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久々前間本。書店をうろついて目に止まった「日本の名機をつくったサムライたち」。帯の「風立ちぬ」云々はさておいて、さらっと目次を見た感じでは、
「五人のサムライ」の若き日からMRJへ至る、日本の航空技術者達の物語を綴る。五人のサムライの生い立ちから活躍の時代まで、YS−11の顛末とその影響、
航空業界の現状への嘆き・・・・・※個人の感想です・・・・・はそれぞれ「YS−11 国産旅客機を創った男たち」、「最後の国産旅客機YS−11の悲劇」、
「日本はなぜ旅客機をつくれないのか」等々でこれまで綴られており、また「ジェットエンジンに取り憑かれた男」あたりも含まれているようで、
恐らく一連の前間本の総集編のような一冊。それぞれ既読なところへおさらいには打って付けと言えたがしかし、ソフトカバーながら物理的にもボリュームが、結構あって。
熊本空港の元JA8712、昨日から公開の由。機内の見学は色々制限があるようだが、とりあえず。
フラフラ遠出をして、久しぶりにかかみがはら航空宇宙科学博物館を訪ねる。掘り返してみると・・・・・なんだかんだで書き残しておくもので・・・・・
3度目11年ぶりであるらしく、
歳月の流れの加速ぶりには最早諦念しか抱かぬ昨今だったが、まあともあれ。
◆市役所前駅からバスに乗って着いてみると、ピーカンの下、前と変わらぬ風情でYSやUS−1はじめ飛行機達が出迎えてくれる。哀しい性でこれまた、
あーでもないこーでもないと撮影しつつなかなか中へ入らずなのだったが、とりあえず「鼻デカ」をデジで撮り直してみたりなど。
◆さてそのJA8731、機内へ入ると、中央通路の両側にプラの鎖が通されてて、座席に座れなくなっており。最後尾のトイレも、
以前は中を見るまでは可能だったように思うが、今は扉が締切状態・・・・・父子連れが入って来て、前はここに座れたのにねーなどと話していたから、
最近の変化なのかもしれないが、11年の間にはあちこち傷みも進んだろうし、そのあたりは公開展示故の難しさやもしれづ。
テレ朝「オリンピックの身代金」なるドラマやってるのをながらでチラ見。舞台は49年前だが色々と現代に重ねてくるものがあったりなかったりしつつ、
さて外国の選手が羽田へ降り立ったというシーンで、成田の試作機登場・・・・・ちょこちょこ出てくるなこれ、とそんだけ。
そういえば時折当時のニュースを挿んでたようだが、聖火輸送シーンなんてのはあったのだろか?
サンスポ(共同配信)のWebによると今朝、入間のYSがエンジン周りのアラームで那覇基地に緊急着陸の由。機体の情報は無いが、入間にいるYSといえば、
FCか、スーパーYSのEA/EB・・・・・訓練中? 沖縄本島近海の上空で?・・・・・もしやもしや、EA/EB即ち、電子戦訓練機ないし電子情報収集機だったりとか、
昨今のアレで昨日のB52に・・・・・などとアレコレ詮索したところで、分からぬものは分からぬ。
入間航空祭。毎年同じ時間の電車で向かうのだったが、今年はどうも着く前から人が多くて、さては「空飛ぶ広報室」効果だろうかとあれこれ勘繰っていたら、
これまた駅前まで続く長い列から入場してパンフ貰えば果たして「空飛ぶ」だらけな様相。入れる場所だけとはいえ基地内でロケ地巡り出来る趣向。
◆同行のや氏に聞けば百里でもそんな具合で、頭撫でてたのがこことだか、場所場所で場面の紹介までしてあった由。
パネル展もあって、どうも番組HPをそのまま貼り出したような風情だったが、台本などの展示が貴重といえば、貴重だったか。
BD/DVDが近く発売のようで、ナルホド。
◆さて肝心のYSはというと、今回トップバッターのようで、あれこれ考える間もなくFCデモの本番、「晴れの特異日」なる決まり文句もやや空回りなこの頃にあって、
やっぱり今年も煮え切らない空を、ぶーんと飛んで行く・・・・・あー、この先はもう消化試合。(ぉ
◆今年はC−1のデモが午前のトリ、エプロンにブルーの佇む位置から、あれやこれやとどうも例年と勝手が違うようで、これはあれこれ先読みするより、
出て来たものに対処することだけ考えるか・・・・・といった具合で頭空っぽにしてC−1だけはと早めに昼食の調達。今年いつのも弁当屋出てないのかよ・・・。
