YS−11
YSな日々 〜奇行ログ


一番下へ



2017/6/22(木)
ちょっと前に、うっかり値段も見ずに買ってしまった本、「航空から見た戦後昭和史 - ビートルズからマッカーサーまで」。ようやく読み始め、前回の東京五輪の聖火空輸のくだりまで読み進む。 空輸へ至る経緯やら、香港までやって来てからの思わぬアクシデントやら、へえ、そんなことがあったのかと。 ◆国内では YS-11 が起用されたが、当初はアテネから飛ばすつもりだったらしいのが初耳。その起用もこれまで、単に内外へのアピールくらいに思っていたが、初飛行後例の「三舵問題」に直面していたこの折、 型式証明取得の審査にあたっていた運輸省の尻を叩くという、日航製サイドの思惑・・・・・東條輝雄の発案の由だが、こんな話、プロジェクトX にだって出てこない。 尤も、空輸案となった早い時期から、候補には挙がっていたらしい。 ◆それよりも、機種選定の最中に、日航製から提出された書類というのがあって、どこのコピーライターが書いたのだというセールストーク・・・・・曰く、 灼熱地獄から空調の効いた機内へ入りアイスコーヒーなど飲んでるうちにヒマラヤへ、曰く、特別な訓練も要らず 5、6時間で操縦はマスターできる、トヨペットからセドリックへ乗り換えるようなもの・・・・・さすがに、あんぐり(笑)。 ◆「聖火」号に仕立てられた試作2号機の、内装から何からのバタバタ。YS-11 が晴れて型式証明を取得したのが、聖火がアテネを発った後という。型式証明が必須でない気もするが、ANA が運航する以上は必須なのか?  ともあれそんな具合だから、ANA としては、F27 でのバックアップを検討する。殊に鴨池時代の鹿児島は条件が厳しく、ここだけ F27 が残りかけたところへ、YS-11 で降りてみせてひっくり返し・・・・・と、 「YS-11 が聖火を運びました」とだけ伝えられることの多い史実が、綱渡りの連続の先にあったことを、今更ながらに知る。そして物語は、五輪を描いたブルーインパルスへと続く。

2017/6/21(水)
航空雑誌物色。お目当ては去る美保基地航空祭と、YS-11P 最後のフェリーフライト・・・・・各誌それぞれながら、J-Wing 誌記事中「大勢に見送ってもらえる航空機は、幸せである」旨のキャップションに、グッと来る。


2017/5/29(月)
美保の1152、放水の歓迎とともに小牧へ着いた様子。生まれ故郷である名航のまさにその場所へ、これが本当のラストフライト。中まで見せるのかとか、展示の詳細はまだ判らないが、 エアライン以外で唯一乗ったことのある YS-11、のまさにその機体。しかも乗ったことのある YS-11 の中で唯一の、保存機・・・・・五体満足な形では。これは会いに行かぬわけにわ・・・。 ◆現役の残存機はもう 1ケタの筈だが、RRダート搭載機としては、入間のFCが 1機、残るのみ。他はエンジン換装の「スーパーYS」、ついでに電子戦仕様故か人前にはまず出てこない。 他にエアロラボ機と、能登の日本航空学園の教材機と、RRダートのエンジン音を奏でる機体はあるにはあるが、実際上は入間航空祭で飛んでくれれば、それが一番確実で近い。 サイテーションへの置換えが既に決まっていて、残すところ航空祭は 1、2度といったところ・・・・・それも昨年まさかの飛行展示なし。最後くらいはと、願うものだが。

2017/5/28(日)
何度か訪れた美保基地も、航空祭まではいいカナ、という程度の温度でいたのだったが、先々月の「航空情報」で、今年の美保基地航空祭は国産輸送機が揃い踏みする最初で最後の・・・・・
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2017/4/23(日)
昨日付の朝日新聞DIGITAL、「「戦後復興の象徴」名機YS11が里帰りへ 名古屋空港」・・・・・来ましたか、例のヤツですな。読み進むと先のイラスト通り、当該はやはり 1152。で・・・・・5月の美保基地航空祭の翌日、 早速飛んで行くのだそうな。名古屋でお出迎えセレモニーがあるというが、無理だな流石に。


