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読売・・・・・おっと日本海新聞にもあった・・・・・に美保のPの1機退役の報道、昨日セレモニーがあった由。62−1153、
VIP仕様機・・・・・昨年9月に見た時、158共々プロペラが外されていた個体で、ずっとそのままだったのかは不明だが、空自では初の退役だという。
先月末・・・・・エアロラボ機が飛んだ日・・・・・美保の動向が地元紙に出てるらしいという情報に接したが、まさにその日付だったらしい。
ともあれようやく、より1次情報に近いソースに当たれた。年度内にもう1機か・・・・・158だろか。
エアロラボ機の高松行きの記事は無いかと航空雑誌をパラパラ。「航空ファン」で羽田と八尾と高松の写真で2ページほど。「航空情報」はちょっと見当たらづ。
「J−Wing」は付録があるのか開けないようになってたので不明。あとは期待の「エアライン」待ちか。
エアロラボより、N432ALの高松へのフライトの道中、八尾でローパスをキメた映像が。結構低いところを、バンクを振りながら過ぎて行く・・・・・
このバンクを振る様というのは、いつもながら何故にこう、グッとくるのだろう。互いに声の届かない同士が、その間で共有する思いを、見るからだろうか。
途中立ち寄ったのが八尾だけなのか、小牧もという噂は裏が取れないままだが、出来れば全部、出して頂きたいところで。
◆やはりこの人は動くだろう、という青木勝氏のブログに、お披露目会の模様を交え、5/27当日の記述が・・・・・で、ナニィ!? スカパーの番組になるとな??
お披露目会の時のインタビューも、ソレだったか。
ツーリングへ出かけようと思ったら思いっきり寝坊、ウダウダ終わるのも勿体無いわと、羽田までウォーキングなど。ターミナルが60周年とのことで、
1タミ、2タミ共、出発ロビーにでっかい写真が垂れ下がってる。我が物顔のストラトクルーザーに、初日と思われるもく星号、コンコルド、
この時代々々の人々の様子を織り交ぜながら、さて旧ターミナルの屋上にあった、YS−11の写真がある。
◆垂れ幕バージョンには「飛行機に 触れてもらいたくて YS−11を展示しました。乗った人々は、窓の向うに どんな景色を 見たのでしょう。」と、
飛行機が眩い存在だった時代に、ちょっとキュンとなるコピー。パッと見試作機塗装のようだったが、調べるとこの機体は、試作02号機、
即ち強度試験に供されたものであったらしい。そういえば展示写真には、ヘリでターミナル屋上と思しき場所へドンガラを下ろしているシーンがあった。
輪切りの縁が歪んでいたのは試験によるものか、この作業でどこかにぶつけでもしたのか。
◆かつて羽田の旧ターミナルの屋上に「YS−11」が鎮座していたことは、知識としてはある。ただその年代からすれば、幼少の時分に見ていた可能性、
大、なのだが、どういうわけか全然記憶に無く・・・・・当時の旧ターミナルでの屋上の記憶といえば、バーをガラガラ回す入口と、ずっと通路になってたような印象、
耳を劈く金属音・・・・・当時のジェット機はとにかく煩かった・・・・・くらいなもので、展示室らしきものがあったのと、映像を流してたような気もするが、
正直なトコロ騒音から屋内に逃げ込んでた部分もあり・・・・・そこにいたハズで、目撃したハズで、しかし出会ったという確とした記憶が、無い・・・・・これは寂しい。
一夜明け、エアロラボN432ALの高松へのフライトのニュースを当たっていると、色々見えてきたことがあり。まず、スカイツリーの傍を飛ぶ写真に唖然。
別の航空機からさらに上から狙ったもので、遠近感が判り難く何とも言えないが、大分「攻めた」飛び方をしてたようにも、見える。あれは週刊読売か、
JAC機の全廃直前に、鹿児島空港へのアプローチか離陸直後か、それをさらに上から狙った写真があったが、あれ以来のゾクゾク感。
エンジンの排気で街並がメラメラしてるあたりも、萌える。
◆エアロラボの本拠地である、八尾空港もローパスしたようだ。生まれ故郷である小牧の名古屋空港もローパスしたらしいとの記述も見かけたが、