いつも見そびれてしまう救難デモで、今年ことはとの思いはあるのだったが、人込みに揉まれてるうちに時間は過ぎて、実況の声だけが聞こえてくる・・・・・
なーんかFMラジオ聞こえてんなーと思えば、実はソレでしたといった次第で、DJ調の実況は聞けば昨年も評判だった由。デモの合間で曲かけるわお便り読むわ。
ソースかけますか醤油ですかとか、知らねーよ(笑)。
◆早めの昼にしているとC−1が登場、空挺デモが始まる。これが一段落してからだよな確か、などと余裕かましてたら編隊で入ってくるわバンクで背中見せるわ、
あわわわとカメラを引っ掴んだが時すでに遅し・・・・・自分で言ったろ、アテにならんから先読みしないって。
◆本当の昼休みを挟んで、ブルー登場。バードストライク食らったとかで5機での変則演技、それはそれで珍しいのだったが、空は結局良い所無しなまま、
まさかまさかの2年連続中断そのまま終了。空域に入ってきた機がいるとかなんとかだったが、なんとも消化不良な一日・・・・・ときにブルーのパイロットが観客に手を振る時、
何故か6番機だけ、親指と小指だけ伸ばした形で振ってて。あとで電話してくれ?、クロワッサン?、イルミナティ?・・・・・いやあ。
◆F−15とF−2の離陸を見送って、終了。帰りがけに植木に人だかりがしてたので何かと思ったら、
根元にオモチャの兵士・・・・・「トイ・ストーリー」なんかにも出てきたバケツにガラガラ入ってるようなアレ・・・・・やら牛やらが配置されてて、大きなマン盆栽状態。
兵士の1人を見ると手榴弾投げそうなポーズのまま後へ倒れかかっていて、撮ってみればなんとも「崩れ落ちる兵士」状態(笑)。
イケメン人気投票やら、通行人にひたすらハイタッチを求める一団やら、体育会系なノリは相変わらずながら、ふと世代の移ろいを感じる時が、あったりなかったり。
熊本の崇城大学といえば、羽田空港にも同大学の広告看板があって、例の元JA8712がでーん、と全面なのだったが、さてその元JA8712、
昨夜空港敷地内・・・・・のエプロン側・・・・・から外へ出たらしい。報道によれば、これまで棲家としていた格納庫が、防災で活用されることとなったのと、
このYSの教材としての役割も終えてか、空港ビル会社へ寄贈と相成った由。
◆恐らく柵越えの為か、クレーンで宙吊りになる姿が伝えられてたが、そういえば羽田の元JA8610も、現在の国際線ターミナル付近の格納庫から、
旧整備場地区の現在の場所・・・・・に来る前のANAの格納庫へ移った際、ルートの関係で宙に浮いたことが・・・・・
もう10年近く前だわ。
2年前の下総基地では、事故機収容の訓練でやはり吊られて、退役後の最後のご奉公に供されており・・・。
◆さてこれまたもう9年も前になるが、ぴらーっと熊本行った
際に、空の日の催しで公開中のこの機体に会った。その時にはコクピット窓の後に赤い「SOJO」とロゴが入ってる以外は、まだ殆どJCAB機の姿のままだったが、
報道写真を見ると全体の色合いとストライプはそのままながら、JCABとSOJOのロゴは消え「阿蘇くまもと空港」と入っていて。
位置と大きさは「おつかれさま YS−11」のそれに近い。垂直尾翼に「あそらちゃん」なるゆるキャラ、レジはそのまま残ってるか・・・・・このままの姿なのかは不明ながら、
12月一般に公開される由。そういや佐賀の元JA8733も公園へ移動してから見てないが・・・・・再訪のチャンスなどあるだろか。
TVのニュースで、羽田空港で自作の自動操縦模型機のコンテストが云々と・・・・・調べると「第9回全日本学生室内飛行ロボットコンテスト」のことであるらしい。
競技が進められているハンガー内にはなーんか見覚えが・・・・・普段JA8610がいる場所ではないのかココ。
ということは、ヌシのJA8610はエプロンへ引き出されていたハズで・・・・・むむむ。
羽田の空の日イベント。いつものように天空橋を降りて旧整備場地区を目指すと、エプロンに勢揃いのJCAB機達の向うに、
やや異質の丸っこいヤツが・・・・・んんっ、科博のJA8610が引き出されてる? たまの虫干しには良い日和だ。
◆少し早目の開場で早速ハンガーへ進み入ると、あれっ、昨年と同じように、JA8610がいる。ということは・・・・・JA8709、健在なり!
