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HDDレコーダーが動き出して、ハテ、タモリ倶楽部にはまだ早いぞとよくよく見れば、「ニュースチェック11」で YS-11 の小特集が、キーワードで引っ掛かったようだった。スバラシイ。
先月の高松〜能登のフライトの日に「トレンドワード」として取り上げた、その後の「追跡」である由。半分、日本航空学園の PR のようでもあったが(笑)、そこはそれ。
美保航空祭。行ってはいないが報道によると、開庁60周年の記念の一環で、昨日静態保存機の展示場がオープンした由。C-1 と、YS-11P が1機ずつ・・・・・YS の方はあの、
でっかいカーゴドアを備えた、貨客混載型の 1158。YS-11 としては一昨年、同基地での最後の体験搭乗を務めた機体である。ここに来て、自衛隊機が 2機続いて保存となったが、
一方(1152)は小牧の VIP 仕様機、そして今度の貨客混載型、並の旅客型とは一線を画す格好か。いずれは電子戦機も・・・・・無理かこれは。
◆場所は基地敷地内ながら、滑走路の南側の、道路に面している箇所、お立ち台の丘からも近い。YS-11 も C-1 もいなくなった美保基地に、もう行くことはあるまいと思っていたが、
風雨に晒される 2機が、綺麗なうちに・・・・・どうだろな。そういえば今年は C-2 の体験搭乗などあるのだろか。(ぉ
エアロラボ機が無事に能登へフェリーされた模様。3年ぶりに大空へ帰った。その前は 8年半近くのブランクだった。11日という日取りは偶然だろうかと今更ながらに思いつつ、
天候にも恵まれ、随伴と思われる機の航跡を追うと、瀬戸大橋付近でぐるぐる、八尾付近でも高度を下げていて、一緒にローパスもキメたのかもしれない。
詳しい模様は、追って伝わるであろう報道なりを楽しみにして。
◆飛ぶ前に報じられていた内容を見ていると、やはりというかどうも、高松空港の民営化が関係していたらしい。エプロンを整備するにあたって、エアロラボ機の居場所が失われたようなのだ。
官から民へ、より融通が利くようになるのかと思いきや、営利という難敵が現われ・・・・・というより規則改定で長居できなくなった由で、行き場がなければ解体止むなし、というところまで追い込まれた。
3年あまり前に解体を免れ・・・・・というよりもそもそもスクラップとして競売にかけられたと思ったが・・・・・いわば拾った命の、元 JA8709 現 N462AL、
今度の危機も運良く逃げ延びたが、能登は当座1年という報道もあり、能登に納まりました、めでたしめでたし、で終わる話では、ない。
エアロラボ機が羽田を発って 3年。元京急の電車に京急色のラッピングしかしリバイバルに非ず、ということでんを絡めつつ、今年こそは高松のエアロラボ機に会いに行こうか、
さて今年の空の日イベントはいつだろか、と思案していたところ、そのエアロラボから、日本航空学園に保管場所の提供を受け、能登空港へ飛ぶことになったという発表が!
◆レストアにあたっては、同学園の人達の協力もあった由だったが、そこで保有の 3機と併せ、能登空港は、4機の YS-11 の集う場所となる。4機もいる場所など、
最早世界中でここくらいしかないのでわ・・・・・入間も所属機がまだそれくらい残っていたとは思うが、電子戦機はその素性からして、いるけどいない、ようなものであるし。
◆この 3年間、高松空港の地上に留まり続けた YS-11。そもそもは羽田を追い出されるようにして、ようやっと見付けた「ひとまずの着地点」だったように記憶するが、
ここを拠点に飛び回るまでは、叶わなかった。エアロラボの説明によれば、その後協力先や駐機場所の模索を続けるも振るわず、解体止むなしというところまで、一時は追い詰められていたらしい。
この春の高松空港の民営化も、関係したのかは定かでないが、そこへ日本航空学園が手を差し伸べ、能登に収まる運びになったと。
◆で、能登への移動は必然的に、飛ぶしかない・・・・・3年ぶりの飛行、5/11 にフェリー予定という。見届けたいのはヤマヤマだが、高松も能登も、出来心で行くには遠過ぎる。
羽田から飛んだ時のように八尾もローパスするようだが・・・・・いやいやいやいやさすがに。ともあれ、当分行くこともないと思われた能登空港、2年ぶりで行くしかないのかこれわ。
となると今年の能登の航空祭の日取りは・・・・・飛ばずともタキシングくらい、やってくれまいか。
発売日に確保していた「US-2 救難飛行艇開発物語」をやっと読む。冒頭、「2013年宮城県沖1200km」の遭難者を救助すべく、US-2 が駆けつけるシーンから始まっていて、
ソレってアノ人しかいないだろー顔似てないけど、と思いつつも、確かのあの件は、US-2 の存在を世に深く印象付けたに、違いなく。