ソースに当たれずこれは「らしい」に留まる。いずれ今度の航空雑誌で、そのあたりの全容が明らかになろう。
◆降りた先の高松空港の様子も報道や個人の写真で凡そ判ったが、残念ながらここのヌシのJA8743と絡める感じのものは、今のところ皆無・・・・・えー。
大仕事の後の虚脱状態だったか、エアロラボからはようやく今日になって、飛行中や高松到着後の様子が出てきたが、そちらでも、
エプロンに入るN462ALの、主翼の下に遠く、トリトンブルーのYSの豆粒が認められたのみ。影薄いな・・・。
◆さらにさらに、伝えられる論調からすると、最早日本で唯一のYS−11のような勢いなのだが、航空自衛隊にはまだ現役で残ってますんで・・・。
また国立科学博物館の手によって、量産初号機が羽田にて動態保存・・・・・これがそのまま飛行可能を意味するのかは不明だが・・・・・されているわけで、
そこはそこで、押さえといてほしいのですよ。
遂に来た。前日エアロラボと国交省サイドとで長々と会議が持たれたとのことで、その結果いきなり、高松へ飛ぶこととなった由。ぶっつけ本番である。
エアロラボでは当初、羽田の近くで一回り飛んでみてから高松へ発つ、という手順を踏むつもりであったらしく、素人目にも
・・・・・全文
◆一方、日中YSの情報を当たっていてたまたま目に止まったのが、空自は美保基地のYS−11P廃止のニュース。ソースに直接当たれずもどかしいのだが、
エンジン部品の枯渇が理由・・・・・あれれ最近RRサイドでサポート続行を宣言してなかったか・・・・・とのことで、今年度に2機退役させるとか。
小牧に造るという博物館のイラストに、Pと思しきYS−11の姿があったのは、果たして偶然なのか・・・・・
昨年9月に訪ねた際、
プロペラ抜きのPを少なくとも2機見たが、あれがそのまま、サヨウナラということも、或いは・・・・・ともあれ、そろそろか、という気配既に濃厚ではあったか。
デュフフフフフ・・・・・今日はエアロラボN462ALの、お披露目会。集合前に天空橋の環八から柵越しに、変わらぬその姿を認め、まずはぱちり。
ソレと思しき人がやたらといる。時間になったのでモノレールの駅前で集合、制限エリアのパスを受け取り、ぞろぞろと旧整備場地区へ向かう。
その短い道中色々と話が聞けたが、高松へ飛ぶ経緯等々、こちらの邪推もそう遠くはなさそうな感触。
◆日米で航空に関する基準のカテゴリから大分違うらしく、素人なりの大雑把な理解の限りでは、手造りでもアリのような彼の国と違って日本の制度は、
氏素性のしっかりしたメーカーの旅客機を前提とするようなものであるらしく、そんなところでN462ALのような存在はかなり例外的なようで、
どうも「お上」も小回りが利かずに、持て余してるような・・・・・※個人の感想デス。
◆やがてゲートへ着いて、パスをピッとやってもらって、いよいよエプロンへ・・・・・空の日イベントで公開されてる辺りではあったが、
囲いも何もないところに、N462ALがポツンと、佇んでる。一行は早くもカシャカシャとシャッターを切りながらの前進・・・・・もう9年も前になる、
JACの便へ搭乗する際の、なかなか機内へ入ろうとしなかった乗客を思い起こしつつ、あまりこっちへ出ないで―、といった程度のユルユルな空気の中、
それぞれ思い思いのアングルでシャッターを切り、或いは中へ乗り込む。そんな中で頂き物のエアロラボのマグカップを入れて、まずはぱちり。
◆さて乗り込むかとエアステアを登って行くと、乗降口で小型ムービーを回しながらインタビューしてる人あり。YS−11への思い入れなど訊いていて、
CBC・・・・・名古屋のTBS系列のと聞こえた・・・・・の取材であるらしかった。えーこれ番組になるの? 一段落したようなので通してもらって、
いざ機内へ・・・・・窓から見えるプロペラ、そのままに残る飛行検査の機材や、TDA時代のままであるらしい後方の座席、トイレ、APU。
さらには機長席へも座らせてもらい、ああいはぶこんとろーるる!・・・・・そういえば前に空の日イベントで座らせてもらったのも、この機でわなかったか?
