YS−11

YSな日々 〜奇行ログ


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2020/6/22(月)
デアゴの「JAL旅客機コレクション」、昨今の禍でスケジュールが遅れていたが、いよいよ 7/7、YS-11 が登場の由。第18号、静岡版の時は 5号だったから、やや待たされたわけだが、 まあ内容は同じなんだろうし、静岡版は確保済だし・・・。


2020/3/31(火)
あー、ハセガワから、1/144 の試作機のプラモが出るのだな。1号機と 2号機を作り分けられるようなのだが、するとアレですよ、2号機と言えば聖火輸送、ソレ仕様はあるんですかね。 調べるまでもなくポチ。(ぉ

2020/3/28(土)
ここから出るか、と当たりを付けて多摩川の船着き場近くに整備された公園に陣取る。環八をちょっと俯瞰気味で引きも取れ、具合がいい。昼間から吹き付ける強風を避けて物陰に隠れていると、 ドヤドヤと人が現れたので、仕方なく風に吹かれながら場所取り・・・・・うぅー寒い。 ◆日付が変わった。本当にソコから出て来るんだよな、とやや不安を抱えつつ見守っていると、先導車が出て来て、柵を動かして通り道を確保し、蒲田方面へ曲がって止めた。 よし、こっちだな。暫くすると、ゆっくりとトレーラーが続いて来る。敷地から環八までちょっとしたクランクになっていたが、鮮やかなハンドリングで、そろりそろりと、JA8610 を連れ出す ・・・・・この瞬間、最後の YS-11 が、羽田空港を後にした。エアロラボの N462AL が発ってから 5年、海保機の退役から 9年。 ◆暫く最終点検らしきことをしている間、ぱちり、ぱちり。やがて出発していく・・・・・さようなら。筑西市までのルートは判らなかったが、産業道路から第一京浜、日光街道を辿ると思われた。 湾岸から先回りして第一京浜へ出て、昭和通りで前後の様子を伺うと、遠く後ろでチカチカ光ってるのが見えた。ゆっくりだろうとは思ったが、うまいこと前へ入れたようである。 その昭和通りでパチリ、パチリと撮りつつ、暫く一緒に進み・・・・・いっそ筑西市まで、と頭を過ぎらないでもなかったが、結局荒川のあたりで見送ることにした。 かの地での姿は、追って会いに行けばよい・・・・・その頃には、気兼ねなく外出も出来るようになっていることを、祈りつつ。

2020/3/27(金)
3/28に「ザ・ヒロサワ・シティ」着とすれば、それは恐らく明け方、鉄道車両の陸送では、何かの許可の都合なのか、日付変わって午前0時に出発、という例が多そうなのだが、 道路も空いてる頃合ではあって、普通に走れば数時間の道程、ならば午前0時発が有力か・・・・・と踏んで、日の暮れた羽田へ行ってみると、果たして、JA8610 の胴体、翼、 などと乗せたトレーラーが3台ほど、3タミ近くの空きスペースで待機していた。エンジンがかかっていて、今にも出てしまいそうでヤキモキしたが、前準備が終わったのか、 一旦散会してしまった。さて、どうする。

2020/3/12(木)
産經新聞サイトに「YS11お別れ式取りやめ 茨城に28日到着」と。タイトルだけで知りたいことは分かった(笑)。結局予定されていた 3/9 には、何も動きがなかったということだ。 すると「28日到着」の深読みとなるが、胴体は刻んでいないと思われるから、その新幹線車両程の大きさからすれば、鉄道車両の陸送の要領で運ぶのであろう。 となれば・・・・・距離的に途中泊はなさそうだし、イベントに合わせるような時間的制約も緩いとあれば・・・・・ふむ。

2020/3/10(火)
科博の YS-11、昨日羽田でお別れ会とのことだったように思うが、どうも音沙汰がない・・・・・と思ったら同日午後に行う予定だったイベントは、中止だったらしい。こんなご時世だから、 お別れ会自体も取り止めたか、移送も延期したのか・・・・・移送先も延ばした方が好都合とあれば、まだチャンスはありそうだが・・・・・続報を待つしかない。


2020/2/24(月)
久々に科博訪問。ミュージアムショップで YS-11 のクリアファイルが目に止まった。前にも見かけた記憶はあって、クリアファイル、実用にする気もないし、その機能上、 A4 よりやや大きいサイズが微妙に嵩張ったりもして、これまでコレクションの対象とはしてこなかったのだが、いよいよ筑西市へ移るとあって、これもどうなるか分からないしと今回確保。 ◆地球館 2階では「おおすみ」50周年のプチ特集展示。その同じフロアの零戦の前では、YS-11 量産初号機の維持の募金箱が、以前同様に置かれてる。この募金箱を最初に見たのは、 あの事業仕分けで俎上に乗り、その後また評価制度委員会で同じような指摘を受けた後のことだったが、いずれかを契機にした設置だったのだろうがそれはさておき、 説明書き等々はこれまでと変わらず、筑西市へ移転の話など書き加えられてはいない。譲渡するわけでもなく共同管理のようだから、位置付けは変わらないということか。