そうかいたかいたか、しかしどこに隠れていたのやら・・・・・周囲のハンガーは国交省とスカイマークあたりの他は、
大方取り壊されてしまってもう隠れる場所もないから、普段はJA8610と同居なのか。
◆ハンガーの片隅では模型飛行機がグルグル飛んでいて・・・・・というか、片翼がヒモで支柱に繋がってて、操縦者自身がグルグル回るわけではないが、Uコン、
なのかねこれって。HASM(羽田航空宇宙科学館推進会議)は今回実機のヘリを持ち込んできた・・・・・どこかで見覚えがと多分これ、
昨年「国際航空宇宙展」のセントリャー会場にもいたな。話飛んで先週久方ぶりに交通科学博物館を訪ねて、かつて交通博物館にあった航空関係の展示物もこちらへ移されているのを見たのだが、
その交通科学博物館も梅小路へ統合されてしまう由で、さてさてこれらの・・・・・元々こっちにはベルX−1のエンジンもあって・・・・・展示物の行方や如何に。HASMの活動が成就となれば、
それに相応しそうなものだけれど・・・。
◆エプロンの展示も特に変わらず・・・・・今年は民間の読売機はいたが、今度は海保がいない・・・・・一通り眺めたところでお暇して2タミへ。
物販関係はベアドゥがいた他は毎度な感じで・・・・・とソラシドがらみで大分から出店のステンレスの8分音符のアクセサリーに触雷。ソラシドの小物も貰って結構なお得感。
エア・ドゥのスープも買ってみる。
◆全日空は毎度の食器類の物販以外にも今年はやる気満々のようで、出発ロビーの端で747の主脚とかウィングレットとか、ど−ん。でかい。計器類にタービンブレードに工具にと、
整備の人達が色々説明してくれて、生半可な素人の質問にも答えてくれる。若いお兄さんは先輩の助け船を借りつつ一所懸命で、これも研修のうちなんだろかと微笑ましくなる。
主脚の4つのタイヤは、発注元のANAの表記があったり、747SR用とまで細かい表記や賞味期限らしきもの(いやいや製造日か)があったりとクルマのそれとは訳が違う。
一方トレッドパターンがまちまちで、聞けば仕様を満たしてればメーカーの違いでこんなものらしい。ただしここにあるのは退役機の発生品で寄せ集めの由。
◆1タミへ移りグッズ物色の後、旧整備場会場の様子を超望遠でぱちり。下へ降りて土産物を物色すると、おおっとYS−11のマグネットに空自仕様が新登場。
まだ出るか・・・・・美保のPで52−1152、入間のFCで12−1160、この2機セット。思えばこのシリーズも、JAC、ANK、JASの歴代、ANAの歴代、
航空科学博物館限定JA8611・・・・・と大体こんなもんだった気がするから、まだ余地があるにはありそうな。
今度の聖火はMRJで運んだりするのだろうか。やるやらないは別としても、流石にそれに間に合うとは思うけれど・・・・・空白の40年、
と言われるが初飛行のスパンで見れば既に、半世紀を過ぎる。それはオリンピックが同じ都市に再び巡る程の・・・・・しかし一方で、
その間を生き続けたYS−11の、最後のご奉公というのも或いは・・・・・いやいやいやいや。
所沢の零戦を見に行く。昨年12月のエンジン始動会の時以来・・・・・春までの予定だったのが随分と伸びて、このうだうだと暑いさ中にあっては、
あの日震えながら順番待ちしてた記憶が今ひとつピンと来ない。今日はエンジンこそ回らないが、屋内で間近に観察出来る。零戦グッズも増えたなあ。
◆さて、堀越二郎イヤーなのである。生誕110周年と銘打っているが、100周年の時どうだったかなーと考えるに、まあ、アレやコレな流れに、
「110周年」の方がくっ付いてきたと解した方がしっくり来そう、ではある・・・・・そんな穿った見方はさて置いて「堀越二郎の生涯」展。
昨年より続く「日本の航空技術100年展」の一環という位置付けにある。
◆パネル展示や本人の愛用品や所縁ものの展示、これに「傑作機 零戦と人間・堀越二郎」の上映が加わる。展示には例の計算尺や、ノートや自筆原稿等々、
それらを舐めるように見て歩いたが、さてさて後には「五人のサムライ」な堀越二郎なわけで、「戦前の技術の継承から新たな発展へ」ときて、
「世界で頑丈さを評価された名機YS−11」・・・・・ポイントそこですか。まあ他に何があったかというと・・・・・そもそも、