◆それはさておき、川西〜新明和の歴史を辿る物語でもあり、触れずに置けないのが、「5人のサムライ」に名を連ねた菊原静男。新明和では早い時期から輸送機の研究を行っており、
輸研・・・・・輸送機開発研究協会ではその成果をベースに、後の YS 案に仕上げていった、という経緯も、本文には出てこないが、関係者のコラムで触れられている。
またその中で、エンジンが若干上向きに取り付けられていて、土井武夫が「これは水上機のやり方で菊原らしい」というようなことを、言ったとか・・・・・ここは初耳かも。
輸研での機体案は 2案あったが、5人のサムライが退き開発が日航製に移ってからは、殆ど別モノに修正されて YS-11 となるから、その「菊原カラー」の名残は果たして・・・・・見ても判らん。
「1964東京五輪聖火空輸作戦」なる本が出ていたことを知る。どうやら、
昨年読んだ
「航空から見た戦後昭和史 - ビートルズからマッカーサーまで」と著者も出版社も値段も同じようなのだが、改題なのかと思いきや、前作の反響から、聖火空輸編のみで編みなおしたものらしい。
著者自身が、二番煎じかといえばその通りと、開き直ってる(呆)。聖火空輸編だけなのに前作と同等のボリュームのようで、それだけ内容が盛り込まれたということか・・・・・しょうがないな。(ぉ
続いて「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」訪問。先週末にリニューアルオープンしたばかりなので、さぞや混んでるだろうと、開館 1時間くらい前に着くバスで乗り付けると、
誰もいねえ(笑)。それもまた想定内で、外部から中の様子を窺うことにして、をを桜が良い塩梅だわと、出来るだけ桜が大きく見えるように引きを取って、
YS-11 の ANK 印の垂直尾翼とからめて、ぱちり。こんな季節の訪問は初めてだったか。
◆屋外が無料の航空公園で、館内は有料というスタイルは変わっておらず、1000 開館を前に 0930 にゲートが開いた。思った程には混みそうもないので、外の飛行機達を、ぱちりぱちり。
入館の列の伸びが気になったところで、これに加わる。やがて開館を向かえ、今回最大のお目当て、飛燕。一昨年の暮れには、分解された状態での展示を見学したが、今回はヒコーキの形になったもの。
詳しくはないので、そのプロポーションに見惚れるくらいだったが、エンジンのある部分から先の鼻先の下がり方が、妙に可愛く見えることを発見する。どこ見てんだオレ。
見上げれば十二試艦戦。こちらは模型らしく、ディテールの省略が多いのか、ボッテリして見える。
◆リニューアル前とは展示レイアウトも大シャッフルされていて、以前は出入口近くでアピールしまくってた飛鳥が、整然と並ぶ他の展示機を見守るように、一番奥でこちらを向いている。
前と違うアングルから見えることもさることながら、しかしその存在感よ・・・・・出自である C-1 持ち前の程々にまとまりの良いプロポーションに、デンデンデンデンと背中から突き出す 4基のエンジン、
そしてこれまた C-1 ゆずりの・・・・・更に?・・・・・簾のようなフラップ。タマラン。
◆再び飛燕のコーナーに戻ると、すっかりガラガラ。朝一の波動を過ぎると、皆バラけてこんなものらしい。屋外では家族連れと思しき人々で賑わっていて、展示機の鼻先の前には屋台が並んでる。
陽気の良さも手伝ってのことだろうが、ヒコーキをじっくり眺めたい向きには、ちと賑やか過ぎるか(笑)。また冬にでも来れば、かつてのように、まったりと過ごせるだろうか。
「あいち航空ミュージアム」訪問。来ましたよ。来ましたわ。目玉となるハズだった MRJ がまだ収蔵されておらず、当面は YS-11 が主役を張ることになっているのか、そこここに、
その平面形のシルエットがあしらわれている。入場してまずはドーン、と 1152 の実機。
昨年の美保基地航空祭
での、お別れフライト以来の再会。暫くしみじみした後、今日は機内公開を行っているというので、早速その列に並ぶ。いかにもなヲタっぽいオッサンが傍にいて、
係の人にしきりに何か喋っているのだが、「これ何号機ですか?」「152 かな」「全部で 182機だから大分後の方ですネ」・・・・・おーい! 機体番号は製造番号じゃないから!(苦笑)
◆いよいよ順番になって、中へ。この機体は私にとっては、
最後に搭乗したYS-11
であって、しかも乗った中では唯一の保存機。座ったのは確か・・・・・ああここだ! 随員用座席の一番前が非常口の残念窓だったから、そのすぐ次に座った、ハズ。
座席には座ることも、中央の通路からはみ出す事も許されなかったので、写真に撮るに留まる。前方では貴賓室の説明をしていたが、VIP 用に唯一造られた機体・・・・・じゃないですよー!
