YS−11
YSな日々 〜奇行ログ


一番下へ



2017/12/6(水)
先週オープンのあいち航空ミュージアムから、明日「試験的にYS-11の一般機内公開を行います!」というアナウンスが。つまり中見せ放題だったのはプレス向けで、普段は入れないわけだ。 あの日に座った座席に再び、という希望は遠退いたが、立ち入らせれば傷むこと必至であるし、むしろ末永くの維持を、望みたい。

2017/12/5(火)
「次期飛行点検機2機」に関する兼松のニュースリリース、2020年3月に納入とある。訓練期間を考えても、この年の入間航空祭の頃には、運用に入っていそうで、前後して YS-11FCも、 恐らくは退役で・・・・・セレモニーは航空祭でか、或いは別の機会に内々で行うか。前者であれば 2020年まで引っ張れるのかどうか、恐らくは 2019年、後者ならこれはもう届かない世界で、 うまく情報が得られれば、せめて敷地の外でラストフライトの姿だけ拝めるかどうか。


2017/11/22(水)
書店で雑誌漁り、で「航空情報」、特集「YS-11再録」。前にもそんな企画があったような気もするが、開発当時から量産の時代にかけての、当時の同誌の記事。 わけて、YS-11試作初号機がロールアウトし初飛行へ向けてた頃の、関係者の座談会など、戦後は米軍機の整備で鍛えられたとか、分割して造った胴体の接合が一発で合ったとか、 あーでこーでとなんだか皆さんキラキラしてる。でもそれを読むこちらは、初飛行後の型式証明取得までの"産みの苦しみ"や、生産中止へ至る顛末を、既に知っているわけで・・・。

2017/11/21(火)
今月末にオープンする、あいち航空ミュージアムの、プレス向けのお披露目があった由。YS-11P周辺はほぼ予想図の通りと言って良い様子だが、機体の周りに囲いはあるものの、 左舷後部ドアから中へ入れるように見える・・・・・常時公開かどうかは分からないが。すると一昨年のあの日に座った座席に、また座ってみたりとか、叶うのだろうか。 YS-11のシミュレータも用意されていて、なかなか凝っていそうなのだが、これは気合入れて行かないと、順番待ちすら出来るか怪しいゾ・・・・・小松の本物シミュレータは一日中乗れそうな勢いだったけど。