強度については匙加減が手探りな時代で、結果的にオーバークオリティになって云々だそうだけれども。
◆ダートエンジンやYSの模型が置いてあるのは「日本の航空技術100年展」の最初からだったか。模型の下には「オリンピア 性能表」なるプレート、
その表の筆頭には「所有機数9機(44年春14機に増強)」・・・・・をを、微妙に生々しく。
アーツ千代田3331で開催中の「Open Sky 3.0」を観る。アレのソレな1人乗りの飛行機の存在自体は知っていたが、こうして現物と対峙するのは初めてで、
俄に空へ舞う感触が湧いてきてゾクゾク。奥では現代の宇宙旅行協会のひとつとでもいうべき「なつのロケット団」、それぞれに、
大の大人・・・・・敢えてそう言う・・・・・が内から湧き出るものを本気で創る様の、その眩しさったらありゃしない・・・・・ぢつと手を見る。
◆様々な展示の中で、「2.0」の時に寄稿されたという松浦晋也氏の「あひるたちもう一度飛びなさい」のパネル展示。文章がパネルで掲出されている形だが、
さてそのタイトル、無論、アレ・・・・・
阿川弘之のアレは勿論読んでるが
・・・・・を踏まえてのもので、文中でもその旨断ってある。
航空業界を取り巻く風土的な側面もあってYS−11の失敗後長い停滞を迎えてしまうあたりのくだりは、視点やニュアンスは若干違えど、
前間本でもお馴染みの・・・・・というより史実なわけだが、ここで井上赳夫、という人物が登場する。
◆前間本にこの井上氏が登場してたかどうかは読み返してみないと判らないが、後に「プロジェクトX」へ至るその物語としては、
通産省の赤澤璋一課長が発案者であって、「YS−11の生みの親」とも称される。しかし松浦氏の「あひるたち〜」によれば井上氏本人の談として、
いずれ老朽化する大量のDC−3に目を付けたのは運輸省の井上氏で、親しい間柄なのか赤澤氏が、そのアイデアよこせ・・・・・といった流れの由。
一方の当事者である赤澤氏は物故されてて確認の取りようもなかった話だが、松浦氏は発想の人・・・・・分裂気質と記されてたが・・・・・である井上氏の人柄から判断して、
本当なのだろうとする。発想する人と現実化する人・・・・・ナルホド。
◆YS−11誕生の経緯に関しては、通産省主導で進められ、運輸省のフォロー或いは運輸省との連携については余地が残されたままであったような話だったかと思うが、
この井上氏がそこでどのような役回りにあったのか、気になるところではあり・・・・・その井上氏はYS−11が初飛行した時、日航製の技術者に向かって、
さあ次を造るぞというような声をかけたという。すると疲労困憊で無理ですというような返答があって、そんな調子なら駄目だと見切ってしまったらしい。
実際のやり取りの詳細は判らないが、先へ先へという気力を失えば、この世界ではそれが、ただの停滞では済まされない。
◆雑誌掲載なら4ページくらいの内容だったろうか。松浦氏の本はほんの何冊か読んだだけだけれども、良い意味で「熱く」そして良い意味で「冷たい」その眼差しから、
「あひるたち」への言葉の続きを、是非また。
観たわさ「風立ちぬ」。思えばカネ払ってジブリ作品観るのも初めてな気がしてジバラでジブリとかそんなことはさておき、
CMか何かでチラッと出てたバラバラ機体はもしや 加山雄三 下川大尉搭乗のはたまた・・・・・と過ぎったが七試艦戦だったようで、
昭和にもなってバッファー付はないだろー、形式称号はとっくにEC40だったろー、色もぶどう色だろー、これ結局軽井沢にいる保存機のまんまだろー、
にしても屋根にパンタもポールも見当たらんぞー、ここでシレっとED40か41出してこそ真骨頂だろー、熊ノ平でも矢ヶ崎でもなくその縦曲線はないだろー、
いやまず第三軌条無いだろオイ、ちょっと待て第三橋梁のアーチ多過ぎないかい??・・・・・などとケッテンクラート症候群丸出しなアレでもってソレなのだったが、
総じて、やはり機械が活き活きと動きそして壊れる描写は期待を裏切らず、なんだーかんだーとストーリーは進んで、意外と説教臭くもなく(ぉ、
ようやくチラッとだけ現れる零戦・・・・・それも輝いていた頃のグレー・・・・・に、
何故かウルっときたのは多分史実上の物語性故であって・・・・・五人のサムライと囃されるのは、敗戦と航空禁止を経た、その先の先で。