゃんとしてもらえているのか。ここへ来る際にはJAS色に再塗装されているから、或いは特別なコーティングを施したのか?  なにしろ海っぺり・・・どころか飛沫のかかりそうなロケーションなのだし。 ◆ 博物館に入場しないと見られないのかと思いきや、完全にフリーの場所だった。もしやこの一角は最早博物館ではないのか?、 と「無かったコト」シナリオで考えてもみたが、機内見学は博物館の入場券が必要らしいのでそのセンはやっぱり消える・・・・・ 看板の説明書きを見ると、青森県出身の木村秀政博士に因んだアプローチ。ふーむそういう接点もあったかぁ、そういえば三沢も・・・・・ 生憎の空模様のためか、それとも今は止めてしまったのか、ともかく今日は見学出来ないらしく、機体周囲の柵の中にも入れない。 幸い柵は低く間合いも適度、眺める分には邪魔でもなく、周囲をぐるぐる回りながら、ぱちり。再び雲行きが怪しくなり、 まだ昼過ぎだというのに日暮れ時のような暗さの中、あんまり踏み込んで撮るでもないながら、道路の向こうからもぱちり、 パノラマカメラでもぱちり、バイキング船をからめてシュールにぱちり。うう、博物館見学する時間が・・・・・ ミュージアムショップには、やはりYSに因んだグッズは見当たらづ。というか殆どごにょごにょ・・・。

2006/8/12(土)
雷雨の中ビッグサイトへ。むわっと来る息苦しさを覚えつつピンポイントで乗り物がらみのところを巡る。終了30分前に到着というのんびり加減で、 もう店じまいしているところもちらほら。一巡りするのに10分とかからないのだったが、例の搭乗証明証を掲げてるサークルがあったりして ・・・・・って、だからといって扱ってるものは関係なさげだったけど・・・・・知る人ぞ知る「電チラ選手権」優勝トロフィーなんぞもあったりする中、 ふと目に止まるは「北海道航空戦」なる冊子。退役間近のANKのYSを追った旅行記、と言うべきか。 タイトルからしてその中身の文体の大仰さが窺えるというものだが(笑)、まあ他人のこた言えた義理でもなく・・・・・ 前にも多分、見かけたと思う。買ってもいたかもしれないが、よく判らないのでとりあえず所望。ああ。 ◆ 天王洲アイルでモノレールに乗り換え、整備場駅。「YS−11 栄光の翼」DVDの中で出てきた、三菱の羽田補給所を見ようというミーハー心。 たしかに、あのスリーダイヤモンドに「YS−11」の看板、見たことはあったような気はするのだけれど、ともかくそれを見ようというわけで、 ビルの周囲をウロウロ。さっきモノレールから、海保のYSが格納庫内にいるのが見えたので、それも見ようと足を伸ばした道すがら、 「妙高號殉職記念碑」という石碑がひっそりとあり。何も説明書きが無いので後でカチカチ調べれば、1940年、検査飛行中に墜落した飛行機である由。 それをきっかけに検査方法が見直され事故調査体制が確立されていったという。 ◆ 金網越しに暫し海保のYSを眺めた後、天空橋まで歩くことにして、てくてくと進んで行くと、やややっ、またまたJAC色の無印のYSが。 また退役機が出たのかいやいや残数足りねーぞと訝りつつ、よくよく見ればJA8788。もうどこかへ発ってしまったのかと思っていたら、 そうではなかったらしい。整備でも受けていたのだろうか、ともかく名残のつもりでぱちり。

2006/8/11(金)
カチカチ・・・・・ををっ!?

