YS−11
YSな日々 〜奇行ログ


一番下へ



2014/6/21(日)
所沢航空記念館で、公開講座「国産航空機を作るために」を聴く。講師はあの前間孝則氏、氏のこれまでの著書で、或いはメディア出演の中で、時に嘆き、 或いは叱咤し、或いは期待を込めて、幾度も触れられてきたテーマである。これまで様々な産業史を扱われてきた氏ではあるが、 やはり日本の航空業界の「YS−11後」への思いが、その中でも大きいように思われる。 ◆30分前に開場、資料のプリント貰って、教室のような部屋の適当な席に陣取ると、後から後から入って来る。なんでもいつになく応募が多かったそうで、 予定数を過ぎても暫く〆切らずに受け付けたという。大体落ち着いたところでふと前を見やると、気配を消していたかのように前間氏がいつの間にか、 座ってらっしゃる。ををを生前間だ(ミーハー100%)。 ◆昨年は、敗戦後の「航空禁止」を境に、自動車や鉄道といった他分野へ渡った技術者の話だった由。恐らく氏の著書「技術者たちの敗戦」に沿ったものと思われる。 その際既に「次回は航空業界に残った人達を中心に」と決まっていたそうで、その流れで今回は「日本の名機をつくったサムライたち」に沿ったような印象。 実際既に読んだかなというところは少なくなく、むしろ反芻するような、生で伺うことで文中や行間のニュアンスがより、鮮明になるような。 ◆キレイゴトばかりではなく、言いにくいこともあるだろうし、変に言質を取られることも忌避されるであろうし、そこを実績と信頼関係でひとつひとつクリアして、 単にノンフィクションというより歴史を綴る仕事を積み上げてきた前間氏。ご本人曰く、調べた事実を淡々と纏めることに徹して、意見は極力入れないよう心掛けている由。 技術者としてのシンパシーのようなものをどこか滲ませつつ、良い意味での冷やかさとのバランスは、心地良い程の硬派ぶり、とでも表せば良いのか、適当な言葉が浮かばないが、 そんな前間氏がプチ(でもないだろう)自慢、零戦に関して、かの柳田邦男もNHKも叶わなかった、東條輝雄氏への踏み込んだインタビューが出来たと。 ご本人もそろそろ歴史として話しておこうかという、そういう時期的な巡り合わせもあったと思うという見解とともに。 ◆2時間半の予定がさらに1時間伸びて、講座は終了。長いようであっという間で・・・・・さてここで、ひとつ企み事があって。 ハードカバーの「YS−11 国産旅客機を創った男たち」と、サインペンを・・・・・と、もう並んでる(笑)。こんな500いくつもページあるの読むの大変だったでしょう、 と言われていえいえとしか答えられずにいる前で、きゅっきゅっ、とサインを頂く。この本を買ったのは13年前、実は実際に読んだのは文庫化された方で、 これは後からひょんなところで古本で発見したもの。最初からコレクションのつもりではあったのだけれど、まさかここにきてこんな宝物にまで、なろうとわ。

2014/6/11(水)
東シナ海でまたまた、OP−3CとYS−11EBが中国のSu−27に「異常接近」を受けた由。この2機種はよく連れ立っているのか、 と思ったが1時間ほど置いて個別に「異常接近」を受けたようで、まあ先方も思うところあって、或は全然ないのか知らないが。

2014/6/2(月)
「零戦を設計した堀越二郎が主任設計者を務めた。」・・・・・福井新聞よ、おたくもか。ロクに調べもせ・・・・・コピペ仕事か。コピペ仕事だろ。

2014/6/1(日)
MSN産經ニュースで、昨日の話が出てる。「主任設計士は先の大戦でずば抜けた性能で各国を圧倒した零式艦上戦闘機(零戦)を設計した堀越二郎氏で、」 ・・・・・ってまーだ言ってんのかい。3ヶ月前の
参加募集中の時の記事 以来、訂正する気サラサラないようだな・・・・・中の人は信じて疑わないなんてまさか・・・・・仕事しましょうよ。


