YS−11

YSな日々 〜奇行ログ


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2019/6/22(土)
昨日付の航空新聞のネット記事によると、YS-11EB の後継に C-2 ベースの開発を進めていて、早ければ今年度中にも配備開始の由・・・・・いつの間に。一方、現在入間基地へ集中配置の C-1 も、 C-2 への置換は既定であって、電子戦機共々機種が統一されることは、合理的であるのかもしれづ・・・・・急にでかくなるけど。 ◆しかし、飛行点検隊の YS-11FC が、既に後継機の発注もかかってて、あと 1年か 2年か、退役までのカウントダウン進行中な一方、エンジン換装の「スーパーYS」はもう少し長生きするかと、 思ってたのだが・・・・・当該記事には YS-11EA が触れられておらず、EB 共々込々の話であるのか、訓練機ということで後回しになっているのか・・・・・もしやもしや、最後の最後の現役機は YS-11EA、なんてことに?


2019/2/20(水)
山村堯著「YS11の悲劇 ―ある特殊法人の崩壊」、やっと読んだ。顛末については既に前間本で概ね把握していたが、再読していないので詳細までは覚えていないものの、 読んだ順序からして、その記憶に裏付けをして行くような内容と言え、執筆された 1995年当時から見ての、後知恵的な側面は多少あるにせよ、読むほどに、あーこりゃ駄目だ、の連続で泣けてくる。 ◆そもそもは、通産省の一官僚がぶちあげたプロジェクト、とされる。そんな経緯から航空行政を担う運輸省はというと、どこか他人事であったかのように、前間本でも綴られていたと記憶するが、 生産から運用まで包括的に練られた航空法から、航空機製造事業法を作り生産行政を切り取るような真似をした通産省、当然運輸省と摩擦が起こる。結果、「耐空証明の発給」と「製造確認書交付」、 「修理改造検査」と「重要な修理についての通産大臣の確認」と、山のような二度手間が発生した由。船舶の分野ではこんなことになっていないという・・・・・船舶法、造船法、共に運輸省だ。 ◆そんな通産省主導で、航空機工業振興法の一部改正、により日本航空機製造は誕生するわけだが、ユーザーの意見反映として運輸省サイドが求めた役員ポストを、通産省は一蹴したようで、 発足からもう、フラグ立ちまくり。以降は破綻に至るまで、行き当たりばったりの連続。コレコレをやる為にはドレドレが必要で、その為にはこういう環境整備を・・・・・というビジョンもないまま、 足りなければ工面・・・・・無心か・・・・・すれば良い、数さえ売れば良い、収拾つかなくなれば潰せば良い・・・・・終始こんな。著者の言わんとするところはそういう体質的な問題なのだが、むべなるかな。 ◆末期には外部から大物経営者を引っ張ってきたりしていたが、そもそも、試作試験完了後は公金から新たな出資を行わない、という縛りがあったそうで、しかも製造は外注だから設備も持たず、 担保になるような資産もなければ、元々信用もないから借金も出来ず、身動きが取れない。最後は顧客へ売る機体を銀行が一旦現金で買う形という、アクロバチックな方法まで採っていたのだったが、 とにかく明らかに最初から爆弾を抱えていたとも言え、日航製発足を既成事実化さえすれば、後でどうとでもなると考えたのかもしれない。当然ながら早々に資金が尽きることになるのだが、 社員のボーナスが出せないから、前金くれと顧客に言うに至っては、あんぐり。殿様商売というより、コイツお頭足らんのではという程で、恐らくは誰かが尻拭いするだろうという、 目先の辻褄合わせしか考えないカンジは、悪い意味で典型的なお役所的というか、なんというか。 ◆日航製は寄り合い所帯で各メーカーからの出向が多かったが、前間本では、試作機飛ばして終わりだろうと東條輝雄は考えていたように綴られていたが、その三菱からは、 経験の浅い社員を研修代わりによこしては、慣れた頃には引き上げてしまい、また未熟な者をよこしてくる、ということを繰り返していたのが実態だという。解散の時には出向者は元の会社に戻るだけで、 プロパーは置き去りになったという。中にはトヨタなどへ斡旋された人もいたというが、そういえば後に折り畳み自転車「YS-11」を作ることになる方が、その1人ではなかったか。 ◆「五人のサムライ」については、前間本では土井武夫と堀越二郎を、殊対照的に描かれていたように記憶するが、如何せん知見が古く、また旅客機は未経験、にも関わらず権威者であるが故に、 外野から批判されにくい・・・・・本書はそこを狙った人選であったのではないかとするが、古い知見がプロジェクトの足を引っ張ったとするならば、老害、という側面も否めない。 前間本では三舵問題のうちのラダーの解決で、スプリングタブがブレイクスルーとして登場し、プロX でも毎度お馴染みの大逆転的な山場として描かれていたが、本書では、とっくに知られていた技術を、 石頭の老人たちが受け入れなかった、かのように指摘している。たしかにスプリングタブ自体は当時にして新しいものではなく、採用に至るまで何やってたのかという話には、なる。 一方、試作機の主翼の上反角と主輪の位置修正を、土井武夫のやや荒っぽい手立てでなしたくだりは、当時の現役世代のひ弱さの露呈でもあり、経験が受け継がれない不幸でもあった。 ◆売り込みの苦労などは概ね前間本でも読んだ流れを、より具体的に数字も交えての話で綴られていたが、ピードモントは要求は無理難題のようでいて的確、結果 YS-11 という機体を最も鍛えてくれた航空会社であったという話は、 前間本共々やはり印象深い。一時 ローンチカスタマーでもない ANA がボンバルディアに乗り込んで、Q400 の不具合に徹底的に付き合ったという話がふと過ぎったが・・・・・ちょっと違うか。 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と評される前のニッポン製の、実績もない機種を喜んで買う顧客などいるわけもなく、先のピードモントにしても利用者向けには、エンジンの「ロールス・ロイス」を前面に出していた程で、 そうそういい商売になるものでもなく、コストダウンしようにも、外注先の機体メーカーは断固これに応じず、ドル・ショックが重なり売る程に赤字という状況に陥り、臭い物に蓋式に、182機で幕引きとなる。 先の見えた商品は売れない。海自へ収めた最終号機・・・・・小月で稲刈りして果てた機体・・・・・はじめ、最終ロットに官公庁向けが多いのも、このあたりが無関係ではないらしい。 ◆続いて開発した C-1 は旅客機でないことから横槍が入り川重へ移管、次に計画された YS-33 は、一旦 YX 構想として仕様が固まりかけたところへ、当の日航製がちゃぶ台返し、規模を拡大してエンジンも変更するも、 その開発中のエンジンメーカーから開発費負担を迫られ、一方エアバスが開発中の A300 とモロ被りとなることから、外注先の機体メーカーが付いて来ずに立ち消え・・・・・一体何がしたかったのやら、という顛末。 故意に潰れる方へ仕向けたのではないかと、勘繰る程である。或いは本当にそんな思惑がどこかから働いたのでは、あるまいか。 ◆しかし、この既視感はどうであろう。いや前間本で読んだ話と重複するからでは、ない。時系列的にはこの YS-11 が先、近年聞かれた MRJ の諸々の甘さや不手際・・・・・体たらくと言ってもいい・・・・・には、 あまりにも同様の「匂い」が、漂い過ぎでわなかろうか。こんなの他所には出来ないと自信満々だった CFRP 多用の機体は、やっぱり出来ませんとなり、他社に先駆け燃費で引き離すと胸を張ったギヤード・ファン・エンジン採用は、 遅延に次ぐ遅延でアドバンテージを失い、型式証明では予め判っていたであろう電子機器の配置で引っ掛かり設計変更、オール日本人に拘ってたあたりや、ボーイングから操縦系システム提供の打診を断ったのも、 先の「五人のサムライ」関連の話や、スプリングタブ採用の遅れにも通じようし、如何にトーシロ目といえど、果たしてこれは、純粋に技術的課題克服による遅れなので、あろうか?  解散によって日航製の技術的知見は殆ど散逸してしまったというが、この失敗学的知見・・・・・そう、MU-300 でも大火傷しているのだ・・・・・は、どこへ行ってしまったのやら。