2017/3/22(水)
なんだ席あるんか・・・・・ええいままよカチ。(ぉ

2017/3/21(火)
書店で発売雑誌物色してて「航空情報」。表紙に「航空自衛隊 美保基地 第403飛行隊」の見出しがある。昨年一昨年と体験搭乗させてくれた部隊、コレは見るしかあるまいとページを捲ると、同飛行隊の紹介とか、動向とか。 読むと換装されていないダートエンジンの YS-11 は、この美保の P と入間の FC とで 2機しか残っていないという。2機ずつ、ではなく、2機。記事には 1152 しか写っていないが・・・・・おやおや昨年の体験搭乗の際には、 1158 が飛んでいた筈だが、とググってみれば当の美保基地のホームページに、あれがラストフライトだった旨書かれており。えー! ◆昨年の入間航空祭では、地上展示の 1151 と、エプロンの遠くに見えた 1154 と、FC を 2機を認めたが、サイテーションへの置換えは既に決まっているので、今年か来年あたりが恐らく最後になる。 美保の P は 1152 の 1機のみだが、この秋にオープンするという「あいち航空ミュージアム」では既に唾付けている様子(イラストに機番入りで描かれている)であるし、あと半年も飛ぶかどうか・・・・・記事では、 5月の美保基地での航空祭で、もし C-2 の飛来も叶えば、国産輸送機が揃い踏みする、最初で最後の機会になりそうだという・・・・・それわ・・・・・それわ困ったな。


2017/2/27(月)
エバーライズの 1/100 の・・・・・知る限りでは 8年程のブランクと思われるが、ここに来て美保の P が出る由。1152 と 1156、今年は退役&小松行き決定と思われる VIP 仕様の 1152 と、空自最初の退役機となった、1156。 1152 は一昨年に乗せて貰った機体であるし、これは久々に、アレか・・・・・1156 は 1156 で、唯一の NT にしてベースは後半分が特徴的な貨客混載型。うーむ。

2017/2/26(日)
大鳥居駅近くの羽田図書館で、HASM「6日間だけの羽田航空博物館」を覘く。半年程前に有楽町交通会館で見たものの、延長といった印象で、そうそう持ち駒もないだろうから、リピーター目線としては、 違いを探して楽しむようなところもあったかもしれないが、展示の中では、YS-11搭乗証明書が目に止まった。最終期にあっての沖永良部、与論、種子島のラストフライトの日付と、最後の定期便の日付まで印刷されていたから、 最終便かツアー便で配られたものだろうか。キャンペーン期間中の搭乗では絵葉書様の記念カードを貰ったが、まあそこまで付き合う気力もなかったな、正直・・・。 ◆余程好きなのか、立て板に水で展示の説明を喋りまくるおじさんの話を聞きながら、こちらが相槌の他に口を挿むと今度はそこを基点にまた延々と続くのだったっが(笑)、ようやっと聞き出せた話としては、 旧整備場地区の再開発にあたって、博物館の目はなくなったらしいこと、科博の YS-11 が入っている、現存する最古であるらしい格納庫も、取り壊されること、その YS-11 の行く宛てがないこと、 等々・・・・・あの格納庫分の小規模な施設すら、無理なのか。 ◆その話の通りとすれば、「羽田に航空博物館を!」の掛け声で活動してきた HASM も、夢破れ、今後は神出鬼没のミニ博物館としての展開へ、軌道修正して行こうということなのか。 その灯は、機会が訪れた時にはきっと、活きる・・・・・しかし会議室借りて出来る程度の展示なら、空港ターミナルにいくらでもスペースがあるだろうに・・・・・かつてはターミナル屋上に YS-11(強度試験用 02 号機)を置いて、 大いに啓蒙に努めた羽田空港も、今やそんな気などサラサラ無い、ということなのか。味気ない話である。

2017/2/25(土)
フェリー乗って房総ツーリング。フネに始まり撮り鉄しつつ北上、成田でちょいヒコと、図らずもというか毎度なトコロで陸海空な道中だったが、さて、成田空港北端の「さくらの山公園」のところに出来た、 空の駅、コレが出来て今回初めて寄ってみたのだったが、さて中のショップにドンと置かれた、YS-11・・・・・JCAB機の写真があったがどの機体かは不明、最近出物があったとすれば空自機だが・・・・・の主輪。 ¥55K ナリ。まあ、買えなくは、ない・・・・・支払い能力なら、ある。あるのだが、こんなものがデーンと置かれた日にゃ・・・・・後悔は目に見えている。先輪¥30K ナリが乗用車程のボリューム感だが、 持て余すわな・・・・・他にプロペラブレード¥450K ナリ。うへっ。