2017/11/3(金)
入間航空祭。飛ぶ。今年は飛ぶ。5月の美保以来、ひょっとしたらもう RRダートの音を聞くことも叶わぬかもと思っていたが、飛ぶ。 ◆となれば目覚めも早く、開門ちょっと前に現着。入場規制なのか散々焦らされた挙句ようやく・・・・・と、郵便局のブースを発見。航空祭記念切手を売ってる。YS-11FC が入っているのは今年が最後か、或いは来年か、 という段階に既にあるのだが、ここはもう、えいやっと確保。さて人の流れに戻ろうかとこれが、止まってる。マジですかい・・・・・暫くまた待ち惚けして、エプロンへ突入出来たのは0900。エプロン開放は、開門とは別で、あったらしい。 なんかワカランな・・・・・人が代わったのカナ。そういえば今年はあの臆面もない「DJ自衛官」も出てなかった。 ◆昨年あたりから午前の部の飛ぶ順番が変わっていて、飛行点検隊は救難デモとシルバーインパルスの後になってる。なのでオープンするなり離陸してるようなこともなくなったようなのだが、 しかしパンフには離陸のタイミングまで記されていないから、出番までどれだけ空中待機しているのか、逆に言えば出番のどれだけ前に上がるのか、見当もつかない。それでも飛行展示の間が開いてる時間帯が、怪しいと睨む。 ◆ブルーの列線のまん前を目指す人達を横目に、その南側にいる最後の YS-11FC、1160 の前に来て、さてどうするかと思案する。ブルーの列線越しに離陸を撮りたいが、殆ど無風で滑走の向きが予測できない。南風ならこの場所で良さそうだが、 北風となると・・・・・ブルーの列線前を突破して、大分向こうへ行かねばならぬ。でも今日はなーんとなく、エンジン始動からタキシング開始を、ここで見てみたい気もする。YS はクルーもおらずなかなか動く気配がないが、 並んでいる C-1 では窓拭いてたり、地上員が記撮してたり・・・・・そんなのを遠目にスナップしつつ、すぐ飛ぶ風ではないなこれ。 ◆救難デモがあり、シルバーインパルスが飛び、とその間に YS のクルーがやってきた。整列して敬礼、機体の点検に取り掛かる。もう空を見ている場合ではない。ひたすら彼らの動きを望遠で追う。触ったり、軽く叩いたり、覗き込んだり、 何人かが同じような順序で回っていたが、しかしアレはやらんのかアレは・・・・・と、キター! プロペラの点検。手で回しながらの目視・・・・・1人しかやらないのかこれは。 ◆C-1 達がエンジンをかけ始めた。続いて YS も上がるのではないか・・・・・とアタリをつけて粘ること暫し、エアステアが畳まれ、こちらもエンジン始動。位置的に機長の突き出す手のサインが見え難いのは不覚だったが、 くるりと向きを変えタキシーウェイへ出るまで見送る・・・・・さて、どうする。北風離陸なのは確定、ブルーの列線越しなら、向こうへ行かねばならないが・・・・・ここで賭けに出る。C-1 が 6機先行してるから、 その順番待ちで間があるハズ・・・・・人をかき分けかき分け,時に小走りにイソイソと移動、その間に C-1 が 1機、2機と上がって行く・・・・・今何機目だ? 振り返ると遠くに T字翼が見える。まだだ。 それが上がるのを見て振り返る、今度も C-1 か?・・・・・ここいらでどうか、と振り返ると、丸い尻尾が見えた。来た! 両手を突き上げてライブビューで追う、どうか、どうだ、カシャカシャカシャ! ◆びぃぃぃぃぃぉぉぉぉぉぉぉぅぅぅぅぅぅぅんんんんんんん・・・・・・ああああああ、RRダートの音。早速飛行点検隊のデモが始まった。今年は機体を見せるだけでなく、久々にあの、あぷろーち、あぷろーち、 ぴー、ってのを、やってくれる。背中も見せて 8の字旋回、昨年飛ばなかった分取り返すつもりで、こっちも気合入れまくり・・・・・何度も撮ってますケド。 ◆続いて C-1 ・・・・・今年は大人し目・・・・・のデモと空挺で、午前の部は終了。午後のブルーなどオマケである(笑)・・・・・とはいえ今日は天気も上々、ひたすらブルーを YS と絡めまくり。 恐らく来年が見納め、しかしひょっとしたら分からない・・・・・そう思えば。F-15 と F-2 の帰投を見送り、追い出されるギリギリまで、西日の YS-11FC をぱちり、ぱちり。あっという間の 1日だった。 ところでエプロンの南端にはハンガーを新築中らしく、囲いもあって視界が遮られていたが、そっちの方にいたりいなかったりする YS-11EA/EB は、残念ながら見えづ。このところ何かと物騒であるのだけれど・・・。


2017/10/29(日)
いつの間にか留守録されていた、今日の NHK「おはよう日本」、ハテ何のワードが引っ掛かったかと見てみると、「10万人の聖火リレー」の秘話、なんてのをやっていて、聖火の空輸の話が入っていた。 那覇まで務めた DC-6 に代わり、国内を YS-11 が飛ぶ・・・・・ここか。そしてその当時のニュース映像・・・・・くぅぅぅ。急遽旅客機仕様に仕立てられた試作2号機、機内に設えた聖火台の開発、鴨池時代の鹿児島空港の滑走路長から、 F27になりかけたところへの逆転劇、遡っては日航製からの猛プッシュに、型式証明取得に向けての運輸省への牽制と、聖火空輸だけで プロX 級の物語を持っていたが、そんなところであらためて 1本、お願いできませんかね。

2017/10/28(土)
あいち航空ミュージアムに、YS-11P 1152 が搬入された由。ニュース写真など見ると、ピッカピカのツルッツルでテッカテカに、光ってる。現役時代にここまでツヤッツヤになったことが、 果たしてあったろうかと思うほどだったが、御召機任務の時には或いは、そんなことも、あったのかも知れず・・・・・とにかく、会いに行くのが楽しみで。