現役時代のJA8709・・・・・むむむ、帰ってきた、わけか。
◆凡そ1時間程があっという間に過ぎ、集合写真撮ってお開き。聞けばこの後ランナップを行うというので、ダートの音を間近に聞くべく金網の外で待機。
ならばとコンデジで動画撮影するかと勇んでみるも、環八が近いことのノイズよりも、風がボコボコいう方が相当に懸念され、事実ボコボコになり・・・。
とはいえこの距離で生で聞けたのは久方ぶりで、恐らくは茨城空港でのさよならイベントで、海保機を見送った時以来・・・・・高松へ発てば、
羽田へ戻ることはもう無いとのことで、あるいはこれが、N462ALとの最後なのやもしれづ。
エアロラボのN462AL、フライト・・・・・テストフライトの意味と思うが位置付けがよく分からづ・・・・・先が高松空港になったとのアナウンス。
3月末にフルランナップは済ませていて、滑走とかジャンプとかあるのかと思っていたら、いきなり飛ばすのかこれ。
しかも最初はそのへん一回りだろうと思っていたら、これまたいきなり高松・・・・・燃料代だけでもえらいことだな。
◆なんでも方々で断られ続けたらしく、茨城あたりの近場で済まず、八尾も通り越して高松というところからして、そのあたりが窺えて。
受け入れる側からすれば、これだけの図体のレストア機で万一のことがあれば、と考えれば慎重になるのも解らぬではないが、
もしや羽田も一度発ったが最後、もう降りてくれるなということになったのでは、あるまいな?
◆ともあれ、高松には元ANKの元JA8743がいる。
訪ねたのはかれこれ9年ばかり前
になろうか。久方ぶりの兄弟の邂逅に立ち会ってみたいのはヤマヤマながら、なにせ遠い・・・。
エアロラボからYSのマグカップ。むふ。
小牧の名古屋空港に航空博物館が出来る的なニュースが。名古屋空港というと後にも先にも、名古屋港の「ふじ」や岐阜市内線と絡めて、
セントリャーへ移る前にと訪ねた
きり。あの時は展示コーナーも既に閉鎖されていて、零戦などがいるのをガラス越しに眺めた記憶があり。
◆2017年度オープン予定とのことで、そこに示されたイラストでは、広〜い空間にMRJとYS−11、そして零戦と思しき機体が並んでる。
現物という前提ならばMRJは試作機・・・・・順調に行けばお役御免になってる筈?・・・・・か、或いは構造試験用の機体を持って来るか・・・。
かつてここにいた零戦32型は、今大刀洗の記念館・・・・・リニューアル前に1度だけ訪ねたが・・・・・にいるから、それを返してもらうのでなければ、
まさかまさか、三菱秘蔵の、アレを引っ張り出すのか??・・・・・ただ報道をよくよく読むと、三菱の資料館のツアーなども企画するというので、
そこに納まっている零戦とは別に、用意する可能性もある、か。河口湖あたりとか。(ぉ
◆で、注目のYS−11はというと、イラストでは空自のP型のようにも、見える。海自で全廃になって、それらが既に処分されてしまったとすれば、