2機体制で導入されて、他へ改造したり他から改造されたりで、都合3機ほど存在したハズ。でこの 1152 だけはずっと VIP 仕様の P のままで、そして最後まで残った P なのだ。
◆機内見学に並んでいる時に気付いたことには、時折、YS-11の平面形が、館内を飛び回る。より正確に言うと、サーチライトというかスライドプロジェクターというか、
それで機影の形の光が、館内を照らして回るのだが、見たところどうも、毎時丁度と30分に、出るらしい。ならばこれを YS-11 の機体と絡めて・・・・・と暫く粘ったが、
出て来るのが気球の絵だったり、ココのロゴだったり、普通のサーチライト・・・・・土曜ワイド劇場かよ・・・・・だったり、パターンがランダムのようでこれが読めづ。
粘って粘って空振りを食らいながら、30分置きということは判ったので、その合間に、屋上からヒコーキ見たり、零戦見たり、ミュージアムショップを物色したり。
◆そのミュージアムショップである。ココ限定の 1152 のプラモデルがあることは判っていたが、ななななんと、1152 のぬいぐるみが山と積まれている!! わーっわーっ!(悶)
YS-11 は初めて見るぞ!・・・・・いやいやいやいや、落ち着け、まずは落ち着け。とりあえず、YS-11 と MU-2 の 2種類の記念メダルだけゲットして、名前刻んで、
と・・・・・嵩張るから帰りがけにしよう。(ぉ
◆さて、コレだけの為に来たわけではなく、MRJ ミュージアムも見学するのである。そろそろ時間なので、こちらへ集合する。MRJカラーのバスに乗せられ、一昨年暮れに偵察した工場の、
中へ・・・・・こちとら早く現物を見たくてしょうがないのだが、まあ焦らす焦らす。待合室でも見た映像を見せられ、次に原寸モックアップ。これについては興味深い解説があり、
現物の座席も座り、ええそこ富士山モチーフなの? などと聞き、主翼のサンプルに触れ・・・・・この辺りまではよかったが、タブレットで製造現場のぐるぐる映像見せられ、
CFRPって軽いでしょう、物流こうなってます、パートナーこれだけいます・・・・・予定時間の半分をとうに過ぎ、さすがにもう、早く終わんねーかという思いで頭が一杯。
◆ようやっと、ナマの製造現場を見た。週末ということもあってか無人状態、量産するにもできない状況にあって、そもそも稼動しているのかどうか・・・・・組立と艤装に分かれた両方がここから見えたが、
艤装側には垂直尾翼に「MRJ90」と入った 2機、レジが「JA26MJ」「JA27MJ」と振られていて試験機の追加分と思われるが、先行機のフィードバックの設計変更待ちで、止まったままかもしれない。
組立の側にはドンガラ状態の2機、一方はまだ胴体が分割のまま繋がってない。MRJ70の製造も始まっているとのことだったから、この少なくとも一方が、それなのかもしれない。
写真撮影一切 NG なので、以上備忘録。こちらの土産物は、限定限定と言っているが「みなとみらい技術館」に一通りあった(笑)。しかもアチラにはあった MRJ のぬいぐるみがコッチには、ない。
◆ツアーから戻り、また暫く YS-11 を眺めて・・・・・そういえば「YS-11 は世界一安全な飛行機、1機も墜ちたことがない」と絶賛してるオトーサンがいたが、
どうしてそうなった・・・・・土産物を買い込んで撤収。MRJ が目出度く収まったら再訪したい・・・・・ああそうだ、セントリャーの 787 もあるんだったナ。
「堀越二郎ヒコーキの会」が、YS-11 の模型を製作中、と上毛新聞。1/16 というから結構大きいものだがしかし上毛新聞サン、その見出しの「堀越二郎設計の旅客機」云々は、
いくら地元所縁の人物とはいえ、身贔屓が過ぎまいか・・・・・グンマー史観なのかこれわ(笑)。それならそれで、輸研で堀越と共に「五人のサムライ」に顔を連ねた太田稔は、
旧中島の富士重工。良いのか、群馬的にこっちはスルーで良いのか。
◆そもそも「堀越二郎ヒコーキの会」でのお話故、多少前のめりにしろ、堀越二郎と YS-11 は、いい加減離しましょうや(呆)・・・・・記事では、記者の作文力のせいなのか意図的なものか、
「五人のサムライ」が堀越と一緒に新三菱から輸研にやってきたようにも読めたりするわけだが、その一方でこれらの経緯については「同会によると」と前置きを入れてある。
裏取りはサボっても、こういう予防線は忘れないあたり、プロですな。
稲毛民間航空記念館が、来月一杯で閉鎖される由。成田空港傍にある東峰神社、即ち元「航空神社」の謂れを遡れば、この稲毛の海岸に至る。
5年半程前に訪ねていた
が、見納めに今一度・・・・・とはちょっと無理っぽい。YS 的には、ここには ANA 機のプロペラが展示されていて、鳳号共々、ここの閉鎖後の行方が気になるところで。