2014/5/31(土)
以前募集の報道があったが、今日は福井空港で海自のYS−11M/M−Aの体験搭乗会がある。色々調べると0900からの予定らしく、 福井空港の設備からして前乗りはなさそうだし、すると厚木基地から日帰りだろう、さらに調べると前例では0900のちょっと前に飛来してたようなので、 そのあたりから逆算すると厚木を発つのは・・・・・地図で大雑把に見ると距離は鹿児島〜奄美に近い感じか、この間をQ400だと、 サーブ340だと・・・・・余裕を見て2時間前に来ておけば、間違いないか。 ◆というわけで基地の南のナントカ公園へやって来た。お目当てのYS−11M/M−Aの姿は見えないがぁ・・・・・ん? んんっ?  グレーの迷彩チックなあの機体、入間の機が何故ここに、まさかこの間Su−27にイキな挨拶されたEBか? ・・・・・と鼻先の「163」を頼りに検索してみると、EAの方だった。電子戦支援隊の、訓練で妨害電波出す方。 こっちへもよく来るのだろうか? あるいは・・・。 ◆そろそろ飛ばないと福井0900に間に合わないのでは、やはり日帰りではなかったか、と不安になってきた頃、陽炎の向うにタキシングする機体を認ム。 やれやれとこちらも準備して、ぶーん・・・・・9041のラクダさん、休日出勤ご苦労さまです!

2014/5/25(日)
このところキナ臭い東シナ海だが、自衛隊機が中国のSu−27に ナメ 異常接近を受けた由。当該はOP−3CとYS−11とのことだったが、 電子情報収集と言っていたようなので、後者は入間のYS−11EBと思われる。
そういえば昨年11月、 那覇基地に緊急着陸したニュースがあって、この時は入間基地のYS−11としか触れられていなかったが、FCだったのかEA/EBであったかは結局未確認。 しかしYS−11という機種の、その歴史の終わり近くになって、物騒な文脈でその名を聞くことになろうとわ。

2014/5/5(月)
先週に味を占めて、時折パラ付く中厚木基地そばのナントカ公園へ来てみたが、どうやら空振り。一昨日のお兄さんにGWは暦通りかと訊いたら休みは休みと言ってたし、 それを信じないオマエが悪いって話ではあるのだが、電車やバスだって走るんだし、たまたま9041の運用がそうなのかも、 などと相当手前勝手なリクツ・・・・・認知バイアスともいう・・・・・で賭けてみたが、飛ばぬものは飛ばぬのだよやはり。 ◆とはいえ粘ってる間にもUS−1Aが登場、今日はどこかへ飛んで行ったし、米軍サンのF/A−18やらE−2Cやらと、 まあそれなりに・・・・・あと半年くらいだろうが、チャンスがあればまた、会いに来てみるか。

2014/5/3(土)
厚木基地がナントカまつりで公開で。今年は憲法記念日と来たもんだ。昨年は1時間半くらい並ん・・・・・その前に列の最後尾まで20分くらい歩いて・・・・・で、 入るまででヘロヘロになってたが、今日は午後別件・・・・・はるばる埼玉まで・・・・・があって、朝一で出来るだけ並ばずにということで、1000開場のところへ0740頃現着。 行列がまだ5、600mといったところで落ち着けたが、並ぶ時間そのものは、昨年よりきっちり2倍以上長い(苦笑)。しかしダラダラ動くわけでもないから、 歩道に腰かけて本でも読んで・・・・・傍らをぞろぞろ人がやって来て、列はどんどん伸びる。 ◆ここを出る時間から逆算して1100頃には入りたかったが、なんだかんだで1030に入れて、ほっと一息。とはいえ余裕はないので、保存機や食い物には目もくれず、 ひたすらエプロンを目指す・・・・・と、入った所に早速いましたよラクダさん、9041。今年には退役というので、これで見納めかもなと暫し、しみじみ。 ひとまずは一通り見ておこうと奥まで往復、続々増えつつあるP−1が今年は展示に加わり、何故か大好きなC−2グレイハウンドもいてウハウハ。そういやF/A−18もいたな。(ぉ ◆でまたラクダさんのところへ戻って来て、残り時間はYSに費やすとして、さて説明のお兄さんがいたので、後釜のC−130はそろそろ来てる頃ではと訊いてみると、 この期に及んで中古の出物が無いのか、当該機の米軍での運用が伸びたのか、そのあたりは定かでないが、何やら事情があって大幅に遅れてるらしい。 一方YS−11M/M-Aを今秋に退役させるというスケジュールは動かないようで、このまま行けば輸送力の空白が出来てしまうため、 その間他の機種・・・・・機種名は聞き漏らした・・・・・で穴埋めするとしても、能力的にYSで賄ってきた分量は無理だろー、的なハナシらしい。 ◆ついでに輸送任務のルーチンを改めて訊いてみると、月火は硫黄島方面ではく沖縄や西日本だった。木金が硫黄島や南鳥島だったかな・・・・・一応メモ。