2017/1/24(火)
るるぶ.com で紹介されてた「あいち航空ミュージアム」。この秋オープンだよ〜的な要旨なのだったが、ソコに出ているイラストに釘付け・・・・・どう見ても空自の P型な YS-11 に、さらに機首に「152」の文字。 ここまで具体的に描かれてるとすれば、間違いないのだろう・・・・・美保基地の 1152 である。1152といえば、アレだ、
一昨年9月の体験搭乗 で乗せてもらった機体。御召機(と呼ぶの?)にも供された VIP仕様機である。 ◆他に情報はないかとカチカチやったが、今のところ るるぶ の当該記事しかヒットせづ・・・・・「あいち航空ミュージアム」の準備ページみたいなのも無いのだな。一方で全く同じ構図の以前のイラストが引っ掛り、 そこでは同じ YS が試作機塗装。 一昨年この計画のニュースに最初に触れた時 は、やはり P と思しき塗装の YS-11 が MRJ と並んで展示されているイラストを目にしていたが、その後一旦試作機塗装でぼやかして(?)いたものの、結局 P の出物に収まった、ということか。 自衛隊機でなく旅客機型を求めてるらしいとか、エアロラボ機への打診・・・・・あれも飛行検査機で「旅客機」とは言い難いのだが・・・・・があったらしいとか、色々と聞こえてはいたものの、 なんだかんだ言って国内で現存する中では、YS-11P が最も、旅客機然としているのも多分、無関係ではあるまい。何より VIP 仕様機としての実績にも、語るべきものを持っている。 ◆で、である。秋にソコにいるということは、早晩退役するということでわないか! その「秋」がいつなのか? 恒例の美保基地体験搭乗は 9月だが、その前か後か、 或いは貨客混載型の 1158 だけ残っているのか、いやいや 1機だけ残すなんてことはあるのか・・・・・恐らくは来年度中に美保の P は全機退役、残すは入間の FC と EA/EB、そしてエアロラボ機のみとなろう。 その美保の P もまず、今年の体験搭乗に、入るかどうか・・・。

2017/1/12(木)
Web 版産経新聞、「悲劇の教訓受け選ばれた次期飛行点検機「サイテーション680A」」。昨年起きた U-125FC 墜落事故に触れつつ、
先日発表された 、それを踏まえてのサイテーション680A 選定へ至る話が本旨、ではあるのだが、やはり気になるは最後の一文。「防衛省は平成31年度末までに2機を取得。32年度から運用を開始するとともに、3機態勢を整えたい考えだ」 ・・・・・ということは、ということはですよ、先日発表にあった「来年度の概算要求に計上」は、現金払い即お持ち帰りということではない・・・・・まあそらそうだ・・・・・わけで、 すると入間の YS-11FC もまだ若干の猶予が、ある・・・・・あと 2,3年は、航空祭でその姿を拝める、ハズ。観閲式もどうだろう、最後のご挨拶、というのは・・・。

2017/1/11(水)
前になんとなく買ってしまった「小説・MRJ 開発物語」をちびちび読み始め。産業界の小説仕立ての物語というと、昔ホンダやソニーあたりを好んで読んだものだったが、 国産化から `80年代ビデオ戦争へ至る「映像メディアの世紀」などは、まさに「ジャパン・アズ・ナンバーワン」で世界を席巻した頃の各メーカーの戦国絵巻のようであり・・・・・はさておき、 「小説」と謳っているので、トーンとしては「プロジェクトX」のノベライズに近いものであろうなと・・・・・尤もプロX のような、成し遂げて大団円の所までは、現実はまだまだだが。 ◆ノンフィクション的ではあるのだが、報道で伝わってるような重要人物が変名になってて流れをロストしかけたり、言い回しや用語など、推敲や校正の怪しさに若干の面倒臭さを覚えつつ、 さて MRJ といえば外せないのが、YS-11。この日航製の事業の誕生と顛末・・・・・有耶無耶な幕引き・・・・・以来のトラウマや、米国の下請けに甘んじ云々といったくだりは、 前間本でお馴染みの、業界に落とし続ける影の部分、史実ならば誰が書いても概ね同じだろうとはいえ、この本、そういえば参考文献の記載がないのだな。


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