YS−11

YSな日々 〜奇行ログ


一番下へ



2021/6/20(日)
久々に科博を訪ねる。地球館の 2Fを覗くと、零戦のいた一角は囲いがあって、今後ここはどうなるのか。YS-11 の募金箱は相変わらず置かれている。もう 10年は経つのではないか。 YS に関するパネルは、ヒロサワ・シティで公開準備中の由の記述が、多分羽田で保存中の文言が記されているであろう上から、貼られている。公開前に、また様子を見に行きたいんだがな。

2021/6/17(木)
梅雨の晴れ間・・・・・が期待できた。予報の揺れが心許なかったが、時間をこじ開けてままよと入間。北風らしいので南端で待ち構える。天候はアタリ、あわよくば西日ギラリやシルエットを、 と目論んでいたが、予定時刻になっても飛ばず、終了時刻になっても飛ばづ・・・・・またか、と諦めかけたところへ、ブォォォォォォォォと独特のプロペラ音が聞こえだした。 ポジション的に全然見えないのがもどかしかったが、音の感じは C-130 とも違うし、ましてや P-3C や US-2 あたりは考えにくい・・・・・そっか、考えてみたら自衛隊のプロペラ双発機は今、 小型機と YS-11EA/EB しかないのだよ。つまりこういう刻みの粗い太い音は、唯一無二と言っていい。 ◆ブォォォォォォォォと尚も聞こえてくるが、一向に飛び立つ気配がない。C-1 や U-680他の訓練機が引っ切り無しにタッチ&ゴーを繰り返していて、どうもその間に入れない様子。 その間にも刻々と日は暮れて行く・・・・・あああ。やがて、ゴーアラは譲ったのかたまたまなのか、そこからプロペラ音は変わって、拍車を入れ音が上がってすぐ、フゥーっと、消えた。 プロペラ後流でふわっと消えるんだようんうん。地形の段差越しの遠くを睨んでいると、昇って行く機体が見えた。 ◆夕焼けに YS のシルエット・・・・・今日はこれでキマりだとウハウハしていると、やがて一周した YS が戻ってきた。よーしよーしと構えて待っていると、あれれ、高いぞ、高いぞ、 あ゛ーっ・・・・・ぶーん・・・・・そこでゴーアラですかい。がっくし。もうワンチャン・・・・・夕焼けの盛りは過ぎてしまったが、今度こそタッチ&ゴーに入ったところで、 カシャカシャカシャ! ちと厳しいが、なんとか捉えた、か。よく見るとコブコブ無しの YS-11EA、贅沢は言うまい。

2021/6/7(月)
時間がある、雨は降られないか、風向きは・・・・・どうやら入間シフトに入ってしまった(苦笑)。そんなわけで滑走路北端付近でアプローチを待ち構えたが、 予定時刻を過ぎてもなかなか飛ばず、飛んだかと思えばなかなか戻って来づ・・・・・ぬううう。グラデーションのおいしい時間帯もすっかり過ぎて、ようやくぱちり。ちと報われない心地。


2021/5/26(水)
皆既月食。方角やら天候やらあれこれ思案して、所沢は航空公園の JA8732 と絡めることにした。月の出直後から欠け始め、方角的に機体の 1時〜2時方向から狙えば、機体越しに見える、ハズ。 しかしながら梅雨入りしそうでしない空模様は、晴れるんだか曇るんだか微妙なところで、しかも晴れといっても雲はあるだろうし、やらぬ後悔よりやっての後悔、ええいままよと腹を括って現着。 ◆月、出ない。出ない。そこにあるハズなんだろうが、透ける様子もない。とはいえ来てしまったわけだし、粘るだけ粘れば諦めもつくだろう、と突っ立ってること2時間余、ぼお、と何やら透けて来た。 あれだ! 皆既を過ぎて光が戻ってくるところらしい。んがしかし、思惑と違い既に大分、高い・・・・・ううう、これでは機体と絡めようにも引きが取れず、垂直尾翼のアップに小さく朧月、 といったところがやっとだったが、しかし今日の最大の成果であるには違いなく、ぱちり、ぱちり。そのうち月食かフツーの欠けた月か判らなくなってきたので、撤収。次はあるだろか。