2014/4/28(月)
昨年厚木基地に行った際、ラクダさんのYS−11M/M-Aの凡その一週間のルーチンワークを聞いて、そのうちそのうちと思ううちに1年経ってしまい、 いよいよ後継のC−130も来るというのにこれはイカンぞと、自衛隊さんもGWは暦通りだろかー、という裏付けのない読みとともに、まずは行ってみるかと。 ◆曇りがちな空の下富士山は案外にもくっきり見え、そんな早朝のナントカ公園でベンチに腰掛け、遠くエプロンを睨みつつコンビニで買ったパンなど齧り。 聞いた話の殆どは忘れてしまったのだが、確か月火は飛ぶという話だった。硫黄島と南鳥島・・・・・それぞれ日帰りだったか、2日かけて2島巡るのだったか、 しかし公務員なんで土日は飛ばないとも聞いたから(笑)、月曜は厚木を発つハズなのであって。 ◆超望遠で見回せどしかし、いないのか死角なのか、肝心のYSの姿が見えづ。そうこうするうちに、P−3Cが駆け上がって行く・・・・・防人に休みなどない。 無線ならぬFMラジオを聴いていて、この番組終わるまでは粘ってみるか、とダメモトお気楽モードなのではあったが、0800を過ぎた頃、んんん!  おいでなすった! ユラユラな陽炎の向うを、ふわりと舞い上がる・・・・・びぃぃぃぃぃぃぃぉぉぉぉぉぉぉぉぅぅぅぅぅぅぅん・・・・・あー、 実に久々に、静かな場所で聴く、ダートサウンド。 ◆お目当ては早くも終わってしまったが、米軍はどう考えてもGW関係無いし何か飛ぶかねえ、ともう少し粘ることにしていたら、ややややっ、US−1Aが出てきた!  コレが飛ぶ時というのは大概、人の生き死にがかかっているので、無邪気に喜んでていいのだろうかという後ろめたさもないでもないが、それでもやはり、正直言えばウハウハで。 けれどもいざ滑走路を駆けだし、舞い上がるか、舞い上がるかと構えていたら、ダラダラ走っただけでエプロンへ戻ってしまった。第一報で速攻出動にかかり、 続報でキャンセルとなったとか、そういう展開なのだろうか・・・。 ◆F/A−18がぞろぞろ出てきて、訓練へ向かうらしい。小さいくせにバリバリバリバリと盛大に轟音を撒き散らして、駆け上がって行く。 撮っても小さいので程々にしてると、今度はUS−2が降りてきた。タマラン。もう今日は十分、お腹一杯デス。 ◆さらには、おっ、まーたYS−11が出て来たぞ!? 厚木には確か現在2機残るのみ、稼働率100%か・・・・・ 滑走路脇で何機かF/A−18のタッチ・アンド・ゴーを見送った後、びぃぃぃぃぃぃぃぉぉぉぉぉぉぉぉぅぅぅぅぅぅぅん・・・・・どこへ向かうのだろう。 ルーチンワーク的に元々2機飛ぶ日だったのか、或いは先に飛んだ方はどこかのイベントにゲスト参加でもしていたか。うーむそういう話も聞いておきながら、 今日はどこかであるのか調べておらなんだ。残る半年、いい加減洗い出さねば。


2014/3/20(木)
宮崎日日新聞。マレーシア機不明の件に関し大石英司著「神はサイコロを振らない」を持って来た。同じコト考える人はいるもんだ・・・・・というのは奢りであって、 恐らく少なからずの人がそれくらいは過ぎったのであろうが、さてこれ、原作ではYS−11だったと今更に知る。 何分オリエンタル・エア・ブリッジのダッシュ8登場のドラマで見ただけだったので、他はというと、をを二ヶ領用水だあ、などとかなりピンポイントな所でアレだったり、 おいおいアインシュタインはそんな文脈で言ったわけじゃあるめえ、てなくらいしか印象が無い・・・・・ああアノ人も出てたんだっけ・・・・・が、 設定の年代・・・・・原作では1994年・・・・・はまだまだ結構、あちこち飛んでいたのだな。ひょっこり羽田に降りて来た10年後の世界では、 史実的には既にANK機が退役、羽田発着の旅客営業はなく、結構な浦島ぶりで。