あとは空自か、エアロラボ保有機か、国内の他の保存機か、海外に渡った機体くらいしか、多分残っていない。空自のスケジュール次第では、
2017年にはPかFCあたりの出物が、ありそうなのだろか。EA/EBはあっても展示しにくい気もするし。
野暮用前にちょいと天空橋へ様子見に。エアロラボのN462ALはやっぱり外にいて、かつてJCABを退役してから長いことそうではあったが、
「往時の羽田の環八沿いの風景」的佇まいが、懐かしいというかなんというか。フツーにそこにいる感じを、ぱちり。
◆野暮用後に思ったより時間があったので、ルフトハンザのレトロ塗装目当てに再び羽田。どうにかそれを収めるには収めて、
N462ALがどう見えるだろかーと国際線ターミナル駐車場へ移ると、ほぼ正面がちな感じで。背後にはリムジンバスの基地・・・・・前は何があったかな・・・・・、
その向うをモノレールが通り過ぎる。ををを、強引に鉄がらみにして、ぱちり。
ホンダジェットが羽田へやってきた。ちょっと考えれば分かりそうなものを、ひょっとしたら旧整備場あたりで見えるカモ、
などと甚だご都合主義な見い通しで目論み職質覚悟で夜の羽田。ソレと思しきエリアに目を凝らすもやはり見えず、
駄目かと環八の方へ出ようとすると・・・・・やややっ、あそこに見えるシルエットは!?
◆エアロラボのN462AL、外で寝てる。この辺り建物が無くなり更地になって趣は大分違うが、JCAB退役後に長らく佇んでいた、まさにその辺り。
そーだわなホンダジェット、日本に来たばかりであんな大注目なシロモノを外で放っておくワケもなく、整備も念入りにやるだろうからハンガーに入れるわな。
それでYSが、追い出されたってわけか?・・・・・後で報道写真を見ると、ホンダジェットはどうやら新整備場のANAの庫に納まったようで、
エアロラボはエアロラボで、別の理由でハンガーから出した様子・・・・・場所代も馬鹿にならんか・・・・・とすると当面野宿ということもあり得る。
◆シルエットのN462ALの向うには、ぼう、と浮かぶ新管制塔と国際線ターミナルの光の海。時折RW22に降りて来る光跡が過ぎる。
三脚据える余裕なく、カメラの感度上げて、ぱちり、ぱちり、とどうにか納め。3月中、が延びて4月ももうすぐ終わろうかというところだが、
技術的な問題でなく手続き上の都合のようなので、その点心配は要らなそうなものの、しかしいつになったら、飛ぶのやら・・・・・今日時点でアナウンス無し。
調子悪くて横になっていたが昼頃には結構持ち直してしまい、こりゃ1日無駄にするのも勿体無いし、そういえばアレがあったナ、というわけで羽田へ向かい。
◆先日と同じく国際線ターミナルの駐車場へ行くと先客が1人。旧整備場を望めば、「NISSAN」のロゴだけ入っててレジ不明のビジネスジェット!?