2006/8/9(水)
地元の書店にて「YS−11 栄光の翼」確保。早速DVDを鑑賞。先に特典映像から行こうかな・・・・・整備で羽田へやって来たJA8768から、 話は始まる。三菱の羽田補給所に保管されている濃いぃ資料群。マニュアルに図面に・・・・・ああ、青焼き、あのTシャツの3面図も青焼き風味にしてたら、 随分とまた趣も違ったろうに・・・・・明和電機チックなセンスで良いと思うのだがぁ。東條部長のサイン入りなど勝手に使っちゃアレかも知らないケド。 詳細設計の進め方はエアバスに先駆けていたと言う。考えてみれば寄り合い所帯と言っては語弊もあろうが組織的に通ずる部分がありそうで、 参加各社の裁量に任せる部分は必然かも、しれない。 ◆ 格納庫では島文雄氏はじめかつての設計者達がYSを前に濃いぃ話を。細かなマイナートラブル、水切りやら点検蓋やら、近寄らなければ判らないような箇所の改良話など、 個人的にはこういう話が聞いてて面白く。それはYSの熟成、或いは成長の生々しい物語であり、そういう営みに、興味もそそられる。 ◆ もひとつのオマケは、迫力の離着陸シーン、なるもの。これでもかこれでもかと離着陸シーンが続くのだけれど、雲台の調子でも悪いのか、 或いはカメラワークに迷いが感じられたり、見ててちと、辛いものが無きにしも非づ。捨てカット集かいと言ってはあんまりかもしれないが、しかし実際、 捨てたカットってこの他にどれだけあるのだろう? どうも、残りをかき集めたといった印象は拭えづ。金払った時の目は厳しいのだ(笑)。 ◆ いよいよ本編、YSの歴史を交えつつ、種子島線の最終フライトを追う。飛ぶのはJA8766。ああ、最初に乗ったJAC機だ・・・・・それだけと言えば、 それだけなのだけれど。この日の機長氏は、雑誌などでよく登場されているお馴染みの方。もう5年も前になるが一時YSが松本へ飛ぶようになった時、 その最初のフライトを担当されていたのを覚えている。送迎デッキから眺めていても、その気さくな感じが窺えて、それが印象に残ったのだと思う。 64歳と聞いてびっくり。YSとともに、その経歴に終止符を打たれるという。決して我々には立ち入れぬ、特別の想いがあるのでは、なかろうか。 ◆ JACの事務所が入っているフロアなのだろうか、ターミナルビルの窓に、一文字ずつプリントアウトしたのであろう「さようなら」の張り紙。 位置的に、一般客は飛行機に搭乗しないと見えない。滑走路逆サイから望遠でも見えるだろうけど・・・・・ YSの乗客はある種濃密にその想いを共有するかもしれないし、他の機種や航空会社の乗客にしても、ああ、そうなのかと思い出して、 エプロンにその姿を探すかもしれない。 ◆ 一見して濃厚な乗客(笑)を乗せて、種子島へ舞い降りるYS。合間に今や懐かしい旧種子島空港、滑走路に擦り込まれた、数多のブラックマーク ・・・・・くぅぅ、沁みる。良い所に目を着けてくれたでわないか。お別れのセレモニーを終え、出発するYS。さすがにバンクを振ったりすることは無いものの、 まっすぐ顔を上げ未練を断ち切るように、空へ駆けていく・・・・・見送った人達のインタビュー、種子島空港勤務のJACの人が、一度回って挨拶してくれたと。 はてどうだったかと戻してみると果たして、エプロンで滑走路の方ではない向きにくるりと回り始め、180度回ったところで一旦停止、 それからあらためて滑走路へ向かっていた・・・・・なるほど、くぅぅ。 ◆ 最後の最後の沖永良部便の模様も、このようにパッケージ化されるのだろうか。そんな日に限って台風が、という展開は想像しないことにして、 その日がどうであろうと、カウントダウンは続く。その最後の日に居合わせることは恐らく叶わないが、 自分なりの締め括りについて、ちょっと考えてみたい・・・・・ってそればっか言ってる気も。