2020/1/25(土)
名古屋から大阪にかけてを、小ネタ拾いしながらフラフラ、命の洗濯。合わせたわけでもなかったがたまたま、あいち航空ミュージアムでは「日本の翼 YS-11展」をやっていて、 MRJ 改めスペースジェット周辺の様子なども偵察方々、今日はまずそんな小牧を訪問。スペースジェットはつい先日ラインアウトしたようで、あわよくばその姿を、という期待もないではなかったが、 週末だから・・・・・そんな余裕あるのか・・・・・なのか、そうは問屋が卸さないようだった。 ◆改名から半年あまり、工場には変わらず MRJ のロゴがドーン、MRJ カラーがあしらわれた歩道橋もそのまんま、空港に置いてあるグッズも MRJ の残り物があるだけで、そもそも改名自体、どこか投げ遣りに思われて、 心機一転という感もどうにも乏しかったが、「MRJミュージアム」にしても、PR施設だろうにこれまた然りで、なんだか事業全体の「博物館入り」の暗示のようにすら、思えてくる。どうしてこうなった。 ◆それはさておき、あいち航空ミュージアムへ。およそ 2年ぶりの訪問、展示機も少し増えている。屋上から三菱のハンガーの方を見たが、やはり動きはなさげ。 ときに今、YS-11 シミュレータで巧く飛べれば、YS-11 をあしらったオリジナルウィングバッジをくれる、らしいのだな。んがしかし平日限定の門前払い。今日だってガラガラに空いてんじゃんよ。 趣旨と違うかもしれないがそのバッジ、記念品で売ってくれまいか。カネならシミュレーターの 2倍、いや 3倍出そう(笑)。 ◆で、久々に YS-11P、1152 とご挨拶、「日本の翼 YS-11展」はその右舷側に囲みが作ってあった。パネルがメインだが、生まれた背景や顛末などの説明。豆知識で燃料タンクの容量をヴィッツで換算したり、 スピードを中央リニアと比較するなどは、愛知感満点。これに加えて、YS-11 のカタログ、マニュアルといった貴重な資料・・・・・いや史料か・・・・・や、ローンチや退役の時の記念品、 これらだけでも見応え満点・・・・・JAC のさよなら団扇は、持ってたかな。そして幻の YS-33 の模型。737 と トライスターの中間のように見える機体に、ほぼモヒカンの塗装がされている。 ◆そして一角で流されていた映像。YS-11 の素性や歴史、機体の特徴や各部の仕組みを解説する。ソースは既存のパッケージの 1152 ラストフライトなど、見覚えのあるものも交えつつ、 今回の企画向けに、能登の JAA で撮り下ろしているとのこと。教材機を使って、「人力飛行機」とも呼ばれた操縦索を介した操縦と動作などを説明、そして!、 ここに居候してるエアロラボ機でのエンジンランナップ。ああ時々回してやってるのかな・・・・・そのダート独特の音を、たっぷり味わわせてくれる。これ、パッケージで売ってちょーよ。 ◆大分ウロウロしたところで土産物チェック。忘れただけかもしれないが、1152 のグッズがなにげに増えている気が。ぬいぐるみも健在。開館時には目玉になる筈だった MRJ がこの体たらく、 名前も変わって、尚未だここへ来る見通しが立たない・・・・・納期がまた延びそうだと報道されてるが・・・・・中、まだまだ YS-11P だけで頑張ってもらうしかないか。

2020/1/18(土)
分解作業公開の模様が、もう少し詳しく Flyteam で紹介されてた。左主翼の取り外しまで進めた由。専用器具は美保から入間へ空輸とのことだったが、まだ美保で持ってたのか。 絶賛運用中の入間からは、貸すわけにいかないだろうが、そいえばエアロラボに手を差し伸べた能登の JAA・・・。 ◆それはさておき、3/9 に羽田でお別れ会を行う由。するとこの晩に胴体陸送、か?

2020/1/15(水)
羽田で分解中の YS-11 量産初号機、その模様が公開されたとの報道・・・・・しかしそこ「解体」と呼ぶか? 写真では尾翼はすでに無く、エンジンも下ろされたのか、胴体と主翼だけのように見え、 それぞれ架台で支えられ、脚も外されてる様子。胴体はクレーン車で吊ってる状態のようで、何日もそのまま止めるようなものとも思われないので、いよいよ大物のバラシにかかるのかもしれない。 3月の搬出と伝わっていたと思うが、分解は記録を残しながらとのことなので、まだそれ位はかかるということなのか。


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