2021/5/24(月)
時間をこじ開けるようにして、狭山市駅で降りる。今日は入間基地の夜間訓練で YS が飛ぶ・・・・・先月訪問以来機会はあったが雨だのなんだので・・・・・予定で、 先が見えてきてるし、行ける時は行っておくかと再訪。前回は南風で南端から専ら上がり狙いだったが、同じく南風運用のところ、今日はアプローチ狙い。 脚立持って行く程の気力もなかったので金網は避けて、北端の河岸段丘と思しき場所で北の空を睨む。 ◆やがてその頃合いとなって、遠くに着陸灯が見え、これを正面からカシャカシャカシャ! ぶおぉぉぉんんんん・・・・・と頭上を過ぎ、丘珠や鹿児島で過ごした時間を思い起こさせた。 上がる時は大型トラックが吹かすような音のスーパーYS も、絞ってアプローチしてくる際のそれは、案外オリジナルのダート機と変わらない感じで、往時の思い出に浸るには十分。 何度かトライするうちすっかり日が暮れ、着陸灯のビームでまたカシャカシャカシャ! いやあ、銀塩の頃は ISO400 で結構スローで切っててロクな像を残せなかったが、 超高感度が当たり前の現代においては、S/N の程はともかくそれなりで残せる。ありがたや。

2021/5/21(金)
雑誌チェック。「MAMOR」誌に飛行点検隊と YS-11FC 退役の記事。YS-11 としては EA と EB が暫く残るというようなことが書かれていて、さてこの雑誌、 本文に登場する装備を巻末ページで簡単に紹介するのだが、さてさてと見てみれば説明の記述はあるものの、写真部分が「非公開」の文字のみ。あー、やっぱそういう扱いなのね。


2021/4/27(火)
デアゴの「JAL旅客機コレクション」第39号確保。TDA のオレンジと、レッド&グリーンのセット。世代的には、レッド&グリーンとモヒカンなのよね。

2021/4/15(木)
入間基地の訓練予定情報を見ると、「YS-11」の文字があるわけで、FC が退いた今、これはもうスーパーYS の EA か EB しかないわけですな。こんな形で炙り出されるとは(笑)。 実のところ、入間基地には、航空祭以外で行ったことがない。訓練は平日だし、時間も凡その範囲はあっても定かでない・・・・・それでなんとなーくこれまで敬遠してきたのだが、 EA/EB が確実となれば・・・・・スーパーYS は、飛び姿を見たことがない。 ◆というわけで、来てみた(笑)。南風なので滑走路南端付近で待ち構える。示された時間帯の始めに現着したが案の定、飛びやしない。T-4 や C-1、来たばかりの C-2 に、 何しに来たのか F-2 ローパスのオマケまで付いて、結局 2時間後、ようやくお目にかかれた。音、やっぱり違いますな・・・・・ダートの甲高い音とは対照的に、 低く力強く、プロペラは太くやや硬質な、いかにも空気を叩くといった趣・・・・・ははあ、これがスーパーYS なのか。まずはレドームのコブコブの EB が、間を置いて EA が上がる。 ◆アプローチを取ろうと基地の北側へ回る・・・・・徒歩・・・・・間も、あの太いプロペラ音が時折聞こえ、気を急かされる。ようやく入間川に出た頃には日もとっぷり暮れて、 EA の最後の着陸を捉えるのがやっとだったが、まだまだ続く C-1 や C-2 の訓練・・・・・こりゃちょっと、再訪決定だな。スーパーYS も、退役まであと僅か。

2021/4/2(金)
科博より「YS-11量産初号機公開プロジェクト報告書」と刺繍ワッペンが届く。報告書という名から浮かぶ、紙資料満載なイメージとは違って、実質写真集。見応えアリ。 航空雑誌をして殆どスルーされていた中、きっちり形に遺され閲覧できることの意義もさることながら、こうしてそれが手元にある。本当有難い。


2021/3/17(水)
飛行点検隊 YS-11FC、52-1151。入間でラストフライトを行った由。あのダート・サウンドを聴くことは、もう叶わないのか・・・・・まだスーパーYS がいるものの、とうとう、終わった。 52-1151 は初期の生産機で、半世紀以上もの間現役を全うしてきた。本当に、お疲れさま。入間も 1機くらい、保存スペースならありそうなものだがどうだろな。