2019/1/28(月)
山村堯著「YS11の悲劇 ―ある特殊法人の崩壊」届く。あらー綺麗じゃん! 殆ど読み古された形跡なし、古本印なし、値段の鉛筆書きなし、中古というより死蔵品ではあるまいか、級のコンディション。 奥付見ると、数ヶ月目での第3刷・・・・・元々少なかったのかもしれないが、少なくとも 2度は増刷してるのだな。この間の¥10K 超のは売れた様子だったが、 ¥1K ちょいでコレ、めっけものである。我ながら、持ってますな・・・・・いや今年の運を切り崩してるのかこれ。

2019/1/26(土)
山村堯著「YS11の悲劇 ―ある特殊法人の崩壊」。暮に気になったところでちょっとネットで探したら、¥10K 超のが引っ掛かったのみで、そのうち安いのも見付かるだろう、 と気長に構えつつ、今日あたりついでで神田寄って物色してみようかと思っていたのだったが、何の気なしにまた検索すると、¥1K ちょいのがある。え!? と目を凝らすと、 確かに¥1K ちょい、間違いない・・・・・リサイクル品なので汚れやシミや書き込みがあるかもしれないが読めるレベルはキープ、というような予防線的文言が気になったが、 どうも定型文の気配濃厚で、最悪の場合が書いてあるのかもしれず、まずは中身が読めればいいか、あまり酷ければ買い直すもよし、神田寄る手間も省けるし、とポチ。

2019/1/21(月)
「J-Wings」の特集が「自衛隊機2020's」で、次の10年を見通すような内容の中、「退役機2020's」なんというページがあって、まあそこにいるわけですよ、YS-11FC と、C-1。 既知のスケジュールのまま退くような話ではあったが、EA/EB には触れられておらず。

2019/1/19(土)
寒中ツーリングがてら朝の光線の東峰神社でちょっと撮って、そこから絶賛リニューアル工事中の航空科学博物館にちょっとだけ寄って、久々に JA8611 と対面。高所作業車みたいなモンが尻尾付近の左舷にいて、 50年代か60年代かというスタイルにはフォードのエンブレム、古そうな割にはユナイテッドの今のロゴが入っていて、これは最近まで成田で働いていたものなのか。 YS-11 の左舷真横から見ると、正直結構邪魔な位置だったりするのだが、仮にそこに置いてある、だけだよな、だけなんだよな・・・。

2019/1/17(木)
なんだ今日も立川飛行場に YS-11FC、飛来してたのか。そんなに頻繁に来るものと思わなかったが、暮の検査のやり直しとか、そういうのなんだろか。

2019/1/15(火)
相模原市長選のニュースが目に止まる。相模原といえば以前、羽田で居場所を失いかけている、科博所蔵の YS-11 量産初号機の行先として、相模原市内の米軍施設跡の土地に航空宇宙展示施設を提案、
という話があった。 その中で、HASM のメンバーの元 JAL 機長が、市議を勤めているという話だったが・・・・・あ、立候補表明してる。


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