・・・・・あとで調べると正しくは「N155AN」のレジで、日産の洒落らしい・・・・・がハンガーから出て行き、続いてJA87・・・・・いや、今やN462ALの、
エアロラボのYS−11が、お尻向きに押し出されてきた。
◆ぐるりと向きを変え、ハンガーに尻を向けて据えられる。エアステアが出され乗員が乗り込み、エアステアが畳まれ、暫くすると右舷の第2エンジンのプロペラが、
ゆっくり回り出す。そこそこの回転になったところで左舷の第1エンジンに火が・・・・・とここで盛大に煙が上がった。白っぽいそれはオイルか何かだろうか、
一旦スロットを戻した様子だったが、煙が落ち着いた頃に再び回転を上げていく・・・・・400mmに2倍テレコンにAPS−Cサイズでやっとのこの距離では、
あのRRダートの音は、ちょっと聞こえづ。
◆やがてタキシングを始めた。プロペラを止めたくないのでシャッターを1/250秒、出来れば1/125秒まで落としたいが、なにせこの距離、
陽炎でグズグズになりかねず、そこはもう確率論的に連写しまくりで母数を稼ぐしかない。YSはB滑走路沿いに北上し、プレイベート機の並ぶ間をすり抜けるように進む。
こちらもイソイソとターミナル屋上へ回り込む。いよいよ、羽田の「表通り」へお出ましである。
◆ターミナル屋上には結構なギャラリー。どう見ても春休みの観光客ではない風情・・・・・他人のことは言えないか。YSは丁度B滑走路を横切ったところだった。
このままA滑走路に沿って国際線ターミナルの前を通過・・・・・まるで花道のように。JCAB機としての役目を全うしてから8年余り、旧整備場の片隅で眠っていた間に、
国際線ターミナルは出来てるわ、管制塔がもう1本生えてるわ、でかでか「787」と入った見知らぬヤツが闊歩してるわ、浦島状態でさぞやびっくりしてるに違いない。
さらにこの先では、滑走路も1本増えてる。
◆大型機に負けじとばかりにRRダートの音を響かせ、堂々誘導路を進むYS−11・・・・・10余年前、まだ当り前に離島便が飛んでいた頃、つい4年前までの、
海保機が現役でいた頃、その頃と変わらず、健気だが頼もしい姿が、今また、そこにある・・・・・まさか、まさか、まさかのその光景に、
在りし日の、まさに「YSな日々」の記憶が重なって、今はなき仲間達へと、想いは巡る。
◆N462ALは1タミと新整備場の間を抜け、C滑走路側にあるランナップエリアの方へ消えた。暫くするとソレと思しき方向から、
ソレと思しき唸りが微かに聞こえた・・・・・RRダートの音なら、判る。今日のエンジンテストがどれくらい時間をかけるものかは判らなかったが、
どの道帰って来るだろうから、とそのまま帰りを待つことにする・・・・・んが、遅いなー、いつだろなー、と言ってる間に、2タミ正面から北側を回って、
こちらの視野に入らないまま寝床へ帰っていたらしい。不覚。
◆ともかく、「動くYS−11」に久々に会うことが出来た。しかも羽田で。当初の「3月中の飛行」は延び、今後のスケジュールはアナウンスを待つしかないが、
とにかく楽しみである。また飛ぶ前なのか飛んでからなのか、賛同者への内覧会も予定されてるハズだが、それらのあたりは本当に、
早めに情報を頂きたいトコロ・・・・・文字通り万難を排して、臨む所存であるので真面目な話(汗)。
エアロラボのアナウンスでは3月に飛ばすというスケジュール感が示されていた、元JA8709。3月も下旬に入りそろそろどうなんだい、と羽田を偵察。
環八から金網越しに旧整備場の方を覗くと、おっ、エアロラボYS−11、外に引き出されてる! スターアライアンスを思わせるこの塗色になってからは、お初。
長いことくすんだままにあったから、ピカピカ加減が眩しい。垂直尾翼に入ってる、ぬいぐるみでも直してるような感じの、翼を縫い付けるイラストが可愛らしい。
◆環八からでは金網と茅と陽炎の三重苦なので、動くなよ〜動くなよ〜と祈りつつ、国際線ターミナルの駐車場へダッシュ。頭をハンガーに向けているので、
大分お尻の方へ回り込んでしまうが、まあまあ見える。ポツンと1機佇むだけで人気がないのだったが、丁度昼時だしなと、暫くここから様子を見ることにしたものの、
2人ばかり機内へ入って行くのを見たのみで、何かが動く気配が無く、結局退散。鼻先に発電機らしきはあったのだが・・・。