2021/3/4(木)
ザ・ヒロサワ・シティの量産初号機 JA8610、完成のお披露目はどうなった?、と思っていたら、「科博廣澤航空博物館」誕生のニュース。あの建物、YS-11 の 1機だけのためとも思えない広さだったから、 何か付け加わるのだろう・・・・・元 JCAB のガルフのブツ切りも運び込まれてたし・・・・・という気配はアリアリとあったものの、いやはや、外野の想像の先を行っていた。 ◆共同の財団を設立して運営の由。独法がヒロサワに居候というのも具合が悪いのかもしれないが、責任の所在や資金面などクリアにする必要もあるのだろう。 敷地内には以前から他に乗り物が展示されているが、無料公開の個人コレクションといった風で、その延長で科博の資産を扱うわけにもいくまい。防犯も厳にすべきだろうし、まずお金取らないと。 ◆羽田の敷地内を転々と彷徨った JA8610。羽田に航空博物館を、という HASM の悲願は潰えてしまったが、相模原に米軍から土地が返還されるといえば、候補地に働きかけたり、関係者が市長選に立候補したり、 そういった活動はその後も報道を通じて窺われた。そして形を変えて、今ヒロサワに JA8610 がいて、新たな航空博物館が誕生する。 ◆上野で展示されていた零銭や、筑波に保管されていた宗谷搭載のシコルスキー等々、科博所蔵の 5機が合流し、エンジン等も展示される由・・・・・となるとあの建物も、結構処狭しな予感。 組み上がった JA8610が、ぽつーんと佇む様を収めたのは昨年暮のことだったが、今となってはこれも貴重な記録。あの風景も結構捨て難いものがあったが(笑)、ともあれ、めでたい。 今年中にはオープンを目指すそうだが、また見たいね、造りかけのところ。


2021/2/10(水)
YS-11FC、もうその飛び姿は拝めないと思っていた。先月立川飛行場の検査に飛来したようで、見たところこれまで、一度来ると 2、3ヶ月空くようだったから、最後のチャンスを逃したか ・・・・・と思いきや一昨日、飛来情報がまた出てる! ◆この時局下にあって悩ましいところではあったが、区切りとなったであろう昨年の入間航空祭が流れた今、20年来余り最後の見届け・・・・・となれば、万難排しまくりである。 ◆2018年晩秋に訪れた前回は、寒々とした曇り空の下滑走路北端で待ち構えたが、今回は晴れ模様、前回の場所でもよかったがロケーションを色々物色、立日橋あたりまでは回り込みそうだとか、 いっちょモノレールと絡めるギャンブルに出てみようかとか、思いは巡るのだったが、最後のチャンスである。確実にダートの音が聴ける所から、確実に飛び姿を収めたい・・・・・結局、 西立川駅の、昭和記念公園口のデッキに落ち着いた。決めてしまえば腹を括るまでである。 ◆そういうわけで、予告された時間帯の 30分ばかり前に現着。先客がいるだろうが上見るだけだから問題なかろう、と思ったら、誰もいねえ(笑)。時折、昭和記念公園の門まで来て、 なんだ今日は入れないのかなんて言う人がいるくらいである・・・・・といってるとご同輩が 1人、挨拶した感じではこっちより大分手練れ・・・・・イヤホンしてるし・・・・・のようで、 手慣れた感じで、こんな風に飛ぶよと教えてくださった。ありがたや。 ◆予定の時間帯に入ってそう待たされることもなく、YS-11FC、北側からまずはローパス。ド順光でウハウハながら、エンジンは絞ったままで、如何にもなダートサウンドは聴けづ。 返して南側からやや高めに航過、遠く東側を南下して、また回って来るのが見えたと思ったら、こっちに来ない・・・・・どうも多摩川付近でぐるぐる回ってたようで、やはり立日橋が狙い目だったか?  今更言っても始まらないが、その後も何度か航過をカシャカシャと撮りまくる。そして最後に北へ抜けて、大きくは旋回せずに、飛び去って行った。 ◆求める程にはその音は聴けなかったけれど、どうにかお別れの時間を、こうして持つことができた。 催しやセレモニーの中でもお別れはできたろうけど、こうして本来任務に就いた姿でそれができたのは、一層同時代を感じられるようでも、あった。


2021/1/20(水)
入間基地に、3機目の U-680A が飛来した由。いよいよ、か・・・。

2021/1/12(火)
立川飛行場に今日飛行点検機飛来の情報、立川市のサイトに出てた。勿論 YS-11FC なのだが、視程悪そうな空模様の中、果たして飛んだのだろうか。昨年内に退役と思いきや、 年度内のどこかまでは、まだ飛ぶようだということはこれで判ったが、ダートの音を聞く、最後のチャンスを逃したかなあ。


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