YS−11
YSな日々 〜奇行ログ


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2016/6/17(金)
今年もやって来た、美保基地の体験搭乗・・・・・9/17(土)・・・・・連休初日かあ。サンライズは多分論外、朝一で飛んでってもきつそうだが・・・・・カチカチ。(ぉ

2016/6/3(金)
昨日、MRJ初号機が能登空港に飛来した由。のみならず、日本航空学園のYS−11と並んだという・・・・・いつかはありそうなその日についてはぼんやりと、 エアロラボ機との並びの光景を想像していたが、そうかココのYSがいたな。エアロラボ機のレストアにあたっては、日本航空学園関係者のサポートがあったという。 ◆報道記事を読んで行くと、エプロン上の日本航空学園のYS−11の定位置の横にMRJが入ってきたのではなく、MRJ到着後に、 YS−11を文字通り「引き合わせた」ということらしい。粋な計らいでわないか。レジまで判読できる写真が見当たらず、何機か保有しているうちのどのYSであるのかは判らないが、 ともかく、歴史的な1コマなのではあって。日本航空学園のYSもいつかは会ってみたいと思っているが、能登かあ・・・・・能登なあ・・・。


2016/5/21(土)
所沢航空発祥記念館、に行った。陸軍九七戦のレプリカが来てるとか、特別展「時代を翔(かけ)る日本の傑作機たち」だとか、それぞれさほど大きな期待をしていたわけではなかったが、 久々に行こうカナくらいの動機であって・・・・・むしろこの日の格納庫の公開、の方が、これまで見たことなかったので若干の期待。 ◆航空公園駅で降りて、毎度ながら駅前のヌシのJA8732を、あれこれパチパチと・・・・・今日は寝起きからのんびりしたもので、時間に急かされるようなところもなかったので、 道すがらアングルを物色しつつ・・・・・で早速特別展・・・・・流れでYSの資料も・・・・・見て、九七戦見て、常設見て、ミュージアムショップでこれまで買ったかどうか判らない、 瓦煎餅・・・・・YSと会式一号機の絵柄・・・・・など所望しつつ。 ◆さて格納庫である。まず外にいるフォッカーの真っ赤な複葉機が目に止まり、レッドバロンなのか?、この機種もあったのか?、と己の知識の乏しさを噛み締めつつ、 庫の中を見やれば、んっ?、ん゛ん゛っ?・・・・・そこの輪切りの機体、そのボリューム感はもしや・・・・・・てかトリトンブルーじゃないのその塗り分け。 これは間違いなく、YS−11である。説明書きによると2002年、落下試験に供されたものであるらしい。乗降扉の淵から後何mかが切り出されている。 窓の上には日の丸以外塗りつぶされているが、「AIR NIPPON」の特徴的な字体の「A」の跡が、うっすらと認められる。 ◆調べてみると、元JA8727らしい。時期的にはANKからの退役が間近で、フェードアウトしつつあった頃と思われたが、このレジでカチカチ検索するといきなし、 国交省の「航空事故調査報告書」がヒットした。え?、え?、え?・・・・・なんでも2000年2月、雪の丘珠でオーバーラン事故があったという。 潰れた鼻と、卍形になったプロペラのJA8727の写真が痛々しい。さらにカチカチやるとこの機体、1979年にも福岡で尻餅をついたイワク付きであるらしかったが、 丘珠では「損壊の程度 中破」とされ、そのまま復帰させずに登録抹消となったようだ。 ◆2000年といえば、「プロジェクトX」で「翼はよみがえった」と題してYS−11が取り上げられた年である。放送は初夏の頃、丘珠の事故から半年弱。 YSにお熱を上げるのはこの前後からだったが、当時はアンテナに掛かってなかったようである・・・・・輪切りの存在自体、今日の今日まで知らなかったし。

2016/5/3(火)
トロトロと近場を走りに出て、ふと羽田の旧整備場地区へ回ってみると、三菱の羽田補給所が、ない。建物ごと、ない! かつてはここのてっぺんに三菱重工の大きなマークと、 「YS−11」の文字の看板が掲げられていた。それは長い間時間が止まっていたかのようだったが、MRJの事業化が決定し、三菱航空機が発足すると、再び前を向く決意の如く、 この看板もMRJのそれに掛け替えられた。それが建物ごと消えてなくなるとは予想していなかったが、思い返せばこの束の間の何年間か、目撃者、だったわけかと。


2016/2/19(金)
ジェミニ1/200ピードモント? 聞いてないぞ・・・。


2016/1/31(日)
国立科学博物館を訪ねた。日本の航空100年の時の「空と宇宙展」以来と思われ、かれこれ5年ぶりということになる。澁川晴海云々かんぬんをちょっと見てみようかという気になったのと、 館内も最近リニューアルしたということなので、そんな諸々をと・・・・・NHK「ヒストリア」で田中久重取り上げたばかりで、和時計のコーナーの係の人が張り切ってたり。 ◆日本館を一通り見て回って、一息入れ方々ミュージアムショップを物色していると、ををっ、JA8610即ち科博の保存機の、ペーパープレーンが売られてる。 本体にはバルサ材を挟み込む格好で、これは見覚えがあるような・・・・・パッケージには「設計:二宮康明」・・・・・あっ、これ前にもあったぞ。 ANKのトリトンブルーのが、随分前にあったハズで・・・・・後で調べてみると果たして、「ホワイトウィングス」のシリーズで、1998年に発売されたトリトンがあった。 ◆地球館も一通り・・・・・2階の零戦の前に、募金箱。「YS−11量産初号機 募金のお願い」と題して、維持管理費への協力云々とある。 いつから始めた募金かは判らない・・・・・「空と宇宙展」の時にはまだ無かったと思うが・・・・・が、かの事業仕分けの時に、仕舞い込まずに活用しろと言われ、 5年経た昨年、「評価制度委員会」にまた同じようなこと言われ、維持費だけで¥7〜8M/年・・・・・事業仕分けの時には¥9Mと伝わっていたが値切ったのかな・・・・・という話の中、 どうにかしなければ、とはいえどうすれば、といった中、姿勢だけでも、ということなのかもしれづ。

2016/1/29(金)
あらためて「J-Wing」をチェック。FC退役の話はやっぱり、ないか・・・・・「部隊の舞台裏」の連載は入間の飛行点検隊、あっ、と思い目を皿にして読み進むと、 退役の話、3行ばかり。ムムム。 ◆毎度お待たせの全日空商事の1/200モデル。滑走路の板切れ付フラップダウンの残りが、忘れた頃に出荷の由・・・・・2年半遅れですわ。

2016/1/23(土)
書店で雑誌物色。「航空情報」は「戦後日本が作った航空機」特集でドーンとMRJとYS−11。うーむ外せないな。 ◆「航空ファン」によると、入間のFCからもとうとう退役機が出た由。昨年暮の12/22の式典の模様が報じられてる。1154、直近の航空祭で地上展示を見たのが、最後だったか。 他誌ではちょっと見当たらないようだった・・・・・ならば「J-Wing」は絶対来てると思ったが見落としたカナ・・・・・が、YSといえば来週末の「エアライン」ではどうか。


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