◆その後公式FBで、今日はエンジンを回した由・・・・・やはり回してたか! 目撃したのはその前だったのか、後だったのか・・・・・ともあれ一目見られたのは収穫としよう。
地元の書店でヒコーキ雑誌をパラパラ。「航空ファン」にカラ見開き。新たに取得のレジは「N462AL」、諸々の手続きの関係で「3月中飛行」は延びる見込みらしい。
あまり延びると他とのバッティングがちと心配だが・・・・・「航空情報」では連載の「自衛隊現用名機列伝」に空自のYS−11。後継が決まらないから飛び続けてマス的なニュアンスが。
羽田の元JA8709の件、「Aviation Wire」によると、今日エンジンを回した由。えーっ! ってエアロラボ自身が、順調ならこの日に回すと、
一昨日書いていた・・・・・不覚。AW紙の記事によると、旧整備場では騒音の問題でブンブン回せないので沖まで自走・・・・・たしかにそう書いてある!・・・・・するとか、
レジはアメリカのを取得するとか・・・・・過去には一度抹消したレジを、同じ番号で再登録された例もあったように思うが、アメリカの方がハードル低いのでしょうなあ。
エアライン誌チェック。やはりここは来ましたね、JA8709の件。ここは載せてくれないと。記事によると現役で残存する機体は、国内に空自のが13機、海外に3機らしい。
空自のは半分くらいスーパーYS・・・・・残りはFCとP、美保のPはあの、プロペラ無しだった2機も勘定に入ってるんだろか。
◆J Wings誌、やっぱりなあ、と思いあらためて見ると、目次直後に海保のラクダさんの記事がちゃあーんと、載っておりました・・・・・ゴメンナサイ!
昨日に続き「航空ファン」がC−130R配備と併せて3ページ。J Wingsは見当たらづ・・・・・或いは見落とす程の扱いか。ここは出すと思ったのだがあ。
JA8709関連はこれまでに各誌とも認められづ。
雑誌を軽くチェック。「航空情報」に厚木のラクダさんの退役セレモニーが見開き2ページ。他が切れてて判らないが、どんな塩梅だろか。
カチカチ・・・ふう。
羽田の元JA8709の件、昨日引き渡しがあって、JA8610と同居していたであろう格納庫から、別の格納庫へ移動した由。ニュース映像を見るとどうやら、
スカイマークの並びのひとつらしい。そういえばJALもANAも移った後、あそこはどこの施設だったのだろ・・・。
羽田の元JA8709の件、エアロラボが募金とボランティア・スタッフを募ってる。レストアにあたっては、当初の見通しより費用が嵩みそうだという話で、
外野的にそのあたりは織り込み済みだったろうと思うトコロ。よくある話である。
◆「最終的なプロジェクトは、3月中のフライトの成功によって完了」とあって、当面の目標という位置付けでの話なのか、一度飛ばしたらオワリ、
ということなのか・・・・・こういう活動は一時の勢いで終わるものでなく、継続にこそエネルギーが必要であることは、他の数多ある例から明らかなところだが、
レストアが済みフライトを成功させた、その後のイメージがまだ示されていないところが、若干気懸かりではあり。
◆それはさておき募金には3コースあるという。¥30Kで、胴体か翼の下に名前が入る。¥50Kで、それに加えて羽田格納庫でのお披露目に招待してもらえる。
そして¥100Kでは、さらに加えてプロペラの切り身が貰えるという・・・・・10万円、5万円、3万円、運命の分かれ道!・・・・・って言ってピンと来る向きは、
それなりの年代ですな。
◆特典だけに注目すれば、空の日イベントでJCAB機の中に入ったりコクピットに座ったりはあったし、プロペラの切り身もANKだったかJACだったかので既に手許にある。
だがソレはソレ、コレはコレ・・・・・とはいえ甲斐性無しにはちと、悩ましい。たーだこの試み自体、それを通じて色々なコトが、試されている部分があるように思う。
先行きがよく見えない部分もあって、投資ではなく募金とはいえ、それが報われないというリスクは、当然ある。無償の愛情、のようなものが、試される。
しかし時間がないな・・・・・とりあえずNHKは巻き込んだよな?(ぉ
走り初め方々、下総基地を覗いてみたり。ハンガーがちょっと開いてて、若干の期待と共に超望遠で覗くと、やっぱりP−3Cで。