2006/8/6(日)
出かけたついでに、フィルム消費方々羽田に寄る。駅から上がった書店でいきなし「YS−11 栄光の翼」がもう置かれており。 これはSuicaで買おうと思っていたのでパラパラと見るだけにして、もひとつ上がってANAのお店を覗けば、出てますがな、 1/200「ありがとう 日本の翼」仕様のJA8717。うー。いつものお店といえば相変わらずWebに情報出てないし、 予約の受付なんか丸ごと見えなくなってるし、この間見たのは幻だったのかと不安に駆られるのだったが、入荷情報のメールも来てないし、 今日行ったところでどうだか分からないし・・・・・モノがモノだけに後からでもドカドカ出回るとは思うのだが・・・・・ 世間的にはANKの時より話題にはなってるだろうし・・・・・しかし今日を逃すと暫くイベント漬けの身としては・・・・・ うーむ、暫し悩むも、定価でもまずは確保、であろうここわ。JA8717、最後に乗った機体だし・・・今のところは。(ぉ ◆ JALのお店の方で買うのがスジかともちょっと思ったが、何故かこちらにはその影も無く。ぐるぐる探し回ってようやく、1/400のJTAなど見かけたが ・・・・・だって身内でしょお? これからドーンと行くところなのか。そういや「永遠の翼」シリーズに加える予定も、依然無いのだろか。 JALの名で飛んだJA8717にしても、厳密には「よそん家の子」なんだろうけど・・・。 ダイキャストモデルは無かったが、通販のさよならTシャツが。¥4Kくらい、白と黒のセットだから1枚あたりその半分、まあ、そんなところか。 YSの3面図があしらわれている。「今」を物語る記念品としてグラつくものがないでもなかったが、着るものとなると多少拘りもある。 尤も、買ったところで勿体無くて着ることもなかろうが・・・。 ◆ 9月の時刻表を確保。最終便をよりによって沖永良部往復に設定したためかその9/30の変則運用・・・・・ 徳島便の機種変はさておき「4時間早発」っておい・・・・・に加え、その前にも日替わりでサーブと代わり番こになってる便があったりと、 検査なのかチャーターでも入ったか、YSのやりくりが凄い。狙うならここいらへん押さえとかないと泣きを見ることになるが、 このどこかで台風でも来た日にゃ・・・・・ううっ。

2006/8/2(水)
天空橋。クセになってるなこれわ。JCABのYSが今度は格納庫のそばで鼻先をこっちに向けて、ナトリウム光の照明に浮かんでいた。 ちらっと見るだけのつもりだったのに、うー、カチッとスイッチが入り。避けようもないところに強力な光源があって難儀しつつ、 段階露光しまくり。ふぅ。多摩川沿いからターミナル前をぐるっと回って帰ろうかと思っていたら、 うっかりR357に入って京浜島まで行く破目に。はぁ。RW22だったら寄っても良かったが16Lに降りてるし。


2006/7/31(月)
三度天空橋。ほーらいねーじゃんかぁ・・・。JA8788、とうとう、発ったのであろうか。向こうではナトリウム光に浮かび上がる、 JCABのJA8709。そおかあ、そういえば羽田でこんな普段の夜景など、撮ったことなかった気が。灯台下暗しってやつか。 先の楽しみなどと言っててはまた後悔するに決まってるので、事始にまずはこれを、ぱちり。

2006/7/30(日)
書店にて雑誌をパラパラ。おや、朝日新聞から「YS−11 栄光の翼」なるDVD付の本が出る由。鹿児島〜種子島線の最終便収録と。 うーむ、いよいよ、そんな感じになって来ましたか・・・・・なんとなく手にした「NAVI」誌、日本製を見直すみたいな特集の中で、 何故かYS−11。これも時節柄ですかな・・・・・しかしそこは同じ乗り物のクルマ雑誌、0系新幹線に触れるのはお約束として、 内容がなにげに濃いぃ。と思えば元々ヒコーキがらみの濃いぃ連載があったようでナルホドと得心するのだったが、 しかし普段は殆ど手に取ることもなかったのにふらりと伸びた手・・・・・これも何かの引き合わせか。

2006/7/29(土)
足掛け二日。郵便局に寄って、ゆうパック受け取り。銀1枚・・・・・箱をちょっとだけ覗く。はあ・・・・・まあ、縁起物で。 そうさ。そうだよ。今週のタモリ倶楽部はグーグルアースとかゆうものらしく。グーグルもいつ頃からだったか色々機能が増えだして、 一応カチカチしてまだ様子見かな、とか思っていたらここまで来ていたとわ。早速倣って羽田の整備場を覗いてみると、 わお、JCABのYS2機と海保の1機、思いっきし見えるでわないか。どれどれ今度は鹿児島を・・・・・をを、いるいる。 ああこの写真、そのうち更新されちゃうんだろな・・・・・む、丘珠はどうだろう。ををを3機並んでる! いや2機はダッシュ8くさいが、 そおかあ、その頃かあ・・・・・くぅぅ。 ◆ カチカチ・・・・・う、ANAはバースデー廃止してやがったか。