2017/10/21(土)
雨雨雨雨・・・あ゛ー、というわけで、しらせの回航をヒコーキとからめようかと、羽田。その道すがら、旧整備場地区を横目でチラ見すると、え゛え゛っ、最古の格納庫が解体中。そこには、科博の YS-11 量産初号機が、 いたハズだが・・・・・流石に中身ごと解体ということはない様子だったが、雨ざらしという風でもなく、さて、すると今はどこに、匿われているのか・・・。

2017/10/13(金)
西日本新聞、「YS−11見納め 熊本空港14日最後の一般公開 仮ターミナル建設で 機体は解体へ」。終わった。先日伝わった「撤去」の解釈の余地は、もうない。来年にでもまた成田あたりで部品が出るんだろうか。


2017/9/30(土)
横川で碓氷峠の写真展。とあるお客さんと話していて、鳥取から来ましたとの由で、そういえば、と最近美保基地行きましてなどと話すと、どうも中の人っぽいような感じらしい(驚)。そうですか昨年は C-1 に乗せていただきました、 一昨年は YS-11P に乗せていただきました、その節は有難うございました、今年は YS-11P ラストフライトを観に航空祭行きましたヨ、などと・・・・・そういえば基地の中にプラットホームの跡ありますよね、 と本来の(?)鉄談義へ戻りつつも、資料館に展示してある海軍精神注入棒ってアレなんですのニスまで塗ってあって、等々話は尽きず。

2017/9/27(水)
丁度1年前、 JAC のサイトに退役 10年にして未だ「ありがとう日本の翼 YS−11キャンペーン」のページが残っていることに触れたが、改めて見ると、消されていた。やはり消し忘れだったか、サーバの移転でもあったのか。 グーグルではまだヒットするのでごく最近のことと思われるが、あの時のフォトコンの結果発表が見られなくなるのも、寂しいな(笑)。

2017/9/23(土)
全日空商事の 1/200、JA8722 ANKさよなら仕様のフラップダウン、確保。溜まりに溜まっていた全日空商事発売予定分は、ようやくこれにて、ひとまず完結か。YS21101 より始まった品番は、YS21173 が暫定ラスト。 このシリーズは 2001年から始まっていて、いくつかの非売品や謎の飛び番を引けば、均せば 2〜3ヶ月に 1つずつ、発売された勘定になる。さすがに完全コンプリートまでは目指してなかったが、 それでもコツコツ積み立てたような格好で、溜息が出るには、十分であり・・・。振り返れば、国内機はほぼ、出尽くした感があるものの、試作2号機聖火輸送仕様だとか、物凄い隠し球があるような気もしつつ、 目先の話としては、小牧に保存の YS-11P 1152 など、ミュージアムショップにでも置いてた日にゃ・・・。

2017/9/10(日)
参加している碓氷峠の写真展開催中。会場にはアルバムなども置いていて、ついでに YS の写真を入れたポケットアルバムも置いてみたのだが、鉄とヒコーキを掛け持つ人は結構いるもので、本題と別にこちらで盛り上がったり。 メンバーの1人が職場関係の乗り物好きの若い子・・・・・端折るとそんな感じ・・・・・に、勉強に観に来いと声をかけ、そして観に来てくれたのだそうだが、どうだったと感想を訊いてみると、 「YS-11 の写真がありました!」と本題の碓氷峠そっちのけでアツく語ってた由。まーさーに、ケッテンクラート症候群(笑)。国内の旅客機完全退役から 11年、ANKであれば 14年、羽田発着定期なら 16年。 想いばかりが募る「届かなかった世代」が出てくる時代、なのである。