「撤去」された JA8712 だろうか、昨年末に熊本空港ターミナルビルに「ひこうき広場」がオープンし、フライトシミュレータが置かれた由。公式サイトの画像を見たところでは、
窓下の計器パネルとセンターコンソール、座席と操縦桿が流用されている様子。コクピットトレーナーを、より簡素にした感じか。
全日空商事のアレ。「YS21176」「YS21177」がオークションに流されていたのを発見(笑)。それぞれ既存の「YS21156」「YS21157」の、投売り版と思われる。これも品番とバーコードがシール。
昨年の夏頃のようなので、速攻転売されていたものとしても(笑)、半年前にはリリースされていたということか・・・・・知らなかったわい。
◆それぞれ ANA の 1991年ラストフライト JA8756 と、ANK の 2003年ラストフライト JA8772。後者はたしか退役間際のツアー限定記念品「YS21125」を、市販化したもの。
10年経ったからもう良いだろう、といったことかも知れなかったが、しかしこんなメモリアルの、かつ板切れ無しの単品、にしてこの有様となると、投売り事情が透けて見えてくるようでもある・・・。
◆と。これら 2品が、元の品番 +20 であることに気付く。そういえば昨日見たものも、+20・・・・・もしや、「YS21156」〜「YS21163」が、ごっそり品番を +20 シフトして、投売りしてるのか?
これら 4品だけ駄目駄目で投売りということがむしろ、考えにくいから、これらラストフライト 2点と板切れシリーズを合わせた 8点分の残り 4点の投売り版の存在も、”内挿”できそうでわないか。
◆既知の最後の品番がこれまで「YS21173」だったから、「YS21174」「YS21175」が不明のまま残る。品番を -20 すると、それぞれ空自の EA、試作初号機。
前者は発売時期が大分前であるし、後者はようやく初登場の試作機であったから、投売りには及ばなかった可能性も考えられる。対象外とすると、これらは欠番なのか、非売品が存在するのか、
はたまた予定がある品番なのか・・・・・JA8717 の JAL 仕様とか、今更ないか。エアロラボも、ないか。そもそも JA レジと自衛隊機しか、これまで製品化してないのだよなここ。
こうピーカンで風もあれば富士山のシルエットが、と夕方羽田に寄って ANA の店を覗いてみれば、全日空商事のモデルプレーンのいくつかが、投売り価格。 1/200 の YS も、
¥3K 切るような具合で置かれてる・・・・・地面の板切れ付きの、でかいやつ、ANA 初期塗装のフラップダウンと、モヒカンの仙台ラストフライト・・・・・ハテ、前にもなかったかこれ・・・。
◆それぞれの品番「YS21181」「YS21183」、いずれもその部分がシール貼りされている・・・・・バーコードもだ。もしや、と手元の記録を当たってみると、それぞれ「YS21161」「YS21163」と同じモノでは、
ないのか・・・・・過去には、限定非売品で、市販と品番を分けた例があったようなのだが、それにあたるのか、はたまた、正規品(?)を買った顧客への配慮で、品番を変えてのダンピングなのか・・・。
◆エアライン完全退役から早十余年、その後官庁機の退役もポツポツと続いてはいたが、往時の熱はとうに冷めて、模型も一通り行き渡った後の今では、大衆的な需要は絶えてるかもしれない。
単価が当初の何倍にもなったのも、そういう需給バランスが関係しているのかもしれなかったが、塗装変更などのバリエーションもほぼ出尽くした・・・・・JAL がまだだが・・・・・感のあるこのシリーズ、
エアステア出したり、カーゴドア開けたり、フラップ出してみたりまではまだ良いとして、地面の板切れ付けたり、台座を木製にしてみたり、となってくるともう、誰得な手詰まり感しかない。
◆例えば単体の ANA 歴代塗装だけ、ロットでレジ変えるくらいに留めて細々と再生産してても良いと思うのだが、それでは商売も成り立たないのかもしれない。
金型は既にあるし、既存の製品のレジ違いで済む場合も考えると、各地の保存機など、ご当地限定で企画しても良さそうなものだが、リスクは負いたくない、か・・・・・プラモデルでは既にあるのだが。
◆さて、これまで把握していた品番が「YS21173」までだったから、少なくとも「YS21183」まで存在しているとなると、今日見た 2品の他に、8品あるハズ、なのか?
全てがシールで品番変えただけの既存品なのか、未知の新発売も隠れているのか・・・・・直近 2年分あたりの、特に板切れシリーズは、この調子だと全部カナ。