2006/7/28(金)
三脚持った、ド逆光対策の単焦点レンズ持った、よーし、とまた家から以下略〜で天空橋。すると、やややっ、 何やら図体のでかいモンが照明に浮かび上がってる。リゾッチャのジャンボ。隅っこに上手いこと押し込んだようで、 丁度据えられたところなのか、頭の上はまだ赤色灯が点き、トーイングカーも繋がったまま。うーむその巨体の腹越しに、 お目当てのYSがいるのは判るのだが、どうにもこうにも・・・・・あー、今度来たらいなかったりしてなー、 そういうのよくあんだよなー。ずっと引っ掛かったりするんだよなー・・・・・今日のところは、とっとと帰ってタモリ倶楽部でも見るか。

2006/7/27(木)
家から5キロの以下略〜で夜風に当たりつつ、ふらりとまた天空橋。ナトリウム光に浮かび上がるシルエット。そのつもりじゃなかったから、 夜景撮影の備えなく、それでもデジカメだけ持っていたのは我ながら良い心掛けと思ったりもしつつ、門扉に押し付け無理矢理ぱちり。 光源がモロ逆光で避けようもなく、ゴースト出まくり。むぅ。

2006/7/22(土)
またまたふらりと天空橋。いる。

2006/7/17(月)
午後には降ると聞いていたが、片付け事に終始の連休の締めくくりにせめてはと「家から5キロの大冒険〜!」(やや古)モードのまま足を伸ばす。 まずは天空橋、ドン、ドン・・・・・近くで運動会かと思えば、鳥を追い払っている音。さてJA8788、まだいる。 この1週間の間ずっとそうしていたのかは不明ながら、先週と同じ構図で、ぱちり。 そういえばこの機体には「ありがとう 日本の翼」とは入っていなかったようで。先に発つことを見越してのことだったのだろうか・・・。 ◆ 国際線ターミナルの京急の新駅のパンフをゲット、変わり映えするハズもないターミナルをウロつき、店に積まれたダイキャストのYSの箱を眺めつつ、 そういえば新しいのは久しくご無沙汰であったことに思い当たる。いつものショップから発売情報メールはそこそこ届いていたが、 やっぱりYS、無かったよな・・・・・気になるので帰ってカチカチ、おや、JACのさよなら仕様の予約受付が。 そうだろうそうだろう、そろそろそうなるハズなのだ・・・・・って、なんでメールに無いの。

2006/7/11(火)
なんだかんだ言いつつ、まあ、縁起物だわな、ピー、ガー・・・。

2006/7/8(土)
ふらりと羽田。今朝は整備のアンちゃんだったかが不用意に滑走路横切ったお陰で大変だったようだが、さていつもJCAB機のいる辺りにJAC色のYS。 整備で来ているのかと思いきや、天空橋の例の門扉から覗けば、右舷をこちらに見せる機体の、垂直尾翼のJACのロゴが塗り潰されており。 また1機、戦列を離れ・・・・・窓の上の「ありがとう 日本の翼」のあたりは跡が真っ白、いつも白く見えていても、知らぬ間に結構汚れていたようで、 「♪機体の色がそこだけ若いわ〜」などと口ずさんでみたり。ああでも、剥がしたのではなくて塗り潰したのカナ・・・・・後方の貨物ドアには、 ルリーの形の白いシルエット。JA8788、この機には乗っていなかったように思うが、見たところどこかへ身売りされる気配。 今度はどこだろう・・・・・とりあえずはまだしばらく、飛ぶことが出来るのだろうか。 ◆ そのすぐ傍らで、JCAB機が仲良く並んでおり。望遠で覗くとJA8709と、JA8720、720の方は例の防氷ブーツ無し仕様。 両機とも、足元もプロペラもカバーがかけられて、今日はお休みの様子。


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