2017/9/6(水)
近く熊本空港で「空の日フェスタ」イベントらしいのだが、公式サイトの告知によると、YS-11 の公開が今度で最後になる由。さらに「展示場一帯が別棟ビルの建設予定地となり、YS−11を撤去することになりました。」 ・・・・・えっ、今、撤去って言いました? 撤去ぉぉぉ!? 移転じゃなく??・・・・・崇城大学で教材の役目を終え、空港の外側へ越して、4年・・・・・短かった。撤去と言い切ってしまっているところから、 そのうち成田あたりで部品が出回ることに、なるのだろうか・・・・・元空自の保存機が1機加わる傍から、1機が姿を消す、のか。 ◆元JCAB機は羽田にいる科博所蔵の量産初号機と、エアロラボ機、他には 調布のJAXAに首だけ、成田には皮を剥がれたこれまた首だけが残っていて、元ANK機に次いで多い方かもしれないが、 オリジナルの姿を留めるのは、羽田とこの熊本の機体のみになっていた。


2017/8/15(火)
朝日新聞デジタル「YS11、羽田で眠る 量産1号機、相模原で展示構想も」・・・・・旧整備場地区も、この量産初号機 JA8610 のいる古い格納庫の周辺を始め、更地ばかりが目立つようになっていて、 退役後空港敷地内を転々としてきたこの機体にとっては、最後の砦であるこの格納庫も、解体されるような話がチラホラと聞かれる。最早逃げ場がない。 ◆記事によれば 7/21 にエンジンに火を入れたそう・・・・・もうやってないと誰か言ってた気がするがやってんじゃんか・・・・・で、そこを入口に現状について綴られる。HASM が進めてきた羽田航空博物館構想は、 やはり断念せざるを得ないところにあったようで、背景として応援する企業の熱が冷めた、という点も触れられる。現在の格納庫の周囲がビジネスジェットの駐機場として整備中で、追い出される日も近そうな話の中、 さて HASM である。メンバーに元 JAL 機長の相模原市議がいて、その市議が、市内の米軍相模総合補給廠敷地の返還部分に、航空宇宙展示施設を提案、そこへこの量産初号機を、という・・・・・人脈である。 ◆相模原には JAXA もあり・・・・・尤も旧 NAL でもない ISAS だが・・・・・というが、仮に成ったとしても、そこでエンジンに火を入れることは、叶うまい。 それより何より、広大な羽田にこの 1機分の居場所すら割けぬという、この国の価値観が嘆かわしい。


2017/7/13(木)
今日は立川飛行場に入間の FC が飛来したらしい。勿論飛行検査の為、にだが、その業務においては、何度もアプローチしたに違いなく、あー前もって知っていれば・・・。(ぉ

2017/7/8(土)
国立公文書館で「翔べ 日本の翼―航空発達史―」、これが今日までだったので、都内巡るついでに立ち寄る。今日までの YS がらみでは所沢で青木勝氏の写真展があったが、 そっちまで足を延ばす余裕は、なかった・・・・・コニカの時に観たし、写真集にサインもお強請りしたし。 ◆それはさておき、日本の航空史の上での、様々な史料・・・・・徳川好敏らのフランス留学、二ノ宮忠八の叙勲、最初の航空法の法案、航空機による南極探検の意義を訴える白瀬矗の請願書、 大日本航空設立・・・・・等々あって、当時の当事者等の肉筆、首相や閣僚の花押など、生々しい。この当時の首相は誰だっけ、などと色々想いを巡らす。 ◆で、YS 的にはコレ、「航空機工業振興法の一部を改正する法律」。昭和33年施行で国産化への方向性を示した法律が、早くも翌年、「第四章 日本航空機製造株式会社」を書き加える改正が行われ、 これが同社の根拠法となった。当時は岸内閣、通産大臣は高碕達之助。調べると日航製解散後の昭和61年に大幅に改正され、第四章は「指定開発促進機関」となり、今に至る。 ◆この改正の直後に「航空機国際共同開発促進基金」が指定を受けており、この受け皿の為の改正だったと思われるが、その実績としては、V2500・・・・・ああ一頃新聞でよく見かけた、 YXX・・・・・7J7も紙面で見た記憶。B777、B787なんてのも関係してたようで、一方ギヤードターボファンの PW1100G はあるものの MRJ 用の 1200 とは別のタイプ、そういえば MRJ そのものは見当たらづ。 あれは NEDO の方の環境適応型うんちゃら、だったか・・・・・経産省所管の中でも色々と、分野が分かれたり被ったりなのだな。


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