2014/3/2(日)
MSN産經ニュースで、福井空港でYS−11体験搭乗参加者募集の話題、厚木のM/M−Aを飛ばすらしい・・・・いよいよラストイヤー、カウントダウンは刻々と・・・ 飛ぶのは5/31、その日の朝に厚木を発つのが捉まえられるか・・・・・或は前乗りか。そういえばこの頃には後任のC−130が、やって来てるのではなかったか。 ◆にしてもだ。「主任設計士は第2次世界大戦の名戦闘機「零戦(ゼロ戦)」を設計した、宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」の主人公、堀越二郎氏。」 などと頓珍漢な・・・・・あああ。最大限好意的な解釈を試みるならば、「五人のサムライ」が名を連ねた輸送機設計研究協会は、 参加メーカーの中では実質三菱が筆頭であったとか、或いは後に日本航空機製造で指揮を執ることになる東條輝雄の上司であったとか・・・・・限界だ(苦笑)。 そもそも新明和のモデルがベースになっているのでは・・・・・あーもー。しかし産経よお前もか。


2014/2/11(火)
昨年の暮に求めた前間孝則著「日本の名機をつくったサムライたち」ようやくにして読了。よくよく読むと物語形式というより過去のインタビューからの再構成であるらしく、 堀越二郎、東條輝雄、土井武夫、渋谷巌、内藤子生、糸川英夫、菊原静男、土光敏夫、永野治、西岡喬、藤野道格と、 「五人のサムライ」からネ20から、MRJ、ホンダジェットと錚々たる顔ぶれ。 ◆YS的には同じく前間氏の「YS−11」を反芻するような部分多々あって、ここは忘れてたかという再認識も多少あって・・・・・そうだ新明和が温めていた案がベースだったんだ。 零戦にしろYS−11にしろ、現実にそれに携わった技術者にすればとてもそんなものじゃないというような部分を知る程に、 後世の名機名機と手放しで持て囃す風潮が、浮ついたものと映る。あくまでその時々の、様々な制約・・・・・時に理不尽な・・・・・の中での、 ベストであって、関係者のそれや大衆的な愛着はあるにせよ、設計者として会心であったかはまた別のことと、知っておく必要がある。 ◆よく言われる「技術的には成功、事業としては失敗」の常套句にしてもその実、技術的には頑丈さ・・・・・それも結果的な・・・・・の他にはあまり秀でたところもなく、 残された課題も少なくなかったようで、一方事業としては軌道に乗りかけたところで臭い物に蓋的に解散させられたという、「YS−11後」の産業としての将来ビジョンを持ち得なかった不明、 その他時代や社会の諸々が相まっての結果であって、単に「ジャブジャブ突っ込んでどうすんのコレ」という類のことでは、多分ない。 日航製が業界各社の「寄り合い所帯」であることの云々も、後のエアバスがこれに近い体制であって、日航製はモデルケースになったという話も確かあった。 ◆そういえば半年前に接した松浦晋也氏の「あひるたちもう一度飛びなさい」の中でも、日航製の技術者がYS−11を飛ばすまでで燃え尽きてたかのような話が出て来たが、 「YS−11後」を見据える余裕は、当時の政財界、社会には、持ち合わせていなかったということか・・・・・YS−11で被った政財界のトラウマ、或いはタブー化については、 これまでの前間本で幾度も触れられてきたが、ようやくそれを乗り越えようとする存在として、MRJとホンダジェットの話へ続く。 ◆現在三菱航空機の入る時計台の建物は、以前HSSTの廃線跡を辿った(笑)際に偶然見かけて、その謂れも知らずただ、三菱重工という会社の歴史をぼんやり感じただけだったが、 そういえば「風立ちぬ」にもたしか・・・・・ともあれ建て替えの危機を免れて、歴史的意義というより恐らく精神的な拠り所として、遺された経緯があった由。 その時鶴の一声で取り壊しにストップをかけたのが、当時使用していた三菱自動車の会長、後にMRJを推し進めることになる西岡喬氏という。 昨年暮の例の・・・・・あんまりな・・・・・TV番組でも、零戦を生んだ部屋でMRJが云々と紹介されていたが、そのあたりは本当のようで。


2014/1/22(水)
ANAの747がいよいよ退役近く、ツアーも組まれたりしているようで、3/16に成田〜熊本日帰りというのがあるらしく。 熊本ではタッチ・アンド・ゴーの見学だのと地方空港ならではの(?)凄さだったりもしつつ、そしてそこまで来たならばと、 昨年宗城大学から引き渡された元JCAB機JA8712の、見学もある由。YS的には接点そこだけな話なのだが、 ついでに747のタッチ・アンド・ゴーといえば、
千歳で雪にまみれた時 政府専用機が繰り返してるのに遭遇した記憶があり。あれもYSの縁といえば縁であったが・・・・・あの2機も、いつまで拝めるやら。


もっと前へ